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 希望ヶ峰学園を出たボクの周りで、今日も人は死ぬ。すれ違っただけの他人が。かつての同級生が。道を教えた老婦人が。かわりにボクは何かを手に入れる。さんでなくて良かったと死体に囲まれたボクは安堵する。だけど同時に、次に死ぬのは彼女ではないかと不安になる。どうか彼女をこの世界の悪意から守ってくれと何者かに祈りかけて、ボクは吐き気を催す。
 神様なんかいない。だっているとしたらボクはこんなふうに生まれてこなかったし、こんなふうに生きなくて良かった。だけど、もしもまわりに不幸をまき散らしながら生き続けるこんなボクの願いが叶うなら、どうか、どうかひとつだけ。
 そんな烏滸がましいことをどうしてボクは願ったりしたのだろう。結局ひとりぼっちになるボクは、最初からひとりでなければいけなかった。だから、だからボクを救うのは、ボクを見つけてくれるのは、ボクを愛してくれるのは、 この才能だけだ。
 なのに、さんの横顔が脳に張り付いたまま消えてくれない。
 そうしている今も、世界は絶望に覆われようとしているのに。








 別れも告げぬまま学園を去ったボクが次にキミの姿を見たのは、あの女によって絶望に染められた外の世界の、テレビの中だった。
 希望ヶ峰学園に残り続けることを選んだキミは残酷なコロシアイ学園生活に巻き込まれることになった。その様子は、世界中に放送されている。知らないのは当事者の彼女たちだけだ。ボクは、キミがこんな世界でも生きていたことにほっとしたのに、泣きたかった。それは、キミがこれから先途轍もない闇に呑みこまれることを傍観せざるを得ない現状に絶望したからではない。かつてキミを手放したボクは少しだけ大人になって、数えきれないほどの不幸を背負って、時代が時代なら大富豪になれたくらいの幸運を手に入れて、そうして、ひとり静かに生きていた。
 かつて輝かしい才能を持っていた同級生たちの名前は、街の中でも目についた。九頭龍組の壊滅。ストラトを担ぎ血塗れのバットを掲げ歌う少女。自殺の幇助をしてくれると言う料理人の噂。ヨーロッパで滅びた小国。それらを伝える写真の撮影者の名前は、ひっそりと新聞の端に記される。今しがた七十八期生のギャンブラーを殺したあの装置を作りそうな人物も、ボクは知っていた。
 だけどボクは彼らを軽蔑して良い人間ではないだろう。気が付けばボクは周囲の不幸を願うような人間になっていた。絶望的だ。自分の才能に縋った結末が、これだなんて。 だけど、こうしてさんの姿を電波を介して見ることができたというのは、ボクにとって最大の幸運で、きっとこの前死んだあの子のおかげかな、って、かさついた心で考える。さんは、少しだけ痩せたようだった。髪が少し伸びて大人びた、綺麗になった。あまりにも昔と同じ顔で笑うせいでそのまま彼女を上書きしてしまいそうになったから、ボクは自分の中でフォルダを作って、昔のキミが消えてしまわないように焼き付ける。画面の中で動くキミの姿を一瞬たりとも見逃さないように、ボクは、ボクは、ボクは、ボクは。ボクはどうしてこんなところで首から鎖をぶらさげているんだろう。
 キミは相変わらず綺麗で優しくてきらきらしていて、時たま音楽室でピアノを弾いた。こんなレベルが超高校級か、隣のモノクママスクが嘲笑う。さんの病は進行している。いや、江ノ島盾子曰く、あの指の不調は、ボクの幸運の代償によるものだったのだけれど、それが悪化していることは音を聴けば、わかる。よく、画面に手首をマッサージしている姿が映った。あんな不自由な腕じゃ殺されるのも時間の問題だと誰かが笑った。ボクはそれを聞き流しながら、キミの手が美しかったことを思い知る。ボクがこの世にいなければ、ボクがキミに会うことが約束されていなければ、キミの手はきっと今も健やかだったね。
 自分の幸福のため、絶望的なまでに不幸を求めるような人間に成り下がったボクは、こんな世界でも爪の先一つ汚さないキミを視界の端に入れながら、周りの人間を食っていく。生きているものすべてがボクの餌に見えた。彼らはボクのために死んでくれる勇敢な兵士だった。ボクが怪我一つせず物盗りにも遭わず衣食住にも一切困ることがなかったのは、彼らの死があってこそだ。
 夜になるとテレビに映るキミを見た。キミは時に怯えて時に果敢で時に愚かで時に冷静であった。真っ暗な部屋の中でキミの顔だけが鮮明に残ってボクはその間も不幸を重ねて幸運を貪って笑って、笑って、笑って。キミの光だけがボクの皮膚を照らしていく。
 一人死んで二人死んでキミはそのたびに馬鹿みたいに泣いて悔やんで弱々しくて、三人死んで四人五人、心労で吐いたキミの背中を撫でてあげたかった、六人七人八人、キミは誰も殺さないまま九人。さてボクの周りでもちょうど同じだけの人が死んだ。ボクは幸せになれただろうか。キミがいなくても。








 とうとう江ノ島盾子が死ぬ。さんはこの腐った外の世界に出るつもりらしい。生き残った七人の後ろ姿がテレビ画面に映し出された。さんの華奢な手首が、力なくぶらさがっている。ボクは瞬きの一つもできずに爪を噛みしめたままその映像を凝視する。かさかさしているのだ、心がずっと、乾いたまんまで、なのにボクの穴は広がって、飴色の液体を増やしてもう壁に手なんかつけられないくらいに遠くて、たった一人で誰の声も聞こえなくて骨だけが足に当たって、さん、変だよね。ボクは今になって急に思い出したんだよ。遠く離れた場所からキミを見て、キミを思い出して、あの頃のボクたちを懐かしむくらいにはボクに隙間ができていて、それでようやく、ようやく、ボクはあの頃のボクたちを冷静に見つめられる。
 あの頃のボクは、異常だった。
 キミの傍にいた一年近くの間は、どうしてボクの傍で人が死ななかったのだろう。
 ボクは今更それに気が付く。








 あの一年近くの間、ボクは彼女の隣で呑気に笑っていた。細々とした不運と幸運は確かに繰り返されていたけれど、人は死ななかった。それはそれまでの比率から考えても決してあり得る話ではなく、実際に最近のボクは途轍もないスピードでこの才能を消費している。この才能は呪いだ。ずっとそう思って生きてきた。だからこそ、あり得なかった。彼女と過ごしたあの日々の中で、誰一人としてボクの才能の犠牲にならなかったのは。彼女がいつ死ぬかわからなくて怯えた。だけど、本来ならばさんは、きっと真っ先に死んでいなくてはならなかった。
 それに気が付いたら、激しい動悸と眩暈が一気にボクを襲った。
 全身から汗が噴き出て、ボクは瞬きすらできずに肩で息をする。さんに救われた。本当にそうだったのかもしれない。だとしたらどうして、彼女を失う未来に怯えてばかりで、きちんと彼女に向き合わなかったのだろう。どうしてボクは彼女の手を振りほどいたりしたのだろう。あんな顔をさせて、裏切ってしまった、捨ててしまった、死ななくてすむように、キミがボクに食われないために。
 だけどこんな結末があり得るんだったら、ボクはなんのために、キミを置いて来たっていうんだ。さんが、画面の奥で笑っている。手を伸ばしても、もう彼女はボクの腕の中に戻ってこない。








「不幸があって初めてボクに幸運がやってくる、そういう風にできている。ボクが幸せになるには、まず不幸にならなくちゃ。絶望的に不幸を切望しなくちゃ。さんを手に入れるには、だからボクは、一度世界で一番ってくらいの不幸でこの身を染めなくちゃいけないんだよ、そうでなければあの春にボクは戻れない。ボクはもう一度あの子に会いたいんだ。あは、良いんだよ別にボクのことを彼女が覚えてなかったとしても。だってボクは覚えてる。今度こそ好きだって言える。ボクがあの日々を教えるよ。だけどそうだな。それでも思い出してもらえなかったら、やり直さなくちゃ。もう一度出会いから。まあそれも彼女に会えなくちゃ話にならないよね。そのためにあと一度、不幸になろうと思うんだ。これは贖罪でもあるんだよ。だってボクはそれだけのことをしたんだから。彼女を傷つけて逃げ出したのはボクだったんだから、だからさ。ねえ、ボクはそのためにキミの腕が欲しいな。世界で一番、血反吐を吐くほど気持ちの悪い世界で一番嫌いなキミの腐ったその腕が欲しい。それが形を成してないのなら、キミの血の繋がった女のものでもいいよ。そしたらボクって世界一の不幸者じゃない? それに、ボクの最大の敵でもある絶望を取り込めて一石二鳥だ。絶望の左手をもらった不幸なボクは、最大の幸運を手に入れる。さんの隣に戻るんだ。そのためにボクの左手を切り落とすよ、これがボクの受けるべき罰で、祝福されるべき未来だ、だから頼むよ、それ、キミの左手、ボクにちょうだい。そして絶望を取り込んだボクは、あの子に謝りに行くよ。ねぇこれって、すごく希望的な結末だよね? そうは思わない? 江ノ島盾子」




「ボクたちがそういうふうにできているってことを、証明しよう」



 そしてボクは、絶望の残党として、あの小さな部屋で彼女と再会する。


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