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 ボクは飛行機の残骸に埋もれている。ボクを愛してくれなかった母親を抱いている。流星が美しかった。あの星は燃えていた。
 未だにハウス同士を繋ぐエレベーターが直っていない状態であるにも関わらず、突然マスカットハウスに現れたボクを、日向クンは化け物でも見るかのように見つめている。



「どうやってここに来たんだ……?」



 さすが、何の才能もない予備学科の生徒だ。冗談みたいに何の捻りも面白味もない彼の質問には、下らない戯言で返すことにする。「瞬間移動?」首を傾げたボクに、むっと眉を顰めたのは何故だか知らないけれど七海さんの方だった。その彼女の表情を見たら、頭の悪い人間のふりをするのが何だか途端に面倒くさくなって、ボクは正直に本当のことを教えてあげることにした。
 今しがた、ファイナルデッドルームに行って命懸けのゲームをクリアしたこと。命懸けと銘打っている割には、それは下らない脱出ゲームとロシアンルーレットで、ルールを良く把握しないままに弾倉に五つの弾を入れてしまったこと。そして偶然最高難易度でゲームをクリアするに至ったボクが、いろんな「特典」を得たこと。その中に両ハウスを自由に行き来する権利があったこと。そういう話を希望になり得ない彼らに懇切丁寧にしてやるボクは、とても優しい人間だ。何の価値もない生ゴミみたいな人間に、どうしてボクがこんなに優しくしてあげる必要があるのだろう。ないよね。
 浮かべっぱなしの作り笑顔で頬が痛くて、ボクは俯いた瞬間に短く息を吐いた。



「なんだよそれ。行き来って、どうやってだよ……!」



 日向クンの非難がましい声は鬱陶しく、ボクの神経を逆撫でする。希望になることのない人間に、価値なんてないんだ。だからもう良いのだ何もかも。床に落としていた視線をあげて日向クンを見る。日向クンが、目を見開く。その瞳の中で、ボクは酷く退屈そうな顔をしていた。あ、笑顔、忘れてた。けどもう良いや。面倒だし。



「あのさ、日向クン」



 視界の端で、ずっとボクが見ないようにしてきた女の子が泣きそうに目を細めたのがわかった。何をしているんだボクは。こんな一瞬、彼女を彼女と認識しただけでボクは動揺してしまう。肩を掴んで揺さぶられて、鳩尾に膝蹴りされたみたいだ。さん。ごめん。



「さっきからゴチャゴチャうるさいんだよね。ボクのペースで喋らせてくれないかな?」



 穴が開くほど読みこんだファイルの中にあった、彼女の強張った顔が脳裏に浮かぶ。
 ボクはもう、キミに微笑むことができない。








【希望ヶ峰学園第七十八期生、。超高校級のピアニストである彼女は、コロシアイ学園生活を生き抜いた生徒の一人である。】








 嘘で塗りたくる。そういう作業は苦手ではなかった。嘘が吐けない人は不器用というよりは頭が悪いのだ。他人を騙すなんて良心が痛むとか、そういう言葉を吐くのは、痛んだ胸に塗る薬の出し方を知らないだけだ。未来機関のファイルを彼らの前に見せつけるように差し出したボクは、簡単に嘘を吐く。ここにはボクたちに関係するような情報は何一つとしてなかった。過去の事件でしかないコロシアイ学園生活について更に詳しく書いてあっただけで、誰が殺されて、犯人が誰だった、動機はこうだ、なんてことを知らされたところで、何の興味もわかないよねと、同意を求めるように呟くと、予備学科の日向クンはあっさりそれを信用した。七海さんは訝しげにボクを見つめていたけれど、彼女がこういう目でボクを見つめるのは今に始まったことではないから、特別気にする必要は無い。上手く話をしなくては。あとであの子が困ることのないように。
 さんに関係していたはずのコロシアイ学園生活の話を出しても目立った呼吸の乱れがなかったことを思うと、やはりさんはボク達と同じようにここに来る前の記憶を失っているらしい。これから彼女を無視しなければならないボクは、それを直接尋ねることなんてできないけれど。
 そのまま話を続けて会話が終盤に差し掛かろうかという頃、視界の隅で彼女が震えていることに気が付いた。さんが俯いた瞬間を見計らって、彼女を視界の真ん中に置く。コロシアイ学園生活のことなんて何も覚えていないらしいと決めつけていたけれど、彼女はならばどうしてあんなに悲痛な面持ちでいたのだろう。その理由が、思いつかない。
 ボクたちは、いつもこうしてすれ違っている。いつも、いつもだ。この島に来てからの話じゃない。最初から最後までボクたちは一人ぼっちだった。一緒に居るのに、まるでボクたちはお互いを見てはいなかった。あれは虚しかったな。キミもそうだったんじゃないかな。
 覚えてなんかいないけどさ。








【コロシアイ学園生活を企てた首謀者の自殺により、生き残った七十八期生、七名の生徒は学園の外に脱出することに成功した。その後七名は人類史上最大最悪の絶望的事件に対抗するために学園の卒業生を中心として設立された未来機関に保護され、世界復興の協力を誓う。】








 ボクは意識的にさんを視界にいれないよう心がけ、勿論話しかけもしなかった。完全にいないものとして扱った。本当は彼女にも日向クンたちと同じような態度をとるのが好ましいのだ。後で彼女こそが「裏切り者」なのだと皆に勘付かれる要素は少しでも減らしておいたほうが良いのだから。だけどどうしてもできなかった。だって彼女だけは本当に、本物の希望だったのだから。
 エレベーターが直って、ストロベリーハウスに取り残されていた三人と合流した後も、ボクはほとんど一人で捜査を進めた。そんな中、九頭龍クンの探るような視線がボクの頬に突き刺さる。最近の彼は人の感情の機微に敏感だ。元より観察眼の鋭い人だったし、ボクの変化を不審に思うのも無理はないのかもしれない。ついさっきまでのボクなら、彼の成長に心からの拍手を送っただろう。だけど、今はそれが煩わしくて仕方ない。邪魔だとすら思う。だって、どうしたって無理なのだ。彼らが無価値で愚かで汚らしい濁った泥にしか見えない以上、邪険に扱わずいられるわけがない。たった一人真実を知ってしまうというのも、辛いものがある。知らずのうちに吐いた息が黒い煙になってボクの足を絡め取った。いつかの瓦礫の中のように、肉塊にまみれた地獄でボクは蹲る。








【絶望の残党の捜索を続ける中、希望ヶ峰学園の生き残りを名乗る人間たちが現れたのは、コロシアイ学園生活が終わって半年が経とうという頃であった。第十四支部に配属された苗木誠を中心とする七名を、彼らの取り調べにあてることとする。】









 裁判が始まった後、ほとんど対角線上に立つさんを視線の外に置くのは随分と骨が折れた。意識的に日向クンやそこらを見ていないと、どうしても彼女に引き寄せられるのだ。今まで気にしたことがなかったけれど、どうもさんには吸引力というか、あ、これじゃ掃除機みたいだね、言葉を変えよう、人を引き付ける力が存在しているらしい。それがボクにだけ効くフェロモンか何かで、誰も彼女を気にしたりしなかったら良いのに。いっそキミが才能なんて何もない普通の女の子だったら。そしたらボクは何の後悔も心残りもないまま、キミを置いていけた。多分ね。
 下らない議論を聞き流しながら、ボクは持ち込んだ二冊の分厚いファイルに視線を落とす。真実は痛い。だけど戦わなくてはいけない。ボクだけが、彼女を守ることができるのだから。
 ボクは静まり返ったオクタゴンでこのファイルの中身を頭に叩き込んでいた。そうしながら、自分のやるべきことを計算していた。真実を知っているボクだけができることを。
誰にも知られるわけにはいかない。彼女を生かすために。さんだけをこの世界から逃がすために。そのためだけに、今までのようにキミに微笑みかけるわけにはいかなかった。だけど、他の皆に対して嫌悪を抱いてしまったボクは彼らに今まで通り接することが出来ない。それに合わせる形で、キミを意図的に避けなくてはならなかった。形だけでも彼らと同じ場所にいてもらわなければいけなかった。
 コートの内側に忍ばせた小瓶が、腿にぶつかる。








【取り調べの結果、生き残りを自称する生徒たちが絶望の残党であることは間違いない。上層部からは即刻処分するようにと再三求められたが、我々第十四支部は彼らを新世界プログラムにかけることを検討している。上層部は認めないだろうが、超高校級の絶望となった彼らが洗脳から解放される可能性が万に一つでも残されている以上、諦めるわけにはいかない。実験場となるジャバウォック島へ秘密裏に向かう計画が進められている。そこで彼らを新世界プログラムにかける予定である。】








 オクタゴンからくすねてきた、毒薬入りの小瓶をポケットの上から撫でる。
 ボクのやるべきことは決まっていた。ボクを「裏切り者」である彼女に殺してもらうこと。そして彼女に、裁判を逃げ切って一人で生き延びてもらうこと。そのために、どんなに彼らが議論を尽くしても疑われることのないよう、今から下準備をしなくてはならない。
 きっと彼らも、全てを知ったボクが裏切り者を生かすために事件を起こしたということくらいまでは推理できるだろう。だけど、裏切り者が誰かという一点についてだけは、彼らに知られるわけにはいかないのだ。
 そのためにボクは、裏切り者が誰だったかを知らなかったふりをしなくてはいけない。執拗なまでに、裏切り者の正体を突き止めるふりをしなくてはいけない。察しでもされようものならば失敗だ。ボクを殺してくれる犯人を、裏切り者を、を、この世界から逃がすために。
 そのためにボクはこの才能を使う。覚悟を決めたところだよ。だからもう、良いだろ。








【未来機関第十四支部所属・が被験者らと共に新世界プログラムに加わることが決定した。以降、はプログラムの管理下に入ることになる。】








 どうしてキミはここにいるのだろう。ボクたちのような、残念で愚かで劣悪で救いようのない人間の中に、どうしてキミは飛び込んできたりしたのだ。考えても答えなんか出てこない。だけど、それでもどうにかしてキミだけは救おう。ボクが彼らを連れて、終わりにしよう。キミを傷つけることになってしまっても、それでも彼女が裏切り者であったことを勘付かれるわけにはいかない。
 キミのことを、ボクはきっと何も知らない。だけど、どうか、どうかさ、ボクを殺して、キミは生きてよ。残骸の中で立ち尽くしていたボクを救い出してくれた、キミが。


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