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 キミを失ったボクの体が退化する。
 死体発見アナウンスを聞いたボクたちは二階のラウンジに向かって、そこにある電話でマスカットハウスに連絡をしてみることにした。なかなか電話が繋がらなかったことを考えると、どうやら向こうで殺人が起きていることは間違いないらしい。
 確実に何かが起きているはずなのにそれに関する一切の情報が入ってこないというのは、なかなか堪えるものだった。時間だけが過ぎていくことに少なからず焦りを覚えて、ボクは壁に寄りかかったまま目を閉じる。両ハウス内の移動手段がなくなっている以上、マスカットタワーの内部で殺人が起きたのなら犯人は向こうのマスカットハウスに取り残されているということになるけれど、ボクたちがそう考えてしまうのも犯人の思惑の一つなのかもしれない。
 繋がらない電話を根気強く十分ほど鳴らし続けた頃、それはようやく繋がった。相手は恐らく日向クンだ。ボクたちを代表して受話器を手にしている九頭龍クンの様子から察するに、どうやら今回殺されてしまったのは、予想通りここに居ない弐大クンであるらしい。弐大クンが犠牲になってしまったのは残念だけれど、これでまた皆の希望を見ることができるのだから、その礎になった弐大クンには感謝しなくてはいけない。そうやって普段通りの思考を保ちながらも、どうしてボクは今安堵しているのか。即座にさんの顔が浮かんだあたりで、自嘲気味な笑いが底の方から込み上げてきた。死んだのが彼女でなくて良かったなんて、そんなことを無意識のうちに考えるボクは、とうの昔に腑抜けている。



「じゃーん! モノクマファイルー!」



 九頭龍クンが暗い面持ちで受話器を置くのを見計らってか、唐突に現れたモノクマはボクたちに恒例のモノクマファイルと差し入れを渡すと、疾風のごとく消えていった。昨日から餓死すると騒いでいた左右田クンが目の色を変えてパンに齧りつくのを横目で確認しながら、ボクは受け取ったファイルを開いてみる。被害者は、モノクマによってロボットに改造された弐大クンだ。死因は修復不可能なほどの頭部の破損。戻ってきたばかりだって言うのに早速殺されなくちゃならなかったなんて、可哀想な話だ。
 九頭龍クンと左右田クン、そして田中クンと四人でこれからのことについて話し合いを終えた後、ボクはこのストロベリーハウスの一階にあるファイナルデッドルームに向かうことにした。勿論、彼らの誰にもその意思表示はしていない。これは、ボクが自分で決めたことだ。
 エレベーターが修復されない以上、殺害現場となったマスカットタワーに向かうことはできない。弐大クンを殺した犯人はまず間違いなく「極上の凶器」が眠るあそこに行っているだろうし、日向クンたちがマスカットハウスに取り残されている以上、ストロベリーハウスにあるあそこを調べるのに一番適しているのはボクだ。こんな時でなければ、ボクの才能が皆の役に立つことはないだろう。
 ボクは一人で階段を降りると、手を触れることすら躊躇ってしまうくらい如何ともしがたいセンスの扉の前に立った。こんな時に彼女の顔が浮かぶのも、それだけで苦しくなるのももう慣れた。裁判で犯人を明らかにしてここから出るためにも、まずはここで行われる「命懸けのゲーム」をクリアしなくてはいけない。見た目に反して重たい扉に手をかける。こんな時でも、あの子の「ごめん」がこびりついたまま、剥がれない。








「うぷぷ、うぷぷぷぷ」



 ボクは、だからそれくらいしか考えていなかった。皆の、いやもっと正直に言えば、彼女のためだった。弐大くんを殺した犯人を見つけるため、皆を、さんを無事にここから出してあげるため。それ以上他に何の思惑もなかった。



「よりにもよって、オマエみたいなヤツが手に入れるとはね」



 ファイナルデッドルームをクリアしたボクの前に、モノクマは現れた。
意味不明な言葉と耳障りな笑い声を残して、モノクマはボクと共にファイナルデッドルームから出てきたモノミを引き摺って消えた。ボクに残されたのは、命懸けのゲームであるロシアンルーレットを最高難易度でクリアした報酬の、二冊のファイルだけだ。



「コロシアイ学園生活の続きのファイルに、学生時代に作成されたボクらのプロフィールか……」



 歪な形をした、武器や毒薬で溢れかえったオクタゴンと呼ばれる薄気味悪い部屋の壁に寄りかかると、ボクは二冊のファイルと睨めっこを始めた。と言ってもどちらを先に見るかなんてボクの中で既に決まっていたのだ。ボクは未来機関のファイルを脇に挟むと、学園の紋章が印刷された方のファイルを開いた。これで未だに自分の才能を思い出せない日向クンのことも分かる。そうしたらきっと彼は喜んでくれるはずだ。なんて、建前だけど。
 勿論日向クンのことだって気になる。だけどボクが一番知りたいのは、さんのことなのだ。キミはどんな学生だったのかな、これを見たらボクたちがどんな同級生だったか少しは思い出せるのかな。キミが懺悔のように呟いた言葉の意味を、ボクは理解することができるのか。
 溢れる彼女への思いで、無意識のうちに緊張していたらしい。指が震えて、上手くページを捲ることができなかったボクは、仕方なしに目を閉じて、呼吸を整える。



「皮肉だと思ってね」



 唐突に、先ほどモノクマに向けられた言葉が耳の奥から蘇った。ボクがこのファイルを手にしたことを心底面白がっている様だった。モノクマの予定通りに事が進められて、自分がその駒の一つになったような気分だ。でも、だけどさ、ボクは後悔なんてしていない。



「運が良いのか悪いのか、よくわかんないね」



 あの時モノクマが続けて言ったその言葉にも、ボクは迷わず答えを出せる。だから、ボクで良かった。犯人がこんな形で殺人を犯したのも、ファイナルデッドルームに向かえたのがボクくらいしかいなかったことも、ロシアンルーレットに使った銃に弾を五発込めたことも全部、このためだった。
 ファイルが音をたてて落ちた。いや、意図的に落としたのだ。ボクは足元に落ちたそれを気にも留めずに、もう一冊のファイルを開く。未来機関のマークが入ったそれは、ジェットコースターに乗った時に渡されたファイルの続きだ。あの中途半端に終わっていたファイルの、残りの全てが記されたやけに分厚いそれには、ボクの知りたいことが全て載っていた。だからボクはもう、理解してしまったのだ。立っていられなくて、床に座り込む。



「ふ、あは。はは、あははは……は」



 それは自分のもののような、そうでないような、不思議な声だった。床に落ちた、プロフィールが書かれたファイルの、偶然開かれたページが視界の隅に映りこむ。さんがこちらを見ている。何も変わらない、昨日ボクが抱きかかえた彼女がそこにいる。他の皆のページだってそうだ。日向クンが何の才能もない「予備学科生」と明記されていることや、あの十神クンが、御曹司の十神白夜とは何の関係もない「超高校級の詐欺師」であったこと以外は、何の面白味もない、本当にただの「プロフィール」でしかない。だってそこには分かりきったことしか書いていないのだから。名前に血液型、年齢に資格や能力、特記事項、そういう、必要とは思えない情報ばかりが。
 だけど、たった一人だけ、彼女だけは違った。



「……どうして」



 、第七十八期生、超高校級のピアニスト。
 ボクたちは、違った。同級生ではなかった。彼女だけが、七十八期生、ボクらの一期下の学生だった。それが一体どういう意味を持つのか、ボクはもう知っている。もう一冊の、コロシアイ学園生活の続きのファイルを握りしめた指が震えている。生き残った生徒の最後の一人分の顔写真という、随分と切りの悪いところから始まったそれは、ボクに現実を教えてくれた。



「……さん」



 ボクが知っているさんよりも僅かに大人びた彼女がそこにいた。
 裏切り者はさんだった。
 彼女はかつてのコロシアイを生き抜いた、未来機関の一員だ。








 ボクは幸運だった。さん本人よりも早くこの真実に気が付くことが出来た。だからボクはキミを守る。キミだけを生かすよ。分厚いコロシアイ学園生活のファイルを捲る。キミたちが作った光の痕をなぞる。さん、だからどうかキミはもう少しだけ、忘れたままでいて欲しい。自分に与えられた役目を忘れて、どうか、どうかキミが、何の蟠りも後悔もないまま、この世界を終えられるように。ボクはそのために、この才能を使おう。
 その部屋にあった冷蔵庫から一本のビンを取り出して、コートのポケットに入れた。


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