80



 新しく行けるようになった四番目の島を探索している最中、全員でジェットコースターに乗ったご褒美としてモノクマに一冊のファイルを渡された。「コロシアイ学園生活」とかいうあまり興味のそそられない題材ではあったけれど、一通り目を通すことにする。
 そのファイルによると、以前にもボクたちのようにコロシアイを強要された希望ヶ峰学園の学生たちが存在していたらしいことが判明した。そのコロシアイも「未来機関」によるものなのだろうか。事件の輪郭をなぞるだけでしかないその中身は、事の仔細まで理解することはできない。しかしページを捲っていったその先で、ボクは手を止めることになる。コロシアイ学園生活の生き残りとして、十神クンの姿が残されてあったのだ。



「と、十神くん……?」

「……どういうことだ? 何故、ここに奴がいる」

「し、知らねーよ……でもこれってつまり、オレたちの前にもコロシアイをやらされてたってことだろ? その生き残りが、ここに映ってるやつらってことは……」



 困惑する皆が十神クンのことについて話し合っている中、ボクはそっとそのページに視線を落とす。けれど、彼の写真が載せられたその次のページを見ようと捲ったところでがっかりした。ファイルはそこで唐突に終わっていたのだ。文章も不自然に切れているところから考えると、どうやらこのファイルはこれで終わりというわけではないらしい。十神クンのことについて頭を抱える皆は、そこまで目がいかなかったようだけれど。こんな過去の事件などボクたちには一切関係のない話のように思えるものの、モノクマがこうしてわざわざこれを渡してきたことは無視できない。



「おバカなきみは他のヤツラと違って理解が足りないから、ボクとしてはとっても面白いんだけどね」



 楽しそうに口元を押さえるモノクマが、ボクたちの中からさんだけを見つめていることからも何か思惑があるような気がしてならなかった。前々から、モノクマはやけにさんに突っかかっているように見える。その理由をさん本人も理解しかねているようではあるけれど、モノクマが彼女を意識しているのはボクの目から見ても明白であった。
 ボクの左手が、鈍く痛む。ボクたちを覆う薄皮が少しずつ剥げていく。








 結局モノクマの言葉に乗せられる形で、ドッキリハウスに向かうことになった。
 入口が見つけられず探索を断念したあの建物内には、船の部品に加えてボクたちの過去を示す希望ヶ峰学園時代のプロフィールがあるらしい。それに一番食いついたのは、未だに自分の才能を思い出せない日向クンだった。自分の才能を思い出せない存在である「特別な」彼が、ひょっとしたら「未来機関」の裏切り者なのかもしれない、だなんて言い出したボクに責任もあるかもしれないけれど、日向クンは誰よりも過去を思い出すことに固執しているように見える。間違いなく罠だろうなとは思いながらもドッキリハウスに入ろうという彼の意見を否定したりはしなかった。多分、この先でモノクマは新たなコロシアイの動機を提示してくるはずだ。皆の希望を輝かせるためにも、だったら敢えてその罠にもかかってみよう。ボクは、皆が思っているよりも案外単純なのだ。
 ドッキリハウスに向かうためには、センスの悪い列車に乗らなくてはならなかった。渋るどころではなくほとんど泣いている左右田クンを弐大クンに無理に押し込んでもらって、ボクはさんの姿を捜す。幸運なことに彼女は後方に一人で乗り込んでいたから、ボクはその隣に座らせてもらうことにした。そう広くはない座席の中で、彼女の太腿とボクのそれが当たる。意識したのか、さんはそっと端に寄るから、本当は少し傷ついた。



「……楽しそうだね、狛枝くん」

「うん、楽しい。希望の象徴である皆とこうして一緒にいられるのは、とても楽しいよ」



 さんはどこかボクを探っているように見えた。ボクの直感が正しければ、の話だけれど、彼女はひょっとしたら何かを思い出しかけているのかもしれない。失われた記憶の欠片を、ボクのように取り戻しているのかもしれない。それはボクに関係するものなのかもしれない。彼女の一挙一動を見ていると、思い上がりかもしれないけれどそう思うのだ。
 もしもそうであるならば、ボクたちが何か強い力で結ばれているみたいだ。記憶を奪われても惹かれあうボクたちは、始めから隣に座るべくして生まれたのではないか。そう考えたら胸の内側がむずむずと痒くなって、「でも、さんと一緒にいられるのが、一番嬉しいな」と、頭の片隅に留めておいたはずの言葉が緩んだ口元から呼吸と一緒になって漏れてしまった。そんなボクに、さんは、泣き出しそうな目をしてみせる。








 ドッキリハウスに閉じ込められて、かれこれ三日が経過した。ここから出たいなら殺し合えと言ったモノクマの言葉が、今になって重く圧し掛かる。出口も食料もないその閉鎖空間は、簡単に人間を疑心暗鬼にさせた。衰弱死を待つか、コロシアイが始まるか、どちらがより希望的かなんて、そんなの考えるまでもない。だけど、ボクは世界の希望である皆の意思に従うだけだ。
 朝のモノクマ太極拳で体力を奪われたボクらに残された力はそう多くは無かった。雰囲気も最悪だ。まあそもそもこんな空気になってしまったのは、日向クンが裏切り者なんじゃないかなとか言ってしまったボクのせいなんだけど。左右田クンが苛立ったようにマスカットタワーを出て行ったのを皮切りに、青白い顔をした皆が口を閉ざしたままふらつく足で歩きだす。どうやら他の皆も限界が近いようだ。勿論ボクも。
 ふらついた足取りでタワーを出てくる面々の中にさんが居ないことに気が付いたのは、ブドウ回廊を抜けた後だった。昨日あたりから彼女は随分と具合が悪そうに見えたし、ひょっとしたら一人で動けなくなっているのかもしれない。慌てて踵を返すと、思った通り、さんはマスカットタワーの趣味の悪い緑色の壁に寄りかかるようにして座っていた。体中の血が音を立てた。まるで、もう死んでしまっているようにも見えたのだ。力なく壁に凭れかかったさんは、真っ白な顔で瞳だけを動かす。



「大丈夫?」



 取り繕うようにそう聞いたけれど、本当は今すぐにでも抱きしめて彼女の温度を確認したくてたまらない。大丈夫だと掠れた声で返すさんは僅かに震えていて、餓死、という冗談にならない単語が頭を過ぎる。ざわざわした。耳の奥で甲高い音が警告音のように鳴っていた。そんなのは嫌だ。誰が死んでも、さんだけは、ボクの前から消えるなんてことあってはならない。



「横になったほうが、マシだと思う。部屋まで連れて行くよ」



 返事を待たずにさんの背中と膝の裏に手を差し込むと、そのまま彼女の体を抱きかかえた。安心した。彼女はまだ熱を持っていた。だけど、何だかこの前よりも軽い気がする。ほんのりと赤く染まった頬に、どこか潤んだ瞳をしたさんは、どうにか下ろしてもらおうとボクに色々な言葉を投げかけたけれど、ボクはそのまま彼女をマスカットタワーの二階まで連れて行った。相変わらずさんの体は柔らかくて良い匂いがした。こんな非常事態だっていうのに、どうしてボクは彼女をそういう目で見てしまうのだろう。さんは恥ずかしそうに目を伏せて、最後には諦めたのか、すんなりとボクに体を預けてくれた。さんを見ているだけで、体の底から力が湧いてくるようだ。彼女の背中に回した左手に、無意識に力を込める。さんが驚いたように体を硬直させるから、ボクは小さく笑った。
 ボクのために泣いて、笑って、怒ってくれないか、感情を支配させてくれないか。そういう思いは今もまだ確かにある。でもそれ以上にボクは、キミがボクの手の届かないところに行ったって、一人で大丈夫だって笑ったって、或いはキミが隣にボクではない誰か、例えば日向クンや左右田クンを選んだって、本当は嫌だけど、それでもキミに生きていてほしい。ボクの傍にいてくれなければ困ると腹の中で誰かが叫ぶけれど、その願いは叶わないだろうから。だからどうか、それでもボクはキミを守りたいんだって言わせてよ。
だってキミこそが希望だった。
 繰り返すけれど、そのためならボクは死んだって良かったのだ。


PREV BACK NEXT