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 さんはボクの隣で蹲る。彼女の信頼していた人が殺された、まさしくその場所に膝を抱えて座り込む彼女は美しく、宛ら著名な人物が描いた肖像画のようですらあった。体中の臓器が震える心地よさに目を細めながら、彼女の浮かべる悲哀を孕んだ瞳を見つめている。
 十神クンを殺した犯人として花村クンが処刑された。彼を教唆したことになるボクは、危険人物と認定されて左右田クンと弐大クンに捕えられ、今は殺人が起きた旧館の大広間に手足を縛られた状態で監禁されている。ボクを縛ったところでどうしようもないってことくらい賢い彼らは気が付いているはずなのに、どうしてこんなことをするのだろう。コロシアイが終わるはずがないのだ。モノクマが動機を与え続ける限り、ボクらは殺し合う。
 さんが現れたのは、ボクが監禁されてから丸一日が経過した後だった。
 左右田クンたちが口を滑らせたのだろう。彼女はボクに食事を与えてくれた後、両手足を縛られて身動きの取れないボクから距離を取り、壁に背を預ける形で座り込んだ。丁度、十神クンが死んだあのテーブルがあった場所だ。彼女は彼の幻覚に寄り添うように目を閉じる。本来あるべきはずの窓が全て鉄板で封鎖されているせいで薄暗くなってしまったその部屋は、さんの顔色を青白く見せた。体調が優れないのだろうか。彼女の指が膝の下あたりで静かに絡まる。



「あのね」



 掠れた声で吐き出されたその言葉が、二人分の呼吸音だけが響く部屋に染みていく。
 ボクはキミのそういう声を、どこかで聴いたことがあった気がするのだ。



「二つ目の島に行けるようになってね、レストランとかドラッグストアとか、あとすごく大きい図書館があったよ」



 さんは、ボクにぽつりぽつりと話をしてくれた。どうやら封鎖されていた橋が一つ開放されたらしい。その声に張りはないものの、彼女はやけに饒舌だった。ソニアさんが語学に堪能で驚いたとか、モノクマですら入ることの出来ない遺跡があったとか、ボク達の中に「世界の破壊者」という組織の一員がいて、その組織がボクたちをこの島に連れてきたのだとか、そういう重要なことまで一息に話すから、ボクはその一言一句を聞き逃すまいと懸命になる。



「なんだかとんでもない話だなあって思ったよ」



 彼女の白い唇が動く。さんは整理しきれていない感情の塊を吐き出す。俯いていた目線をあげる。悲しみを孕んだ瞳だった。そこには愛に似た微かな希望があった。



「なんで、あんなことしたの、狛枝くん」



 キミの掠れた声をボクの脳は確かに覚えていたけれど、だけど、おかしいな、さん。ボクは、キミがそうやって真っ直ぐにボクを見てくれたことは、あの時は一度もなかったなって、どうしてだか思うのだ。キミはいつもどこか諦めたような目をしていた。線を引かれていた。ボクはそんなキミの横顔を、ずっと見ていた。
 覚えてなんかないくせにね。



「あれは不幸な事故だったんだ」



 言った瞬間、さんが振り上げたその左手を、ボクはじっと見つめている。
 ボクは、さんに笑っていてほしい。感情を剥き出しにしてほしい。着ぐるみを被らないでほしい。本音を言ってほしい。怖いなら怖いと言ってほしいしボクを嫌いならそう口にしてほしい。他の人に見せるように大口を開けて目を細めて笑ってほしい。ボクの前で畏まるキミも、控えめな笑顔を浮かべるキミも可愛くて好きだったけれど、ボクはその膜をうっかり破ってほしいと思っていた。何なら、ボクが蹴り壊してもいい。だから、ボクにもそうしてキミの感情が激しく動く様を見せてくれないか。
 他の人に見せるようになんて、ボクはキミのそんな姿を見た覚えはないのだけど。
 彼女は今、ボクの横に座っている。理由は分からない。他の皆のように、さんもボクを見捨てるのではないかと思っていたけれど、彼女はこうして浮かない表情でここにいる。それも一日中。
 他の皆のところに行ってくればいいのに。こんなところにいて、ボクと同じ空気を吸ったって気分が悪くなるだけだ、そう言いかけて、だけど出てこなかった。本当に出て行かれることを想像したら、何だか胸のあたりが締め付けられるような気分になったのだ。それでも、さんが悲しんでいることは確かだ。ボクの腕の中で泣いてくれるならよかったけれど、彼女にも選ぶ権利はある。そもそも今ボクは両手足を縛られているわけだしね。
 ボクは、さんがこうしてボクの傍で傷ついた顔をして座っている姿を見るだけで高揚していた。十神クンが死んでしまったのは不幸な事故に他ならなかったし、申し訳ないとは思っている、だけどそれとは別に感謝もしているのだ。ありがとう十神クン、キミのおかげで、さんはこんなに痛々しい顔をしてくれたよ、それもボクの前だけで。その瞳から涙を流してくれるならば言うことは無かったけれど、甲斐甲斐しくボクの口に食事を運ぶさんが思いのほか目を潤ませていることに気が付いたから、ボクは口の端から、あは、と息を漏らす。








 ところがボクの薄っぺらな幸せは長く続くことなかった。さんはモノクマに与えられた新しい動機であるゲームとやらをプレイしに行ったその次の日、やけに血色のいい顔色でボクの前に現れたのだ。放っておけば鼻歌すらも歌いだしそうな彼女の顔付きに、訳も分からぬまま嫌な気持ちになる。
 動機を確認しに行ったはずなのに、一体何があったのだろう。誰かと何かがあったに違いない。ボクはその誰かを日向クンあたりだと推測する。内情を聞き出そうとしたけれど、トマトを無理やり口に突っ込まれてしまったせいでそれ以上彼女に質問をすることはできなかった。さんの心境を変えた何かの正体が、ボクは知りたくてたまらないのに。
 さんはそこからあまりにも不自然に話題を変えた。どうやら午後から女子だけでプライベートビーチにて親睦会を行うらしい。わざとらしく話を変えられてしまったことには閉口するけれど、さんも水着を着るのかと思うと、正直わくわくする。勿論、縛られた状態のボクが彼女の水着姿を見る機会はなさそうだけれど、まあ、多分そろそろ「新しい殺人」が起こる頃だろう。そういう楽しみもあるわけだから、今回は大人しく待っていることにしようかな。たまには受け身になるっていうのも、面白いかもしれないしね。








 数時間後、死体発見アナウンスが鳴り響くことになる。モノミによって縄を解かれたボクが真っ先に向かったのは例のゲームがあると言うジャバウォック公園だ。これをやっておかなければ、話にならないだろう。どうやら今回死んでしまったのは小泉さんらしい。希望が潰えてしまったことは悲しいけれど、どんな結末になろうとそこに希望があるわけだから、ボクはそのための協力を惜しむつもりはない。現場は他の皆が調べてくれているだろうと考えて、盲点と思われるあたりを先に捜査していたところ、日向クンと出くわした。彼と事件現場に向かうことになったボクはそこでさんを見る。血塗れになって事切れた小泉さんの傍に、寄り添うように彼女はいた。突然現れたボクに驚いたように目を見開くと、震える息をゆっくりと吐き出して、僅かに肩を震わせる。見上げたその瞳から音もたてずに涙が零れていた。ボクはそれを見て、殴られたように思うのだ。
 さんは、こう言ってはなんだけれどそんなに賢くはない、というか、甘い。それはこの生活で薄々感じていた。だから、彼女はもう殺人なんて起きはしないと信じていたのだろう。これ以上誰も命を失うことがないまま、いつかはこの島から脱出できると、そういう夢を見ていたのだろう。優しい女の子なのだ。可哀想になるくらいに。



「狛枝、くん」

「うん」

「……真昼ちゃんが」

「うん」



 どんなに冷静さを保とうとしたって無駄だった。泣いている。そう認識した瞬間、ボクの指先は震えた。本当はキミの頬に触れたくてたまらなかった。そこに流れる涙を拭ってあげたかった。そうするべきだと思った、だけどボク以外の誰かのせいで、ボク以外の誰かのために涙を流すキミが、ほんの少しだけ憎いとすら思ったのだ。



「泣かないで、さん」



 ああ、分かった。ボクはキミの感情を支配したいのだ。この気持ちを人は何というのだろう。ボクの片隅にある目に見えない球体がごとりと音を立てて落ちる。ずっと触れたかった、さんの左手に自分の手を重ねる。驚くほどに温かい、人間の温度をしていた。



「希望はすぐそこにあるよ」



 彼女はここにいた。


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