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 この世に神様なんかいやしないってことくらいボクは既に理解している。正確に言うと、ボクにとって都合のいい神様は存在しない、ということだけど。
 ボクは自分が幸運な人間だと自負している。自分に与えられる幸運を使って、ボクは一人で生きてきた。でも幸運と幸福は、等式で結ばれるわけでは決してないのだ。ボクは餓えていた。愛とか希望とか、美しいものとか、そういうものに。圧倒的に、どうしようもないほどに。
 希望ヶ峰学園から入学の打診があったとき、一度は分不相応だと断ったけれど、再三の要請に折れたのはボクだ。そこはボクの飢餓感に似た何かを補うには充分な世界であるはずだった。才能溢れる皆の背負う希望が見たかった。だって、希望ヶ峰学園に選ばれる皆はやがて世界の希望になるわけだから。その光に寄り添えるボクは、やっぱり幸運だ。








 入学式の日、最後に教室に入ってきたキミと目が合った瞬間、ボクはそこに点滅を見た。
 その姿をボクはどこかで見たことがあるような気がしていた。遠い意識の底で塗りたくられた彼女の背中は、ボクの中に色の濃い影を落としていた。瞬きの度に、何かが目を覚まそうとする。ボクはどこかで彼女を見送っていた。いつも彼女の華奢な背中を見つめていた。少し癖のある長い髪の毛が好きだった。遠慮がちに微笑むその穏やかな瞳が好きだった。細くしなやかな指が愛しかった。だけどそれなのに、ボクは彼女の名前を知らない。








 訳も分からないまま教室から砂浜に連れて来られてしまって、ボクたちはこの島の探索を始めることにした。他の皆にするように声をかけたら、彼女は顔をあげて、ボクの瞳を見つめる。



「あ……ええと、よろしくおねがいします」

「あれ? 敬語なの?」

「えっ、あれ、おかしい、です、か、ね……?」



 彼女は酷く脅えているように見えた。こんな島に突然連れて来られたのだから、その反応は当然と言えば当然だったのかもしれない。観察していたからこそ分かるのだけど、しかし彼女は他の皆とは平然と喋っていたのだ。それが何故か気に入らない。お腹の中で名前のない感情が渦巻いて、ボクは知らないうちに笑っていた。「また敬語を使うの?」そんな思いが心の底に浮かんだ気がした。キミはただ目を伏せて、静かに背筋を伸ばしたまま、座っていたら良かったのだ。黒い椅子の上で、輝いていたら良かった。
 どうしてこんなことを思ってしまうのかは、分からないけれど。



「おかしくないよ。でも、一応同級生なんだし、気を遣わなくても良いからね」



 さんの背中に、金色の粉がぱらぱらと落ちている気がした。ボクはその正体を知っていたのかもしれない。彼女の浮かべた微笑みが、ボクの中にある球体を蹴り飛ばす。








 平和は長く続かなかった。突然現れたモノクマが、ボクたちに殺し合いを強要したのだ。皆は青ざめ、抵抗する。さんは言葉を失ったまま半開きの唇から息を吐き、一度視線を落とした。肉付きのそう良くない体が、そのまま崩れてしまいそうだった。その姿に胸を痛めているボクは、そのくせ、モノクマの言うとおりにコロシアイが起きてほしいと思っている。
 超高校級の才能を持つ皆が自分の信じる希望のためにコロシアイをする。そう考えるとぞくぞくするのだ。極限状態でこそ人は真価を発揮する。命が懸っている状況ならば尚更だ。利己的な人間も自己犠牲を美徳とする人間も皮を剥けば性根は分からない。生き残るためという大義名分を掲げた彼らの希望はきっと美しい。それを見ることができるならば、ボクはこんな命、喜んで差し出そう。
 死にぞこないのボクは、きっとここで死ぬために生かされてきたのだ。飛行機の残骸に埋もれて動かない人間たちを見下ろしたボクが生き延びた理由はここにある。ボクの命は、キミたちにこそ捧げよう。
 さん、だけど、キミだけはずっと立っていてほしいな。
ボクの視界の隅っこでも、いっそボクの手の届かない遠くの空の下でも良いから、綺麗なまま、きらきらしたまま、ボクに足りないすべての感情を抱いたまま、優しいまま、ずっとこのつまらない世界で孤高の存在として生きてほしい。
 どうしてこんな思いを見ず知らずのキミに押し付けるんだろう。こんなの、ボクの身勝手なエゴだね。


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