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 自分が未来機関に所属する人間であるという事実を思い出したことは、本来の「新世界プログラム」の特性を考えればあり得ないことだった。
 首を傾げて私を見つめるモノクマの目を黙って見つめ返す。「せ、」左右田くんが私の名前を呼ぶ。「お前が裏切り者ってどういうことだよ……!」終里さんがそう尋ねる。ソニアさんが胸元で手を握りしめて私の返事を待っている。九頭龍くんが何か言いたげに唇を噛みしめている。日向くんが、目を見開いて私を見ている。だけど、私は何も言えない。



「前にも言ったけど、本当にここに居るのが頭の悪いキミで本当に助かったよ。勘の良い霧切さんや十神クンあたりだったら、こんなに上手くコロシアイは進まなかっただろうしね!」



 見透かしたように呟くモノクマは、私の様子を窺っているようだった。私が何か答えるよりも先に、「お、おいおい、どういうことだよ……」と、左右田くんが私に詰め寄る。



が裏切り者? 未来機関の人間ってことだよな? つまりそれってオレたちの敵ってことか?」

「そういうことだよ! さんはキミたちの敵も敵! 宿敵だよ!」

「モ、モノクマさんには伺っていません!」

「そ、そうだ、、オレは納得してねーぞ……!」

「しょぼーん……。どうせさんに聞いたって、答えは一緒だよ、ねえ、さん?」

「……説明しろよ、……!」



 左右田くんの、ソニアさんの、九頭龍くんの終里さんの、不安に揺らぐ瞳が容赦なく私に向けられる。彼らの動揺は皮膚から伝わってくるのに、私は噛みしめた唇を開くことができない。
 モノクマが未来機関を「世界の破壊者」と呼ぶその理由を、この世界の正体を、皆が外の世界で何をしてきたのかを、どんな存在だったのかを私は既に理解している。だけど、何故この島にモノクマが現れたのだろう。「新世界プログラム」は安全なものだったはずだ。モノミ、いやウサミの言葉通り、私たちはこの島で仲良く暮らすだけで良かったのだから。それが彼らの矯正に繋がるのだと、説明を受けた。そうすれば希望ヶ峰学園で過ごした以降の記憶は上書きされ、彼らが絶望に染まっていたこと自体が彼らの脳からは抹消される。それがこんなことになってしまったということは、考えられる可能性は限られてくる。
 ウイルスだ。
 昔、千尋ちゃんがパソコンの使い方を教えてくれた時、その存在を教えてもらったことがある。データの破壊は勿論、全ての権利を乗っ取られることすらある危険なものなのだと。
 苗木くんたちはウイルスに対抗するためのワクチンを作って、私のアバターに投与したのだろう。「何をしても良い」と言った私の言葉通り。そう考えれば私が過去の夢を見続けたことも納得がいく。そして、その反動として現れたのが頭痛を始めとした体調不良だ。罪木さんの裁判時から始まった頭痛は、その後も波のように私を襲った。今思えばあの頃から私の名前を呼び続けていたあの声は、苗木くんのものだった。ドッキリハウスで聞いた幻聴もそうだ。「キミに一番辛い思いをさせることになって、ごめん」今の私は、あの時の彼の言葉の意味が分かる。
 五番目の島で倒れて昏々と眠り続けた私が目を覚ましたあの時、凪斗くんが傍にいてくれたあの夜、私は全てを思い出していた。狛枝くんが持っていたファイルと照らし合わせるまで、受け入れることができていなかっただけで。記憶の修正作業は、あのとき既に完了していた。
 全てを思い出した私はウイルスを持ち込むことが出来うる人物を一人だけ知っている。「彼」は常軌を逸していた。未来すらも分かるようだと、かつて面談を終えた苗木くんに言わしめるほどに。だから、「彼」だけはこのプログラムによって何が起きるかを察していたとしてもおかしくない。
 だからこそ言えない。言えないのだ。私がそれを言ってしまったら、彼はきっと傷つく。私がそれをこの場で口にしていいのかも、分からない。顔をあげることすら億劫で、ただ唇を引き結んで俯く私に、けれど彼は声をかけた。震える声だった。彼のこんな弱々しい声を、私は初めて聞いた。



「……



 日向くんは、何かを訴えるような瞳で私を見つめている。









 その意図が何であったにしろ、モノクマに助けられることがあるなんて思いもしなかった。私たちの間に割って入ったモノクマは「日向クン、そう急いじゃ駄目だよ」と諭すように口にした。
 あと二日でジャバウォック公園にあるカウントダウンがゼロになる。その時には未来機関の計画もさんの思惑も彼女と七海さんとの関係も全て明らかになるんだ。嘘を吐くかもしれない未来機関の人間の言葉なんてわざわざ聞く必要はないよ。ただ日向クンたちは、あと二日、南の島での生活を満喫すればいい。そうすれば、「新世界」がどれだけ腐ったものなのかを理解できるから。捲し立てるようなモノクマの言葉に、もう、皆が顔をあげることはなかった。
 裁判場を出た彼らの虚ろな目は、まるで全てに絶望しきったあの頃の彼らを連想させた。項垂れる丸い五つの背中に声をかけても、誰も私を振り向かない。私の言葉を、きっと彼らはもう受け入れてくれない。重い足取りのままコテージに向かう彼らの背中が、少しずつ遠くなる。自分がどの選択肢を選ぶべきなのか、どんなに考えてもわからなかった。
 苗木くんだったらどうするだろう。霧切さんだったら、十神くんだったら、葵ちゃんだったら葉隠くんだったら腐川さんだったら。私は動かなくなってしまった足を見下ろした。最初の島に繋がる橋の真ん中で、足を止める。丁度、いつかの夜、辺古山さんと会話をした辺りだった。
 外灯の下で、制服のポケットに入れたままだったファイルの一部を広げる。凪斗くんの部屋で見つけて、咄嗟に破いてきてしまったものだ。彼がファイナルデッドルームで手に入れた、私の情報が載る希望ヶ峰学園時代のプロフィールと、コロシアイ学園生活の仔細が綴られた文書は、夢から覚めても半信半疑であった私に、現実を叩きつけた。
 七十八期生、
 七十七期生の中に一人だけ紛れ込んだ七十八期生の文字、これだけであれば、何かの手違いとも考えられたかもしれない。だけど決定的だったのは、もう一つのファイルの方だ。以前ジェットコースターに乗ったご褒美として渡されたコロシアイ学園生活のファイルには、生き残った数人の生徒の顔写真が載せられていた。そこに私の姿が映りこまないように調整されていたのは、モノクマの意図によるものだったのだろう。しかしファイナルデッドルームをクリアした特典として凪斗くんだけに渡されたその続きには、生き残った一人として、私の姿がしっかりと載せられていた。その後のページは既に破かれた後だったけれど、それを処分した張本人である凪斗くんは全てを知っているはずだ。コロシアイ学園生活の生き残りが未来機関に保護されたこと、その後発見された希望ヶ峰学園の生徒が絶望に堕ちていたこと、それがこの島にいる自分たちであったこと、そして、未来機関が彼らにしようとしていたことを。そう考えれば彼の変貌ぶりに説明がつくのだ。
 彼は自分たちが絶望の残党であることを知った。だから未来機関である私に、自分を殺してくれと言ったのだ。思惑通りに動こうとしなかった私に、自身の才能を使ってまで殺害させようとした。何もかも、裁判を乗り越えさせるためだった。私を生き残らせるためだった。
 震える指が、彼の遺した私の資料に皺を作る。涙の一粒も落ちはしない。私は乾いた瞳を限界まで見開いて、どこにもいない彼を捜している。
 何度出会いをやり直したところで、私は彼を救えない。








 朝のアナウンスが鳴ることはなかった。私の他に五人がいるはずの島はひっそりと静まっている。
 どれだけ待っても、皆がいつものようにホテルに現れることはなかった。コテージの前を通っても、全ての部屋のカーテンが閉められていた。千秋ちゃんの部屋は鍵がかかっていたし、凪斗くんの部屋に灯りがつくこともなかった。
 仮想世界のこの島は、今日もすこぶる良い天気だ。外の世界に向けられた監視カメラにそっと目線を送って、私は行くあてもなく、一人で島を歩きだす。








 詐欺師の十神くんが殺されたホテルの旧館は、人気がないせいか薄暗い。花村くんが殺人を起こすきっかけを作った凪斗くんを、左右田くんと弐大くんがここに閉じ込めたのが、随分と昔のことのように感じられた。あの時はまだ、凪斗くんが何を考えているのかわからなかった。本当は、今でもよく分かっていないのかもしれない。私はいつも、自分のことばかりに気を取られている。
 二番目の島ではソニアさんと一緒に図書館で調べ物をした。多国語を難なく読み書きする彼女に、日向くんと二人で圧倒されたのをよく覚えている。入るのにパスワードが必要な遺跡を横目に通り過ぎると、ダイナーが遠くに見える。あの奥にあるプライベートビーチでは真昼ちゃんが殺されて、結果、辺古山さんが処刑された。二人が死んだのは、モノクマが与えた動機のせいだった。瞼の裏に浮かんだのが、お菓子作りの時に見せてくれた笑顔だったのが、せめてもの救いだ。
 三番目の島の電光は相変わらず目に痛い。あのライブハウスでは唯吹ちゃんが歌を聴かせてくれた。日寄子ちゃんが一度は元気になったのも、険悪だった九頭龍くんと和解できたのも、彼女の力によるものがあったのかもしれない。絶望病に罹ってしまった唯吹ちゃんは、日寄子ちゃん共々全てを思い出した罪木さんに殺されてしまった。あの夜のことを嫌でも思い出してしまうから、病院の前を走り去る。モノクマに決闘を申し込んだ終里さんを庇って、弐大くんが瀕死の重傷を負ってしまったのもこの頃だった。振り返ってみると、この島には、あまりいい思い出が無い。
 明るい音楽が響く四番目の島を歩く。ドッキリハウスでは餓死寸前に追い詰められ、疑心暗鬼に陥ったせいで雰囲気も最悪になってしまったけれど、田中くんと弐大くんの信念は、私たちの背中を押してくれた。生きることを諦めるなという、その言葉で、私たちは前を向けた。
 私の知らない間にネズミー城の扉が破壊されていたらしい。思わず足を止めて中を覗き込み、後悔した。死んだ凪斗くんのお腹に突き刺さっていたものと同じ槍が、奥の壁にかけられていたのだ。この扉を破壊したのは凪斗くんであるらしい。床には、恐らく苗木くんが予め用意していたのだろうと思われる、遺跡に入るためのパスワードを示す文言が彫られていたけれど、それも削り取られていた。私は少しの間、そこで膝を抱える。感傷に浸るには、早すぎるのに。
 どこからか軋んだ音がする。
 最後の橋を渡ると、モノクマの形をした工場が視界に入った。私はそこで足を止めて、忌々しいそれをじっと見つめる。この隣の小さな倉庫で、凪斗くんは死んだ。腹の奥が渦巻いて、そこに混ざったガラス片が静かに私を刺していくのに、私は少しも泣けなかった。いや、ここだけの話ではない。私はこうして島を歩いて、今までを振り返ってきたのに、心が乾いてしまったようだった。なのに、私は上手く息をできずにいた。私は皆を好きだったはずだ。大切な仲間だと思っていたはずだ。頭が一つずつ減っていく度に、たくさん泣いてきたのだ。けれど私の中にできた無数の穴が、全ての悲しみを吸いとった。
 千秋ちゃんの後ろ姿が、不意に閉じた瞼の裏に浮かぶ。私たちを守って死んでいった彼女は、思えば私のことをずっと気にかけてくれていた。守ってくれようとしていた。きっと、最初から。
 からっぽだ。乾いた心に後悔ばかりが芽吹いている。覚束ない足で工場に向かった。半ば、吸い寄せられるかのようだった。今、ひょっとしたら私も、昨夜の日向くんたちと同じような顔をしているのかもしれない。私はまた絶望しかけているのかもしれない。盾子ちゃんや罪木さんの言葉通りになっているのかもしれない。吸った空気が、喉に張り付いて苦しい。ゲームのはずなのに。私は今頃外の世界で目を閉じているだけのはずなのに。この虚無は何だ。
 工場内のベルトコンベアは停止していた。あんなにあったモノクマのぬいぐるみも、どこかに消えてしまっている。耳鳴りがするほどに静かで薄暗い室内の中、手探りで電気のスイッチを探す。胸がざわざわと落ち着かないのは、その薄闇が、旧校舎や、第十四支部の地下を思い起こさせるからだ。真っ直ぐな廊下のその先にある闇を、思い出すからだ。
 ジャバウォック公園のカウントダウンは、残り一日を切ろうとしている。モノクマの言葉を信じるならば、そのとき何かが起こるはずだった。



「キミは、この島で一体誰を待っているの?」



 凪斗くんの声が頭を過ぎる。「彼ら」は、やって来るのだろうか。わからない。考えたくない、だって、私は何もできなかった。この世界でコロシアイを止めることも、皆を守ることもできなかった。ただ、また生き残ってしまっただけだ。未来機関の一員として働くと、私はそう言ったのに。日向くんたちの、私を見捨てていくような、遠のいていくだけの後ろ姿が目に焼き付いている。
 その時だった。ふと、視界の端に点滅する小さな白い光を見た。ノートパソコンが工場の隅に開かれた状態で置かれていた。足が動く。吸い寄せられるように、そのパソコンに手を伸ばす。
 その先で、私はあの人を見つける。


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