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狛枝くんが死んだ。
髪を振り乱して、蹲って声をあげて泣いていられたら楽だった。何もかもを投げ出すことを許されるのなら、きっと私はそうした。
おなかの奥でじとりとした熱い塊が目を覚ます。制服のポケットに入っていたヘアピンを取り出す。勢いづいてそれは皮膚を刺したけれど、鋭い痛みも懺悔も染み込んだ悔恨も今はどうだって良い。目的地の狛枝くんのコテージに辿り着いたときには、息が切れてしまっていた。鍵は案の定閉まっていたから、手にしたままだったヘアピンを躊躇なく鍵穴に突っ込む。
「思いきりが、大事……っすよ……っ」
かつて日向くんの部屋の鍵を壊した唯吹ちゃんの言っていたことを口の中で繰り返す。こんなところで彼女の言葉が役に立つだなんて考えてもみなかった。額に汗が滲む。手が震えているのは、不法侵入なんてことをしようとしている自分自身に戸惑っているからだ。そういうことにさせてほしい。そうでもしなければ私はきっと、今度こそここから動けなくなってしまっただろうから。
やがて確かな手応えと共にかちりと音がした。ドアノブが回る。息を呑んで扉を開ける。
狛枝くんの部屋は、以前に訪れたときとそう変化はなかった。テーブルの上に見覚えのない、いかにもな宝箱が置かれているのは気にかかったけれど、中身を覗いてみて私の探しているものではないことが分かり蓋を閉じる。ベッドの上はシーツの皺もほとんどなく、下を覗き込んでもゴミ袋が一つ落ちているだけだ。冷蔵庫の中にはさすがにないだろうし、そうなると本棚の中だろう。
狛枝くんの部屋の本棚はすっきりと整頓されているのに、相変わらず妙な不自然さがあった。統一性のない雑貨や書物が適当に並べられているせいだ。おかげで探し物がしにくいことこの上ない。だけど急がなくては。モノクマはきっと今も私の様子を見ているはずだ。それなのに出てこないということは、何らかの意図があるのだろう。それは、今の私にとっては幸運だった。手当たり次第に本棚を漁っていく。静かな室内に私の動悸は酷く耳障りだった。それでも、少しでも手を止めてしまえばおしまいだと知っていた。今はそれ以外のことに思考を巡らせてはいけない。
「……あった」
目的の二冊の黒いファイルを本棚から引き抜く。狛枝くんが「日向クンの情報しかなかった」と言っていた希望ヶ峰学園時代のプロフィールは分厚く、ずっしりと重かった。やはり彼の言っていたことは嘘だったのだ。数ページ捲ったところで、数人分の名前を見つけた私はそう確信する。
目に付いた左右田くんのプロフィールをざっと眺めると、生年月日、身長、体重に血液型、特記事項などの項目はびっしりと埋められていたけれど、学生時代のことについては一切触れられていなかった。他の皆の分もそうだ。このプロフィールは、どうやら希望ヶ峰学園に入学する前のデータで作られているらしい。つまり、これを見ても誰が裏切り者かは判別しようがない。
十七人分のプロフィールの中に裏切り者の分もあるということに間違いはないけれど、それが元々あったものなのか、モノクマによって用意されたダミーなのかは、見ただけでは分からないだろう。それでも一応全員分に目を通そうとした私がページを捲る手を止めたのは、クエスチョンマークで埋め尽くされた文書を見つけたからだ。
名前も年齢も出身地も一切が空欄のその人物は、「超高校級の詐欺師」とだけ記されていた。他の皆のものと見比べてみて、唯一十神くんの名前がファイルに載ってないことに気が付く。この「超高校級の詐欺師」とは、あの十神くんのことを指すのだ。つまり超高校級の御曹司、十神白夜として、彼は自分を偽っていたと言うことになる。裏切り者は、前回の「コロシアイ学園生活」を生き抜いた彼なのではないかと日向くんがいつだったか言っていたけれど、二人が同一人物ではなかった時点でその線は完全に消えたと言っていいだろう。
本当は、頭が痛くてたまらなかった。普段の私ならば処理しきれないであろう情報量だ。けれど自分の記憶とすり合わせるだけならば問題はない。だから、ああ、そうかと思うのだ。ならばやはり私はもう覚悟を決めなくてはいけなかった。強く瞬きをした直後、私はふと手を止める。
震える指で前のページに戻る。だけどどんなに目を凝らしてみても、やはりそれは覆り様がないのだ。髪の毛が逆立ったような、毛穴が全部開いたような、脳汁が一斉に分泌されたような、そんな気分だった。気が付いたら私は目を限界まで見開いて、息を止めていた。
狛枝くんの顔を脳裏にちらつかせながらも、私はもう一冊のファイルを手に取った。ジェットコースターに乗ったときに皆で見た「コロシアイ学園生活」の詳細が書かれたファイルだ。狛枝くんは、ファイナルデッドルームで命懸けのゲームをクリアした報酬として、この続きも手に入れている。知らない連中のコロシアイなんて退屈なだけだった。彼はそう言って、私から目を逸らした。
だから、答えなんかもう決まっていたのだ。
私は、本当はとっくに思い出していた。狛枝くんの言葉の意味も本当は理解していた。知っていた。裏切り者の正体も私の名前を呼んだ誰かの存在も、呟かれた「ごめんね」も私は全部知っていた。だけどそれでも嘘だと言ってほしかった。私が見たのはただの悪夢だと、そう、髪を撫でて。だけど狛枝くんはもういない。最後の頼みの綱だったファイルも、私の過去を否定する材料になり得るどころか、それを真実だと伝えている。
私は二冊のファイルから、数枚分のページを破いた。ファイルを元の位置に戻すと、千切ったそれらの紙を折りたたんでポケットに入れる。まだ入れたままになっている狛枝くんのくれた手紙と一緒に混ざって、魔法の薬になれば良いのに。そうしたら、もう一度やり直す。もう一回初めからやり直すのだ。お互いを知らない私たちに戻って、私はもう一度あなたにこの名前を名乗る。
だけどそんなのはもうありえないから。
「ボクはね、本当は別の結末を望んでいたんだ」
狛枝くんのコテージを出た私の背後に現れたそれは、ぽつりと呟いた。
「皆を絶望させるために、キミを絶望させるために、ボクはキミたちにとっての最高のバッドエンドを目指したんだけど……失敗しちゃったね」
足を止めて振り向く。モノクマは私のことをじっと見つめて、首を傾げた。
「ねえさん。思い出したんでしょ? どんな気分? 何度も大事な人を失って、どんな気分?」
お互いを忘れていたはずの私たちは、どうして同じ道をまた選んだのだろう。私たちはどうして惹かれあったのだろう。そういうふうに、できていたのだろう。やり直したくせに、どうしてまた、私はあの人のことを救うことができなかったのだ。
「あーあ、ダンマリですか」
黙りこくった私から目を逸らすことのないまま、モノクマは、不意に口を開く。
「だけど、キミが絶望してくれるなら、どんな結末でもいいや」
私は、だけど、もうどうなったって良い。今度こそ神様に見捨てられても構わない。また首を絞められても泣かれても良いから、だから、それでももう一度だけ狛枝くんに、会いたい。