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 弐大くんは体の全機能を強制停止させる「オヤスミスイッチ」を押された後、ストロベリータワーにある扉のドアノブにワイヤーで吊るされた。彼の体にある電子時計のタイマーを三十分後にセットした後、タワー内部の床だけを移動させる仕組みになっていたエレベーターを一階にあるマスカットタワーまで下ろした犯人は、自分のアリバイ作りのために隠し通路を使って部屋へ戻った。
 誤算だったのは、ラウンジに九頭龍くんがいたせいで犯人が自分の部屋へ帰ることができなかったことだ。弐大くんが死ぬ直前に、犯人はラウンジの時計が鳴るようにセットしておいた。自分がその時間に部屋にいたことを印象付けるためだ。しかし九頭龍くんの存在で、その計画は破綻する。犯人は部屋に戻ることのできないまま、その時間を迎えた。犯人がタイマー音の響くラウンジに出ていったのは、万が一九頭龍くんたちに空の部屋を覗かれてしまった場合、彼が容疑者として真っ先に挙げられる可能性があったからだ。
 本来ならば、犯人はラウンジの時計が鳴った時に部屋を出るつもりはなかった。というより、そもそもその音が彼の部屋まで聞こえることは無かったはずだ。犯人の部屋が、防音に優れた豪華な部屋であったためだ。実際、もう一室の豪華な部屋で眠っていた人物はけたたましく鳴り響く時計の音にも、その直後地鳴りのように響いた弐大くんの落下音にも気が付くことはなかった。
 本来いないはずの人物がそこにいる。それは犯人の、致命的なミスだった。



「生きるために殺す行為が『悪』だと言うならば、では、生を諦める行為をなんと呼べばいい?」



 弐大くんを殺した犯人が、田中くんが、言った。それは、超高校級の飼育委員として、彼が幾多の命と向き合ってきたからこその言葉で、譲ることの出来ない信念だった。








 震える華奢な背中を見つめる。田中くんを慕っていたソニアさんは、彼が犯人であるという事実を信じることができなかったのか、最後まで彼を庇っていた。それでも田中くんは処刑された。彼は私たちに「生きることを諦めるな」と言った。そうすることは、生への冒涜で、生物としての歪みで、人間の驕りなのだと。
 一切の食事が摂れないまま弱っていく私たちは、どこかでその状態を受け入れていたのかもしれない。殺すくらいだったら死んだ方がマシだと思っていた。だけど、田中くんも弐大くんも、そうではなかった。だから、彼らは生き残るために戦ったのだ。
 狛枝さんさえ無事ならそれでいいんですよね。
 不意に脳裏を過ぎったその言葉に、私は大きく頭を振る。私の心は痛んでいた。それはソニアさんの涙を受けて共感したが故ではない。弐大くんにも田中くんにも私は死んでほしくなかったのだ。その方法を見つけることはできなかったとは言え、それでも全員でドッキリハウスから出たかった。今まで死んでいった皆の隣に、これ以上誰かの名前を並べておきたくなかった。
 地上に出れば、夜風が頬を撫でた。数日ぶりに、落ち着いて外の空気を吸うことが出来る。深呼吸をして夜空を見上げれば、これまでと何ら変わりなく星は瞬いていた。辺古山さんと橋から眺めた夜の海、十神くんの思いを知った筐体の前、狛枝くんに涙を拭われたときも、彼を心配して一人で三番目の島を駆け抜けたときも、罪木さんと対峙した病室の窓の奥にも、それはいつも頭上にあった。濁りはしない空を見上げている私の後ろで、「あー! なんか腹減ったな!」と弐大くんの死に涙を流した終里さんが叫ぶ。そんな彼女に、皆でこれから食事会をしようと提案したのは千秋ちゃんだった。
 生き残った私たちは、今度こそ手を取り合わなければいけない。前に進むしかない。何度この悪意に立ち向かえば楽になれるのだろうと、不意に浮かんだその思いに私は小さく息を吐く。視界の隅で、狛枝くんは私たちから距離を取ったまま何かを考え込むようにその目を伏せていた。








 それはいつもと変わらない食事風景だった。消化に良いものを、と言う千秋ちゃんの言葉を無視して終里さんは大きなお肉に齧りついていたし、左右田くんはソニアさんに山盛りのフルーツを持ってきて困らせ、千秋ちゃんは半分眠りそうになりながらも食べる手を止めない。九頭龍くんと日向くんは向き合って、何か話をしている。日向くんが穏やかな笑みを浮かべていることに安堵した。狛枝くんがレストランにやって来ることは、ついぞなかったけれど。



「やっぱりあいつ、ちっと様子がおかしくなかったか?」



 食事を終えて後片付けをし始めた頃、唐突に九頭龍くんが口を開く。左右田くんが眉を八の字にして「狛枝のことか? あいつがおかしいのは前からだろ」と吐き捨てるように呟いたのを、私は背中で聞いている。
 狛枝くんは、あのラウンジでの会話の後から、私にだけではなくて皆に対しても普段の彼からは考えられないような対応をとっていた。素っ気なくて、どこか見下したような態度であった。私には、それよりももっと極端な完全無視という行動に出たわけだけど。



「だが、にまで素っ気ないのはいくらなんでもおかしいだろ」



 唐突に名前を出されて思わず「えっ」と顔をあげる。



「見りゃわかんだろうが。あと日向にはやけに冷たかったな。何かあったのか?」



 九頭龍くんの観察眼にどぎまぎとしながら、日向くんに目線をやる。日向くんは言いにくそうに視線を逸らして、口元に手を当てた。まだ、彼の中でも受け入れられないのだろう。狛枝くんに予備学科の生徒であったことを指摘された彼は、今までずっと、誰よりも自分に眠る才能を知りたがっていた。それはいっそ妄執のようですらあった。誇れる才能を持った自分、と言う姿を支えにしていたのだろう。だから、彼の落胆は痛いほどに分かる。
 狛枝が手に入れたファイルに記されていたらしいんだが、そう重々しく切り出した日向くんは、それでも私たちから視線を逸らしはしなかった。



「……俺、予備学科とかいうとこの生徒で、最初から皆みたいな才能はなかったらしいんだ」



 どれほど、この言葉を吐き出すのに勇気を必要としただろう。
 だけど、この中に彼の告白に動揺して怒り出すような人は誰一人としていなかった。これまで一緒に過ごした日々が、才能如何ではなく、彼の真摯な人柄を如実に語っていたからだ。どれだけ慰めの言葉をかけられても、しかし彼自身は一人納得のいかないような表情を浮かべる。そんな彼に向かって、才能なんてなくても良いのにと、思った言葉をかけることができるはずがない。
 才能なんてなくたって生きていける。きれいなものや楽しいことが溢れている世界で、取捨選択をする自由があるならば、それってすごく素敵な人生なんじゃないかと思うのだ。十余年の人生をピアノと共に生きていた。ドレスを着てスポットライトを浴びて、誹謗や中傷や蹴落とし合いの中、美しい部分を掬って生きた。そこにある上澄みが汚れきってもう限界だと言うのならば、掬うための手がもう腐り落ちていると言うのならば、私はもう、この道にしがみ付く必要性も感じない。けれど不意に浮かんだ夢の中の狛枝くんの言葉に、私は動揺を押し殺せず、そっと目を閉じる。いらない。あの時の言葉は、今でもこの胸に深く突き刺さって抜けやしない。
 才能なんてなくたって日向くんは素敵な人だとこんな私に言われたって、彼は良い気持ちはしないだろう、あの時狛枝くんが才能の死んだ私を受け入れなかったように。だから、私は考えなしに日向くんに適当な言葉を投げかけるわけにはいかない。
 閉ざされたレストランの入り口の扉が開くことは、なかった。








 彼のコテージは灯りがついていなかった。
 皆と別れた後、私はそのコテージの扉の前で悩みに悩んだ。どうやら不在らしいことは分かったけれど、在室である可能性も考慮すれば一応は確認する必要がある。あんな状態の彼にどう接しても無駄であるように思えたけれど、私はやっぱり彼と話がしたかった。
 けれど、インターフォンを押したところで部屋から物音がすることはなかった。やはり彼はコテージにはいないらしい。散々迷って、ホテルの敷地を飛び出した。彼を捜したかった。
 いつもと同じような月明かりだけが煌々と照らす夜道をなぞるように歩く。初めの頃に抱いていた暗闇への恐怖心は薄れていた。長く続いた島生活で、夜に島を歩くことにも慣れてしまったらしい。居住区である島を一周しても彼の姿は見つけられず、中央の島に繋がる橋を一つ渡った。
 狛枝くん。狛枝くんに会わなくちゃ。そんなことを考える。私のことは、今更言い訳なんてできないけど、それでも、とにかく狛枝くんと話がしたい。何を話すかなんて決めていない。だけど、私は彼に会いたい。制服のポケットに入れられたままの、ドッキリハウスで彼が残してくれた手紙を握りしめる。いつでも頼ってください。そのいつでもが、今じゃ、だめか。
 ジャバウォック公園で足を止めたのは、見慣れた人影が視界に入ったからだ。思わず心臓が跳ねた。そこに佇んでいたのは狛枝くんだった。私たちが島に来た翌日に突如として現れた、謎のカウントダウンを続ける巨大な球体のオブジェの前で、彼は何かに向き合って話をしている。掠れたその声はこの位置からでは聞き取ることはできない。気配を殺して、できるだけ近づいた。暗闇の中でその相手がモノクマであることに気が付いた私は、息を飲む。



「キミは本当に面白いね」



 モノクマの声は、昔から慣れ親しんだもののように抵抗なく耳に入る。それが酷く恐ろしい。



「期待してるよ狛枝クン。キミが面白くしてくれるってね!」



 息を殺して耳をそばだてる私に、そんな言葉が聞こえた。狛枝くんの表情は、ここからでは良くわからない。だけど、彼は面白くなさそうな声色で緩く首を振る。



「わけが分からないことを言わないでくれるかな」



 その手にある二冊のファイルに見覚えがないはずがない。鳴った心臓を制服の上から押さえる。



「ま、ボクとしては色々聞きたいことも聞けたし、もう充分かな」



 ということは、彼がモノクマを呼び出したのだろうか。聞きたいこととは、やっぱり、あのファイルに関係することなのだろうか。疑問が次から次へと湧き上がって眩暈がする。心拍音が鬱陶しくて、私はしゃがみこんだまま、額に手を置いた。「ところでさ、モノクマ」狛枝くんの柔らかい声が、ジャバウォック島の片隅で静かに響いている。私はそれを聞いている。



「キミは、この島で一体誰を待っているの?」



 あと五日。謎のカウントダウンが、終わろうとしていた。


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