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案の定モノクマの罠だった。列車が出発するや否や、私たちは催眠ガスを嗅がされてしまったらしい。目を覚ませばそこは見知らぬ場所で、窓の一枚も、外に繋がる扉もなかった。私たちはドッキリハウスの中に全員もれなく閉じ込められてしまったらしい。
ガスの名残かまだ何となくふらつく体で手分けをしてその内部を探索してみた結果、ドッキリハウスは中央にある円形の建物と、左右にそれぞれあるストロベリーハウスとマスカットハウスという三階建ての建物で構成されているらしいことが判明した。
その名の通りストロベリーとマスカットをモチーフにした二つの建物は、二階部分にランクの異なる部屋が五つずつ用意されていた。そしてどちらの建物からも、一階部分の渡り廊下を突っ切れば、見上げても天井が見えないほどの高さを持つ円型のホールに入ることが出来る。形状から、この部屋をタワーと呼ぶことにした。
ちなみにこのタワーはストロベリーハウスから入るかマスカットハウスから入るかによって、スクリーンを利用して壁や床の色をそれぞれ固有の色や模様に変えるため、名称もそれぞれに依存する。たとえば、ストロベリーハウスから入ればそのタワーはピンク色の壁をしたストロベリータワーになるし、マスカットハウスからなら緑色を基調としたマスカットタワーになる、といった具合だ。床や壁に照明が埋め込まれているらしいが、随分と凝った仕組みである。
二つある扉は同時には開かず、片方ずつからしか開かないことと、ハウス同士の行き来には、一階にある水平移動の出来るエレベーターを使うしかないということもあって、一見そのタワーが一つの同じ建物であるということは分からないようになっていた。ドッキリハウス内に、窓が一つもないというのもその構造を謎めかせるのだろう。
私は状況から皆が推理してくれたこの建物の構造を理解しきれなかったため、ソニアさんにイラストで説明してもらった。最初は千秋ちゃんから話を聞いていたのだけど、彼女は存外絵が上手くなく、分かりにくかったのだ。首を傾げながら自分の絵を眺める千秋ちゃんの横で、私はしかしあまりの建物の複雑さに理解することを放棄しかけていた。
勿論、私たちにコロシアイを起こさせることを目的にこんな建物に閉じ込めたモノクマが、そのためのお膳立てをしないわけがない。ストロベリーハウスの一階部分には、ファイナルデッドルームとかいういかにも怪しい名称の部屋があった。誰も中に入って調べようとはしなかったけれど、その部屋で行われる「命懸けのゲーム」に勝利した人は、「極上の凶器」の眠る伝説の聖地にたどり着くことが出来る、らしい。いまいちピンとこなかったけれど、つまりこの部屋の中には人を殺すための武器があって、ゲームに勝てばそれをもらえる権利が手に入るんだろうねと千秋ちゃんに解説されて、身の毛がよだった。
しかし、それ以上にドッキリハウスに閉じ込められた私たちを追い詰めたのは、ここではコロシアイが起こるまで一切の食事が用意されないということだった。
「……おなかすいたあ……」
二日目の朝にして弱音を吐いてしまったけれど、誰も聞いていないのだから許してほしい。
ベッドの中に潜ってじっと息を殺していると、時間の流れが極端に遅く感じる。何度も寝返りを打ったけれど、いつまでもこうしていても仕方ないと起き上がった。
女子は、千秋ちゃんが赤っぽい色は目が疲れると言って選んだマスカットハウスの二階で寝泊りすることになっていて、私に宛がわれたのは三つあるランクのうちの真ん中の部屋だった。終里さんが一番粗末な客室を、これくらいの方が落ち着くと率先して選んでくれたおかげで、残った三人でじゃんけんをしたのだ。千秋ちゃんやソニアさんが選んだ豪華な客室とは見劣りするけれど、私もあまり華美な部屋は落ち着かない性質だから、この部屋で丁度良かった。
霞む目をこすりながら部屋を出ると、ちょうど斜向かいの部屋から出てきた人物と目が合った。日向くんだ。彼は男子同士でのじゃんけんで負けてしまったため、あわやストロベリーハウス側のラウンジで寝泊まりするところであったのを、女子側の余っている粗末な部屋で良ければとソニアさんが声をかけたのだった。日向くんは今日もどこか、元気がなさそうに私に愛想笑いを浮かべた。彼はずっと気にしているのだ。昨日の、ドッキリハウスに閉じ込められてからの左右田くんの態度のことを。
「おはよう日向くん」
「……おはよう、」
そう挨拶を交わしたけれど、今が朝なのかは定かではない。モノクマの朝と夜の定期アナウンスは、この建物内では行われなかった。窓がないのも相まって、時間の感覚は薄れていくばかりだ。私はちらりと部屋の目の前にあるラウンジの掛け時計に目をやる。九時だ。たぶん朝の。そうでなければ、二十四時間近く眠っていたことになってしまう。
「何時だ?」
日向くんに尋ねられたので、「九時だよ」と答える。「そうか」と言ったきり、日向くんは私から目を逸らして俯いてしまった。その様子に閉口してしまう。日向くんはいつも快活で、真面目で優しい人だった。少なくとも、こんな表情をする人では、なかったのだ。
三番目の島を探索していたときのことを、ふと思い出す。
彼は狛枝くんのことで頭を悩ませていた私に、少し一方的ではあったけれど助言をしてくれた。見ていられなかったのだろう、あの時の私は余程、酷い顔をしていただろうから。だからこそ彼は私に狛枝くんと関わることをやめさせようとしたのだ。私はあの時の彼のことを責められない。原因も、解決法も明確ならば、私だって彼に余計なお節介を焼いただろうから。
勇気を出して「あの」と切り出せば、日向くんは目線だけを私に向けた。
そもそもの切っ掛けになったのは、狛枝くんの一言なのだ。
私たちの中に紛れ込んだ裏切り者は、日向くんではないかと言い出したのは彼だった。左右田くんは単純だから「彼だけが才能を思い出せない『異物』だ」という狛枝くんの言葉をそのまま飲み下してしまった。ドッキリハウスに閉じ込められてしまったせいで、左右田くんも精神的に参っていたのだろう。コロシアイが起きない限り外に出ることはおろか食事が一切摂れないという話を聞いた左右田くんのメーターは見事に振り切った。日向くんを裏切り者だと思い込んで、一方的に責めはじめたのだった。あれだけ仲が良かったのに。それすらも、彼は手ずから打ち砕く。
「罪木のことを知らなかったように、本当のオメーを知ってるわけじゃねえ!」
その言葉が、日向くんはよっぽど堪えたらしい。ドッキリハウスに閉じ込められて以降、極端に左右田くんに避けられていた日向くんは見るに堪えないくらいに落ち込んでいた。食事を摂れていないせいもあるのかもしれないけれど、それにしたって生気がなかった。
私たちの他に誰もいないラウンジの椅子に腰掛ける。日向くんが腰を落としたのを見計らってから、私は口を開いた。
「……あの」
話がしたいと言った私に曖昧に頷いてくれた日向くんは、けれどやはり元気がない。そんな彼に何と言ったら良いのだろう。どう元気づけるべきなのか。私はそもそも友達付き合いもそんなに多くなかったせいもあって、こういうときにどんな言葉をかけるのが適切なのかが分からない。
私は日向くんを裏切り者だなんて思ってない、だなんて、白々しくはないだろうか。マスカットハウスの壁紙のグリーンが目に痛い。落ち着かない。空気を吸ってもどこか淀んでいるような気がして、眩暈がした。言葉に詰まった私に、短い息を彼は吐く。
「……ごめんな、気を遣わせて」
「え?」
「元気づけようとしてくれてるんだろ? わかるよ」
「わ、わかった?」
「ああ、わかる」
日向くんは、穏やかに、どこか困ったように微笑んでいた。拒絶されているわけではないらしい。それが心強くて、私は思い切って口を開く。
「あの、日向くんが、元気がないのを見てると、何か落ち着かなくて……」
「うん」
「だから、その、どうやったら元気になってくれるかなって思ったんだけど」
「うん」
「でも、ちっとも思いつかなくて、逆に余計なこと言っちゃったらどうしようって、思って」
「……うん」
日向くんの相槌は優しかった。実際に口を滑らせた私にも、彼は口を挟まずにいてくれる。自分のせいで閉じ込められたと、彼は思っているのだろう。きっとそれは、しんどい。弱っていく私たちを見る彼は、今、一番辛い思いをしている。でも、思うのだ。押し付けかもしれないけれど。
「ひ、日向くんは、いつものままでいてほしい……」
「……」
いつも私たちに気を配っている人だ。彼の気遣いに、私は何度救われただろう。左右田くんだってきっとそうだ。今は、混乱して気持ちの落としどころを見つけられないだけで。握りしめた手が、汗ばむ。
「左右田くんもそのうちちゃんと、分かってくれると思うから。もしもだめだったら、私も左右田くんに目を覚ませ左右田くん! って言うよ」
「……うん」
「目を覚ませ左右田ー! って!」
「……二回言わなくてもいいんだぞ」
「わかった!」
日向くんが眉尻を下げる。それはいつもの彼だった。「ありがとうな」いつもの日向くんの力強い、声だった。日向くんが少しでも元気になってくれたような気がして、私は安堵する。
「でも、俺からも何とか左右田と話してみるよ。裏切り者だって疑われたままなのは辛いもんな」
「うん! 左右田くんなら、ちゃんと聞いてくれるよ!」
「そうだな。に言われると、心強い」
「えっ、なんで?」
「似てるよお前たち。単純なところとか」
何だか釈然としない気持ちになったけれど、そんなのお構いなしに日向くんは皆の様子を見てくると言って椅子から立つ。コロシアイが始まらないように、誰かが妙なことを考えないように、日向くんはそれを心配しているのだろう。私に背を向けてラウンジを出ていく彼の姿を見つめる。その背中が誰かのものに被って見えた。もっと華奢で、線の細い人のものに。咄嗟に立ち上がる。そのまま見送るはずだったのに、気が付いたら私は彼の名前を呼んでいた。
「日向くん」
「ん、どうした?」
階段に向かっていた彼は直前で足を止めて私に振り向く。心臓が、どくんどくんと、音を立てているのが聞こえた。いつまでも言葉を発さずにいる私に、日向くんは不思議そうに首を傾げている。言わなきゃいけなかった。うやむやにし続けるわけにはいかなかった。ちゃんと伝えなくてはいけないと、思っていたのだ。
「この前の話なんだけど」
その言葉は見事に震えてしまった。「この前?」日向くんが首を傾げるけど、構わずに続ける。
「私、狛枝くんとちゃんと向き合いたいの」
日向くんはやめたほうがいいって言うけれど、と。 静かなマスカットハウスに私の声は良く通った。日向くんが目を見開く。言いかけて、躊躇って、ぱくぱくと動いた口はなかなか言葉を吐き出せない。でも私は覚悟を決めた。この言葉がなければ説得力なんか何もないと思ったから。
「狛枝くんのことが、好きだから」
顔が熱い。きっと私の頬は今、途轍もなく赤いだろう。傍から見れば日向くんへ向けた一世一代の告白のように見えるかもしれない。息を吸って、ぐちゃぐちゃの思考回路を紐解くように、叫ぶ。好きだ。そう思う。あの扉を支えてくれた。いつも私は彼を見送っていた。その背が廊下に消えていくのを。防音室の中で、たった一人で。いつまでも。いつまでも。好きだ。好きだったのだ。
「多分、そういうふうにできてるの!」
口から出てきたのは、いつかの千秋ちゃんの言葉だった。
日向くんは見開いていた目を、徐々に細くする。未だにばくばくと音を立てる心臓を左手で押さえた。鼓動が伝わって痛かった。日向くんが笑う。笑って、知っていたよと、彼は言う。
「知ってたよ。ごめん」
力なく笑った、日向くんの顔は美しかった。見ていられなかった。私は彼と似たように微笑む人を、知っている気がした。
日向くんが階段を駆け下りていく後ろ姿を、私は見ていた。じわじわと、失われることのないままの熱がこみ上がる。胃が痛いのは、空腹のせいではなくて、頭が痛いのは、疲労のせいではなくて、ちかちかと点滅する視界を、覆う様に手の平で隠した。
「……誰?」
声がする。ずっとずっと私を呼んでいる。さんと呼んでいる。あなたはだれだ。