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「それにしても、罪木の言っていた『あの人』っつーのは、誰のことだったんだろうな?」
食事を終えた九頭龍くんが不意に切り出したから、私は思わず息を呑んだ。
『あの人』。罪木さんは私の前でもその名称を口にした。胸の中にもやもやとした黒い渦が浮かぶ。マフラーで口元を隠しながら感情の読み取りにくい瞳で「だが」と続けたのは、田中くんだ。
「罪木の口ぶりだと『あの人』とやらは既に死んでいるようであったぞ」
「……え? そうなの?」
「……そうか、はあの時既に冥界の覇王に呑まれていたのであったな」
「冥界の覇王……」
「ああ、じゃあ俺が説明するよ。弐大も聞いてくれ」
田中くん独特の言葉選びに思わず復唱してしまった私と弐大くんにそれぞれ目線を向ける日向くんは、処刑される前、罪木さんが私たちに新たな情報を残して行ったのだと説明する。
二番目の島を訪れたばかりのときに聞いた「世界の破壊者」という組織の正式な名称が、「未来機関」であるということ。「未来機関」は私たちの世界を滅ぼそうとしていること。そのための一環として私たちをこの島に連れてきたこと。「未来機関」の一員では、裏切り者として今も尚私たちの中に紛れ込んでいること。そして、彼女の言う『あの人』が、もうこの世界にはいないこと。
全てを話し終えた日向くんに、弐大くんが「弩えれぇことになってしまったようじゃのお……」と考え込むように呟いた。裏切り者。その人が私たちをこんな目に合わせているのだろうか。罪木さんの言うとおり、この中の誰かが。そう考えてしまえば、顔をあげることも出来ない。
「まあ、『未来機関』がなんで世界を滅ぼすための一環でボクたちをこの島に連れてきたのか、っていうことは分からないけれど、裏切り者には気を付けるべきだよね」
重々しい空気の中で狛枝くんが朗らかに言ってのけた言葉に、左右田くんが「オメーが一番怪しいんだよ」と吐き捨てた瞬間、レストラン内の空気が悪化する気配を感じ取る。だけど一方の狛枝くんは、あは、と笑って首を傾げるだけだ。
「ボクみたいな低レベルの人間を使う組織なんてあるわけないじゃない。それよりもボクはさ、日向クンが怪しいと思うんだよね」
「は?」
唐突に名前を出された日向くんの驚愕は、計り知れないだろう。狛枝くんは何の悪気もなさそうに指を彼へと向ける。「キミだけが自分の才能を未だに思い出せないなんて、『異物』以外のなにものでもないじゃない?」その言葉に、日向くんの表情が硬く強張った。
日向くんはずっと自分の才能を思い出せなかった。この島に連れて来られたときから、ずっと。最初はショックで一時的な記憶喪失に陥っているのではないかと誰もが思っていた。だけど、彼がその記憶を取り戻すことは未だにないままだ。それを誰よりも気にしているのは他でもない日向くん本人だと分かっているからこそ、誰も何も、言わずにいたのだ。
「……日向、オメーがそうなんか?」
左右田くんが鋭い瞳を日向くんに向ける。「……そんなわけないだろ」突然向けられた疑惑の目に動揺しながらも、日向くんは否定した。そんなわけない。日向くんが裏切り者なわけ、ない。いや、私はそう思いたいだけだ。この中に裏切り者がいるという事実から目を背けたいだけだ。
だけど、例えそうだったとしても私はこの雰囲気に流されたくない。誰か一人を槍玉にあげたくないのだ。咄嗟に立ち上がって、テーブルの向こうで口を開きかけた左右田くんの手に触れた。左右田くんが、殊更大きく体を震わせる。
「やめようよ」
絞り出すようにそう言った。目を見開いた左右田くんが、微かに口角だけを上げる。左右田くんも怖いのだ。だって彼の体は、小さく震えていたのだから。
「そうです! おやめなさい!」
凛とした声に、ソニアさんに注目が集まる。仲間同士で疑い合うなんてやめにしましょうと訴えるソニアさんは、酷く悲しい顔をしていた。
だけどそうやって目を背けたところで、私たちの中に裏切り者がいるということを深刻に捉えている人は確かにいる。難しい顔で考え込む狛枝くんも、青い顔でじっと黙っている日向くんも、帽子を抑えて表情を隠す左右田くんも。私だって、誰かがそうなのかもしれないと本当は思っている。この中の誰かが私たちをこの島に連れてきて、コロシアイをさせているのかもしれないと。
だけど私は疑いたくない。甘いと言われても、信じたい。
「私には分かるんです」
いつだったかの罪木さんの声が脳裏に蘇った。
不意に痛みはじめた左手を抑える。二本の指が震える。レストランの重苦しい空気は変わらないままだ。私の過去の所業の代わりに、罪木さんはなんてものを置いて行ってくれたのだろう。段々と増す痛みに目を閉じた。狛枝くんがそんな私のことを見つめていたことを、私は知らない。