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 狛枝くんのベッドでぐっすり眠らせてもらったせいか、彼と別れた後自分のベッドでもう一度眠ろうと目を閉じてみても、全く寝付けなかった。一人で部屋にいるとどうしても思考がさっきの夢や、狛枝くんの吐き出した言葉に閉じ込められてしまっていけない。気を紛らわすための道具は紙とペンしかなく、私は一心不乱に大量の五線譜を作り上げた。こうしておけば、いつか急に何か曲が浮かんだときに、五線譜がなくて煩わしい思いをすることはないだろう。
 だけどそうして一人でコテージに籠っているのは、想像以上に苦しいものだった。早く誰かに会いたかった。死んでしまった唯吹ちゃんと日寄子ちゃんの姿は瞼から離れず、罪木さんの変貌が私に爪を立てる。あれから音沙汰の無い弐大くんのことも心配だったし、挙句に昨日の夢だ。
 私たちが忘れてしまった過去の夢。だけど、あれを誰かに伝えたところで何か意味があるのかは甚だ疑問だ。せいぜい私たちには本当に奪われたらしい過去が存在しているようだ、ということが分かるくらいか。その証拠が私の見た夢、だなんて、なんの根拠にもならないけれど。私の中に芽生えた確信は、きっと誰も理解してくれない。だから、私はあの夢のことを誰かに打ち明ける気にはなれなかった。
 やがて鳴り響いた朝を知らせるアナウンスと同時にコテージを出たけれど、レストランへと向かう足取りは軽くはなかった。やっぱり話し相手が欲しい。誰か来てくれていると良いな。そう願いながら扉を開いた私を出迎えたのは、見慣れない何かであった。何か、いや、その人は、息を呑んだ私に反応して振り向く。奇妙な機械音が完全に私の思考を停止させた。



「応ッ! か! 聞いたぞ? お前さん、倒れたそうじゃなあ!」

「…………え?」



 日頃から鍛えておかんからじゃ、と続けるその声に、聞き覚えがないはずがなかった。首をあげなければ目を合わせることも到底できない巨体も、彼が履いていたジャージのズボンも、下駄も学ランも、私は良く知っている。



「だからワシとトレーニングをしようと島に来た時から言っておったのに……ッ! いや、しかしこれも、ワシのマネージャーとしての力量が足りなかったせい……。じゃが安心せいッ! ワシが帰ってきたからには、二度と倒れるようなことがないよう鍛えてやるわ!」

「……弐大くん」



 終里さんを庇ってモノクマのバズーカをその身に受けた彼は、常人であれば即死であるような怪我を負ってしまいどこかへ連れて行かれた。あのとき私たちは、彼のことはモノクマが治療をしてくれているのだと信じるしかなかった。そして彼は帰ってきた。私たちの前に、再び戻ってきたのだ。
 人間の体を失って。



「応ッ! 弐大猫丸じゃ! 地獄の淵より帰ってきたぞぉ!」



 黄色の丸い、眼球と呼ぶには随分とのっぺりとした瞳がぺかぺかと光る。右手を頭に当てて豪快に笑う仕草は嘗ての彼そのままだったけれど、その頭頂部は三日月形に変わっていた。光沢のある鋼の体に、どこからともなく聞こえてくるモーター音が、彼を人ではない何かだと言っている。



「……ロボット……!」



 弐大くんは私の言葉に、「どうじゃ! かっこいいじゃろ?」と、得意気に微笑む。そう、不思議なことに表情は柔軟に変化するのだ。
 今朝狛枝くんが言っていた「良いこと」とはこのことだったのかと思いながら、私は瞬きを一つする。勿論嬉しいけれど、この現状を理解はできてもすぐには受け入れられそうにない。








 皆がレストランに集まる前に弐大くんから聞いた話によると、彼はバズーカを受けて一命をとりとめた後、モノクマによる手術を受けて気が付けばこんな体になっていたらしい。倒れた私と、そんな私を運んだ狛枝くん以外の皆とは既に、昨日の裁判が終わった後砂浜で再会しているのだと彼は言う。



「皆、戸惑ってはおったがのう……生きていさえすれば、姿なんぞ関係ない。そうは思わんか?」



 弐大くんはそう言いながら、体に備わった色々な機能を説明してくれた。お腹の中に内蔵されている電波時計のおかげで時計がなくても時間は正確に分かるし、喉が乾いたら右目からはコーラ、左目からはルイボスティーが出るらしい。首の後ろにある機能を停止させるスイッチを押せば、寝苦しい夜も全機能を休ませることができると快活に笑う彼は、こんな体になったことをちっとも後悔していないようだった。だから、私も素直に、良かったと呟くことができた。どんな姿でも、永遠に私の前からいなくなってしまうよりはずっと良い。



「……弐大くんが帰って来てくれて、嬉しい」

「そう言ってくれるか! ワシも、またお前さんたちに会えて嬉しいぞ!」



 勿論その変化には驚いたけれど、弐大くんの中身は変わっていない。一生懸命で真っ直ぐで、強くて優しい。罪木さんの変貌を見てしまった以上、彼の本質が変わっていないという、たったそれだけのことが何よりも心強かったのだ。



「よし! じゃあが二度と倒れることのないよう、早速走り込みじゃあ!」

「……やだ……」








 ならばせめてストレッチをしろと言われた私は、何故かレストランの床で開脚をさせられている。弐大くんに背中を押されてもぴくりとも動かない体の硬さに、私の足の筋が悲鳴をあげた。



「いだいいだいいだい弐大くんいだい!」

「お前さん……体が硬過ぎるぞぉ……ッ!」

「ゆ、指だけなら柔らかいもん……」

「ええい全身くまなく柔らかくしておくべきじゃ!」

「うぐっ、いだだだ!」

「あ、! オメー昨日はあれからだいじょ……何やってんだ?」



 悲鳴をあげていたせいか、階段を昇って来た誰かの存在に声をかけられるまで気が付かなかった。呆れたような声音に顔をあげれば、そこにいたのは左右田くんだ。彼は私たちの傍までやって来ると、その三白眼の上にある眉を寄せる。



「そ、左右田くん~」

「おいおいおいおい、弐大、一応そいつ病み上がりなんだから無理させんな」

「お、応……そういえばそうじゃったな……悪かったのお、つい熱くなってしもうた……」

「足の筋が……っ」



 立ち上がることができずに座っていると、左右田くんは私に手を差し出して「ったくよぉ、無茶すんなよな」と呆れたように眉を寄せた。なんだかんだ言って彼は優しい。
 レストランにやって来た終里さんに声をかけられた弐大くんが彼女の方へ向かったのを見送ると、左右田くんは「いやーでもなんだ、も元気そうで良かったわ」と近くにあった椅子を引く。



「狛枝がオメーを運ぶって言い出したとき、止めようとする日向を説得したんだけどよー」

「え?」



 彼の向かいの椅子を引きながら首を捻れば、「裁判の後の話だよ」と左右田くんは顔の前で手を振った。
 止めようとした。日向くんが。



「日向は女子に運ばせるべきだって言ってたんだけどよ。どう考えても七海一人じゃ無理だろ? 終里は弐大が砂浜にいるらしいっつー話を聞いて走って行っちまうし、ソニアさんなんかにオメーを運ばせたら絶対腕折れるからな! つーか羨ましくてオレが許せねーからな!」

「あ、うん、そうだね……」

「オレと言い争ってる間に狛枝がさっさとを抱えて行っちまったから、日向も諦めたんだけどよぉ。つまりオメーがあの後狛枝と良い感じになれたんなら、間違いなくオレのおかげだからな」

「……」



 彼の言いぐさに頭を抱える私に、左右田くんは真剣な目で向き直った。



「そんでオレはオメーに一つだけ聞かなくちゃなんねーことがある」

「……はい?」

「オメーらまさか男女の関係になってねーよな! それは許さねーからな? いくらオレでも、それだけは認めねーからな!」



 涙ながらの左右田くんの声は、既に皆が集まり始めていたレストラン中に響き渡った。田中くんが視線を逸らしながら「下等生物め……」と呟く。ソニアさんに至っては目も合わせてくれない。九頭龍くんも呆れたように「おめーらなあ……」と声を出すけれど、複数形にするのはやめてほしい。せめてもの救いは、日向くんがまだレストランに姿を現していなかったことだ。



「やあ朝から何の話?」



 極めつけに、確実に話の内容を聞いていたと思われる狛枝くんにそう声をかけられて、私はテーブルの下の左右田くんの足を力いっぱい踏んだ。「ぎにゃ!」と左右田くんは叫んだけれど、彼が自分の発言を失言だったと気付くことは、当分なさそうだ。


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