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日向くんの言葉を契機に、皆の視線が一斉に私と罪木さんに注がれる。罪木さんは目を見開いて悲鳴をあげていたけれど、私は彼女とは対照的に、唇を引き結んでじっと前を見ていた。
「病院の外にいた人間は、俺が居たロビーを通らなければ撮影場所の会議室には行けない。絶望病で前後不覚だった終里や狛枝にはそんなことはできなかったはずだ。だから、あのとき撮影ができたのは、病院の中にいたお前ら二人だけなんだよ!」
「お、おいでも待てよ。は狛枝の病室に居たって聞いたぞ? そこにいたなら、撮影は無理じゃねーのかよ……」
私の隣に立つ左右田くんが、慌てた様子で狛枝くんに目線を送る。その言葉に狛枝くんはしばし思案するように顎に手を置いてから、首を傾げた。
「……うーん、それがボクも朦朧としていて、はっきりさんが傍にいたとは言えないんだよね、あはは」
「おい笑うとこじゃねーぞ!」
「えっ? そうだった?」
狛枝くんは、楽しそうに目を細めてから私にちらりと視線をやった。意味深なその一瞥に、私はそっと目を瞬かせる。何かを企んでいるようにも思えるその態度に、けれど今は応えることができない。「でも、でもでもお」次に呟いたのは、罪木さんだった。
「わ、私には無理ですよお……! 人殺しなんてできませぇん!」
「そうだぞ! 罪木はオレたちを看病しててくれたんだ! そんな良いやつが人なんか殺せるわけねーじゃねえか!」
「ってことはが殺したって言いてーのか? 終里! こいつだってアホが付くくらいお人好しなのは分かってるだろーがよ! それにこのだぞ? 分かるか? だぞ! あんな頭が良い犯行できるわけねー!」
「……」
フォローされているのか貶されているのか分からなくなってきたけれど、左右田くんが私を庇ってくれていること自体は嬉しかった。だけど、分はそんなに良くないだろう。私がこうして黙っている限りは。分かっているけれど、どう反論するべきなのか、まだ思いつかない。罪木さんの出した条件は「犯人だってバラしたら」だ。それはつまり裏を返せば、まともな推理で私が犯人じゃないことを証明できれば良い。戦わなくては。考えなくては。私が犯人に仕立て上げられる前に。狛枝くんは、私を見て静かに微笑んでいる。
「わ、わ、わ、私は犯人じゃありませぇん……人を殺すなんて……そんな……!」
とうとう泣き出した罪木さんに対して、同情の目線が送られるのにそう時間はかからなかった。「罪木……」私と罪木さんのどちらかが犯人だと言いきった日向くんも、その姿に動揺を隠せないようだ。いよいよまずいかもしれない。終里さんが私を睨む。田中くんの疑惑の視線がこちらに向けられる。ソニアさんも困ったように私を見る。日向くんが、千秋ちゃんが、左右田くんが、九頭龍くんが、狛枝くんが、皆が私を見る。私の反論を待っている。
狛枝くんを守るためだった。だからずっと黙っていた。殺されたくなかった、怖かった、失いたくなかった。だから私は、彼女の言いなりになっていた。ルールを破ることを是としない彼女に狛枝くんの殺害は不可能だということを知った時点で、私は自分を犠牲にすべきだった。例えそれで過去を明かされた私が窮地に追い込まれようと、軽蔑されようと。皆がここで死んでしまうよりはずっといいはずだった。
彼女が血の付いたエプロンを纏っていたこと。脅されたこと。それらをはっきり伝えるべきだ。だけど、物証はあるのか。私は未だに思いつかないのだ。ここまできて、私と罪木さんの二人だけが疑われている現状で、今私がそれを告げたところで、苦し紛れの嘘と捉えられはしないだろうか。
狛枝くんが私を見つめている。初めて出会ったときから変わらない、澄んだ、きらきらした湖みたいな瞳だった。子供のそれに似ていた。無垢で無邪気で汚れてない、代えがたい色をしていた。日向くんが私の名前を呟く。
「……」
狛枝くんに、嫌われたくないのだ。それだけは確かだ。私はずっとずっとそう思っていたらしい。狛枝くんのために生きているようなのだ。あの人の後ろ姿を何度も、何度も何度も何度も、私は見送っている。ピアノの前にいる。そういうイメージが脳にこびりついている。おかしいな。彼との思い出は、この島での数日分のものしかないはずなのに。
罪木さんの泣き声が私の思考を邪魔するけれど、私はじっと、彼の目を見つめ返した。罪木さんに私の過去を明かされたら、きっと皆が、いや、狛枝くんは特に希望に相応しくない私を見限るだろう。だけど、でも、こうして罪木さんの言いなりになって、皆を危険な目に合わせる私は、もうとっくに狛枝くんのいう「希望」には、なれやしないな。
引き結んでいた唇を解く。何かないか。彼女がやった証拠がないのなら、私がやっていない証拠は。そう考えた瞬間、頭の中に一本だけ針が入った気がした。
「あ」
思いついた瞬間、私は目を見開いていた。罪木さんの泣き声が止む。皆が私を見る。
「私は犯人じゃない」
その言葉に、罪木さんが、顔をあげて私を見つめた。泣きはらした赤い目はまるで演技には見えなくて、本当は少しぞっとした。だけど私はもう落ち着いていて、自分が助かる道を見つけている。だからこそ、初めて私は自分が彼女に対して怒りを覚えていることを知ったのだ。
「……なんですかそれ」
罪木さんの声が、すうっと温度を失くしていく。彼女のスイッチが切り替わった瞬間だった。裏切るんですか。彼女の目が私にそう告げている。だから首を振った。彼女に口を開かせてはいけなかった。
「私は自分の無実を証明できるから」
罪木さんは、ぐっと黙って私を睨みつけた。終里さんが、罪木さんの名前を不思議そうに呼んでいる。日向くんが、「どういうことだよ」と私に言うので、私は彼に目線をやった。
「唯吹ちゃんが被っていた麻袋って、モノミのマークがあったよね」
唯吹ちゃんの死体の脇に落ちていたあの袋だよ、と付け足す。映像を見ていない私は、犯人も映像の中で同じものを被っていたのかまでは分からないけれど、唯吹ちゃんは確実にあの袋を被せられていたはずだった。
「ああ、映画の特典で……犯人が買ったって言っていたやつだな」
なあモノクマ、そう日向くんが議長席のモノクマに声をかけると、モノクマは殊更大袈裟に飛び跳ねてみせた。その様子に、私は少しだけ安堵する。
「私はあれを買ってないの。千秋ちゃんが証人になってくれると思う」
言いながら千秋ちゃんの方を窺うと、彼女は少し考えてから目を見開いた。
「……ああ、そうだね。うん、ちゃんは買ってないよ。ずっと私と一緒にいたもん」
「うん、それならボクも見ていたよ。二人が映画館を出るところだったけれどね。さんは麻袋なんて買ってなかったな」
思ってもみなかった援護に狛枝くんの方を見ると、彼は首を傾げながら目を細めて、続けた。
「実はあの日の夕方、ボクはもう一度映画館に行ったんだけどね。その時には麻袋はなくなっていたんだ。でも、あの日さんは終日七海さんと一緒だったんだよね? なら、一人で買いに行く時間なんてなかったはずだ。つまり、彼女ではない第三者が購入したことになるよね」
「お、おい、じゃあ」
狛枝くんの言葉を受けて、左右田くんが私の顔を覗き込む。
「だから、私は犯人には、なれない。唯吹ちゃんを殺せないし、あの映像も撮れない」
「さん……!」
罪木さんの方を見たら、彼女は顔を青白くさせて私を見つめていた。私に向けられていた視線が、今度は一斉に罪木さんに向かう。その信念の理由は分からないものの、ルールを遵守することを尊ぶ彼女は、きっと自分で出した条件をすり抜けて無実を主張した私との約束を破ることはしない。狛枝くんが、微笑を携えたまま追い打ちをかけるように、彼女に言った。
「あのね罪木さん。ボクはね、今回の犯人は絶対に許せないんだよ」
「私は犯人なんかじゃありません……!」
「あれ? 困ったな。まだ認めてくれないの?」
「私は殺してなんかいません!」
罪木さんが、声を張り上げる。髪を振り乱して叫ぶ。病室で見た彼女より、ずっとずっと、ずっと、それは強い、悲痛な声だった。
「……あのね罪木さん。ボクは、キミのことをずっと怪しいと思っていたんだ。だからこそ、キミの吐いた嘘も見破っているんだよ」
「う、嘘……?」
そう、嘘だよ。狛枝くんは呟く。その瞬間、不意に視界が揺れた気がした。眩暈よりも、もっと強く。
「キミさ、検死のときに、澪田さんは自殺だって言い切ったよね? でも、澪田さんが首を吊ったロープは、中央が強く擦れてささくれていたんだよ。彼女が首を吊っていた輪っかの部分も、照明バトンに吊るされていた部分も、もっとずっと端の方なのに」
対角線上にいるはずの狛枝くんの声が、なぜか耳元で聞こえる。罪木さんの顔が、ぐにゃりと歪む。立っていられなくて、咄嗟に台に寄りかかった私に、誰も気が付くことはない。
おかしい。なんだか急に体が熱い気がする。普段まともに頭を使ってこなかったせいで、反動でも起きたというのだろうか。
「ねえ罪木さん、彼女はさ、首を吊って死んだんじゃなくて、首を絞められて殺されたんじゃないの? 超高校級の保健委員のキミだったら、それくらい一目見たらわかったはずだよ」
「……」
汗が止まらないのに、寒気がする。身体のあちこちが震えて仕方ない。至近距離にあるはずの自分の手すら、霞む。耳の奥で誰かの声がする。それが、狛枝くんの言葉をかき消す。
「それをわざわざ隠したってことはさ、つまりキミが彼女を」
「なんで、そんなことを言うんですか……」
振り絞ったような、掠れた罪木さんの声が、なんとか耳に入った。無理に顔をあげる。狛枝くんに追い詰められて徐々に俯いていった彼女の顔は、長い髪の毛に邪魔されて、表情を窺い知ることもできない。狛枝くんが、そんな彼女をわざわざ覗き込むようにして、笑う。それが、ぼんやりと視界に映った。霞む。消える。何もかもが。
「あは、だから、言ってるでしょ」
狛枝くんは、一瞬で笑みを消したようだった。声からも表情からも、瞬きの間に温度を殺した。氷のような、鋭い瞳だった。子供みたいな顔をする人だと私は思っていた。だけど、違った。彼は、何にでもなる。何者にでもなれるのだ。
「ボクはキミを許せないんだよ」
温度の無いその声が彼の唇から発せられたその瞬間、足から力が抜けた。
「いっつもそうなんです。皆私を許してくれないんです。うざい、きもい死ねって平気で口にするんですよ。根っからのいじめられ体質なんですよ私って。酷い話ですよねえ。私は皆さんと同じことをしているだけなのに。二人一組になれなんていう体育は地獄でした。じゃんけんで負けた人と組まされるんです。その人も私のことを極力触らないようにして、授業が終わったらこれ見よがしに手を洗って。お弁当は捨てられましたし教科書なんか残ってませんよ。机にビッチって何度彫られましたかねえ? 典型的な虐めは一通り経験しました。ねえ、私が何かしましたか? 何で私が嫌われるんですか? 何で私はゲロブタでゴミムシでクズなんですか? 答えられませんよね?あなたたちに答えられるはずがないんですよ。でもね、『あの人』は違うんです。『あの人』はこんな私を愛してくれた。許してくれました、受け入れてくれました、価値を与えてくれました! 『あの人』だけなんです、『あの人』だけが、丸ごとの罪木を愛してくれるんです、私のやることを全て許してくれるんです! だからね、『あの人』は、私がやったことを喜んでくれます! 澪田さんと西園寺さんを殺した私を抱きしめて、よくやったね、偉かったねって言ってくれるはずです! ねっ? ねっ? そう思いませんか? 私は『あの人』だけでいいんです。あなたたちなんかいらないんですよ。あなたたちが仲間だと思っていたのはね、数年分の記憶や経験や愛が抜け落ちた過去の罪木蜜柑なんですから。それってもう私じゃないんですよ! 本当の私は、だって、愛されていたから! 絶望的ですよねえ? だから、さよなら皆さん。あなた達の絶望を見届けられないのが、残念です」
頭が痛い。全身が怠い。涙が音を立てて落ちていく。きんきんと甲高い音が耳の奥で鳴り響いている。罪木さんの、陶酔したような声の奥で、知らない誰かが私を呼んでいる。「さん。さんさんさん。さん」どうか思い出して。
「あなたが世界中の誰よりも深い深い絶望に染まりますように」
私はそこで、意識を手放した。