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 罪木さんの言葉を借りるなら、私は過去にそれはもう「えげつない」ことをしたらしい。
 思い当たる節はない。間違いなく、失われた過去の記憶にそれは眠っているのだろう。思い出そうにも思い出せないそれに歯痒い思いを覚えながらも、私は始まったこの裁判での身の置き方を未だに決めかねていた。私が昨夜見たことを話せば、この裁判は滞りなく終わるだろう。勿論、現場の状況証拠と照らし合わせた上で、私の告白に信憑性があればの話だけれど。これまで二度の裁判を乗り越えてきた彼らなら、問題なく真実に導いてくれるはずだ。そう信じているのに、私は何も言えずにいる。第一発見者の日向くんが今回の事件の大まかな流れを説明しているのを、証言台に手を置いて聞いていることしかできない。
 唯吹ちゃんが首を吊っているのを見つけた彼は、人を呼ぶためにライブハウスを飛び出した。その十分後、九頭龍くんと千秋ちゃん、罪木さんの四人で改めて現場へ戻ってきたとき、しかし扉は開かなくなっていたと言う。何とか中に入った時には、日寄子ちゃんの死体が新しく増えていた。と言うのが日向くんの証言だ。ライブハウスから離れた十分の間に新しい殺人が成されたという誤認トリックであると私が断言できるのは、昨夜の罪木さんが血のついたメスを持っていたことに起因する。唯吹ちゃんには外傷はなかった。彼女は、あれで日寄子ちゃんを殺したのだ。
 罪木さんが犯人だと口にすれば、私はしかし、自分の過去の所業を皆の前で明らかにされてしまうらしい。あんな口ぶりで脅すくらいだ。きっと、余程のことをしてしまったのだろう。例えばそれこそ、殺人とか。自分で考えてぞっとする。もしも私がそんな罪を犯していたとしたら、どうだろう。きっと皆私を軽蔑する。例えこの裁判の結果罪木さんが処刑されることになったとしても、私への蟠りは解けないだろう。例の裏切り者は私に違いないと糾弾されることすらあるかもしれない。そう考えたら、どうしたら良いのか分からなくなる。
 狛枝くんは二度と私に笑ってくれないだろう。千秋ちゃんも私と一緒に歩いてくれない。日向くんも口をきいてくれないだろうし、左右田くんなんかはわかりやすく、私を罵倒するかもしれない。終里さんはがっかりした目で私を見て、弐大くんも勿論庇ってなんかくれなくて、ソニアさんは信じられませんって言ってくれるかもしれないけど、最後は背中を向けるんだろう。折角心を開いてくれようとしている九頭龍くんは私に失望するだろうし、田中くんは目も合わせてくれないかもしれない。
 そんなのは嫌だった。この島で築いた関係を自ら壊すことが、想像するだけで恐ろしくてたまらない。昨日の夜のことを話さずに罪木さんの犯行を暴くしかないのだ。その方法は一つしかない。
 裁判で、証拠を提示して明らかにするのだ。私だけが持つ情報を隠したまま、捜査で見つかった証拠だけで、どうにか暴くしかない。だけどそれにはどうすればいいのか。考えろ。馬鹿でも馬鹿なりに、考えろ。まずはどうするべきか。今、皆は空白の十分に日寄子ちゃんを殺すことができた人物がいないかを話し合っている。だけどそうじゃない、そもそも日寄子ちゃんの方が、唯吹ちゃんよりも先に殺されているのだから。だけどそれをどう証明したら良いのだ。



「あのさ、日向くんが来るより前に西園寺さんは殺されていたんじゃないかな?」



 その言葉に、思わず顔をあげた。私のお腹の中を見透かしたようにそう言ったのは、狛枝くんだった。
 今、皆は日向くんがライブハウスを出て行った十分の間に日寄子ちゃんを殺すことができた人物について考えていたのに、彼だけは、その可能性を否定するようなことを涼しい顔で言う。他の皆が困惑した面持ちで彼を見つめている中、こんなにそれを心強く思うことはない。



「犯人は西園寺さんの死体を柱に巻いた後、その周りを覆う形で壁紙を吊るして、彼女の死体を隠したんだよ。その証拠に、天井付近の照明バトンに千切れた黒い紙が残っていたんだ」



 きっと犯人は、日向くんがライブハウスから出て行ったのを見計らってその壁紙を剥いで、あたかも西園寺さんが殺されたばかりであるように偽装したんだろうと狛枝くんは言う。彼の隣の罪木さんは、それでも焦りの色一つ見せはしなかった。彼は、犯人は見立て殺人を行うことで殺害順序を誤認させようとしたのだと続けた。確かに映画の内容もあって、首を吊った唯吹ちゃんの後に日寄子ちゃんが殺されたと、皆は思い込んでいた。



「……だとしたら、彼女は一体いつ殺されたんだろうね?」



 びくりと心臓が飛び跳ねたのは、狛枝くんが私のことをじっと見つめていたからだ。見透かすように目を細めて、静かに微笑みながら、私だけを射抜く様に彼は見つめていた。冷や汗が体中から噴き出る。それに気づかずに、日向くんは首を傾げた。



「西園寺がいつ死んだかは分からないが、澪田が死んだのは確かに俺が映像を見た時間だよな」

「あの通信機自体、録画機能もねーし、日向が見たのはリアルタイムの映像で間違いねーよ」



 通信機を作った左右田くんも、援護するように言う。その時、唐突に罪木さんが口を挟んだ。



「じゃあ、その時間にアリバイがなかった人が犯人ってことですかあ……?」



 その言葉に、私は気が付いてしまったのだ。彼女の目論見を。
 私はやっぱりはめられている。








 地道に進んでいく裁判の中、日寄子ちゃんが殺されたのは偶然だったのではないかと主張したのは千秋ちゃんだった。
 見立て殺人にしては、彼女の殺され方は中途半端ではないかと疑問を呈したのだ。本来弓矢で磔にされていなければならない日寄子ちゃんは、ガムテープで柱に縛り付けられていた。見立て殺人を行うことを目的としていたとしたのなら、相応の準備をしないのはおかしくないかなあと彼女は不思議そうに首を傾げる。だって、そうと気づかれなければ意味がないのだから。
 昨夜、日寄子ちゃんがライブハウスに行ったのは偶然だったらしい。着物の着付けが一人では出来ない日寄子ちゃんが、ソニアさんの助言に従ってライブハウスにある大きな鏡を見ながら着付けをしようと出掛けたところ、偶然犯人が唯吹ちゃんを殺そうとしていたところに出くわした。咄嗟に日寄子ちゃんを殺した犯人は、手がかりが増えるのを防ぐために急遽思いついた誤認トリックを行ったのではないか、というのが、皆の出した結論だ。唯吹ちゃんの履いていたスリッパの裏に、日寄子ちゃんの血が付着していたというのも、それを裏付ける証拠となった。



「そういえば、脚立にも血がついていたね?」



 何気ない狛枝くんの言葉に、日向くんが考え込んで「おい、ちょっと待て」と、顔をあげる。



「俺が見た映像には、脚立に血なんてついてなかったぞ?」



 その言葉が、事件解決の契機になった。
 ライブハウスにもう一つの通信機があったと思い込んでいた日向くんは、その映像に映った人物を、ライブハウスで首を吊って死んでいた唯吹ちゃんだと疑っていなかった。だけど、実際はそうではなかったのだ。あの映像の脚立が、唯吹ちゃんの傍に転がっていたものとは違っていたのなら、撮影場所自体がライブハウスではなかったと考えられるはずだ。
 バックの黒いカーテンに深い色の床、照明は蝋燭が使われていたことを考えると、殺害現場と撮影場所を似せるために、犯人がライブハウスの方でそれなりの下準備をしたことは間違いない。そもそも思い返してみると、ライブハウスのステージのカーテンは元々黒ではなかった。目に痛い派手な柄をしていたのだ。つまり本当の撮影場所は、黒いカーテンの、暗い色の床をした別の部屋ということになる。通信機の電波の関係も考慮すると、当てはまる場所は一つしかなかった。



「つまり、俺が見た映像の澪田は別人だったんだよ。澪田は、本当はもっと前に殺されていたんだ! 俺が見たあの映像は、俺たちを混乱させるために、犯人が澪田を演じて攪乱させるためのものだったんだ!」



 罪木さんが両手で口元を覆って、目を見開く。私は、どんな顔をしていたんだろう。わからない。だけど、覚悟はしていたのだ。



「その時間にアリバイがなかった人が、犯人ってことですかあ……?」



 先ほど彼女がそう言ったとき、罪木さんは顔の前で指を組んで、じっと皆を眺め回していた。左右田くんから始まって、右回りに視線を動かした彼女が最後に見たのは私だ。彼女はたっぷりの時間をかけて、私を見つめていた。胸の中に、時限式の爆弾を埋め込まれた気分だった。予期した通りだった。彼女は私に罪を擦り付けようとしているのだ。
 だって偽装された映像を日向くんが見たその時間、私にアリバイはないのだから。
 それに気が付いた時から、私はずっと黙っていた。この裁判の間、唇を結んだまま裁判の行く末を見届けていた。罪木さんの言う通り、ただ祈っていただけだったのかと言うとそうではない。私は考えていた。どうすれば彼女の罪を露顕させることができるか。私の無罪が主張できるか。
 病気に関してほとんど覚えていないという狛枝くんが私を擁護することはできない。彼女はそれを分かっていて、私に狛枝くんの傍にいるように言ったのだ。最初からあの時唯吹ちゃんが自殺する寸前に見せかけた映像を撮るつもりで。私に罪を擦り付けるため、全ては計算されていた。



「犯人は、ライブハウスを病院の会議室に似せたんだ」



 唇を噛みしめてからゆっくりと顔をあげたら、狛枝くんと目が合った。彼は痛いくらいに私を見つめていた。いつかみたいに、大丈夫かとも、聞いてくれなかった。私はきっと、あの時よりずっと、酷い顔色をしていただろう。だけど、私は自分でどうにかしなくちゃいけない。私が戦わなくちゃいけない。悪意の塊を背負った、彼女と。



「あの時間に、病院の会議室であの映像を撮影できたのは……」



 日向くんが息を吸う、躊躇ったように一瞬目を伏せる。大丈夫だと、誰も言ってくれないなら自分で言う。ちゃんと、私自身が私の無実を晴らすのだ。



「罪木との二人だけだ!」



 日向くんの鋭い目線を、私は一身に受け止める。


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