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「絶望病」



 混乱する私たちの前に現れたモノクマが口にした聞きなれない言葉を、口の中で反芻させる。
 モノクマによると、絶望病とはこの島にいる虫を媒介にして人から人に伝染する病気らしい。特徴は突然の発熱と、症状が人それぞれで異なるという二点だ。さしずめ今も尚泣きじゃくる終里さんは「泣き虫病」で、あの後やけにきびきびとした様子でレストランに入ってきた唯吹ちゃんは「真面目病」、そして狛枝くんは「嘘つき病」という分類になるだろうということで話はまとまった。けれど病名が分かっても何の解決にもならない。騒然とする私たちに、モノクマは続けた。



「ちなみにね、これは新しい動機でーす! どうどう? いつもとは違う性格の状態でのコロシアイって、斬新じゃない?」



 意味がわからないと眉を顰める私たちに構わず、治療法の類は一切ないとモノクマは続ける。そもそもこれはコロシアイに対する私たちの軟弱さを治すための病気なのだから、治療する必要はないのだ。そう言い残してモノクマは姿を消した。後に残された私たちは、互いに顔を見合わせる。終里さんは未だに泣き続けているし、唯吹ちゃんは背筋を伸ばしきった状態で皆に挨拶してまわっている。狛枝くんの口からは言葉が溢れて止まらず、レストランは混沌としていた。そんな中、不意に狛枝くんに至近距離で顔を覗き込まれて、私は悲鳴をあげる。



「ねえさん、キミに一番に感染してほしいからもっとボクの近くにおいでよ。臭くても我慢するからさ! ほら!」

「えっ……さ、さっきも言われたけど私臭いかな……!」

「馬鹿か! そいつは嘘つき病だって言われたばっかじゃねーか! 逆だよ逆!」

「あっ……逆……じゃあ臭くない!」



 左右田くんに突っ込まれてやっと気が付いた。そうか嘘つき病、狛枝くんの言っていることは全て反対と考えなくてはいけないのだ。だけど、頭の回転の遅さに定評のある私は、慣れるまで相当の時間を要しそうだ。



「反対なわけですね! では僭越ながらわたくしが狛枝さんの発言を翻訳させていただきます!」



 唯吹ちゃんが口にした言葉に反射的に首を振る。唯吹ちゃんも、普段の彼女とは真逆で正直違和感しか覚えない。



「ああ絶望病! なんて素晴らしい病気なんだ!」



 対して、恍惚とした表情でそう叫んだ狛枝くんは、酷く顔色が悪かった。「早く皆も感染すればいいんだよ! ボクらはもう終わりだ! 希望なんてない!」つまり皆は感染しないでね。頑張ろう! ってことだろうか。自信がない。唯吹ちゃんに翻訳を頼んだほうが良かったかもしれない。そう思った瞬間、高笑いをしていた狛枝くんが、ありえない色の泡を吹いて後頭部から突然倒れた。がたんとものすごい音がした後、彼はそのままぴくりとも動かなくなってしまった。



「狛枝くん!」



 慌てて彼に駆け寄る。口から泡を吹いて倒れる人を、私は初めて見た。








 狛枝くんと終里さん、唯吹ちゃんの三人は、三番目の島にある病院に入院することになった。
 罪木さん曰く、狛枝くん以外の二人は現在深刻な状態ではないけれど、いつ悪化するか分からないらしい。いつも以上に慌てた様子の彼女が三人を着替えさせてくると言って病室に向かっていった後、病院の薄暗いロビーに取り残された私たちは、今後のことについて話し合いを始めた。
 本当は私も罪木さんに着いていきたかった。狛枝くんの傍にいたかった。だけど私がいたって邪魔にしかならないし、彼が意識を取り戻すわけでもない。唇を噛みしめて、皆の方に意識を戻す。一番に口火を切ったのは日寄子ちゃんだった。彼女は三人を隔離すべきだとはっきり主張した。



「感染なんてしたら、たまったもんじゃないよー。モノクマも言ってたじゃん。人にうつるんでしょ? 無理だって!」

「そりゃそうだよなあ……全員が感染したら、もう何の手も打てなくなるしな」

「ねーっ。看病だったら、罪木の奴に任せればいいしね。どーせべたべた触ってたんだから、あいつだってもう感染しちゃってるんじゃない?」



 感染したとしても、その症状は蓋を開けてみなければわからない。日寄子ちゃんや左右田くんが心配している感染の可能性を考えたら、勿論彼らを隔離、言い換えれば、このまま入院させておいた方が良いのは分かる。三人を看病するのは必要最低限の人数であるべきだということも。
 倒れた狛枝くんの一番近くにいたのは私だった。駆け寄った私が止まりかけの思考で咄嗟に触れた彼の手は、酷く熱を持っていた。青を通り越して白くなった彼の顔に生気は感じられなかったのに、反するように呼吸だけが荒々しかった。耳にこびりついてしまった。剥がれてくれないのだった。思い出したら何故だか苦しくなってきたので、紛らわすようにロビーの隅の壁に寄りかかって皆の会話に集中しようとする。三人を切り捨てるような扱いをすることになるのを受け入れられない日向くんが、千秋ちゃんに説得されているところだった。



「これ以上コロシアイを起こさせないために、三人の入院は必要なことだよ」



 分かっている、そんなの。私に言われた言葉ではないのに、何だか痛いところを突かれたような、苦々しい気持ちになった。目を閉じて首を一度大きく振った日向くんと今の私は、きっと同じような顔をしていただろう。
 結局、その後の話し合いは予想に反してスムーズに進んだ。
 罪木さんだけに看病を押し付ける形になることを心苦しく思った日向くんに、それを手伝うと言い出した九頭龍くんを病院に残して、他のメンバーは感染拡大を防ぐために病院近くのモーテルで寝泊まりしながらこの病について調べることになった。感染の不安がある以上、モーテル組が病院に近づくわけにはいかない。そこで必要となってくる連絡手段に関してだけれど、左右田くんが電機街から部品を集めて通信機を作ってくれることになった。
 徹底した隔離体制だ。当分、病院組の皆と会えることはないかもしれない。日寄子ちゃんがこんなところに長居は無用とばかりにさっさと出て行ってしまったのを皮切りに、モーテル組の皆が外に向かう。だけど、私は動けずにいた。不思議そうな目線を向けてくる九頭龍くんの隣で、私の腹積もりを察したらしい日向くんが言う。



「どうした? 。早く皆と行けよ」

「……あの、やっぱり私も残ったらだめかな……」



 日向くんの顔を見ることが億劫で、私は自分のつま先に視線を落とした。だけど、それよりももっと早く、日向くんが「だめだ」と私の意見を突っぱねる。彼がそう言うのは分かっていた。理由なんかもういちいち考えるまでもない。狛枝くんとは関わるなと、彼は今も思っている。



「まあ、罪木も合わせて三人もいりゃあ手が足りなくなるようなことはねーよ」



 九頭龍くんが妙な空気を察して言ってくれた台詞に、返す言葉がない。見え透いた嘘を吐き出すこともできなかった。私は目線を下げたまま、何も言えなくなってしまう。私を待っていてくれていた千秋ちゃんが何も言わずに手を引いてくれるまで、私は指先すら動かせずにいた。
 重たい手足を引き摺るように外に出ると、私の気分を一切考慮してはくれない、突き抜けるような晴天に眩暈を覚えた。項垂れる私の前を歩く千秋ちゃんが、「心配だよね」と呟くから、私は繋がれたままの彼女の手を無意識に握り返す。



「でも、大丈夫。ちゃん。私たちは、私たちのできることを、しようよ。ね?」



 顔をあげた。千秋ちゃんは振り向いて、私を見ていてくれた。その手は温かくて柔らかくて、泣きたくなるほどに優しい。唇を引き結んだまま、何度も頷く私に、千秋ちゃんは静かに笑った。


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