25
弐大くんは一命を取り留めた。心臓がまだ動いていたのだ。
それでも深刻な怪我を負ってしまった彼は、辺古山さんの処刑に巻き込まれた九頭龍くんの時と同じようにモノクマに連れて行かれてしまった。治療をすると言いつつも、「こんなところで死なれたってツマラナイし」とぼやいていたモノクマを皆信用できずにいたけれど、彼を見殺しにするわけにはいかなかったのだ。
「……忘れてたよ」
静まり返る砂浜で、日寄子ちゃんが吐き捨てるように口にする。取り残された私たちを見回すその表情は強張っていた。真昼ちゃんが死んだときの彼女に似ていた。
「この島では弱い奴から死んでいく! 仲間とか団結なんて無意味だったんだよ!」
日向くんの苦々しい顔が視界に入った。そういえば彼はライブハウスでも一人、どこか暗い表情をしていた。私たちが団結しようとする度に、狙ったように何かが起きる。日向くんはそれを懸念していたのかもしれない。先のことを楽観視していた私は、彼のその目になぜだか非難されてしまったような気になった。皆が一様に押し黙ったままの空気は重く、一人、また一人と砂浜から立ち去って行く。息を吐いたら、歯の根が合わなかった。弐大くんが怪我をしてしまったことも、せっかくまとまりかけた皆がこれをきっかけにバラバラになっていくことも、何もかもが怖かった。
それからどうやってコテージに帰ったかわからない。気が付いたら私はベッドの上で蹲っていた。
眠りが浅かったせいか、いつもよりも早い時間に目を覚ましてしまった。身支度を整えてから、紙を一枚取り出す。五本の線を引き、ト音記号を書く、同じように、ヘ音。そこで手が止まる。紙を押さえる左手が、わけもわからず震えていた。私は結局ペンを置く。モノクマのアナウンスが鳴るのをただ待って、それからレストランへと向かった。誰かに会いたかった。一人はしんどかった。
こんな時間では、まだ誰も来ていないだろう。レストランに続く階段を昇る。しんと静まり返ったレストランに勿論人気はなくて、私は何となく心細いような気持ちを抱えながら、昨日狛枝くんが座っていた席に腰を下ろした。食事を摂るのも一人では味気ないし、早く誰か来ないだろうか。そうぼんやり考えていた私の背後に、唐突にその人は現れた。
「おはようさん」
びくりと肩が震える。気配がしなかった。驚いて振り向くと、想像通りに狛枝くんが私を見下ろしていたから、ほっとして微笑みかけた。「あ、おはよう狛枝くん、早いんだね」昨日狛枝くんがしてくれたように、私は彼に向かいの椅子に座るよう促す。だけど。
「さんの近くに座るなんてごめんだよ」
彼はそう、悪びれもせずに言ったのだった。私の聞き間違いだろうか。何だか予想もしていなかった言葉を吐き出された気がする。「……え?」と首を傾げた私に、狛枝くんは両手を広げて、さらに大きな声で続けた。輝く笑顔で私のことを貶したのだった。
「あのね、さんの傍って臭いんだ! あと、キミの笑顔、悪いんだけどさ、見てると吐き気がするんだよね。自分では気が付いてないみたいだけど、キミって相当酷い顔してるよ?」
何を言っているのかよく分からなくて、いや、分かってはいるんだけれど、信じられなくて、私はただ口を開けて、狛枝くんの顔を見つめた。「そうその顔! 最低だよ!」さすがに泣けてきた。
「こ、狛枝くん、わ、私のこと、そんなに嫌いだったの……?」
「この世界で最も嫌いな人間だね」
「間髪入れずに即答された……」
「視界に入るだけでうんざりするんだ。嫌いなモノって、存在するだけで許せないよね」
胸がじくじくと音をたてた。嫌いと連呼されると、随分堪えるものなのだと、私は初めて思い知る。しかもその相手がよりによって狛枝くんだなんて、辛すぎる。頬を抓っても死ぬほど痛い。なんだかお腹まで痛くなってきた。夢じゃない。これは現実で、つまりそれは狛枝くんが私のことを本当に、嫌っているということだ。冷静に考えたら視界がぼやけてきた。
「ボク、キミの泣き顔はとりわけ嫌いなんだよね。それでボクの気でも引けると思った?」
「……そんなこと」
「あるでしょ? そうじゃなきゃそれって嫌がらせ?」
「おい狛枝!」
その声に滲み始めた涙を慌てて拭いて顔をあげると、そこには日寄子ちゃんが立っていた。仁王立ちをした彼女は腕を組んで、自分より頭何個分も背の高い狛枝くんを睨みつける。
「あんた何、おねぇのこと泣かせてんだよ!」
「は? ボクが? 何言ってるの、西園寺さん。さんが勝手に泣いてるんだよ?」
「嘘吐け! わたしは見てたんだからね! あんたがおねぇを貶しまくってるところ!」
「ひ、日寄子ちゃ、あの」
「おねぇは黙ってろ!」
「いやあ素晴らしい友情だね! 全然羨ましくないけどね!」
日寄子ちゃんの凄まじい気迫に涙はすっかり引っ込んだ。私は睨み合う二人の顔を見比べながら、混乱している。この状況をどうするべきなのか。考えるけれど答えが出てくることはなくて、それよりもずっと、狛枝くんが日寄子ちゃんに爆弾を落とすほうが早かった。「あ、そうだ西園寺さん」薄く微笑んだ彼は、小さく首を傾げる。
「ボク、小泉さんを見かけたよ。映画館のあたりで」
日寄子ちゃんが青ざめ、とうとう言葉を失う。それでも狛枝くんは、いつか裁判で見せたような狂気じみた瞳で彼女を見つめていた。彼女を追い詰めるように、言葉を吐き出し続けた。
「生きていたんだよ彼女は! 死んだふりをして隠れていただけだったんだ!」
「狛枝くん、それは」
「今から捜しに行ってみたらどうかな? きっと彼女も西園寺さんに会いたがっているはずだよ!」
「……っ!」
狛枝くんに殴りかかろうとした日寄子ちゃんを咄嗟に抑える。「離せ!」日寄子ちゃんはそう叫んだけれど、私は首を振った。私よりもずっと小さいはずの彼女の力は、想像以上に強い。必死で羽交い絞めにする私と、腕の中で暴れる日寄子ちゃんを見て、狛枝くんは笑っていた。
訳が分からない、何故狛枝くんはそんな嘘を言うのか。疑問で頭がいっぱいになって、上手く思考が働かなくなった頃、誰かが泣きながらレストランに入ってきた。もうその時点で、あ、やっぱりこれは、夢だと、そう思うことにした。痛みを伴う夢もあるのだ。だってこんなの、あり得ない。ぐずぐずと鼻を啜りながら私たちの前に現れたのは、昨日自分を守って死にかけた弐大くんにすら涙を見せることをしなかった、終里さんだったのだから。
「う、うええ、けんか、しないでえ……!」
終里さんが、一番涙とは無縁と思われた彼女が、弱々しく肩を震わせて泣いている。日寄子ちゃんと顔を見合わせた。日寄子ちゃんの体から力が抜けていくから、私はやっと彼女を解放する。「なにこれ」呟いた日寄子ちゃんの言葉に、私は何も答えることができない。狛枝くんはまだ何かを口走っている。何がどうなっているのだ。収拾がつかない状況に途方に暮れた、その時だった。
「お、おいなんだよこの状況は」
この惨状を見回して引き攣った笑顔を浮かべている日向くんが、そこにいた。