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「おかしいよ! 小泉おねぇが死んだのも辺古山が死んだのも! 全部こいつのせいじゃん!」



 階段を昇りきった瞬間、日寄子ちゃんのそんな声が聴こえた。何事かと声のする方を覗き込めば、日寄子ちゃんは床に膝を開く形で正座をした誰かを指差して怒鳴り続けている。彼女の鮮やかな色の着物でほとんどその人の姿は見えなかったけれど、日寄子ちゃんの叫ぶ言葉の内容から、それが誰かは自ずと分かってしまうのだ。



「こんな人殺しは仲間じゃない!」



 怪我を負った右目に黒い眼帯をした九頭龍くんは、その言葉にぐっと目を閉じた。



「おいおい、何事だよ」



 私の後から階段を昇ってきた日向くんも顔色を変える。だけど、そんな言葉で日寄子ちゃんの怒りは収まらない。きっと、唯吹ちゃんは九頭龍くんの復帰を朗報として伝えるために私たちを呼びに来たのだろう。けれど日寄子ちゃんだけは彼の無事を喜べなかった。彼女の言い分は尤もだ。仲の良かった真昼ちゃんを殺され、挙句に犯人に仕立て上げられ、裁判では疑惑の眼差しを向けられた彼女が、そう簡単に彼の存在を飲み込めるわけがない。私は涙の浮かんだ大きな目で九頭龍くんを睨みつける日寄子ちゃんの姿を、息を呑んで見つめていることしかできなかった。
 その瞬間、九頭龍くんが膝を付いて土下座した。そう思ったのだ。彼の体の下から、じわじわと真っ赤な血が広がっていかなければ。
 隠し持っていた短刀で、彼は自分の腹を切った。そう簡単に許してもらえるわけがないことくらいは分かっていると、途切れ途切れに彼が呟いた言葉が、誰かの悲鳴にかき消された。
 レストランの真ん中にみるみる広がる血だまりは、つい最近見た真昼ちゃんのそれに良く似ていた。日寄子ちゃんもそれを思い出したのだろう。青ざめた顔で二、三歩後ずさる。その背後には、死んだ皆を弔うための手作りの祭壇があった。
 無造作に貼りつけられたのは、真昼ちゃんが撮った写真だ。探索をしていたときの後ろ姿、お菓子作りの最中の横顔、パーティの写真、弐大くんと終里さんの手合せ、花村くんがスーパーで食品を物色する真剣な目、千秋ちゃんがゲームに夢中になっているその後ろで、ソニアさんと田中くんがおしゃべりをしている姿も、罪木さんが転んで、狛枝くんが起こしてあげているところも、肩を並べた日向くんと左右田くんの笑顔も、九頭龍くんが腕を組んでそっぽを向いて、辺古山さんが遠巻きに彼を眺めている様子も、日寄子ちゃんが無理を言って撮ったのだろうアングルの真昼ちゃんとの自撮り写真も、私が十神くんと向かい合ってパンを食べているところも、きちんと収められて、その中で皆は、楽しそうに笑っている。
 この祭壇を作ったのは、日寄子ちゃんだ。祭壇自体はあまりセンスが良いとは言えないし、一見おどろおどろしい。だけど、それを彩る写真は、きっと皆に勇気を与えていたはずだ。これを作った日寄子ちゃんが、本当は優しい子なのだということは、もうここにいる全員が知っている。
 悲鳴をあげながら九頭龍くんに駆け寄った罪木さんが、左右田くんと弐大くんに彼を病院に運ぶのを手伝ってもらうように頼んでいる。日寄子ちゃんはぐったりとしている九頭龍くんを見送ると、そっと目を伏せた。「……大丈夫だよ」思わず呟いたら、日寄子ちゃんは私の顔を見上げた。それまで噛みしめられていた彼女の薄い唇は切れて、血が滲んでいた。








「ねえさん。ちょっといいかな?」



 九頭龍くんの残した、血痕と言うには多すぎる量の血の痕を千秋ちゃんと拭き終える頃、突然背後から声をかけられた。この声は、狛枝くんだ。跳ねた心臓の鼓動を確かに感じながら、日向くんの言った「関わるな」を思い起こして、私の目の前でしゃがんでいる千秋ちゃんに縋るように視線を送る。けれど千秋ちゃんはゆっくり瞬きをすると、考え込むように首を傾げてから私にだけ聞こえるような小さな声で呟いたのだ。



「さて、ここも綺麗になったことだし、ちょっと下でゲームでもしてこようかなあ」



 え、と声をあげた私を振り切るように、千秋ちゃんは素早く雑巾を片づけるとそのまま階段を駆け下りて行く。混乱する脳はなかなか正常に思考を重ねてはくれなかったけれど、静まるレストランに残されたのが、私と、背後に佇む彼だけだという事実は揺るぎようがなかった。



「あれっ? 七海さん、行っちゃったね?」



 ひょっとしてボクたちに気を遣ってくれたのかな。さらっと吐き出す狛枝くんに、恐る恐る向き直る。彼はいつもと変わらない穏やかな笑みを私に向けていた。昨日目があったときの、悲しみの染み込んだその瞳がまだ残っているのではないかと思っていた私は、どこか安堵しながらも、じり、と距離を取る。だって、まだ私は整理できていない。どうしたら良いのかを分かっていない。
 しかし、時間を稼ぐために後ずさりをしたのは失敗だった。彼は私が下がった分と同じだけ、距離を詰めてくるのだ。段々と壁際に近づきながら、このままだと壁に追いつめられてしまうと気が付いた私は、結局壁に頭をぶつけるよりも先に逃げるのをやめた。



「あっ残念」



 狛枝くんの発言から鑑みても、彼が良からぬことを考えていたのは容易に想像がつく。胸を撫で下ろす私に、狛枝くんは辺りを見回した後、手近にあった椅子を二つ引いた。「どうぞさん」と私に座るよう促すその爽やかな笑顔に、ここから逃げるのは無理だと判断した私はとうとう観念する。彼の隣ではなく向き合う形で別の椅子に座った私に、狛枝くんはあからさまにがっかりしたような表情を浮かべた。



「何でそっちに座るの?」



 その質問に馬鹿正直に答えるのは憚られた。関わるなと言われたから。いや、それよりも狛枝くんといると何かを思い出しそうになって苦しいから、思い出したらまずいような気も、するから、私はまだ決めかねているから。様々な答えが頭を過ぎるけれど、私はそれらよりも、そもそもここまで私を悩ませている原因になった出来事を、一番気にしていたのだ。



「……また、ああいうことやられたら嫌だから……」

「ああいうこと?…………」

「えっ長考……?」

「……ああひょっとしてこの前のアレのこと? キミの手を舐め」

「良いの言わないで!」



 最近はあえて思い出さないようにしていたのだ。頬に熱が籠るのを、私は両手で覆い隠した。でも、だめだ、彼に手を見せると変に興奮されてしまうかもしれないのだ。どうしようもなくて、結局腕を下敷きにテーブルに突っ伏した。少々の間を置いたあと、狛枝くんの噛み殺したような笑い声が頭の上に降ってくる。それでも顔をあげられなくて、私はそのままの姿勢で「なんで笑うの」と唸るように呟いた。



「いや、最近避けられているような気がしてたんだけど、ボクのせいだったんなら仕方ないなって」



 本当は今、その理由を聞きに来たんだと、彼はどこか安堵したような柔らかな声を吐き出す。息を整えてからゆっくりと顔をあげると、狛枝くんは眩しそうに目を細めながら私のことを見つめていたから、戻りかけた体温が再び上昇するのを感じた。



「……嫌われちゃったかと、思って」



 私は、狛枝くんのことが好きだ。理由も分からないままに、好きだ。だから、彼にこんな顔をされると困ってしまう。「良かった」そう言う彼に思わず首を傾げた。その笑顔に泣きたかった。



さんがボクを嫌ったんじゃなくて」



 そんなこと、あるわけないのに。
 だけど私はどうしてそんなことあるわけないだなんて平気で思えるんだろう。私たちはお互いのことを何も知らない。なのにどうしてこんなに執拗なまでに、傍に居ようとするのだろう。私だけじゃない。狛枝くんだってそうだ。どうして彼は他の人ではなく、私に固執するのだろう。私の希望に惹かれている、彼は確かにそう言った。だけど、それがどうして私なのだ。超高校級の才能を持っているのは私だけじゃない。ソニアさんは立っているだけで圧倒的な存在感を放っているし、罪木さんは献身的に看病をしてくれる。弐大くんはこんな島でも終里さんのトレーニングをしているし、左右田くんだって適当なパーツで思いついたものを何でも作ってしまう。
 私なんて、ピアノが弾けるといったってこの島では何もできない。鍵盤の類がどこにもないのだ。暇つぶしに曲を作っているだけの、名ばかりの超高校級だ。彼は私のピアノなんか聞いたこともないし、私が採った楽譜を見たこともない。なのに彼は私の希望に惹かれていると言う。
 関わるなと言う、日向くんの言葉が不意に蘇る。もしも私がこの島で彼と必要以上の接点を持っていなかったら、どうなっていたんだろう。旧館の掃除の手伝いも申し出ず、最初の裁判で豹変した彼を遠巻きに眺め、縛り上げられた彼を気に掛けることなく日々を過ごしていたとしたら。だけど、そんなの無駄なもしも話だ。
 もしも時間が巻き戻ったって私はきっと彼のことを追いかける。私自身の、腕や足や脳や皮膚や、指が、そう言っている。細胞単位で、私は彼を求めている。顔をあげて彼の目を見たら、その睫毛が光に透けた。吐き出した息が震える。



「いつか、キミのピアノが聞きたいな」



 私が身体を起こしたことで無防備に晒された左手の甲に、狛枝くんが触れた。慈しむように、私の薬指と小指に彼の指が重なる。私はそれを、嫌だと振り払うことができない。



「きっと希望に満ち溢れた、素敵な演奏なんだろうね」



 彼は希望を求めている。きっと私がいなくても、私ではない人の希望を追う。私はそっと目を伏せる。それが真理だ。真実を知ったら、彼はどうするのだろう。隠していたことを、詰るだろうか。想像するだけで打ちのめされる。鼻の奥が痛むのを感じながら、私はぼんやりと、それでも狛枝くん、私は、やっぱりあなたの傍にいたいなと、思うのだ。どんなになっても一緒にいたいな。あの声を、過去を、思い出せても思い出せなくても、どっちでもいい。あなたが求めるものが私の希望でも、ピアノでも、それがない私には価値がないと、そう思っても、私を見てくれなくても、いい。良いから、だから、どうか、どうか、傍にいさせて。奪われた記憶の中で、掠れて輪郭だけになった私がそう言っているような気がした。
 不意に蘇ったモノクマの呪いのような言葉をお腹の奥底に押し込んで、私は狛枝くんに無理やりに、微笑む。引き攣った二本の指に、知らんぷりをしながら。


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