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 治療のためにとモノクマに連れ去られてから、一夜が明けても戻ることのない九頭龍くんの容体を心配する私たちの前に現れたモノミは、その場にそぐわぬ明るい声で第三の島へ行けるようになったと告げた。「今度こそみんなで楽しく暮らそうね!」この島に来たばかりの頃からそう言い続けている彼女は、今回もまた私たちを励ますように明るく拳を突き上げる。
 世界の破壊者であるというモノミを信用できないこともあってうんざりしたような気持ちになってしまうが、私たちがこの島から脱出する方法を探るには新しい島の探索をすることは不可欠だ。第三の島に危険がないとも限らなかったけれど、手分けをして探索を始めることにした。








「うーん……酷い出来だったね……」



 数分程度の映画鑑賞を終えて、千秋ちゃんは椅子に座ったまま呟いた。「もしかしたら何か起きるんじゃないかって最後まで頑張ってみたけどだめだった……。危うく寝落ちするところだったよ……」欠伸を噛み殺す彼女の目は言葉通り眠たげだった。私は爪先に視線を落とす。
 その島は、リゾート地らしからぬ寂れた気配を残していた。
 そこは薄暗い病院やお世辞にも綺麗とは言えない外観のモーテル、ライブハウスに電機街が立ち並ぶ、あまり雰囲気が良いとは言えない島だった。そして最後に辿りついた映画館を何気なく覗いてみたところで待ち受けていたモノクマに強引にシアターに押し込まれ、自主制作映画を見せられる羽目になってしまったのだ。
 酷い出来だったと千秋ちゃんはぼやいたが、私は全くその内容を理解できていなかった。私の頭の不出来のせいではなく、単純に集中することができなかったのだ。
 暗くなった室内に昨夜の狛枝くんの手を思い出した。画面が光る度に彼の優しい笑顔が瞼の裏に浮かんだ。ナレーションをかき消すように狛枝くんが言う。「ボクはキミの、そういう不安定でひたむきな希望が好きだよ」それだけで私は、呼吸の仕方を忘れてしまう。
 今朝、私は狛枝くんにレストランで挨拶をされても碌に返事もできなかった。真昼ちゃんと辺古山さん、九頭龍くんのいなくなったレストランは昨日までよりずっと広々としていたから、余計に、何もかもに追いつめられたような気持ちになった。唇を真一文字に結んだまま目を逸らした私に、彼が一体どんな表情をしていたのか、だから私には分からない。



ちゃん」



 呼ばれて顔をあげた。千秋ちゃんは私の顔をじっと見て、どこか心配そうに首を傾げている。



「……具合でも悪いの?」



 私は慌てて首を振った。そんなにぼんやりしていたのだろうか。彼女の反応を見るに、していたのだろう。気を遣わせてしまったみたいで申し訳ない気分になる。



「なんでもないよ。映画も終わったし、そろそろ出ようか」



 無理に張り上げた声に、千秋ちゃんは少しだけ納得いかなそうに眉根を寄せたけれど、促されるままに立ち上がった。








 シアターから出たところで再びモノクマに捕まった。映画館限定のグッズを買っていかないか、ということだったけれど、私たちはそれを確認するまでもなく断った。しかし、モノクマから解放されてほっとしたのも束の間、長居する必要はないと二人で映画館を出たところで私はばったりと出くわしてしまうことになる。よりにもよって私が避けに避けていた、狛枝くんと。



さんに七海さん、偶然だね」



 彼は私の顔を見て、分かりやすく顔を明るくした。



「これもボクの幸運のおかげかな? 実はさっきそこの溝に嵌って服を汚したところだったんだ! 不運な目にあったから、これからどんな幸運が起こるのかと思っていたけれど、キミに会えるんだったらあれくらいどうってことない不運だったね。ねえキミたちは何をしていたの? ひょっとして、映画館の中を調べていたのかな?」

「……そうだよ。キミはこれから?」



 黙ったままの私の代わりに千秋ちゃんがそう答えてくれた。千秋ちゃんは狛枝くんに、中に入ったら面白くない映画を見せられる羽目になるとわざわざ教えてあげているけれど、私はもう、逃げ出したくてたまらなかった。特別暑くはないはずなのに、首筋を汗が伝う。
 千秋ちゃんの影に隠れるように狛枝くんの姿を見たら、目が合いそうになって呼吸が止まった。動悸がする。手に残った感触は消えてくれない、あんなことをされて、簡単に忘れられるわけがなかった。でもそれだけではなくて、なんだか頭が痛くなるのだ。彼の仕草や、影形や、声や空気や丸ごとの存在感が、私に何かを思い起こさせようとするようで。厳重に鍵がかかった箱に突っ込まれた何かは、そう簡単に私の前に姿を現してはくれそうにないけれど。
 何だか、前にも似たようなことがあった気がする。だけどそれがいつだったかを、明確には思い出せない。「また来てもいいかな」昨日からずっとずっと、そう誰かが私に囁いている。



「……さん」



 不意に意識を戻されたのは、千秋ちゃんが私の服の袖を軽く引いたからだ。慌てて顔をあげた先に、狛枝くんがいる。私の名前を呼んでいる。それだけで体中の毛穴から汗が噴き出て、倒れてしまいそうだった。狛枝くんが笑う。



さん、ボクと一緒にもう一回映画を観ない?」



 こんな状態で、そんなことできるわけがない。








 狛枝くんと別れた後も私は疲弊しきっていた。体力を目いっぱい吸われた気分だ。喉がからからだし、目の奥がずんと痛い。だけど、もっと痛いのは私の体にぶらさがる手だ。なんとか千秋ちゃんの隣を遅れないように歩いていたけれど、やっぱり口数だけはどうしても増えなくて、とうとう私は千秋ちゃんに止められた。「ちゃん、ストップ」千秋ちゃんは、私の顔を覗き込む。



「大丈夫?」

「え」

「今日のちゃんは、やっぱり調子が悪い……と思うよ」

「あ、えっと……そう、だね、調子……悪い、かも」



 言葉に詰まって、彼女の言葉をそのまま返した。視界の端で、電機街の目障りな明かりがちらつく。派手な髪の色をした男の子が嬉々としてお店を覗いている後ろ姿が見えた。あれは、きっと左右田くんだ。何だか喧しい景色が煩わしくて、私は結局千秋ちゃんの方に目線を戻す。


「お腹が痛い? 頭かな? それとも、胸?」



 言われてどきりとした。思わず触れてみる。特別目立った膨らみのない私の胸は、痛かった。のかもしれない。ぐるぐるして気持ちが悪かったのは、ここが苦しかったせいなのかもしれない。目を見開いたまま上手く声が出てこなくて、ただ千秋ちゃんのことを見つめていた。千秋ちゃんは眉尻を下げて、困ったように微笑んでいる。



「冗談、だったんだけどなぁ」



 私には分からない痛みだなあと、ぼやくように、耳をそばだてていなければ分からないほど小さな声で彼女は続けた。それが泣きそうな声に聞こえたのだ。



「……狛枝くんのことだよね?」



 返事も、頷くことすらも出来ない。ただ急に視界が塗り潰されたような気分になった。声がべたりと喉に張り付いて、私は千秋ちゃんとただ見つめ合う。
 私は狛枝くんが気になっていた。ずっとずっと気になっていた。自己紹介をした時も、ジャバウォック公園でコロシアイをしろと言われて彼が小さく微笑んでいた時も、ずっとずっと彼を見ていた。私は彼を見ていなくてはいけなかった。あれは強迫観念に近かった。
 だから私は、辺古山さんの言うようには、優しくなんかないのだ。気遣っていたわけではない。お人好しなんかじゃなかった。



「わ、私」



 ホテルの旧館の掃除を手伝いに行こうとしたのだって、それが、彼だったからだ。他の子だったらどうしたか分からない。行かなかったかもしれない。十神くんが死んだ時、裁判で豹変した狛枝くんをそれでもまだどこかで救いようのない人だって思うのは間違いなんじゃないかと期待して、縛られた彼に健気に食事を運んだ。それだって、それが狛枝くんだったからだ。真昼ちゃんが代わりに行ってくれたと聞いて、私は、本当は嫌だなって思った。狛枝くんに私だけを見てほしかった。そうする理由が分からないんだって辺古山さんに嘯いた。彼が私の手に触れるのを懐かしく、心地よく、愛しく思っていたくせに。本当は気付いていた。私が彼を特別に思っていたからだ。



「……私、なんで狛枝くんのことが好きなんだろう」



 考えるよりも早く、口から言葉が出ていた。私は瞬きを一つする。わからない。わからない。わかるわけがない。出会って数日なのに、何にも彼のことを知らないのに、あんなにおかしくて、何を考えているのか分からない人なのに、なのに、なのに狛枝くんは、すごく綺麗に笑う。まっすぐ私を見て、不純物や濁りの一切ない、きらきらした子供みたいな目で笑うのだ。私はその目を見て、彼に触りたいと思ってしまった。これは純然な恋だった。



「なんで、かあ」



 目を見開いたまま動けないでいる私に、千秋ちゃんはじっと考え込んで、やがてそっと呟いた。「あのね」と。誰に聞かせるでもない独り言のような、それは柔らかな声音だった。



「そういうふうに、できてるんだよ」



 あなたたち二人は、さ。そう続けた彼女の方が、どうして泣きそうだったのか。
 千秋ちゃんが私の背中を撫でる。優しい感触に目を閉じる。「また来てもいいかな」私は耳にこびり付くその声に、訳も分からず小さく首を振る。私の左手には毒がある。


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