16



 私はあなたのために生きていたかった。
 消え去る瞬間までずっと、あなたのためだけの私でありたかった。私などどうなろうと構わないから。こんなことを言ったら、きっとあなたは顔を歪めて笑って、馬鹿だなと呟くのだろう。
 でもいっそそれで良かった。
 十三の目が私を見る。








 時間が無い中での偽装工作などたかが知れていた。いくら西園寺を犯人に仕立て上げるための準備を前もって行っていたとしても、そもそも殺し方がまずかったのだから。金属バットで頭部を殴られた小泉は呆気なく死んだ。それでも動かなくなった彼女を見て、「彼」の中で燻っていた怒りや悲しみや絶望が、少しでも晴れたなら良いと願う。



「終わりましたよ」



 小泉はかつて「彼」の妹を殺した女の共犯者であった。
 あれを、モノクマが用意したゲームの中の話であるなどと割り切ることは私たちにはできなかった。クリアした後に与えられた彼女の死を映した写真は、偽物だと言い切るにはあまりにも生々しかったのだ。彼女は、一人の人間として自立していたとは決して言えなかったけれど、兄である「彼」を心の奥では慕っていたし、幼い頃はどこに行くにもくっ付いて回っていた。写真を介してとはいえ、その彼女が頭から血を流して息絶えている凄惨な姿を目の前に差し出された「彼」の絶望は、計り知れない。「彼」は彼女を、愛していた。
 小泉を殺すつもりだと「彼」は言った。だけどそんなこと「彼」には出来ないだろう。優しい人なのだ。誰よりも。その道を歩くには、まだ頼りない程に。だからこそ私は「彼」のために生きたかった。「彼」の傘になる。そうあるべきだと信じていた。だからどうか、誰も「彼」を汚さないで。
 だから、この件について話し合うためにビーチハウスに呼び出した小泉が、「彼」が怒りを露わにしたことで目を背けていた事実を指摘したとき、胸が音を立てて濁った。



「あのゲームが真実だって言うなら、確かに妹を殺されたアンタは可哀想だと思うよ」



 その瞬間「彼」が息を呑むのが、隠れていたベンチの下からでも手に取るようにわかった。小泉は「トワイライトをやってみろ。それをやれば思い出すはずだ」と綴られた「彼」からの手紙を読んで、言う通りにあのゲームをクリアしたのだろう。そして、真実を知ったはずだ。彼女の友人であるE子が「彼」の妹を殺したことを、彼女自身がE子を庇うために証拠を処分していたことを。そして、その後E子が何者かに殺されたことを。「だけど、アンタは復讐のためにE子を殺した」小泉が吐き出した声は、震えていた。



「アンタに、そんなことをする権利はなかったはずだよ!」



 言い切る前に、「彼」が隠していたバットに手をかけたのが見えた。








 私の役目は「彼」を何者からも守ることで、私はそのために生きていて、そのために生まれてそのために捨てられた。梅雨の日、タオルケットに包まれた私は、「彼」のために生かされた。あの日から「彼」は私の全てでした。この気持ちをなんと言ったらいいのか私には分からないけれど、「彼」の存在こそが私の骨や血や肉や皮を形成して、人格を作り上げて、生きる意味を与えてくれた。
 傍にいたかった。いるべきだった。私よりも「彼」が先に死ぬことなど、あっていいはずがない。所有物である私は「彼」のために死ぬべきで、「彼」は世界中の人類の誰よりも長く強く生きなければいけなかった。だから私はベンチの下から飛び出して「彼」の手にしたバットを奪い小泉を殺したのだ。私が彼女を殺したのだ。私の才能は、あなたのために使う。
 いつまでも汚れないでいてほしかった。そのためなら私がいくらでも泥をかぶって血を流そうと決めた。あなたが汚れる必要はないのだ。真っ直ぐ前だけを見て生きていればいい。今までのようにこれからもずっと、悩んで迷って苦しみながら光の方へ向かっていけばいい。
 あの海沿いの防波堤を歩いた中学の冬も、喧嘩するお二人を宥めた夏も、車に跳ねられかけたあなたを、身を挺してお守りすることのできた春も、野良猫に逃げられた秋も、私は全て覚えているから。私などいらないと言うならば、それで構わない。それでもあなただけは、綺麗なまま生きて。真っ新なまま生きて。どうか、頼むよ。








 殺害現場となったビーチハウスから「彼」を逃がした私は、小泉の死体でレストラン側の扉を塞いだ。シャワーが壊れていたので、冷蔵庫にあった水を頭から被って返り血を洗い流すと、眠らせた西園寺の居るクローゼット内に身を隠す。万が一小泉を殺すことになってしまった場合を考慮して、予め罪を被せるつもりで呼び寄せておいた彼女には、申し訳ないことをしたと思っている。だが、私の役目は誰よりも小泉を殺す強い動機を持つ「彼」を、守ることだ。そのためにはいくらでも嘘を吐くしいくらでも犠牲を出すしいくらでも、いくらでも、こんな命、捨て去ろう。
 身を隠している間、この島に来て出会った彼らのことが頭を巡った。こんな私を、友人のように扱ってくれた彼らを、私は、たった一人「彼」のために、死んでほしいと思っている。死んでほしい。死んでほしい、死んでくれ、頼むからどうか、「彼」のために。「彼」がひとり生き延びて、この島を出るために。お前たちは死ぬ。



「なんでだろうね」



 不意に、暗闇の中で誰かの声が聞こえた気がした。その横顔が鮮烈に蘇った気がした。人のために泣く彼女は、美しかった。








 西園寺の容疑は私の数々の失策の結果、晴れた。詰めが甘かったのだ。それでも次々と暴かれていく真実に私が冷静でいられたのは、「彼」よりも私の方に疑惑の矛先が向いたからだ。「彼」だけは私を庇おうとしていたけれど、別に、良いのだ。私は、「彼」に逃げて欲しい。私が「彼」の傍にいられなくなった後、こんな狂った島で戦わなくてもいいように、一人でこの島から出て欲しい。
 長い討論を経て投票が終わる。彼らが選んだのは私だ。殺人鬼を演じてまで投票を急かした私の計算通りだった。あとは「彼」が私という道具を使って小泉を殺したのだと主張するだけで良い。そうすれば、投票が間違えていたことになる。小泉を殺したクロである「彼」だけが生き延びることができる。
 私は道具だ。私は「彼」の剣で、盾で、感情なんてない「物」で、所有物で、世界は「彼」で出来ていた。「彼」が私の全てだった。だから、だから分からなかったのだ。
 不意に記憶の中の誰かの声が私の喉を絞める。「自分でも、よくわからないよ」あの日彼女はそう言った。左手を掴まれて顔をあげる。隣に立っているが私を見つめている。いつも弱々しく背中を丸めていた彼女が、潤んだ両の目をまっすぐ、射抜く様に。
 この女は、わけがわからない。私を乱す。私は「彼」の影を歩いていたいのに、無理やり引きずり出そうとする。が唇を開いた。震えていた。小泉の最期を思い出した。



「辺古山さんが道具で、感情がないっていうなら、なんで、あの時あんな顔で私の話を聞いていたの。なんで、羨ましいなんて言ったの」



 だから私は、お前が苦手だった。
 狛枝の傍から離れようとしないお前を妙な女だと思った。左右田たちが縛った狛枝は、それ相応の行いをしたのだ。なのにその話を聞いたは目を見開いて、他の誰もが特別な反応を示さない中、唇を噛みしめ目を伏せた。は皆が解散した後、すぐに食事を用意して、狛枝が監禁されているホテルの旧館へ入っていったきり、夜になるまで出てくることはなかった。
 狛枝は、花村に殺人を引き起こさせた張本人だ。それも被害者は十神だった。出会って数日足らずではあったけれど、彼はリーダーとして私たちを上手くまとめてくれていたし、だって彼を頼りにしていたはずだ。お菓子作りで余ったドーナツを十神にやっていたのを見かけたが、二人は随分と仲睦まじく見えた。そこには忠義とは違う、確かな信頼関係があった。
 だからこそ、彼女は彼を死に追いやった狛枝を恨んでいなければならない。憎みこそすれ、体調を気遣うようなことなどあってはならない。一日彼の傍を離れずにいるなんて、どういう心情なのだ。それとも復讐をするつもりで近づいているのだろうか。モノクマのアナウンスに釣られて旧館を出てきた彼女に声をかけた。驚いたのか、一瞬身構えたは、私が想像していた人物とは違った。あまりにも普通の、年相応の、私とはかけ離れた、あれは正しく「少女」だった。
 私はこの島に来て「彼」に、道具であることなど忘れて普通にしていろと釘を刺された。希望ヶ峰に入る時にも同じことを言われたのだった。普通が何か分からなくて、私は結局「彼」とは他人であるふりをしたけれど、私には生まれたときから「彼」の傍にいる理由があった。だから、も狛枝に対して何かあるに違いない。だがそれを推測するには情報が足りな過ぎた。あんなに執拗に尋ねたのは、何故だったのだろう。今でも分からない。「なんでだろう」は泣いた。



「自分でも、よくわからないよ」



 そんな言葉を、言ってほしかったわけではなかったのだ。
 彼女は自分を突き動かす衝動に従って狛枝の傍にいることを選んだ。私とは違うのだ。生まれながらに理由を与えられて骨身を溶かし、同化させた私とは決定的に違う。私はだけどそれでいい。「彼」の傍にいられるならどんな理由でもいい、なぜなら、なぜなら私は道具だから。何も考えてはいけないし感じてはいけない、「彼」のために生きるのにそれは必要ない。だけど、でも、それでも。自分の感情に任せて素直に泣けるを、私は羨ましいと思ったのだ。
 は今、またこうして目の前で泣いている。道具じゃない。辺古山さんは道具じゃないと、譫言のように繰り返している。余計なお世話だ。私の望みを断ち切るな。私は、「彼」に、九頭龍に、ぼっちゃんに、ただ一人、生き延びて欲しかった。生きて、生きて、生きて生きて生きて、この島を出てあの方の墓に花を手向けて欲しかった。私を置いてでも、置き去りにしてでも。そのためならこんな命、いらないと思った、思ったのだ。確かに鮮烈に誰よりも強く。震える声で、決意を込めた瞳で、ぼっちゃんは私をペコと呼ぶ。かつてのように。



「悪い、ペコ、オレにはやっぱり……ムリだわ……」



 ぼっちゃん。私はあなたを守りたかった。生まれてからずっとあなたの代わりに人を殺して生きてきた私にとって、誰かを殺すことに今更抵抗なんかなかった。たとえそれが友人であろうと。あなた以外を道連れにするつもりだった。あと一歩だったのに、あなたが私と言う道具を使って殺したと、私を感情なんてないただの物だと言ってくれさえすれば、それで全てが済んだのに。
 ぼっちゃん。覚えておいでですか。鞄をお持ちしますと私が言った中学の帰り道、あなたは酷く傷ついた目をしてみせた。私はその目の持つ意味が、今も分からないままだ。



「お前を道具だとは言えない。お前は道具になる必要なんてなかった。そのままのお前で、よかったんだよ!」



 目を見開いた瞬間、モノクマが小泉を殺した犯人は私だと宣言する。私の首に鉄の輪がかかる。顔面を蒼白にしたが、私の両手に力をこめた。ぼっちゃん、ぼっちゃんぼっちゃん、、泣くな。



「何でそれがわからねーんだよ、ガキの頃からずっと一緒だったのによお!」



 引き摺られる。の手が離れる。「だからペコ! まだ行くな!」見開かれた彼女の瞳から、あの夜のように涙が溢れた。ぼっちゃんが、叫ぶ、私を、呼んでいる。「オレにはお前が必要なんだ」だけどもう私は彼に触れることも、できない。



「オレを置いて行かないでくれよおッ!」



 ぼっちゃん、どうか私を、許して。
 もっと早く素直になっておけばよかった。この感情に気付かないふりをして、十余年を生きてきた、これは私の罰だ。彼女が羨ましかった。美しかった。彼女のように泣いておけば良かった、もっと早く彼の前で感情をぶつけていれば良かった。小泉を殺すと言った彼を止めておけば良かった、あなたはきれいなままでいてと、心に浮かんだその一言一句を、そのまま伝えておけば良かった。
 だけどやっぱり私は、あなたに生きてほしい。私が傍にいない世界でも、たった一人きりになっても、私と言う傘を失って汚れを一身に受けることになっても、生きて欲しい。私を背負ったまま、どうか、強かに、呪われることなく、孤高のまま、どうか、どうかどうか、生きて。
 私の刀が彼の瞳を潰す。私は最後に、絶望する。








 辺古山さんが処刑されようとするその瞬間、九頭龍くんが止める間もなく彼女の元に駆け出したのを、霞む視界で見た。


PREV BACK NEXT