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実際、九頭龍くんの例を思えば狛枝くんの言葉は真理なのだろう。ゲームをした方が先手を打てると言い放った彼は、ひょっとしたらもうあのゲームをプレイしているかもしれない。旧館の外の階段に座って目の前に広がるプールの水面を眺める。生温かい風が小さな波を作る度、太陽の光が水面に反射した。
コロシアイは起きると断言した狛枝くんの言葉を、私ははっきりとは否定できなかった。それどころか、彼が食事を終えると食器を下げることを理由に逃げるように外に出てしまったのだ。冷静ではいられなかった。狛枝くんの吐き出した言葉が皮膚にべたりとくっついて、どれだけひっかいても削げ落ちてくれない。
気持ちの落としどころを見つけられないまま景色を眺めていると、コテージの方から歩いてくる人影を見つけた。遠目からでもそれが誰だか分かったのは、彼女が他の誰よりも分かりやすいシルエットをしていたからだ。だからこそ私は彼女が視界の端に入り込んだ瞬間に、あれ、と思った。考えるよりも早く、私は彼女の名前を呼ぶ。
「日寄子ちゃん!」
小さく可愛らしい見た目とは裏腹に普段から毒を吐くことの多い西園寺日寄子ちゃんは、超高校級の日本舞踏家だ。あまりそっちの方面には詳しくないけれど、彼女の踊りは国内外で高い評価を受けているらしい。お菓子作り以降あまり彼女と会話をすることのなかった私とは違って、ここ二、三日の間に真昼ちゃんと日寄子ちゃんはすっかり仲が良くなったみたいだ。今日も一緒に出掛ける約束があると言っていたくらいなのだから。日寄子ちゃんは突然声をかけてきた私に怪訝そうな目線を投げてから、わざとらしく目を見開いて立ち止まる。
「あーっ! 甲斐甲斐しく狛枝おにぃの世話を焼いてるおねぇだーっ!」
真昼ちゃん経由だろうか。どうやら私が狛枝くんの食事を手伝っていることは既に知っていたらしい。言い返す言葉もなく苦笑していると「あんなやつの世話なんて、糞ビッチにでもやらせとけばよかったんだよー」と笑顔で畳み掛けるから言葉に詰まる。日寄子ちゃんは何が癇に障るのか、罪木さんのことをそう呼ぶのだ。
「で? わざわざわたしに声かけてきたんだから、勿論ちゃんとした用事があるんだよねー?」
「用事っていうか、真昼ちゃんと一緒じゃないのかなって思って」
「あー、小泉おねぇとは、午前に一緒にスーパーに付き合ってもらったよ。グミがなくなりそうだったからさー。あのグミすっごく美味しいんだよねー、食べたかったら一つくらいならあげるから、間違ってもスーパーから持って行かないでよねー。あれ、全部わたしのだからさー」
私にしっかり念を押すと、「じゃ、わたしは忙しいから行くねー」と言い残して、日寄子ちゃんはそのままホテルのロビー方面へ歩いて行ってしまった。
日寄子ちゃんと会って思い出したけれど、罪木さんもゲームをやるべきではないかと主張していたのだ。それに、あの時は黙っていても何か思う所があった人だっているかもしれない。花村くんがそうであったように。改めて考えると、もしかしたら皆既にゲームをやっているのではないかという疑心暗鬼に陥る。狛枝くんの言う通り、殺人なんて起きるわけがないと日和っている間に取り返しのつかないことになるかもしれない。モノクマが作ったあのゲームのせいで、また誰かが死ぬ。
考えすぎて頭が痛い。膝に額をつけて目を閉じれば、網膜に残った太陽の光が点滅する。どうにかしなければと思う。例えそれがモノクマの思惑通りだったとしても、それでも。
散々考えあぐねた結果、私は夜のアナウンスの後、こっそりジャバウォック公園まで向かった。狛枝くんにはコテージに戻ると言ったけれど、恐らく彼のことだ。全て御見通しだったのだろう。大広間を出る際、「もう暗いから、道中くれぐれも気を付けてね」と言われてしまい閉口した。
しかしいくらこの島が無人島であるとは言え、夜道の一人歩きは恐ろしい。誰かに見つかったら困るなんて考えずに、昼間に行くべきだっただろうか。長い橋を渡りきると星明りしか足元を照らすものがない。草むらの奥で何かが蠢いたように思えて、私は今度こそ走り出した。
そうして何とか無事に公園までたどり着いてほっとする間もなく、私は暗闇の中で目的の筐体から光が漏れているのを見つけた。そこに人がいることに気が付いて、口から悲鳴が漏れてしまう。モノクマの自信作であると言う『トワイライトシンドローム殺人事件』を一人でプレイしていた彼は、私の声に、ゆっくりと振り向いた。
「ひ、日向くん?」
それは、私と同じように狛枝くんに振り回され続けている、日向くんだったのだ。
「狛枝が余計なこと言うから、頭がグチャグチャして眠れなくてさ」
「そう、だよね……」
ゲームをプレイする日向くんの横で一緒に画面を見ながら、私たちはぽつりぽつりと言葉を交わす。日向くんは私が来る直前にゲームを始めたばかりだったらしく、物語はまだ導入部分で、さすがにストーリーを理解できないということはなかったけれど、そこまでの概要を日向くんが掻い摘んで説明してくれた。とある高校の女子生徒が、音楽室で変質者に頭部を殴られて死亡してしまった事件の謎を追う、謎解きゲームらしい。
「あいつの言い種には腹が立ったけど、そこまで言うんだったらやってやるって。……狛枝の良いように動かされてるのは癪だけどさ」
私も同じだ。制服を着た女の子が日向くんの手によって動かされているのを、曖昧に頷きながら見つめている。
音楽室で死んでいた女子生徒の第一発見者は用務員ということになっていたけれど、実際はこのゲームに登場する五人の女の子たちが先に女子生徒の死体を見つけていたらしい。D子が捜査の役に立てればと撮った現場の写真が、E子によって奪われるシーンが、生々しく描かれている。
「あのさ、」
不意に日向くんが呟いた。私はゲーム画面から目を離して、彼を見つめる。けれど日向くんは、ゲームをしているその手を止めようとしなかった。私は彼から目を離すことが出来ない。液晶の青白い明かりに照らされた日向くんの横顔は凛としていた。美しかった。
「この前の、十神がお前のことを話してたっていうの、覚えてるか?」
「え?」
「……あの日、旧館で凶器になりそうなものを集めているときに、の話になったんだ」
忘れてなんかいなかった。十神くんのコテージを調べた後、旧館に戻る道すがら日向くんが何か私に言いかけたのを、私は今も良く覚えている。私が頷いたのを確認してから、彼は続ける。
「あいつ、こうなるって予知でもしてたのかもしれないな。今思えばまるで遺言みたいだった」
日向くんの手首が動くさまを視界の端で見た。狛枝くんのものよりもごつごつとしていて男の子らしい、逞しい手だ。そういうことを考えていなければ心臓が壊れてしまいそうだった。日向くんの唇が息を吸うその瞬間まで、私は瞬きもせずに彼を見つめていた。そうするしかなかった。
「『は、俺と同じで、周囲の人間をよく観察しているようだ』」
突然吐き出されたそれは、淀みない。まっさらな雪のように。私が目を見開いても、息を止めても、日向くんは気にも留めずに続けていく。まるで劇の台詞を暗唱するかのように淡々と。やめてと言えたら良かった。このままではみっともないところを彼に見せてしまうと、分かっていたのだ。
「『だからこそ何かを見落としてしまったとき、後で必ず後悔する。立ち止まって動けなくなる』」
「日向くん」
「『だがそういうときに、大丈夫だと、ただ一言でも言ってやれる存在があるなら、あいつもまた進める、そういう人間だ』」
「ひ」
からからになっていた目に、水分が集まる。喉の奥がじんわりと熱を持って、私は、短く息を吐いた。「日向くん」どうにもならなくて、彼の名前をもう一度呼ぶ。そしたら、今度こそ彼は私の方を見てくれた。笑っていた、包み込むみたいに。なんてことだろう。足元の砂の上に何かが落ちた。ローファーに大きな染みが出来る。頭を垂れた私のつむじに、日向くんが言葉をくれる。
「死ぬ前に、十神がそう言ってたよ」
目の淵から涙が零れ落ち続ける。それは、間違いなく、十神くんのための涙だった。
裁判を終えてからずっと凝り固まっていた感情が溶けだす。ぼやけていた十神くんが輪郭を持って私の前に現れる。私はその幻が足元から泡になって消えていくのを見て、気が付いた。私が彼のために泣けなかった理由に、思い当たった。
私は彼がいなくなったことを、きちんと、正しく、受け入れられていなかったのだ。
「もうあいつはいないから、俺が代わりに言うよ」
花村くんを恨むこともできず、十神くんの存在をなかったことにもできなかった、狛枝くんの傍に居続ける私はまるで中途半端で、あれはただの現実逃避に違いない。
だけど私は今、ようやく十神くんが死んだことを受け入れられた気がした。こんな状況でも、私をきちんと見ていてくれた人がいた。私の後悔を殺してくれた。その瞬間、私の背負っていたものが僅かに軽くなる。「大丈夫だ」と、彼は言った。何度も、何度も確かめるみたいに。
「大丈夫だ、」
私は日向くんの言葉に、黙って頷き続ける。お礼を言いたくても、もう声が出ない。しゃくりあげて泣く私に、日向くんは一度だけ、短く震えた息を吐いた。