12
狛枝くんは昨日までと寸分違わず手足をきっちり結ばれた状態で、大広間の奥の方に横になっていた。その足元には恐らく日向くんが置いて行ったのであろうトーストとスープが手つかずの状態でトレイに乗せられている。背を向けていた狛枝くんは、私の足音に気がついて首だけをこちらに向けた。こんな状態でも「丁度良かったさん」と何でもないように笑う彼は、随分と浮世離れした存在に見えた。彼はその笑顔を、少しも崩しはしないまま一息に吐き出す。
「日向クンが、そのまま食事を置いて行っちゃったんだよ。悪いんだけどさ、さんさえ良ければ今日も食べさせてもらえないかな? 女の子に食べさせてもらうのって結構恥ずかしいんだけど、どうやらボクは日向クンを怒らせてしまったようだし、キミしか頼める人がいないんだ。あ、でも勿論、これから用事があるとかだったら、断ってくれて構わないんだけれど」
日向くんが来てくれたことがそんなに嬉しかったのだろうか。怒らせてしまったと言いながらも上機嫌に言葉を重ねる狛枝くんは、やっぱりどうしたって歪んでいる。彼の足元から無言でトレイを取り、彼の傍に腰を下ろした瞬間、その顔がぱっと輝いた。
「ありがとう、さすがさんだ」
「……私がそのつもりで来たってわかってるくせに、そういうこと言うんだねえ」
「何のこと?」
「またそういうこと言う」
言いながら、狛枝くんの顔をじっと見る。こうして良く観察してみると、なんだか、やっぱり裁判の時よりもさらに顔色が悪いように思えた。袖口から見える縛られた両手首は皮と骨しかないのではないだろうか。心なしか、瞳にも力が無い。
彼の監禁生活も三日目に突入している。さすがの狛枝くんもこの状態に耐えられなくなっているのかもしれない。同情心のようなものがむくむくと芽生え始める。いっそ解放してあげるべきじゃないだろうか。だけど率先して彼を縛った左右田くんや弐大くんに私がそう訴えたところで、狛枝くんこそが例の裏切り者だと思っているに違いない彼らがそれを受け入れることはないだろう。それに、きっとこの人が自由に動けることで不安を覚える人もいる。だからこそ狛枝くんは隔離されているのだから。 でも、いつまでもこのままと言うわけにもいかないのではと、自分の思考が同じ場所を回り始めたあたりで、私は千切ったパンが一向になくならないことに気が付いた。
「……食べないの?」
動かない狛枝くんに確認するように尋ねる。狛枝くんは私の指を見つめながら瞬きをしていた。そして唐突に、低い声で、「綺麗だな」と呟くので、私はそのままパンを床に落としそうになる。
「……え?」
「やっぱりさんの指はすらっとしてるね。左手の方がそう見えるんだけど、気のせい?」
「え、あ、ありがとう……。左手の方が、指がちょっとだけ長いせいかな……」
「長い? どうして?」
「左手の方がオクターブ分の指を開かなきゃいけないことが多いから、弾いてるうちに、だんだん」
「伸びちゃうんだ、すごいなあ。ね、今はできないけど、また今度触らせてもらってもいい?」
「はっ?」
パンの欠片は今度こそ私の膝の上に落ちる。目と口を思いきり開けて、しれっと発言した狛枝くんのことを見ていたら、頬がどんどん熱くなっていくのが分かった。また振り回されている。分かっているのに、苦しくなる。胸の鼓動が治まらない。狛枝くんの考えていることがさっぱり分からないのだ。もう少しわかりやすい人だったら、きっとこんなに苦労しないのに。
「だめだった?」
「だ、だめっていうか、えっと、そもそもその前に狛枝くんがこの状態から解放されないことには」
「ああそういう話? だったら大丈夫だよ」
「え?」
狛枝くんは浮かべた微笑を少しも崩すことなく、濁すでも勿体ぶるでもなく、言葉を紡ぐ。
「どうせすぐ新しい殺人が起きるんだから、そうしたら、ボクを縛っておいたところで無駄だって皆わかるでしょ?」
そりゃあ日向くんも怒って出て行きたくもなるだろう。
狛枝くんが話したことを繋げてみると、日向くんの発していた尖ったオーラの理由なんて推測するまでもなかった。狛枝くんはどうやら朝一番に旧館にやって来た真昼ちゃんから、昨夜モノクマが私たちに与えた新しい動機であるゲームの話を聞いていたらしい。それを踏まえた上で、自分たちの過去と関係があるゲームをやらないという選択肢を選ぶことは、問題から目を背けるだけで解決にはならないと、オブラートに包むこともせずに日向くんに伝えたのだそうだ。そのときの日向くんの心情が手に取るように分かるのは、私もまた、恐らく日向くんと同じことを考えていたからだ。なのに、指摘されてしまった。狛枝くんは、そういう私たちの甘えた内面まで見透かしている。
「さんも日向クンみたいに、殺人なんて起こらないって何の確証もなく思っているでしょ?」
冷えた体温が私の思考を固めていく。狛枝くんは縛られたまま私を見上げて笑った。それは、先日の裁判で彼が浮かべた笑顔にとても良く似ていたのだった。
「コロシアイは必ず起きるよ。動機がある限りね」
十神クンの次の犠牲者は、一体誰だろうね。その言葉に、膝の上からパンの欠片が転がった。