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「二つ目の島に行けるようになってね、レストランとかドラッグストアとか、あとすごく大きい図書館があったよ。私、あんまり本とか読まないから、中に入ったら眩暈がした。それでね、ソニアさんがすごいの。何語だったんだろう、外国の言葉をスラスラ読んで、そこにあったパンフレットを訳してくれたんだ」



 真昼間だというのに、鉄板の打ち込まれた窓から光が射すことはない。テーブルの数も、絨毯も、床板の隙間も、あの夜と何一つ変わらないのに、だだっ広いこの大広間は今は驚くほど寂しく、静かだ。唯一の出入り口である扉は閉めきられ、外の音は遮断されている。私の、ぼそぼそとした声や、身じろぎしたときの衣擦れの音だけが、ひんやりとした床の上に落ちていく。



「それから遺跡みたいな、大きな建物もあったなあ。パスワードが必要みたいで入れそうもなかったんだけど。モノクマでも入れないんだって。あれは何なんだろう」



 立てた膝に、顔を埋める。くぐもった声が潰れるように消えていく。
 私の寄りかかるこの壁のすぐ傍。手を伸ばせば届くほどの距離で、十神くんは死んだ。頭の先から、ごそりと何かが動く音がしたけれど、私はその音に顔をあげることもできない。



「モノクマがね、『世界の破壊者』っていう組織が私たちをこの島に連れてきたって言うんだ。その組織の一員が、私たちの中に紛れ込んでるんだって。その人が裏切り者だって。なんだかとんでもない話だなあって思ったよ。その話が本当だったら、私たちって途轍もないことに巻き込まれちゃったんだなあって。でも、多分本当なんだよね。本当だから、こんなことになってるんだよね、現実なんだものね。だから死んじゃったんだもんね」



 言葉が溢れて止まらない。回り続ける映写機が、私の網膜に彼らの顔を容赦なく焼き付けていく。暗闇だった世界で均等な赤い点がいくつも浮かんで、乾いた瞳で鼻を啜った。
 私のつま先のあたりに何かが当たったけれど、顔をあげたくない。ずっとこうして線を引いていたかった。他の皆みたいに知らんぷりをしたかった。だけど、だったら私はなんでここに来たんだろう。なんでこの人の傍にいるんだろう。縋るような、声が出た。



「なんであんなことしたの、狛枝くん」



 裁判が終わって、既に二日が経っていた。
 勇気を出して額を膝から離して、焦点の定まらない瞳を向けた。手足をロープで縛られて横たわった狛枝くんは私と目が合うと、あの裁判で見せた狂気を孕んだ色をその瞳に滲ませて、静かに微笑んでみせた。彼は水分の足りないかさついた唇をそっと開く。それは掠れた声だった。



さんは、こう言ってはなんだけれど、少し察しが悪いよね。人が良すぎるのかなあ」



 勿論こんな愚かなボクよりはよっぽど賢い人だって知っているけれど。そう続けた彼は、こんな状況でも楽しげに笑っている。
 十神くんが殺されたことで開かれた学級裁判は終わって、彼を殺した犯人はすぐさま処刑された。あれから二日だ。私たちの仲間が二人もいなくなってから、それだけの時間が過ぎていた。



「何度も裁判で言ったはずだよ? ボクは、君たちの希望がより輝く瞬間を見届けたいんだ。仲間の死を乗り越えて犯人を見つけ出す希望と、仲間を殺して最後まで逃げ切ろうという希望の、どちらがボクの求めている存在なのか、知りたいだけなんだって」

「だから、殺させたの? わざわざ彼を唆してまで、十神くんを」

「やだなあ、唆すだなんて人聞きの悪いことを言わないでよ。あれは不幸な事故だったんだ」



 その言葉に、気が付いたら体が勝手に動いていた。私は右手を振り上げて、縛り上げられたまま無防備に横たわるだけの狛枝くんの頬にその手の平を振り下ろそうとして、そして、制止された。他でもない、狛枝くんの声によって。「さん」低い声に思わずびくりと体が震える。



「だめだよ、さん。君の指を痛めるようなこと、ボクはしてほしくないんだ」



 掲げた手の平が、行き場を失くす。








 十神くんを殺したのは超高校級の料理人、花村輝々くんだった。
 花村くんはパーティ料理の仕込み中に、狛枝くんが殺人を犯そうとしていることを知った。その準備の一部始終を見ていた彼は狛枝くんを止めるために、パーティの最中、停電になる瞬間を待つことを決める。そして暗闇の中、床下の隙間からテーブル裏に張り付けられた蛍光塗料の塗られたナイフが動く瞬間を見計らって、鉄串でめった刺しにしたのだ。ただ誤算だったのは、彼が殺してしまったのが狛枝くんではなく、停電の中不穏な動きをした狛枝くんを止めようとした十神くんであったことだ。停電の瞬間、咄嗟の判断で暗視ゴーグルをつけた十神くんは、床下から鉄串が伸びてくるのを気づいていたにも関わらず、狛枝くんを助けるために彼を突き飛ばした。そして、刺し殺されてしまったのだ。
 狛枝くんは花村くんを庇おうとしていた。ただそれは純粋に彼を守りたいという気持ちからではなく「より強い希望」を見るための行動だったと彼は言う。だから遺体の検死をした罪木さんが、凶器をナイフではなくもっと鋭利な何かだと指摘して以降、花村くんが不利になって悪あがきを始めた瞬間、狛枝くんは驚くほどあっさりと彼を切り捨ててしまった。酷く冷たい目だった。「もう無理みたいだね。諦めようか花村くん」穏やかな笑顔が、その場に酷く不釣り合いだった。
 本当はお母さんに会いたかったのだと、花村くんは言った。
 私たちが数年の記憶を失っている間に、病気のお母さんと、お母さんが切り盛りする実家の食堂がどうなったのかを知りたかったのだと。だからこの島から出て、お母さんの無事を確かめたかったのだと。狛枝くんを殺そうとしたのは、私たちを守ろうとしたそれ以上に、この島を脱出するために必要な殺意が確かにあったのだと、泣きながら彼は告白した。
 なぜ私はあんなことを平気で言えたんだろう。人を殺せないと、どんなに大切な記憶でも人を殺してまで欲しいものなんてないと、皆が当然そうであると思っていた。



「全員が、のように考えていてくれたらいいんだがな」



 十神くんはきっと見抜いていたのだ。そうでない誰かも必ずいることを。
 十神くんの命を奪った人を許せないと思っていたはずだった。だけど花村くんの告白に、私の覚悟は呆気なく行き場をなくした。私には彼が帰りたいと強く思っていたことを責めることなんてできない。お母さんを心配する気持ちを誰も否定することなんてできない。私は花村くんのことをもっとよく知りたかった。ちゃんと話をしておけば良かった。私たちは励まし合うべきだった。
 花村くんは処刑された。








「ボクは、さんの才能を心から愛しているんだよ」



 狛枝くんは弐大くんと左右田くんによって縛られて、旧館の大広間に閉じ込められている。二つ目の島の探索が終わった後、そう白状した二人を責める人は誰もいなかった。「希望が見たい」だなんていう曖昧な理由で裁判をひっかきまわした狛枝くんを庇う、奇特な人間も。
 だけど弐大くんたちから彼を閉じ込めたという話を聞いて、あの裁判が終わってからずっと身動きの取れない状態でいる彼に、自主的に食事を運んだのは私だ。探索を終えたばかりの二つ目の島の状況や、裏切り者についての情報を伝えたのも。何を言われても、どんなに居心地が悪くても、悲しくなっても、殴りたくなっても、彼の傍にいることを選んだのは、私なのだ。



「……あのさ」



 狛枝くんが、私を見上げながら呟く。



「こう言ったら笑われるかもしれないんだけど、初めて見た時からずっと、ボクは特に、キミの希望に強く惹かれているみたいなんだ」



 狛枝くんが私の指をじっと見つめた。口元に笑みを携えたままの狛枝くんは透き通った、どこか生気のない瞳を私に向けている。



「……どうしてだろうね?」



 私はこんな思いをしてまで、彼に縋り付くみたいにして、十神くんの血だまりがあったこの部屋で狛枝くんの隣にいる。他の人たちのように知らないふりをすることもできず、彼を許すこともないまま、ここにいる。
 本当に、どうしてだろうね、胸の奥からこみあげてくる痛みの理由を、私はまだ知らない。


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