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 十神くんと別れてパーティ会場である大広間に入るや否や、中央に三角を作るように設置された三つのテーブルに並べられた数々の料理に目を奪われた。パーティ料理の定番である鳥の丸焼きや、見たこともないくらいに大きなエビ料理、きらきらした活きの良さそうなお寿司や果物が所狭しと並べられているのを見て、思わず「わあ~!」と感嘆の声をあげてしまう。



「あはは、すごく美味しそうだよね」



 背後から唐突に声をかけられて、危うくあと一歩で悲鳴をあげるところだった。振り向くと、今しがた私が入ってきたばかりの扉の真横で微笑んでいる男の人がいた。その声音で予想はついていたけれど、やっぱり狛枝くんだった。私は一瞬心臓が止まったような心地になる。



「う、うん、すごいね! いい香り!」



 どうにか妙な間を開けずに返事ができただろうか。緊張した頬の筋肉を不審に思われそうで、本当は俯いてしまいたかった。それでも私は彼の柔らかい笑顔を見ていたくて、無理をして笑顔を作る。声が聞き取りやすいようにか、わざわざ私の隣にやって来た狛枝くんの存在になぜだかくらくらするから、足に力を入れた。お腹の上のあたりがばくばくと音を立てて、苦しい。口いっぱいに広がる不愉快な唾液を静かに飲み込んで、自分の中に生まれた感情を殺す。



さん。足元気を付けてね。一応絨毯も敷いておいたけど、床板に隙間があいてるからさ」

「あ、本当だ……結構危ないんだね。……あの、お掃除、大変じゃなかった?」

「ん? ああ、そうだね。ここの大広間が埃とか蜘蛛の巣とか酷くてさ、倉庫とか、そっちの方までは流石に手が回らなかったよ」

「そっかぁ……一人でやってくれてありがとう」

「はは、そう言われると、頑張った甲斐があったよ。でも、やっぱりさんに手伝ってもらわなくて良かったな。本当に酷かったんだよ。あれは女の子のやる仕事じゃなかった」



 これって結局、僕がはずれを引いて良かったってことだよね、と屈託なく笑う狛枝くんの横顔を見上げる。こうやって会話を重ねていくと、それに比例するように気持ちが落ち着いていく。ついさっきまで動揺していた自分が嘘のようだ。正常に戻った心拍を確かめるために胸に手を触れる。優しい人の隣は、居心地が良い。
 勿論狛枝くんだけではなくて、女子の皆もいい子ばかりだ。十神くんも日向くんもしっかりしている。下ネタばかり口にする花村くんだって、癖はあるけれど悪い人ではない。男の子たちの中にはまだきちんと話をできていない子もいるし、それ以外にも心配なことはまだまだある。判明しきらない事実も指では数えきれない。それでも、こうして皆で一緒に居ればどんなことも乗り越えられるのではないかと、大広間で和やかに談笑している皆を見て、思うのだ。
 モノクマの言うコロシアイなんて起きない。失われた記憶が戻ると言われたところで、誰かを殺そうと考える人はきっといない。言い聞かせるように、そういう生温いことばかりを私は考える。いや、そう思いたかったのかもしれない。現実から目を背けているのは、とても楽なことだった。



「待たせたな」



 不意に十神くんの声が耳に入って、私ははっと顔をあげた。狛枝くんと話をしている間に大広間にはほとんど全員が集まっていたようだ。「花村は厨房か。……それと」ぐるりと会場を見回した十神くんは、入口に置いてあった二つの重厚なジュラルミンケースをどかりと足元に置く。
パーティ会場にそぐわないそれを凝視していると、隣の狛枝くんが「あれ、スーパーにあったやつだよ」と耳打ちしてくれた。そういえば、あそこには何が入っているんだろう。



「……九頭龍がいないな。まあ想定内だ。一人では何もできないだろうしな」



 言われて私も、九頭龍くんがまだ来ていないことに気が付いた。九頭龍くんは、この島に連れて来られたときからずっとぴりぴりして、他の人を寄せ付けようとしなかった。今朝の朝食にも現れなかったけれど、どうやらこのパーティにも不参加らしい。少しだけ気になるけれど、無理矢理連れてくるわけにもいかないし、今日のところは仕方がない。
 十神くんはやがて日向くんに声をかけると、一つのケースを抱えて厨房の方へと消えていった。どうやら、危険なものを回収して回るつもりのようだ。



「オレもさっきよぉ、十神の野郎にレンチとられたんだよ……」



 レンチ、とやらがどのような代物なのかは私には想像できないけれど、そう周囲に漏らす左右田くんは随分と悲壮な顔つきをしていたから、よっぽど大切なものだったんだろう。
 その後戻ってきた十神くんは、凶器に成り得る危険物が入ったケースの一つを別室で保管する旨を私たちに告げた。もう一つのケースは十神くん自身が管理するらしい。辺古山さんは、元々一人の方が好きなのだと言って、会場から離れた事務室でケースの一つを監視する役を買って出てくれた。それと、千秋ちゃんも、万が一モノクマが邪魔をしてきたときのことを考えて、モノミと二人で旧館の出口で見張っていると言って大広間を後にする。九頭龍くん、辺古山さん、千秋ちゃんの三人を欠いた状態ではあったけれど、パーティは予定通り始まったのだった。








 終里さんの食べっぷりは凄まじかった。立食形式になっていたおかげで、終里さんはあっちのテーブルこっちのテーブルとふらふら歩いては目についた料理を片っ端から口に放り込んでいく。圧倒されていると、様子を見に来た花村くんが「追加の料理を作ってこなきゃ!」と嬉しそうに言って厨房に戻っていった。真昼ちゃんは早速みんなの写真を撮って回る。弐大くんはトイレに行きたいのに誰かが入っているようだと騒ぎだし、田中くんもイヤリングを落としたと叫ぶ。



「全く貴様らは、静かに楽しむこともできないのか?」

「でも、賑やかでいいね。皆一緒に楽しめたら良かったんだけど」



 テーブルの向かい側で苦言を呈する十神くんにそう声をかける。十神くんの手にはお皿も割り箸もない。普段の彼だったら、終里さんに負けず劣らずのスピードで食事をすると思うけれど、どうもそんな気分にはなれないらしい。 彼の足元にあるジュラルミンケースを、私はちらりと見る。皆一緒に楽しめたら良かった。ここに居ない皆だけでなく、十神くんも。訴えるように彼の目を見ると、十神くんは考え込むように一度目を逸らしてから、再度私に視線をくれた。



「……ああ。次があれば、そのときは」



 そのときは。その続きを彼が吐き出すことはなかった。
 大広間は直後、暗闇に包まれたのだった。



「……え?」



 本能的に身動きができずに固まっていると、他の皆もそれぞれ声をあげだす。「停電だよ!」「何も見えねーぞ!」「足踏まないでよー!」十神くんにとっても、予想外のアクシデントだったのだろうか。「おいっ、お前、何をしている!」という彼の声が、確かに聞こえた。私は目の前にあったはずのテーブルに手探りで触れると、そのままそこに座り込んだ。暗闇が、怖いわけではなかった。完全な闇に目が慣れることはないけれど、すぐ隣にいる終里さんがこんなときでも料理を口に入れている様子がその音で分かる。でも、だけど、ぞわぞわと胸のあたりが落ち着かない。 「停電って、厨房だけじゃないのー?」料理を作っていた花村くんの声や、暗闇の中で会話にならない皆の言葉が洪水のように耳に入ってくる。鳥肌が腕や足を覆っていく。
 異常なことが起きている。私はそれを本能で察している。
 だから、やがて電気がついても、皆が慌てた罪木さんの派手な転び方を見て苦笑していても、その後なんとなく落ち着いたような空気になっても、停電になる前より一人人数が足りないことに気付いた後も、私はずっとずっと震えが止まらなかった。
 怖いわけじゃないなんて嘘だ。怖い。怖かった。本当は強がっていただけだ。島に連れて来られたときから。誰も死なせないと言われても。私のあれはただの虚勢だった。言い聞かせていれば楽だった。思い込むのは難しかった。自分のことですら手一杯なのに、他人のことなんて構ってられないはずなのに、なのに、いや、だから、私はあなたを心の底から、すごい人だと思ったのだ。
 どこにもいない。廊下にも倉庫にも厨房にも事務室にもトイレにも外にも、彼はいなくて、やがて終里さんがなにか臭うと言ったのを、私はただ身じろぎの一つもできないまま聞いている。
 なんて、情けないんだろう。
 膝が笑う。お前が頼りにしているだなんて言って、依存していたせいだろうと責める。リーダーを買って出てくれたとき、私はほっとした。みんなの先頭に立ってまとめてくれる人の存在を、ありがたいと思って寄りかかった。その重みを想像することすら放棄した。
 終里さんが血の臭いがするといって指差した、鉄板が打ち付けられた窓の傍にある、パーティでは使われていなかったテーブルに日向くんが近づく。テーブルクロスに、その手がかけられる。
 逃げて、見ないふりなんてしちゃ、だめだ。だって今までだってそうして前だけ見て、がむしゃらに走ってきたのは、私だ。ずっとそうやってきた。支えてもらっていた。こんな異常な状況で、私たちを支えてくれる人に縋っていた。彼の声が耳の奥で何度も何度も響いている。ドーナツ、おいしかった、って、あんなふうに言ってもらえるなら、もっといっぱい包んでおけばよかった。一緒に作れたらよかった。そして一緒に食べられたら。たった三日しか一緒にいられなかった。守れなかった約束だけが取り残されてぽっかり浮かんでいる。



「十神くん」



 呟いた声は、みんなの悲鳴によってかき消された。
 テーブルの下で、十神くんは全身から血を流して、うつ伏せになっていた。彼が生きていないことは、一目見ればわかるほど、それは凄惨な死体だった。


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