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お菓子作りという名の女子会は結局夕方まで続いた。数種のチョコレートにクッキー、チーズケーキにドーナツ、マドレーヌ。テーブルに並んだ数々のお菓子はどれも美味しそうで、私はうっとりと目を細め、どれも存分に味わった。お菓子作り未経験者である私は、調理中はほとんど役に立てなかったのが申し訳なかったけれど、後片付けでは大活躍したと言っていい。お皿洗いの経験だって、そんなにあったわけではないけれど。
「ちゃんってお菓子作りとか得意そうなのに、意外」
「いや~そんなことないよ、料理とかほとんど作ったことないんだ。家庭科くらいで」
「やっぱ練習が忙しかったとかぁ? わたしも基本的に踊りの練習ばっかりで、こういうのはしてこなかったよ」
私と真昼ちゃんの会話に、クッキーを頬張りながら日寄子ちゃんが口を出す。手についたカスをぺろりと舐めて微笑む日寄子ちゃんは、和菓子の方が好きだと口では言いつつも満更でもなさそうだ。彼女の言葉に、私は無意識に背筋を伸ばす。今座っている椅子は、私が人生のほとんどを共にしてきたそれとは違って座面が固い。
「そうだね。練習ばっかりしてきたねえ」
ソニアさんが淹れてくれた紅茶は温かくていい香りがした。カップに手を添えて、私は答える。自然と口元が緩むのは、この時間が本当に楽しかったからだ。
皆に声をかけてくれた真昼ちゃん、文句を言いながらも楽しそうにしている日寄子ちゃん、唯吹ちゃんはクッキー生地で自分の胸像を作って笑わせてくれたし、ソニアさんは紅茶の淹れ方を教えてくれた。何枚もお皿を割ってしまった罪木さん、彼女を慰めていた辺古山さんは意外と家庭的だった。食べるばっかりだけど誰よりも美味しそうにしてくれる終里さんに、モノミの隣で効率よくクッキーの型を抜くことに楽しさを見出した千秋ちゃん。互いのことをほとんど知らなかった私たちは今、こうしてテーブルを囲んで、皆で作ったお菓子を食べて、和やかに話して笑っている。どれもこれも、私にとっては初めての体験だった。
「だから、今日はとっても楽しかった」
カップの陶器を通して伝わるぬくさに、私は目を細める。
「またやりたいなあ」
そう呟いた途端、ぎゅうと、カップに添えていた手を包まれた。顔をあげると、真昼ちゃんが真剣な、けれど優しい目で私を見つめていたから、息が詰まる。
「やろう!」
その指は細くて、繊細で、白くて綺麗で、柔らかい。つい数時間前に同じように私の手を握った人とは、それは随分と違う作りをしていた。
「また、絶対やろうね!」
写真を撮る、真昼ちゃんの手。ちらりと浮かんだ誰かの顔を、私は両手で抑え込む。振り払うように、自分の左手を彼女のそれに添えた。真昼ちゃんの手は、すべすべとして心地よかった。
一部を除いて元々食が細い人が多かったのだろう。甘いものばかり食べていて気分が悪くなり始めた頃、私たちは一度解散することになった。こんなにお腹がいっぱいになってしまっては、夜のパーティ料理が入るか心配になってくるが、幸いにも開始時刻は十時を過ぎてからの予定だ。その頃にはどうにか、お腹もすいてくるだろう。
厨房の後片付けを終えてエプロンを脱いでいると、テーブルの上の余ったお菓子が目に入った。何気なく「これ、どうする?」と尋ねると、終里さんが勢いよく「余ってるならオレが食う!」と掻っ攫っていった。躊躇いもなくどんどん口に放り込んでいく様は、見ていて随分気持ちがいい。そういえば、今朝の十神くんもこんな感じでパンを食べていた。思い出して、考えるよりも先に私は手近にあったチョコとナッツのかかったドーナツを指差す。
「終里さん、これ一個だけもらってもいいかなあ?」
終里さんは私が指差したドーナツを見ると、大変ショックを受けたような顔でしばし考え込み、悩み、頭を抱え、けれど最後には「一個だけだぞ! いいか? 一個だけだからな!」と念を押しながらもどうにか譲ってくれた。何だか申し訳なくなってしまったが、素直にお礼を言ってそれを紙袋に入れ、人が少なくなったホテルを後にする。
陽が沈み始めた島の空は半分ほどがオレンジ色に染まっていた。旧館からは、花村くんの作る料理のいい香りが漂ってきて、満腹のはずなのに匂いに釣られていってしまいそうになる。世界一のパーティ料理を作ると張り切っていた彼を思い出すと、俄然夜が楽しみになった。
まだパーティが始まるまでは時間がある。それまで部屋でごろごろして、お腹の中のものを消化するつもりだ。だけどそれよりも、今はこの手にあるまだ温かいドーナツを彼に渡しに行こう。
私は男子側のコテージの前に行くと、一つ一つ表札を確認した。私たちに与えられたコテージの扉には、それぞれ部屋の主の顔をあしらったドット絵のようなイラストの表札がかけられていて、誰がどこで生活しているのかが一目で分かるようになっている。私は十神くんの表札を見つけると、そっとチャイムを押した。少しの間を置いてから扉が開かれて、中から不機嫌そうに眉根を寄せた十神くんが現れる。
「……なんだ、貴様か」
思わず小さく首を傾げた。彼はいつもと同じような表情をしていたはずなのに、声だけは、どこか安堵したような色が見えたのだ。だけど、次の瞬間には私の抱いた違和感は見事に吹き飛ばされる。十神くんは私が持っていた紙袋を目ざとく見つけると、それを痛いほどにまっすぐ見つめたまま、いつもするような仕草で腕を組んだのだった。
「おい。それは何だ」
「ドーナツだよ」
「そんなことは匂いで分かる。だからそれは何だと聞いている」
「分かるんだ! すごいね!」
「そうだろう、俺は一族を背負う男だからそれくらいは瞬時に察して当然だ。というか貴様は本当に人の話を聞かないな。三度目だぞそれは何だ」
「今ね、女の子たちとお菓子を作ってたんだけど、それの余りなの。って言っても私はほとんど何もしてないんだけど……。十神くん、よかったらどうぞ」
「何っ?」
驚愕の顔で固まった十神くんは、「なぜ……俺を誘わない……?」と震えながら呟いた。
「女の子だけでって言う約束だったの。来たかった?」
「当たり前だろう!」
「でも食べる専門でしょ?」
「それ以外に何がある!」
「十神くんが居たら私たち食べられなくなっちゃうよ」
「その分生産に注力すれば問題ない!」
不毛な会話を続ける私たちは、周りから見たらさぞや滑稽に映るだろう。そう思ったらおかしくて、つい口元が緩んでしまう。この人は優しい。ちょっと一方的で、上から目線で、怒りっぽいところもあるけれど、でも、誰よりも真摯で懸命だ。厳しい口調でも、それが分かる。十神くんは「ごめんね」と口にしながらもにやけた私の顔を見て、言葉に詰まって、それからようやくふいっと横を向いて唇を尖らせた。
「……次は、必ず誘え」
そう言う姿に十神財閥の御曹司らしさは欠片も見当たらない。どんなに気を張っていても、皆をまとめる力があっても、彼もまた私と同じ高校生でしかなかったということを、私はここに来てようやく実感した。
「じゃあ、次は男の子もいれて、皆で作ろうね」
差し出した紙袋を受け取って、私の言葉に目を伏せたまま笑う十神くんは、いつもと違って随分と穏やかに見えたのだった。
夜の十時を過ぎてモノクマによるアナウンスがテレビの液晶から流れたのを見届けてから、私はコテージを出た。夜空を見上げると、無数の星が頭上に広がっている。日中と違って少しひやりとした空気が肌を撫でていくけれど、私はすこぶる体調が良かった。パンパンだったお腹は予定通りに空いてきたし、これから始まるパーティが楽しみで仕方ない。
コテージの外で、唯吹ちゃんと日向くんが喋っている姿を見かけた。和やかに笑い合う二人に「こんばんは。先に行ってるね~」と声をかけてから、小走りで旧館へと向かう。他の人はもう揃っているだろうか。まだ馴染めていない様子の九頭龍くんはきちんとやって来るだろうか。お料理はもう並べられているかなあ。外観からしてロッジ風のお洒落な旧館は、内装もさぞや素敵なんだろう。狛枝くんが一生懸命掃除してくれただろうし、きっと綺麗だ。
狛枝くん。
自分で思い出しておきながら、頬が熱を持つ。不意に浮かんでしまった彼の存在を、顔をぶんぶん振ってどこかに飛ばす。まだ欠片くらいはこびりついていたけれど、紛らわすようにホテルの旧館の扉を開けた。開けて、中を見て、うっかり二度見した。入口に、パーティには相応しくないような雰囲気の人物が仁王立ちをしていたからだ。
「来たか」
十神くんは腕を組んで私を見降すように顎をくいっとあげた。その足元には頑丈そうなジュラルミンケースが二つ、口を閉じて置かれている。楽しいパーティ会場の入り口、というには随分と威圧感があった。上手く言葉が出てこない私に、十神くんは「両腕をあげてここに立て」とこれまた顎で指示する。
「……え? なんで?」
「いいから立て。これは命令だ」
「あ、は、はい、こうでしょうか」
「失礼」
「ぎゃあ!」
「うるさいぞ、少し黙れ」
「えっちょっと、ちょっと十神くんちょっとそこはぎゃあっお腹はやめて!」
「お前声がでかいぞ。……ふむ、何も持ってないか。行っていいぞ」
散々体をまさぐった後、満身創痍の私から両手を離すと吐き捨てるように十神くんは言った。
「こ、これ、何?」
精一杯の抵抗で尋ねると、彼はそんなこともわからないのかと大袈裟にため息を吐き、「ボディーチェックだ」とだけ答える。なるほど、と納得しかけたけれど、やり方がどうかと思う。十神くんのことだからコロシアイが起きないように万全を期そうとしているんだと言い聞かせながら、私はよろよろと立ち上がる。何かを失った気分だ。十神くんはそれから私の方をちらりとも見ようとせず、じっと扉に向かって再び仁王立ちを始めたので、私は言いたいことをぐっと飲み込んで会場になっているはずの広間へ行こうと一歩だけ歩いた。まさにその瞬間だった。
「おい、」
私の方を一瞥することもなく、彼は素っ気なさを装って、続ける。
「……あのドーナツ、なかなか美味かった。ありがとう」
咄嗟に振り向いた私に、彼はもう何も言ってはくれない。結局、すぐに日向くんと唯吹ちゃんがやって来たことにより、私も彼に再び言葉を投げる機会を失ってしまうことになる。
私は一人で広間へ向かいながら、じわじわと十神くんの言った「ありがとう」を頭の中で反芻させる。染み込んでいく。ふわ、と心が軽くなる。指先まで温かくなるような感覚に、嬉しいんだと気が付く。自然と顔がにやけるのを必死で堪えて、私は広間に続く扉を開けた。