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 希望を胸になんて言うけれど、果たして私のこの才能は誰かの希望に成り得るのだろうか。
 散々悩んで結論を出したはずだった。両親が背中を押し、理事長も教師陣も受け入れる体制を整えてくれたのだから、ぐだぐだと悩んでないでさっさと覚悟を決めてしまえ。駄目なら駄目でいくらでも他に道は残されているわけだし、それで人生が終わるわけじゃない。
 希望ヶ峰学園は才能を育むための最先端の設備、環境が準備されているだけでなく、それこそ色んな才能を持った「超高校級」と称される生徒たちで溢れている。ならばきっと、多少なりとも何かの刺激になるはず。大丈夫、何とかなる。なるよね。直後に控えた入学式に今更怖気づいてしまった私は、一人、深呼吸を繰り返した。希望ヶ峰学園の正門をくぐるのに、それなりの時間がかかったことは覚えている。
 心臓の鼓動は今もはっきりと感じられるし、手の平の汗だってそのままだ。だから、丁度半分ずつの割合で存在していた不安と希望で、頭がおかしくなったのかもしれないと思ったのだ。
 見知らぬ十数人の男女と南国の砂浜にいるなんて、そうでなければ説明がつかなかったから。



「海だ」



 懐かしい波の音に目を見開く。目の前に広がる海は私の故郷の濁ったそれとは違い、透き通った青をしていた。燦々と降り注ぐ太陽の光線は熱く、白い波飛沫は音を立てて私のつま先を舐めていく。それは明らかに本物の水で、しゃがみこんで触れてみた砂は熱を持っていた。潮の香りに顔をあげる。海だ。もう一度口の中で繰り返す。海だ。海に来ちゃったよ、お母さん。



「みなさ~ん!」



 誰もが混乱し、戸惑う中、愛らしい風貌をしたうさぎのぬいぐるみがその見た目にぴったりの甘い声で注目を集める。そう、ぬいぐるみが喋っているのだ。私たちがこんな南の島と思しき場所にいるのは、十中八九このうさぎのぬいぐるみが原因であることに間違いはない。だって、ウサミと名乗るこのぬいぐるみが、入学式を控え教室に居た私たちに向かって絵に描いたようなステッキを振りかざした直後、激しい光の明滅に襲われたのだから。
 そして私たちは体感時間にして一瞬で、こんなところに連れて来られている。



「これは親睦を図るためのどっきどき修学旅行でちゅ! 皆さんは、この島でクラスメイト同士、仲良く過ごしてくだちゃいね!」



 入学式は?
 色んな疑問でいっぱいになって当然のはずなのに、脳の処理が追いつかない私はまずそんなことを思ってしまった。修学旅行って、飛び過ぎじゃない?でも、天下の希望ヶ峰学園はそういうカリキュラムなのかもしれない。口に出てしまっていたのか、隣に立っていた派手な髪の男の子が「いやいやいやどう考えても違うだろ」と突っ込みを入れた。
 周囲を見回せば、誰もが皆怪訝な表情を浮かべている。見渡す限りの南国の島、そもそもここは一体どこなのだろう。希望ヶ峰学園はどこに行ってしまったのだろう。門をくぐった私たちは、確かに教室に居たはずだったのに。
 細かいことを言うならば、門から教室までどうやって移動したかの記憶が、私たちには共通してなかった。というか、門をくぐった瞬間、何だか変な感じがしなかったか? こう、身体がぐにゃりと細胞ごと曲げられるような。教室でそんな話をしていたところに現れたのがあのウサミだ。ステッキを一振り、ちちんぷいぷい、なんてありきたりな呪文で、私たちは次の瞬間、テレポートでもさせられたようにこの砂浜にいた。それもこれも希望ヶ峰の科学力の成せる業なのだろうか。あの、私たちの先生を自称するウサミも、そういうテクノロジー的な何かで動いているのかもしれない。なんてことを気軽に言い出せる雰囲気ではなかった。ここに居るのは私も含めてだけれど、一人残らず希望ヶ峰学園の新入生だ。
 才能よ、永遠なれ。何らかの一芸を突き抜けてしまった彼らにはある種独特なオーラがある。
 男子八名、女子九名。教室に居る分には少ない人数だったけれど、どうしてか、このだだっ広い砂浜の上では、賑々しさすらあるように思えた。どっきどき修学旅行。突然の展開に困惑するばかりだ。だけど皆で仲良く過ごす前に、置かれた状況を整理しなければいけない。








 幾つかの島で形成されているらしい無人島で、私たちはウサミの言う通り当分の間共同生活を余儀なくされることになるようだ。探索の結果、結局そう言う結論に至ってしまった。
 とは言っても電気も通っていれば手入れもきちんとされている島の施設は、私たちが暮らしていく分に不便な点はなさそうだった。誰が補充しているのか、商品の種類がやたらと豊富なスーパーマーケットに牧場、レストラン、驚いたことに、人数分のコテージまできちんと準備されているのだ。唯一架かっていた橋の向こうには公園が一つあったけれど、他の島に繋がる数本の橋は封鎖されていた。
 結局、私たちが島を快適に過ごすための準備はなされていても、ここから脱出できる希望を持たせるようなものは存在しなかった。勿論先だって言われた「無人島」の言葉通り、私たちの他に住人の姿もない。そうなってしまうと、ウサミの「仲良く暮らせば島を出ることができる」という言葉を信じて、この状況を受け入れてしまうことが一番の解決策であるように思われた。食糧も電気もあって、自分の身に危険が及ぶ心配がないのなら、何も考えずに現状を受け入れるのが得策なのかもしれない。だって、分からないことは考えたって仕方がないのだから。
 ウサミにスクール水着を差し出されると、数名の男女は着替えをするためにコテージへ向かった。仲良くなるための一環らしい。どうせすぐに帰れないなら、それこそどっきどき修学旅行を満喫してしまえ、ということなのだろう。割り切ってしまった彼らを横目に距離を保ったままの人もいるようだったけれど、明確な非難の言葉をあげていたのはたった一人の男の子だけだった。



「お、おいお前ら!」



 彼の声は虚しく宙に浮く。この人の名前は何だったか、私は皆の後ろ姿を見送る彼をまじまじと見つめた。先ほどの探索中、一応全員と自己紹介をし合ったけれど、こんな状況下で二十人近くの顔と名前を一致させることができるほど私は優秀ではない。おかげで皆の名前や彼らが持つ才能が混ざって、この男の子の名前がすぐに出てこないのだ。ただ、印象的だったことは覚えている。この子はショックのせいか、自分の才能を忘れてしまっているらしい。
 じろじろ見すぎたのかもしれない。私の視線に気が付いた彼は、はたと目を合わせて躊躇いもせずに私に話しかけてきたものだから、素直にしまったと思った。つい先ほど確かにお互い自己紹介をしたはずだというのに名前を覚えていないというのは、流石に申し訳なく感じる。



「ええと、、だったよな?」

「う、うん。ええと……」



 考えたけれど名前が出てくることはない。詰まった私に彼は察したのか、小さく苦笑した。



「おいおい、さっき自己紹介したばっかりだろ。日向だよ。日向創」

「あっそうそう、日向くんだったね! ごめんね、私、物覚えが悪くて」

「いや、気にするなよ。これだけの人数がいるんだ、覚えられなくても仕方ないさ」



 眉を下げて小さく笑う日向くんの、穏やかな雰囲気にほっとした。どのくらいこの修学旅行が続くかは分からないけれど、共同生活をすることになるのだ。話しやすい人がいることに越したことはない。



は泳がないのか?」



 問われて、海の方をちらりと見る。青く透明感のある波は穏やかに砂浜を洗い流していく。こうしている今も太陽は容赦なく降り注ぐ。冷たい水に足首を浸したら、きっと気持ちいい。



「そうだね。さっきまで混乱していたから、どうしようかなって思っていたけど……泳ぐのも良いかもね」

「……だよな。俺も、あいつらを見ていたら、自分だけ警戒しているのが馬鹿馬鹿しく思えてきたところだ」



 そうこうしているうちに水着に着替えた面々が続々と戻ってくる。スクール水着をきちんと着た皆は、どんなに才能があるといったって、こうして見ると普通の高校生だった。声をあげてはしゃいでいる姿を見ると、私も混ざりたいと素直に思えてくる。
 皆と仲良くなればこの島を出ることができるとウサミは言っていたし、日向くんは好青年で優しい。この島だって危険はなさそうだし、何より清々しいくらいに空気が澄んでいる。
 隣に立つ日向くんの方を見たら、彼もどうやら似たようなことを考えていたようだ。お互い顔を見合わせて苦笑すると、私たちは靴下ごと靴を脱ぎ捨てて、皆が泳ぐ海へと向かった。








 もう一度だけで良かったのだ。
 そんなことばかりを考えている。何もかもが手遅れになってしまった今も尚。何か一つでも間違えていなければ、あの日、少しでも冷静になれていたら。なんて思うけれど、でも、やっぱりもうどうにもならないな。そんな風に諦めていたから、私は目の前に垂れた糸に縋りついた。この糸は私を振り払ったあなたの指先に繋がっているのだろうか。そうじゃなかったら、私が手ずからあなたの指にこの糸を結ぼう。
 私はあの春に戻りたい。もう一度。もう一度で良いから。








 どっきどき修学旅行は呆気なく終わった。私たちはもう帰れないらしい。普通の高校生にはなれないらしい。海で遊んでいた私たちの前に現れた、モノクマと名乗る白黒のクマが笑う。



「お前らにはコロシアイ修学旅行を始めてもらいます!」



 モノクマに立ち向かったウサミのステッキは破壊され、彼女自身もモノクマと似たような見た目に改造されてしまった。



「ボクの妹だから、オマエは今日からモノミだ!」



 わけがわからない。私は、いや、この場にいる誰もが理解できていないのだ。だけど、何もかもがひっくり返ってしまった、それだけは確かだった。
 生温いよねえ。仲良くなったら出られる世界? そんなもの、誰も求めちゃいないんだよ。モノクマが両手を振り上げる。



「もし、この島から出たいなら、仲間の誰かを殺してくださーい!」



 仲間を殺して、そうして開かれる学級裁判を逃げ切ることができたなら、犯人だけは島の外に出ることができる。もし裁判でクロだと指摘されたら、犯人は処刑される。コロシアイだよ。最高のエンターテイメントだよ!  それをボクに見せてちょうだいよ!
 何故そんなことをしなければならないのか、当然のように投げられた疑問に、私たちには、殺し合うだけの理由があるのだとモノクマは言った。それが趣味の悪い冗談ではないということも、私たちに拒否する権利がないことも、モノクマの背後に現れたモノケモノとかいう大きな機械の獣がモノミに向けて撃った機関銃によって証明されてしまった。穴だらけになって動かなくなったモノミに、誰かが悲鳴をあげた。足が動かなかった。こんな無人島で逃げたって無駄だ、それを分かっているから。
 私たちは殺し合わなくてはいけない。仲間を殺さなくては島を出られない。
 怖くなって周りを見回した。最初に私がその人を見たのは、近くにいたからでも、背が高くて目立ったからでもなかった。島の探索をしているときに日向くんと一緒に行動していたその人は、どうしてか最初から私の目を引いた。
 ああ、この人、なんて名前だったっけ。こんな時でもそんなことを考える。自己紹介はお互いにしたはずなのに、私は、馬鹿だから、簡単には覚えられないのだ。私の体にぶらさがる左手は、今も鈍く痛んでいる。
 整った顔立ちをした少し血色の悪い彼は、どうしてだろう、モノクマの言葉を聞いて、小さく笑っていた。私はその横顔を、どこかで見たことがあるような気がしていた。
 そうだ。彼の名前は、狛枝凪斗。私は細められた彼の瞳に、どうしてか春を思う。


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