俺が希望ヶ峰学園に入学することが決まったのは、あいつが俺の前から一方的に姿を消した一年後の冬だった。
 大金さえあれば誰でも入ることの出来る希望ヶ峰学園の予備学科は、その入学金や授業料を本学科の生徒の研究費用に回される。授業内容や教員は一般の高校と何ら変わりないことを考えると、いくら希望ヶ峰のブランド名を手に入れられるとはいえ、随分馬鹿馬鹿しい。
 それでも希望ヶ峰学園は俺にとってその名の通り希望そのものだったから、例え予備学科でも構わなかったのだ。転科なんてよほどできないだろうが、それでも予備学科にいる限り可能性はゼロではなかっただろうし、それに、それにあそこにはあいつがいる。切符が手に入るなら、何だってした。
 は、俺の幼馴染だ。
 地味で、特別整った容姿をしているわけではないのに、不思議と周りのやつらから好かれる子だった。中学、高校と進学していっても、彼女の周りはいつも人で溢れていたように思う。人徳があるというのは、ああいう人間のことを言うのだろう。実際、はいいやつだった。優しく穏やかで、誰の悪口も言ったりしない、お人好しで、人から推薦されて生徒会長なんかも引き受けてしまう、友人を大切にするから、彼女自身も大切にされる。情けは人のためにならずを無意識の上で実践してしまう少女、俺とはちがう。
 俺は、小さいころからずっと何も言わずにいてくれたに甘えて、全部の体重をかけていた。彼女が潰れるだなんて考えもしなかった。だって、俺には才能があるはずだったんだ。小学生の頃、大勢の人間の中心にいたときのように、俺は今もなにかの真ん中にいるはずだ。それに誰も気が付いていないだけで。周りの人間は村人Aで、俺は勇者になるはずだったんだよ、
 だから、お前があの土手で俺に希望ヶ峰学園の印が入った封筒を差し出したとき、夢だと思った。嘘だと思った。お前が俺を裏切るはずないと、置いていくはずないと、あんな顔で、拒絶するような、蔑んだような目を向けるわけがないと。あのが、誰からも愛されていたが、誰も憎むことのなかったがあんな顔で俺を見るはずがないと、そう思った。



さん、希望ヶ峰にスカウトされたんだって」



 なのに誰かの声が、現実を見ろよと俺を刺す。
 は長いこと俺を疎ましく思っていたらしい。








 もう彼女に連絡を取っても、あいつはこの土手にやってくることはない。ぽっかりあいたその空間で、俺は一人で座っていた。穏やかな川の流れが太陽の光を反射して煌めく。夏の盛り、蚊に刺されながら世界を呪い、冬の最中、積もることのない雪を眺めながら毒を吐いた俺の隣にはいつもあの少女がいた。今、あの子は俺の散々憧れた世界にいる。やり場のない喪失感が、一方的な憎悪に変わるのにそう時間はかからなかった。。俺の後ろを追いかけていただけだった女の子。俺の唯一の理解者で、最後の友人だったひと。
 俺はあいつを許せるのだろうか。
 答えなんか、このどす黒い泥にまみれた内臓の中を探すまでもなかった。見捨てられた俺は、彼女に復讐するべきだった。そのために、あんな予備学科に、大金を払ってまで入学したのだ。俺を置いて行ったお前を、追い詰めてやるために。それだけのために。








 春、は希望ヶ峰学園の制服を着た俺を見て、言葉を失くしていた。顔面は青を通り越して白くなり、たじろいだように目線を動かした。胸のすく思いだった。嫌がらせで、「先輩」と口にした俺を、彼女がどう思ったかは想像に難くない。
 お前を追い詰めてやる。誰の悪口も不平不満を吐き出すことも無かったその口から、俺への呪いの言葉が紡がれるように、それにお前が打ちのめされるように。お前の居場所を奪ってやる。俺の。俺だけの。俺の目が届かない場所でお前だけが幸せになんて、なれると思うな。
 捩れて歪になった愛情を、俺は正常だと信じて疑わない。








 模試で満点近くをとった。全ての科目で万遍なく高得点をたたき出したのは俺だけだった。
 「超高校級」がいるせいで各科目でトップをとれなかったことには内心苛ついていたが、「優秀な予備学科生」の存在を少しは定着させることができたはずだ。スポーツもできる、人当たりもいい、社交的だったかつての自分を演じればいいだけだ、彼女の前でするように。
 だけど、それがそのあとの人生を変えることになるだなんてこのときの俺は気が付いていないから、予備学科の期待の星、優秀だが平凡な男子高校生なんて言われるのは、それは惨めなものだった。復讐するために追いかけてきたのに、の、俺の存在に怯える苦しそうな顔を見るのが好きだったのに、同じくらいに自分が削れていくのだ。擦り切れてぼろぼろになっていくのだ。だけど今更、どうして後戻りができただろう。



「希望ヶ峰は、やっぱり俺の想像していた通りの世界だったよ」



 お前が俺の頭の先に見ていた子供の影に、俺は気づきもしないのに。








 そんな予備学科期待の星に運が巡ってきたのは、その年の梅雨の終わりのことだった。
 本学科で脳神経を専門とする研究員に、希望ヶ峰学園の総力を結集した、ある実験の被験者にならないかと声をかけられたのだ。予備学科でも頭三つ抜き出て優秀だった俺に白羽の矢が立ったのは、必然だったのだろう。才能のない人間にありとあらゆる才能を植え付け、万能の天才を作ることを目的としたそのプロジェクトへの参加の打診は、俺にとって、本来ならば願ってもないことだった。
 何度に連絡を取っただろう。これで俺も超高校級の一員だと、いや、それ以上の存在になるのだと彼女に伝えたかった。彼女が俺にそうしたように、このプロジェクトの概要を全てあいつの目の前に並べて笑ってやりたかった。だけどからの返事はない。既読もつかない。よかったねと言ってほしかったのか、怯えた目をもう一度見せてほしかったのか、もしくは、もしくは、止めてほしかったのか、わからない、わからないのだもう、俺が何を望んでいたのか、何になりたかったのか。
 俺は才能を与えられるらしい。気が遠くなるほどの数の同意書に、狂ったようにサインをし続けた。実際、おかしくなっていたのかもしれない。なんだってよかった。どんな副作用もデメリットも後遺症も受け入れようと思った。のことなど忘れてしまえ。あんなに焦がれていた才能が与えられる。俺は超高校級のなにかになれる。ずっと願い続けてきた特別な人間に、やっと俺はなれるのだ。
 かつての俺が望んだ世界の神になれるというのなら、俺は喜んでこの身を差し出そう。








 だから、もうこの復讐も、終わりにしなくては。








「もうわかってただろ?」



 本科校舎の使われていない教室は薄暗く、の顔は良く見えなかった。だけど、それでも彼女が今どんな顔で俺を見ているのかを簡単に想像できる俺はやっぱりの幼馴染で、友人で、今も彼女を特別なひとだと思っていて、だから、ああ俺は、なんて無駄なことをしてきたんだろうと今更になって、気が付く。うん、だから、もう、わかってたんだよ。それは、彼女へ向けた呪いじゃない、俺の懺悔だ。
 普段だったら入ることの許されない本学科の校舎に俺が入れたのは、この「実験」に関する最終の意思確認のためだった。「今の俺」が唯一校舎への立ち入りを許されたその日に、彼女を探しだした。見つけたのは、校庭の隅。彼女は花壇の隅に腰を下ろして、本を読んでいた。見つけたのは執念だった。 校舎に逃げる彼女を追いかけたのも。怯えたその背が、どうしてか滲んでみえたのも、きっと。
 俺は世界の希望になりたかった。才能のある人間になりたかった。誰からも賞賛されるような人生を歩みたかった。それが俺の望みだった。叶うんだ。今度こそ。俺はきっと俺でなくなるだろうけれど、数えるのも馬鹿らしいほどの手術や実権が俺を待っているだろうけれど、きっと俺の思うよりもそこはずっと汚い世界であるだろうけれど、でも確かにそれが嘗ての俺の望みだった。
 空き教室の片隅で、は俺の顔を見上げている。こんなに小さかったのだろうか。いつの間に俺との身長は逆転していたのだろうか。あの頃、俺をきらきらした目で見つめていてくれたはもうどこにもいないのに、俺は、あの頃の二人に戻りたいと、その時思った。純粋で濁りのない眼差しを向けられる人間になりたかった。彼女のように。
 ああ、なんだ。
 突発的に抱きしめたその体は酷く細かった。こんなに華奢だっただろうか。全く弱々しくて、小さな存在だ、小学生の頃とそう変わらない。俺はこんな少女然とした女を呪い続けていたのだ。瞼が熱くて、一度深く瞬きをしたら、涙が流れていった。なんだ、なんだよ、馬鹿みたいだ。なんで今更こんな気持ちに気が付いてしまったんだろう。知らないままでいればよかった。こんな自分に気が付かなければ良かった。
 俺はもうきっとお前に会うことはないから、だから、どうか、お前を傷つけつづけた俺を、許さなくていい。ただ、忘れてくれ。なかったことにしてくれ。お前の中に残る俺は、あの頃の全能の日向創であるべきだ。今の、何者でもない俺のことなど、お前の世界から今度こそ捨てて、どうか。
 俺は世界の希望なんかじゃなくて、お前の希望でいられれば、きっとそれでよかったのだ。