7
轟音の最中、眼前に広がる無機質な質感のそれに目を閉じたとき、俺の眼球は星を映した。
暗闇の中ちかちかと瞬くそれに安堵する。最後に浮かんだのがあの子じゃなくて良かった。なんて。
嘘だよ。
「あ、起きた。結構寝てたね」
間延びした声が耳に入る。
身体が重い、頭が酷く痛い。この声は誰だ、と思う。ここはどこだ、とも。
ついさっきまであれだけ苦しかったはずの呼吸が嘘のように容易くて、だけど手足はそう簡単に動く気配を見せない。節々に痺れたような痛みを感じるが、指は自由に動かせた。
薄暗い室内が、徐々に明るくなっていく。見覚えのない高い天井。ごうごうと聞きなれない音が低く響いているが、あの格納庫にあった機械の稼働音とは違った。
オレは潰されたはずだった。覚醒しきらない頭で、オレを押しつぶさんとしていたプレス機の黒く滑らかな表面を思い出す。
オレは何をしていたのだったか。
首謀者を騙って、皆を騙し、入間ちゃんが作ってくれたハンマーを使ってあの地下道を突破させ、外の世界を皆に見せた。外の世界に出たところで何も意味がないのだと皆が知れば、コロシアイは止まると思った。だけど、甘かったのだ。絶望し、全てを諦めたかのように思えた皆は、恐らくオレの知らないところで真の首謀者によって操られてしまった。コロシアイの動機を、そうと知らずに与えられてしまったのだろう。
百田ちゃんを格納庫に軟禁したのは、オレが首謀者であると皆に強調したかったからだ。最悪の事態になったとき、百田ちゃんに全てを託すためでもあった。結局この状況を良しとしなかったのであろう首謀者によって春川ちゃんが踊らされ、彼女は格納庫に乗り込みオレに毒矢を向けた。こんなときでも、使われたのがあの子じゃなくて良かったとバカみたいなことを考えていた。
あの子はどうしているんだろうと思った。落ち着かないからとマスコットを量産しているのだろうか、まだ誰も犠牲にならずに済んでいた、あの頃のように。
身体に回り始めた毒は、幻を見せる。オレは受け取り損ねた猫のマスコットを懐に隠し持っているような気になる。だけど、そんなものはどこにもない。こんなことになるなら、いっそあの子の部屋に忍び込んで頂戴してくれば良かった。今さらだと分かっていても。それでも。
一つしかない解毒薬を、オレを庇うことで同じように毒矢を浴びてしまった百田ちゃんに飲ませたのは、百田ちゃんにやってもらわなければならないことがあったからだ。百田ちゃんには、オレの代わりにこのゲームを終わらせてもらうのだ。
この世界は確かに終わっていて、俺たちはそんな世界でこのコロシアイをさせられている。だけど、誰も見ていないデスゲームなんてありえないでしょ。コロシアイを終わらせるには、このゲームを根本から否定し破壊しなければならない。そのために、モノクマにも分からない事件を作り上げるのだ。百田ちゃんが死に、オレが百田ちゃんを殺したと、間違った判決を下させる。そうすれば、このゲームは台無しになる。
ああ、そうだ、オレはこんなゲームなんか嫌いなんだ、人の命をなんだと思ってる、下らない、仕組んだ奴も、これを見て楽しんでいる奴も、オレは絶対に許さない。だからどうか、壊してくれ。終わらせてくれ。
例えオレが死んだ後だったとしても、首謀者を打ちのめすことができるのならばそれでいい。
そしてオレは百田ちゃんの上着を羽織り、百田ちゃんのふりをして、百田ちゃんが動かした、プレス機に潰された。
視界の隅に映ったのがイミテーションのマザーコンピュータであることを思い出し、オレは、ようやく、あーあと思うのだ。
そうだ、これは、ダンガンロンパ。ただのお遊びだったのだと。
「キミさあ、全く同じことを面接のときに言ってたよ」
オレを見下ろすその女性の首からぶら下がったネームプレートには「チームダンガンロンパ」のロゴが描かれている。そういえば、知らない声で起こされたと思ったが、あの声の主はこの女性だったのだろう。
肩までの髪を耳にかきあげながら、プレートを見るに乃木と言うらしい女性は、見る者を不愉快にするような笑みを口の端に浮かべた。オレはこの人が浮かべる表情を、どこかで見たことがあると思った。
「くだらないデスゲームに熱狂するつまらない世界を壊しに来ました」
頭が割れる様に痛い。くだらないデスゲーム。ダンガンロンパ。
慌てて書いた履歴書、まどろっこしくなって作成をやめたアバター、建前を並べた面接では、本音を話してもらえないかと薄笑いを浮かべたおっさんに言われた、だから言ってやったのだ。
「オレ、ダンガンロンパが嫌いなんだよね」
命をかけて番組を作っている彼らを前に、はっきりと。
「出演者の命をもてあそぶようなムカつくゲームを考えるヤツも、それを楽しんでる連中も、全部……ムカつく。だからオレはどんな手を使おうと、絶対にこのゲームを終わらせてみせる」
チームダンガンロンパの乃木は、かつてのオレが吐きだした言葉を一言一句繰り返して見せると、笑いながら小首を傾げて見せた。
「面接でそういうこと言う人って、たまーにだけどいるんだよね。でも、いざ参加してみると、そういうヤツに限ってすぐ人を殺すの。まあアバターだし、人格だって本来のベースがあっても多少は才能のために色付けされちゃうからさ、仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、にしたって、ねえ?」
だから、キミのときもまたかーって思った。ぼやく様に言う彼女は、人差し指を顎に当てて視線を空に投げた。顔の造形は全く違うのに、その表情があの中にいた誰かに酷似していると思った。
「でも、キミ、アバター作らなかったでしょ? 珍しいんだよね、そういう人って。大体皆保身に走るから。そんで、まあ顔もなかなか地がいいじゃん? さっさと死んじゃった天海の代わりに人気が出てさぁ、今回ばかりはいい人選ができたなって」
「は?」
久しぶりに出した声は、思ったよりも低く、掠れていた。何の威圧にもなりはしない。まだ気怠い体を無理に起こす。いくつものカプセルが、マザーコンピュータを取り囲むように配置されている。扉の開いたものが半分以上、閉まっている物は、六つだけ。
隣のカプセルは、まだ誰かが入っているようだったけれど、オレはそこに眠るその人が一体「誰」だったのか分からない。
オレの態度に失言だったと気が付いたのか、乃木と言う女性は申し訳なさそうに肩を竦めると、「今裁判がちょうど終盤でさ、もうすぐ放送されるところなんだけど」と手首にはめた華奢な腕時計に目線を落とし、続ける。
「折角だし、ここで見て行けば? 見届けたいでしょ。キミが本当にダンガンロンパを壊すことができたのか」
その余裕の笑みに、オレは自分が、百田ちゃんが負けたのだと察してしまった。そしてそれを壊したのは十中八九最原ちゃんで間違いないと。
それでも、彼女の言うとおり、オレには見届ける義務があると思った。
乃木と言う女性は、ついてこいと言わんばかりに踵を返す。なんて女だ、こっちは今の今まで寝てたのに。ため息を吐きながら、自分の身体が収められていたカプセルの縁を掴んで立ち上がる。足元がふらついたとき、まだ毒の影響があるのかと一瞬ひやりとしたが、なんてことはない。筋力が衰えただけだ。だって王馬小吉は終わってしまった。
オレの作戦は、恐らく失敗した。ならばコロシアイはまだ続くのだろうか。本当に、最後の二人になるまで。
少し歩いただけで、眩暈がした。動悸が酷く煩かった。やまない頭痛の中、あの日のことを思い出す。
まだ首謀者が動き出す前、皆が外の世界の真実を知り、絶望に打ちひしがれ、寄宿舎の部屋から「人間」が誰一人として出てくることのなかった一日のことを。
「あんな真実なら、知らないままでいた方が良かったと言ったゴン太クンの気持ちが、今なら分かります」
校舎二階にある、石動ミクの研究教室だった。しんと静まり返った校舎に忍び込んで、オレは皆が真実に打ちのめされているのをいいことに、他の研究教室同様に鍵の閉まっていない無人のそこに勝手に侵入した。
単純に、気になったのだ。あの海はどこまで完成しただろうかと。
だけどそこには先客がいた。キーボだった。植物で覆われてはいないとはいえ、窓の一切がないこの部屋はどこか薄暗い。蛍光灯の下、キーボはあの海の刺繍絵をテーブルに広げていた。ジジ、ジジ、と、息絶える直前の蝉のような音を発しながら、キーボはオレにぽつりと話しかけてきたのだ。責めることもないままに。
「だけど、やっぱりボクはおかしいのでしょうね。世界があんなことになっていて、ショックはショックですが……それでも希望を抱かなければならないと、そう思うんです」
やはりこいつはロボットだから、思考回路が人間のそれとは違うのだろう。しかし、「内なる声もそう言っていますし」と続けられた言葉に思わず眉を寄せた。
きちんと整理された石動ちゃんの研究教室は、学校の家庭科室を髣髴とさせる。生徒が四人は作業が出来そうな大きなテーブルに広げられた巨大な刺繍絵は、オレが最後に見た時よりも布だけの部分が少なくなっているようだった。
「内なる声は」
荒れ狂っているようにも、穏やかに凪いでいるようにも見えるその海を前に、キーボは続ける。
「彼女の傍にいろ、と言うのです。いかなる時も、彼女を支えろと、もう、ずっと前、ボクたちがこの学園に来たときから、ずっと」
その声とやらは、そんなことまで指示するのかと、聊か胡散臭く思いながらオレは「へえ」と適当に返事をした。
この学園に来たとき、ということは、一階の教室で俺たち三人が目覚めたときだろうか。キーボがあの子の頬を叩いたときからだろうか。胸が軋む。だったら今だってあの子の傍にいてやればいい、とは、言ってやらない。
ロボットに恋をするなんて不毛だ。泣いて、弱みを見せるなど、滑稽だ。オレは今でもそう思っている。人間ではない物体に愛情を芽生えさせる彼女を不気味だと思う。ロボット差別だといくら訴えられようと、こいつの身体に血は流れていない。曲線に乏しい体のラインは機械特有のそれで、あの手を受け入れる彼女は奇怪な何かにしか見えない。
彼女の描いた海に触れる。柔らかいと思っていた糸は、思いのほか固かった。指先でなぞると、立体的になっているのだと分かる。たった四色の糸が織り成す様々なグラデーション、オレはやっぱりこれを美しいと思った。これが欲しいと、そう思った。
「キーボは前にオレに石動ちゃんが好きかって聞いたけど」
オレが意味の分からないことを尋ねてしまったのは、その所有欲が気の迷いでなかったことを思い知らされてしまったからだ。
「キーボこそ、石動ちゃんが好きなの?」
キーボは黙っていた。ただ、その作り物の、人間のそれを真似ただけの眼球は、海を見る。オレの質問に答えることをせず、キーボは指をテーブルに置く。
「王馬クンは、これを美しいと思いますか?」
抑揚のほとんどない、静かな声音だった。その鋼鉄の温度のない指先は絵の表面を撫でる。鮮やかな金春色、彼女が描き続けたのはきっと己の内面だ。角度によって色を変える波、迷い続けた彼女が見つけた一つの光、白い糸で描かれたのがキーボだとするならば、オレはきっとこの絵のどこにもいやしない。
だけど、オレの返事を待たず、キーボは言った。
「ボクには、これがただの糸にしか見えないんです」
そのときのキーボの顔だけが、人間のそれに見えただなんて、なんて皮肉なのだろう。
キーボは、自分がロボットであることを、認めていたのだった。自分を人間として扱ってくれた少女の心を理解できないと認識して、初めて。
あの海は、今もきっとあのテーブルの上だ。
百田ちゃんの処刑の影響で、キーボの頭のアンテナが折れたらしい。
オレは乃木と言う女性に用意してもらった別室の、それなりに大きなモニターで事の顛末を見守っていたが、俄かに扉の外が騒がしくなったことに気が付いていた。
ダンガンロンパは、多少の編集を入れつつもほとんど生放送だと聞いている。そして終盤になるに従い、編集なしの完璧な生放送になるのだと。その臨場感がたまらないのだという意見は良く目にした。そして今、ダンガンロンパはそのデメリットをもろに浴びているのだろう。苦情が、公式サイトが、SNSが、と廊下の向こうで飛び交う会話に興味を引かれ、オレも自分の端末を使って確認する。
「しっかりしろよ運営」
「キーボ、暴走しちゃってね?」
「やばいってキーボ」
視聴者の投稿に、オレはあのアンテナを、キーボがあれだけ妄信していた内なる声を、思い出す。
残ったカプセルは六つだけだった。あの中の一つが開いて、百田ちゃんだった誰かが出て行ったとすると、残りは五つになる。
――五つ。
百田ちゃんが死んでも、あそこにはまだ六人いるはずなのに?
モニターの視点が高くなっていく。カメラが宙に浮かんでいくようだった。裁判中から、不自然なカメラワークだと思った。まるで視聴者がそこに立って一緒に参加しているようだった。キーボの視点だと気が付かなかったわけではない、深く考えなかっただけで。そのカメラは、度々彼女を映した。不安げに顔を強張らせて、必死で議論をする、あの世界で生きていくには弱すぎた少女を。
空へと昇るその視点は、才囚学園の校舎から、やがて藤棚の辺りに向けられる。そこに居たのは、最原ちゃんと、白銀ちゃん、夢野ちゃんに春川ちゃん、そして石動ちゃんだった。
「こんな状況でも石動ちゃんは可愛い」
「オレはハルマキ派!」
「石動ちゃんがここまで生き残ってくれたのも俺たちのおかげだと思うと感慨深いな」
「いや、そこはキーボのおかげって言ってやれよ」
運営への文句の合間にスレッドは埋められていく。ああ、もう、勘弁してくれと思った。だけどそれは、どうして。
「キーボはオレたちなんだから、オレたちのおかげで石動ちゃんは死なずに済んだんだろ」
こんな真実なら、知らずにいたかった。
キーボの声が、画面の中から流れる。穏やかな声音だった。自分にはこれが糸にしか見えないのだと言ったあいつは、どこに行ったのだろう。
「内なる声が聞こえなくなった今、これはボクの意思です」
オレはずっとこのゲームを終わらせたかった。
人の生死の行く末を見て、必死に生きる連中を見て、笑ったり興奮したり泣いたりするような趣味の悪い奴らが、自分たちの汚れを知らないでいるというのが許せなくて。いっそのこと番組を終わらせてやればいいと思いついた。目をギラつかせて処刑の瞬間を見届ける健全な視聴者の皆様の息の根を止めたかった。オレは誰かを殺せたか。このゲームを終わらせることができずとも。
「ボクは絶望に塗れたこの才囚学園を、破壊します」
キーボの放ったロケットランチャーの光を、今頃彼女は見上げているのだろうか。
ロボットに恋をするなんて不毛だ。鉄の塊に縋りつくなんて馬鹿げている。あの言動は蓄積されたデータによるもので、内なる声によるもので、あいつは数字でしか物事を判断できない。情緒を知らない。なぁ、だって、現実世界に存在すらしていないんだぜ。ダンガンロンパが作り上げた架空の存在、キーボは視聴者に臨場感を持たせるための入れ物だ。
キミは、一体誰に恋をしたんだよ。
「はは」
乾いた笑みが口の端から漏れた。瞬きを、もう随分としていなかった。キーボが才囚学園を破壊していく。あれだけ破壊を否定しておきながら、あいつは呆気なく、小型ミサイルを放つ。ジェットパックで空を飛ぶ。本当に、キーボはこの学園を終わらせるつもりらしい。オレとは全く違う、随分原始的なやり方で。
拡張機能を装着された目や耳が、最原ちゃんたちを捉える。石動ちゃんは皆の中で、息を切らして、青ざめた顔でカメラの内蔵されたキーボの瞳を見据えていた。彼女と目が合ったように錯覚する。慕情と、混乱と、恐怖の混ざった切実な目は、なるほどこちらに向けられていると思えば、随分と魅力的に見えた。どうしてこんなところで、こんな形で、それを思い知らされなければならなかったのだろう。
更新をクリックすれば、スレッド内の新着レスが一気に表示される。「オレたちのアイドル石動ちゃん」オレはそれに視線を落としながら、もう一度、小さく笑う。
だって、現実に居ないのは彼女も同じだ。
「不毛な恋をしてるのは、オレもか」
才囚学園の終わりに、彼女は知るのだろう。
自分が望んでダンガンロンパに参加したことを。自分の恋が何の意味もなさなかったことを。キーボが現実には存在しないことを。
夜明けまでにこの学園に残る謎を解いてみせると訴える最原ちゃんに理解を示したキーボは、それを阻止しにくるであろうエグイサルから皆を守ることを約束し、再び空を飛ぶ。内なる声の聞こえない彼はもう、石動ちゃんに必要以上に目線をやることはなかった。
エグイサルとの攻防の最中、キーボは石動ちゃんの研究教室の壁を突き破る。そこに広がる青を、その目はけれど、確かに映していた。キーボに内蔵された視点カメラは、それを捉えて離さなかった。
遠目から見たそれは、本物の海を四角く切り取ったかのように存在していた。そこに光があった。星々を取り除いた夜空にも見えた。内なる声と切り離されたキーボは今、自らの意思でそれを見ていた。
数秒の沈黙だった。俺にはそれが、全ての答えであるように思えた。