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まさか、カードキーに続いて思い出しライトまで使用回数が制限されているとは思わなかった。
入間ちゃんが作ったプログラム世界でゴン太に使ったライトは、役目を終えるとあっさりと消滅してしまった。まずはライトが正確に作動するのか実験しようと思って館からゴン太を連れ出したのだが、裏目に出てしまったらしい。
一度しか使えないと知っていたら、最初から全員に使ったのに。モノクマに「あのカードキーをもう一度動機として利用したらいいんじゃないかな。そしたらオレが絶対に面白くするよ」と思い出しライト化させることを唆し、それを受け入れてもらうまでは良かったが、どうもここでもオレの思惑通りにはいかなかったようだ。
「え、え、どういうこと? 外の世界が、どうしてあんな風になってるの?」
狼狽えるゴン太に舌打ちしたいのを堪え、オレはこめかみに指先を当てる。どうすればいい。次の一手を探さなくてはならない。
全員にあれを思い出してもらうことが叶わなくなった今、オレに残された選択肢はまた一つ、失われてしまったことになる。ならば、まずは一度、入間ちゃんが作ったこの世界から出なくてはいけない。安全に、殺されることなく。そう、今オレにとって一番大切なことは、「自分が殺されないこと」だ。
真実を思い出し混乱する憐れなゴン太に、オレは歩み寄る。「皆を救いたいならさ」染みついたポーカーフェイスは、ゴン太ごときに見破られるほど脆くはない。
「こんな絶望的な真実を知られる前に、ひとおもいに皆を楽にしてあげるべきじゃない?」
ゴン太は、オレの言葉に分かりやすく狼狽した。アバターであっても、表情の変化は何となく分かる。戸惑い、足りない頭でオレの言葉を真摯に受け止め、噛み砕き、そして、ゴン太は最後には決心するのだ。残酷な、外の世界の真実など何も知らないまま、絶望を知らないまま、皆を楽にしてやろうと。そして、それができるのは自分しかいないと。
勿論コロシアイを止めることが目的であるオレが真にそれを望んでいるはずがない。本当は、この世界で思い出しライトを全員に浴びせることができるならそれが一番良かった。そうすれば皆は外の世界に出ることが無意味だと気づくことができただろうから。そして、コロシアイは終わるはずだった。だけどそのためのライトが消滅してしまった今、それはもう叶わない。思い出させることが出来ないなら、やはり、外を直接見てもらう他ない。
入間ちゃんに頼んだハンマーは、既にほとんど完成していると聞いた。ならば製作者がいなくなってしまっても問題ないだろう。
オレは生き残らなくてはならなかった。こんなところで死ぬわけにいかなかった。どんな外道に成り下がったとしても、それでもオレは死ねない。このゲームを壊すまでは。
「館の屋上で待ち合わせな」
オレにだけそう告げた入間ちゃんの言葉を思い出す。彼女はきっと何かを企んでいる。わざわざ自分のアバターの設定を弄っていたくらいだ。ターゲットにしたオレにだけ何か特別な設定を加えていたとしてもおかしくない。オレはこのままでは入間ちゃんの策略にはまり、殺されてしまうだろう。それだけは避けなければならない。
みんなに外のことを思い出させるという作戦に失敗した今、もうこうするしかないのだ。
ゴン太を口車に乗せ、全滅を唆しながらも、こいつに狙わせるのはただ一人。このプログラム世界でオレを殺そうと目論む入間美兎だ。
オレはゴン太と入間ちゃんを切り捨てる。
二人を犠牲にしてでも、このコロシアイを止める。
入間さんが作ったプログラムの中で事件は起こった。彼女のアバターが動かなくなってしまったのだ。キーボが教会の外で倒れる彼女の名を呼んでも、揺すっても、彼女は微動だにしなかった。その時から、嫌な予感はしていた。館側にいるはずの皆は大丈夫だろうか。だけど、どうしてそう考えた瞬間、王馬くんのことが一番に頭を過ぎるのだろう。
私はあれから、彼と会話どころか、視線の一つも合わせてはいない。
プログラム世界にログインするときのミスが切っ掛けでバグを起こしてしまったゴン太クンは、あの世界で起きたことの一切を覚えてはいない様子でした。自分が何を見たのかも。誰を殺したのかも。そんな彼に「認めろよ」と笑いながら告げる王馬クンは、宛ら悪の総統に相応しいように思えたのです。
一体外の世界にどんな秘密があると言うのでしょう。
ゴン太クンが、「何も知らないまま死んだ方がいいと思った」と言うくらいですから、恐らくよほどのことがあったのでしょう。ですが、例えそうだったとしても、入間さんを殺していいことの理由にはなりません。勿論、彼を唆したのは王馬クンです。正当防衛と言えば聞こえはいいのかもしれませんが、素直に同情することができないのはそれが王馬クン相手だからなのでしょうか。
しかし、ゴン太クンが入間さんを殺してしまったことは、残念ながら、覆りようのない事実であるようです。最原クンの隣に立つ石動さんは、青ざめた顔で王馬クンのことを見つめていました。ボクは、彼女が何を考えているのかを、あれだけデータを蓄積し続けた今でも、分からないままです。
オレがもしも天才だったら、誰も犠牲にせずに済む方法を模索できたのかもしれない。
オレの命が危なかったとはいえ、入間ちゃんの首をゴン太に絞めさせたのはオレだ。裁判で、あいつを見捨てたのもオレだ。こんなこと言ったって誰も信じてはくれないだろうけど、オレは、ゴン太と一緒に処刑されてもいいかなって、それでも一瞬だけど思ったんだ。
入間ちゃんを止めることができるなら止めたかった。モノクマを倒そうと言ったオレの耳に、「やるなら勝手にやれ」と掠れた声が届かなければ。誰も信用していないのだと彼女が告げなければ、オレは彼女に外の世界のことを打ち明けるつもりでいた。
だけど、拒絶されてしまったのだ。信じたって裏切られるだけだとあの子は言った。そして一人でこの世界を出ると、そのためにオレを殺そうとあの子は考えた。
止めようがなかったのだ。仕方がなかったのだ。だからゴン太を身代わりにした。オレは死ねなかったから、皆を守りたいと言うゴン太に、オレを、皆を守ってもらった。間違ってなんかいないはずだ。ゴン太の犠牲のおかげで、きっともう誰かが死ぬことはない。オレがコロシアイを止めるのだから。でも、だけど。
これはきついな。
「やるならオレもやれ、最初から、覚悟の上だ」
処刑されようとするゴン太を見つめるモノクマにそう告げた、オレの視界は涙でぼやけている。モノクマは黒々としたその目を、ゴン太から逸らさなかった。オレのことなんか眼中にないのだ。それでも、彼女の双眸がオレを見つめているのは分かった。
あの子は、馬鹿だ。入間ちゃんやゴン太と同じ、馬鹿だ。だから、嘘つきのオレに惑わされる。吐きだした呼吸は浅い。流れる涙を服の袖で拭った瞬間、ゴン太が「いいんだ」と言った。
「いいんだよ王馬君」
ゴン太が首を振る。ゴン太は嬉しいのだと。だから、最後くらい皆を守らせて、そう続ける。良いわけあるかよ。オレに良いように利用されて、皆を救うために、泣きながら入間ちゃんの首を絞めたお人好し。お前を見捨てたオレを、お前は許さなくたって良かったんだ。
オレはどれだけのものを犠牲にすればいいのだろう。もしもオレが天才だったら、もしもオレに力があれば、もしも、もしももしも、本当に誰からの信頼をも勝ち得ることができていたら、何かが変わっただろうか。皆を本当に救うことが出来ただろうか。入間ちゃんを諭すことができたか。ゴン太を犠牲にせずに済んだか。泣き虫なあの子を傷つけずにいられたか。ロボットへの愛情を馬鹿にせずにいられたか。誰も死なせずにこのクソみたいなゲームを壊せたか。
二人を見捨てれば他のみんなを救えると思った。東条ちゃんのように、オレは命の数で優先すべき方を選んだ。だけど、それは本当に正しかったのか。馬鹿なゴン太はオレのことをどれだけ信じてくれただろう。オレを殺そうとした入間ちゃんはどれだけ素直で不器用だったろう。他の道はなかったか、殺さずに、切り捨てずにいられる道が本当はあったのではないか。オレがそれを見つけられなかっただけで。オレは間違ったのかもしれない。
モノクマが手をあげる。「待ってくれ」何度目かの宣言がされる。「やっぱり嫌だ」ゴン太の首に鉄の輪が嵌る。
「ゴン太、行かないでよ」
なんでオレにはすべてのものを守る力がないんだ。
石動ミクは、彼女が作り上げた海のような瞳で、オレの表情を俯瞰するように見つめている。
王馬くんは何を考えているか分からない。初めて会ったときからそうだった。
私が目を覚ましたのは、地下へ続く階段の目の前にある教室だった。ロッカーに入っていたらしい彼らと違って、私は椅子に座っていたと言う。机に突っ伏す私の頬を軽い力で叩いたのは、鋼鉄の手だった。大丈夫ですかと、その手の主は言った。
「なんだ、もっとロボットらしく目覚まし音で起こすとかじゃないんだ」
「失礼ですねキミは……ボクにそんな機能はありません」
「えっ! バイブレーションもスヌーズも?」
「ありません!」
段々と、朦朧としていた意識が覚醒していく中、そこに居た二人はそれぞれ私を見た。私とそう背丈の変わらない二人だった。
より小柄な男の子の方は、後ろ頭に手を組んで、にししと笑う。初めましてでも、自分の名を名乗るでもなかった。私はだから、この時のことをとてもよく覚えている。不思議な人だと思ったから。
「ね、見てこの窓」
指し示された窓は有刺鉄線により封鎖されていた。それだけではない。教室中に茂った植物が、ここを一般的な学校とはかけ離れたものに見せている。それでもこの部屋が教室だと分かったのは、前方に電子黒板が置かれていたからだ。私が座っていた机は、ほとんど傷がない。
白い制服を着たその男の子は、小首を傾げて「閉じ込められちゃってんじゃないの? オレら」と、底抜けに明るい笑顔を浮かべて見せた。表情と台詞が噛みあっていない、私はそう思いながらも、その声が、酷く優しいもののように思えた。気遣うようなそれに聞こえた。
コロシアイなんてなければ、と考える。彼の嘘は生来からのもので、それは、もしかしたら人を傷つけるようなものではなかったかもしれない。疑心暗鬼のデスゲームに放り込まれた私たちは、彼という存在を飲み下すことができなかった。だけど、彼には最初から裏なんてなくて、嘘なんて可愛いもので、憎めない存在で、本当は、人をからかうのが好きなだけの普通の高校生なのだとしたら。私たちは。
私たちは、なんてひどいことを彼にしてきたのだろう。
彼は、今、ゴン太くんを失った瞬間、声を張り上げて笑っている。
さっきまで泣いていたとは思えないほどに、高らかに、両手を広げ、全てを掌握した悪の総統のように。嘘だよ、と、いつものように吐きだして。
「オレがゴン太のために泣くかよ!」
もしも、こんな世界でなければと考える。
私たちが出会っていたのが普通の高校で、コロシアイなんかなくて、一緒に授業を受けて、行事ではしゃいで、普通の友達になって、恋をして、そうであるならば、彼はこんな存在にならずにすんだのではないか。
「オレは純粋に、心の底から、この疑心暗鬼のゲームを楽しみたいだけなんだ!」
疑うことの必要ない世界であれば、裏切りも憎しみもない世界であれば、彼はこんな風に笑わずにすんだ。
「ほら、オレって悪の総統だからさ、性格がひん曲がってるんだよねー。オマエラが苦しめば苦しむほど、オレにとっては面白くて仕方ないんだよ」
誰かが王馬くんのことを理解してあげていれば、彼はこんな風に嘘を吐かずにすんだ。
「オマエラは人を信じすぎだよ。せめてもう少し疑心暗鬼の目でオレを見ていたら、入間ちゃんもゴン太も、無駄死にしないで済んだのにねっ!」
彼を理解不能な異物に仕立て上げたのは、この世界と、私たちだ。
王馬くんは、本当は泣きたいのだ。嘘を吐いているのだ。ゴン太くんに行くなと言った、あれが本当の彼だ。説明なんかできない。どうしてそんなことがわかるんだと聞かれても、勘だとしか言えない。だけど、それの何が悪い。
怒りにまかせて殴り掛かった百田くんの拳をあっさりと避けてみせた王馬くんは、その腹に強烈なカウンターを食らわせた。春川さんが崩れ落ちる百田くんに駆け寄る。なんてダサいんだろうね、と王馬くんは目を細めて笑う。その瞳は、相変わらず皆の一挙一動を確かめる様に、忙しなく動く。百田くん、春川さん、キーボ、白銀さん、夢野さん、最原くん。
彼はあの時のように、私をその視界に入れない。
百田くんを心配して駆け寄る皆の姿を、実に興味がなさそうに眺めた彼は、「それでもキミの周りには誰もいない」と指摘した最原くんに目を細めて見せた。
その表情は、一歩間違えれば、泣き出す寸前のそれのように見えたのだった。
オレが首謀者ではないと言い切ることができた三人の内、二人を見捨てた。
首謀者は、あの中にいる。あの中でオレたちを見て笑っている。
裁判場を出て一人歩くオレの頭上には、雲の一つもない夜空が広がっていた。あれも結局は作り物だ。だってここは宇宙船で、一歩外を出れば、地球も、人類も滅亡しているのだから。オレたちと、これをどこからか見ている連中を除いては。
殴り掛かってきた百田ちゃんを殴り返した。彼は呆気なく吹っ飛んで、惨めに床に転がった。だけど百田ちゃんには心配してくれる「仲間」がいて、オレにはもう、誰もいない。
総統として慕ってくれた手下たち、あいつらは、仲間で、友人で、理解者だった。最原ちゃんが言い放った「キミの周りには誰もいない」が、じわじわと、オレの首を絞める。あの探偵は、酷いことを言うもんだ、呼吸ができずに死んでしまう。
だけど、そろそろだ、もういいだろう、コロシアイはここで終止符を打たねばならない。
不意に、石動ちゃんの瞳が脳裏をよぎる。オレの勘でしかないけれど、それでも残された唯一の、首謀者ではないと言い切れるあの少女は、今もゴン太のために泣いているか。キーボに背を撫でられているか。百田ちゃんを殴ったオレを酷い奴だと悪しざまに罵っているか。傷つけたことを謝ってすらいないのだから、オレのことなんて憎んでいたって仕方ない。
「あーあ」
誰に理解されずとも、あの子にだけは、もう疲れたと泣き言を言ってみたかった。
だけどそうするには、オレは命を犠牲にしすぎたな。
気を抜けば緩んでしまいそうな涙腺に、オレは首を振る。裏庭へ続く小路を抜け、目当ての物の前に辿り着くと、オレはペンのキャップを取った。二人を見捨てたオレは、そうさせた首謀者を恨む。このコロシアイを憎む。オレがゲームを終わらせてやる。いや、それだけでは足りない。お前の思い通りには動かない、首謀者の座を奪ってやる。笑うのはオレだ。何も手に入らないなら、せめて、それくらいはしてやろう。
このせかいはおうまこきちのもの
かつてゴン太が見つけた石に書き記したそれは、まるで自分の願望のようにすら思えた。