5
王馬くんの言っていることがおかしいのは前からだし、その本心が掴めないことに関しても今に始まったことではない。だから彼の言うことを真に受けていたってどうにもならないと知っているはずなのに、百田くんはすっかり彼に惑わされてしまっているようだ。
ゴン太くんが残り二体となったエグイサルを倒すと宣言したのが、私たちが思い出しライトによってゴフェル計画や隕石のことを思い出した次の日のことだった。しかし、いくらゴン太くんが力持ちだからといっても、高機動人型殺人兵器と言う肩書きを背負ったロボットを二体も相手にするというのは無謀な気がする。
王馬くんは、何を言い出すのかとでも言いたげなため息を吐いてからはっきりと「無茶だね」と言ってのけた。そこまでは良かったのだ。
「そもそも何でこのゲームを止めたいわけ?」
この台詞が、百田くんの癇に障った。
「みんなももっと楽しもうよ! 殺し合いのゲームなんてなかなかできないよ?」
さて、次の犠牲者は誰かなー、そう続けた瞬間の、彼の瞳の挙動を、私は確かに見た。
何かを探すような、窺うような色をしていた。その目は春川さんや百田くん、果ては、白銀さんやキーボや最原くん、夢野さんたちを順に眺めていく。ゴン太くんや入間さん、私には、最後まで彼は目を合わせようとはしなかった。それに違和感を覚えた瞬間だった。ばき、と鈍い音がして、王馬くんが床に転がったのは。
百田くんが彼を殴ったのだと気が付くまで数秒かかった。王馬くんは殴られた頬を抑えて俯く。その表情は、私からは窺えない。
「百田クン……。どんな理由があろうと暴力はいけません」
しんと静まり返った食堂で、やがてキーボが百田くんを諭した。「それはコロシアイの元になる」と。
裁判ではあんなに頼りになる最原くんはどうしたらいいか分からない様子だし、百田くんは一応頭が冷えた様子であるとはいえ謝る気はないらしく、王馬くんの方に目線を向けようともしない。こんな時、赤松さんや東条さんがいれば場をまとめてくれただろうけど、その二人ももういない。
めちゃくちゃだった。ゴン太くんはこんな風になるくらいだったらやっぱり自分がモノクマを倒すと主張して、一方で春川さんは不機嫌そうに眉根を寄せてため息を吐く。この状況に堪えかねたらしいのは夢野さんだ。「う、ウチが魔法でこの場をおさめて」と、彼女が言いかけたときだった。
「ゴン太がモノクマを倒す必要なんかねーよ」
入間さんの鋭い声が、食堂に響き渡る。
「オレ様が、テメーらをコロシアイのない世界に連れてってやる!」
宣戦布告するように、胸を張ってそう宣言した入間さんは、昨日思い出しライトで記憶を思い出した後に「ここから出せよぉ」と泣き言を言っていた人物とは思えないほど、毅然としていた。
王馬くんは何も言わずに、殴られた頬を抑えたまま入間さんのことを見上げていた。それは彼女を探るような、温度の低い瞳だった。
入間ちゃんがどうやら馬鹿なことを思いついてしまったらしい。用件ついでに彼女がいるコンピュータルームへ向かうと、聞いてもいないのにいろんなことをべらべら喋りだすものだから閉口してしまう。コロシアイのない世界へ連れて行くと宣言してくれた彼女だが、要するに、プログラム世界とやらを作るつもりでいるらしい。危険物の一切が排除された暴力のない穏やかな世界なのだと言っているが、何を考えているんだか。
彼女の作業を中断させて、オレは自分が描いた数枚の設計図を渡した。「作って」と笑顔で頼んだオレに、次に唇を引き結ぶのは入間ちゃんの方だった。
「あのなあ、話、聞いてたか? オレ様は、今忙しいんだよ!」
「え~? でも入間ちゃんならこれくらい余裕でしょ? なんてったって天才なんだしさ~」
「えっ? そ、そう? ま、まあ見るだけなら……」
入間ちゃんはオレのお世辞を真に受けて、忙しなく叩いていたキーボードから指を離した。彼女がオレの作った設計図を眺めている間、パソコンの画面を勝手に覗き込む。どうも何かのプログラムを組んでいる作業中のようだが、門外漢であるとは言えそれが英語である以上何が書いてあるのかを推測することくらいはできる。
彼女は今それぞれのアバターの設定を行っているところだったらしい。なるほど、このアバターはオレたちが操作するものと考えるのが妥当なところであるだろうが、「連れて行く」と彼女が明言している以上、単純にゲームのような感覚として捉えていいものではないのかもしれない。
人名と共に、風貌の指定が数値で行われている。これを全員分行うのは骨が折れるだろう。視界の隅の一つの単語が目に留まる。彼女の癖なのか、並んだ文字は要素ごとでわざわざ改行されていた。だからこそ、その中で浮いているものに気が付くことが出来たのだ。
入間美兎のアバター属性、物。
勿論、他の皆は、本来物であるキーボですらも、人として設定されていた。見落としではなく故意にそう設定していることは明らかだ。オレの中の疑心がはっきりと形になる。
今いる連中の中で、彼女は首謀者ではないだろうと踏んでいた。だからこんなことを頼みにきたのだ。殺しを企むようならやっぱりオレの勘は正しかったことになるが、それでもやりきれない。どうせ、頭は良いんだがバカなビチ子ちゃんのことだ。どんなに手の込んだトリックを使ったところで、どこかに穴があるに決まっている。今こうしてオレにその一端を晒してしまっているように。
ため息が出そうになるが、入間ちゃんがオレの顔を見上げたので、ぐ、と飲み込む。オレに画面を覗かれたとは知らない彼女は、「作れねえことはねえと思うけど、何に使うんだよ」と余計な詮索までしてきた。
「何って、見て分からない?」
「必要ねぇだろ、オレ様が殺し合いのない世界に連れてくって言ってんだ」
「それはそれ、これはこれ」
適当に言いくるめながら、入間ちゃんの手の中で皺を作る設計図を見下ろす。一枚目はハンマー、二枚目は爆弾に見えるが、実際は二つとも、電子機器の動作を止めるためのもので殺傷性はない。
選択肢はいくつも用意しておくべきだ。一つの道が閉ざされたときに、絶望せずに済むように。そう思っていたけれど、やっぱり早めに行動しておいて良かったかもしれない。入間ちゃんが企んでいることが、オレの想像通りなら、残された時間はない。彼女には何としてもこの二つを完成させてもらわなければならないのだから。
皆がモノクマと戦うために、そして、あの外の世界を見るために。この馬鹿げたコロシアイを終わらせるために。
しかし、「これが完成したらモノクマにだって勝てるんじゃない? ほら、みんなで一緒に力を合わせてさ!」と適当に乗せようとしたオレに、入間ちゃんは眉間に皺を寄せた。石動ちゃんが浮かべる表情に、良く似ていた。
入間ちゃんはやがて、酷く弱々しい掠れた声で、「やるなら勝手にやれ」と続けたのだった。
王馬くんの部屋の前に行って、思い切って扉を叩いてみたけれど、返事はない。パッドを見ると彼はここにいることになっているのに、もしかしてよっぽど百田くんに殴られた頬が痛いのだろうか。起き上がることができないくらいに。それとも、もしかしたら打ち所が悪くて。
そう思ったらいてもたってもいられなかった。ドアノブを回してみたけれど、予想通り彼はきちんと鍵を閉めている。室内で倒れていたら洒落にならない。事件に発展してしまうかもしれない。
せめて気が付いてほしいとインターホンを連打して、扉を何度も叩き、王馬くんの名前を呼んだが矢張り返事はなかった。最後の手段は、もうこれしかない。私は自分の頭からヘアピンを抜き取り、王馬くんがアンジーさんの死体があった研究教室の鍵を開けたように見様見真似でピッキングをしようとして――「何やってんの?」と声をかけられた。
「あっ? 王馬くん!」
「あっじゃないよ。ひょっとして不法侵入するつもりだった?」
王馬くんは丁度階段を昇ってくるところで、私は慌てて持っていたヘアピンを後ろ手に隠すがどうにも遅すぎたらしい。私の慌てた様子をじろじろと眺める王馬くんの頬は、僅かな赤みがあるとは言え、ほとんど平時と変わりがなかった。ほっとしたけれど、そうなってくるとここに居た理由を説明するのが恥ずかしい。
「ちがうよ、だって生徒手帳のパッドだと王馬くんは部屋にいるって表示されてるのに、ノックしてもいないから」
「ああ、持っていくの忘れてたんだ。……で、何? オレに用事?」
「いや用事っていうか……」
何だか、いつもの王馬くんと違う気がする。彼は扉と私の前に身体を捻じ込むと、絶対に中に入れる気はないというようにそこに立った。浮かんだ微笑はいつもの通り、歪みも崩れもしていなかったけれど、それでも何だか彼の声のトーンがいつもより低い。
「用事がないならさ、オレに構わないで好きなことやってれば? なんか作ってればいいじゃん、いつもみたいに」
「何怒ってるの?」
王馬くんが、一瞬だけ笑顔を強張らせたのが分かった。思わず唇を尖らせる。ほら、怒ってる。そう言おうとしたのに、王馬くんは再び笑った。にしし、ではなく、はは、と。乾いた笑い声をあげて。
「怒ってないってば」
それは、何だか彼の拒絶のようにも思えたのだった。
ポシェットのボンボンのかわりに、手にしたままのヘアピンを握りしめる。黒く、何の変哲もないそのピンを、力任せに折り曲げることができれば、少しは行き場のない苛立ちもおさまったのだろうか。だけど私にそんなことは出来なかった。
不意に、王馬くんが口を開く。どこに真意があるのか分からない人だった。彼の言葉なんて話半分に聞いておくべきだ。真に受けたって仕方がないと、今朝怒りを露わにする百田くんに対して私は確かに思った。だけど、でもやっぱり、譲れないもの、言い換えれば「地雷」というものがあるのだ、誰にだって。そこを王馬くんは熟知している。百田くんがどうしたら怒るのか、私がどうしたら傷つくのか、彼は知っている。
「キーボのところにでも行けば? 人間じゃないあいつと一緒に居るのは、面倒くさくなくて楽でしょ」
それでも言い過ぎたと、思ってくれたのだろうか。言い終えた王馬くんは私の顔を見て、僅かに眉を動かした。だけどそれだけだった。
傷つけられたと思った。百田くんと同じように、拳を振り上げてしまいそうになった。だけど、脳裏を過ぎったのはキーボの声だ。「どんな理由があろうと暴力はいけません」彼の静かな声が、私の肩を掴んでやめろというから、だから。
あれだけ見つめ続けていたその瞳から目を逸らす。探り続けていたはずの彼を模した箱から、私は手を離す。踵を返すその瞬間「ほっぺた、何ともないなら良かった」と、独り言のように呟くことしか私には出来なかった。私の震えた声に、彼は、何も言わなかった。
かんかんと音を立てて階段を降りると、私は彼の望み通りに寄宿舎から飛び出す。皆の居場所を示すパッドを見れば、キーボがどこにいるかなんてすぐに分かる。だけど、私はそうしなかった。
校舎に入って食堂脇の階段を駆け上がる。自分の研究教室に飛び込むと、作りかけの刺繍絵を取り出して、一心不乱に糸を縫いつける。三色の濃度の違う青と、白の糸だけで作った海の絵。ここには誰もいない。母も、姉も、キーボも王馬くんも、誰もいない。
「いたっ」
勢いよく針を刺してしまった。刺繍針の刺さった指先から、血が滲む。ぷくりと小さな球体を作る血液を、私は指ごと口に含む。
ぼやけた視界の先で、私の描いた青はまさに海だった。自分が泣いている理由が分からなかった。王馬くんが怒っている理由も、それに傷つく意味も、私には分からなかった。
王馬クンに声をかけられたのは、彼が百田クンに殴られた日の午後のことでした。彼はボクの研究教室までやってくると、部屋の隅々を眺めて目を輝かせました。彼が来ると知っていたら、ボクはこんなところにいなかったのに。
「何この部屋すっげー! キーボ、いざとなったらこの学園ごと破壊できるんじゃないの?」
「し、しませんよ……ボクは、暴力は嫌いなんです」
「またまたあ。ロボットが暴力嫌いなわけないじゃん。頭の中ではいつも人間を駆逐してるんでしょ?」
「ふざけないでください! ロボット差別ですよ!」
百田クンとやりあって少しは頭が冷えたのかと思えば、彼は全く持って普段通りの王馬クンで、しかしボクは聊か彼の言動に戸惑いを覚えました。そもそも彼は一体何をしに来たのか、というのが第一の疑問です。彼はボクをからかうことはあっても、わざわざ一対一で何かを話すことをしませんでした。
追い返すべきか、と思案していると、内なる声はそれを否定します。「少しくらいは話してみてもいいじゃないか」と、男性とも女性ともしれぬその声が囁くので、ボクは仕方なしに頷くのでした。
「一体何の用件ですか」
そう尋ねたボクに彼が吐きだした言葉の意味を、ボクは理解することができないのです。
「大した用事じゃないんだけどね」
ボクは、ロボットです。結局は、人間の気持ちなんて分からないのかもしれません。
「多分、石動ちゃんが泣いてると思うからさ、行ってあげてよ」
だって、意味が分からないのです。どうして王馬くんが、石動さんが泣いていると分かるのか、そしてどうしてボクが行かねばならないのか。ボクが行ったところで解決するのか、そもそも誰かが死んだわけでもないのに、どうして彼女が泣いているのか。
だけど内なる声は言いました。「早く行ってやれ、お前しかいないだろう」と。ならば、ボクは彼女の元に向かいましょう。例え理解できずとも。泣きじゃくる彼女を見て人間とこの体の差を目の当たりにしなくてはならなくとも。ボクは。
「……わかりました」
吐きだしたその言葉に、彼が笑うと言うよりは、顔を歪めて見せたので、ボクはますます人間への理解が及ばないことを思い知らされます。
二階の彼女の研究教室からは、確かに彼女の泣き声が聞こえました。扉を開け、中に飛び込んで、ボクは驚愕します。彼女は指から血を流していたのです。
よほど痛かったのでしょう。ぽろぽろと涙を流しながら、彼女はポシェットに血がつかないようにそこから絆創膏を取り出している最中でした。突然現れたボクに目を見開く彼女は、その縁いっぱいに涙をためながらボクの名前を呼びます。だから、ボクは慌てて彼女が取り出した絆創膏を剥いで、その温い温度をした皮膚に貼り付けてあげました。ボクは不器用ですから、少し曲がってしまいましたが。
突然現れたボクの行動にすっかり驚いたのか、石動さんの涙は既に止まっているようでした。ボクは小さくため息を吐く真似事をしながら、「よかった」と呟きます。
その、一体何が琴線に触れたのでしょうか。目を見開いたままの石動さんは、再び大粒の涙を流し始めたのですから、ボクはわけもわからないまま、彼女の背中を撫でるのでした。
以前よりも少しだけ、脂肪が落ちたようにすら思えるその背中は、小さく震えていました。彼女はなかなか泣き止もうとはしませんでしたし、理由を話してくれることもありませんでした。机の端がティッシュの山になる頃、石動さんはようやく落ちついて、ボクに「ごめんね」と言うのでした。初めて彼女の背を撫でたときのように。
どうして彼女が泣いていたのかを、ボクはきっと、理解することができないのでしょう。
石動ミクは、難解です。