4





 してやられた。王馬くんが、裁判を乗り越えたご褒美だと言ってモノクマが渡したカードキーを奪って逃げてしまったのだ。
 最悪なことにあれは従来のアイテムと異なり、新しい場所へ行けるようになるだけでなく動機と言う役割をも兼ねているらしい。ならばこそ軽率に使うべきではないと提案したキーボに、王馬くんは「だったら、そのカードキーはオレがもらうねー」と誰が止める間もなく食堂のテーブルに置かれたそれに手を伸ばしたのだった。
 最悪な人物の手に渡ってしまったと、その場にいた誰もが思っただろう。王馬くんは直前に、「ゲームはまだまだこれからなんだから、元気を出さないと」と全く持ってふざけたことを口にしたのだ。



「人数も少なくなってきたし、次あたり、オレが殺されちゃうかも」



 悪びれる様子もなく、いつものように食えない笑みを口元に浮かべて。
 運動が苦手だと言っていた割に、カードキーを奪った後の王馬くんの動きは鮮やかだった。身軽に皆の間をすり抜けると、追いかけようとする百田くんから身を躱し、食堂から出て行ってしまったのだ。その人を食ったような態度に百田くんの怒りも頂点に達したのだろう。彼は王馬くんを追いかけてそのまま食堂を飛び出して行く。残された私たちは、しばし呆然と立ち尽くすだけだった。
 モノクマから渡されたアイテムはあと二つ。私たちはそれを最原くんに託し、残る皆で王馬くんを捜すことにした。彼は、放っておいたら何をするか分からない。いつも私たちを振り回して、本心を隠す人なのだ。この非情なコロシアイをゲームと呼んだり、茶柱さんを失ってから彼女の存在の大きさに気がつき絶望する夢野さんに追い打ちをかけるようなことを平気で言ったり。
 折角、少しは良いところもあるのかな、なんて風に思ったのに、その期待は彼によって手ずから破壊されてしまった。
 良いところなんか、あるわけない。彼がいなければこんな生活であっても、今よりはずっと穏やかだったのかもしれないのだから。



「石動さんは、王馬クンが何を考えているのか分かりませんか?」



 だから、手分けをして王馬クンを捜すことになったとき、解散して早々キーボに言われた言葉には眉を寄せた。



「……どうしてそう思うの?」

「いえ、最近彼とよく行動していたように思えたので。もしかしたらどこに行きそうなのか分かるかと思ったのですが」

「わ、わかんないよ、それにそんなに一緒になんかいなかったし」

「そうですか?」

「そうですよ!」



 キーボの目から見て、私たちはそんな風に見えていたのかと思うと心外だ。だけどもっとショックなのは、彼がちっとも、それについては何も思っていないらしということを思い知らされたことだ。私はこんなにキーボのことでやきもきしているのに、彼の方はそうではないらしい。
 アンジーさんと茶柱さんを殺した犯人が真宮寺くんだと発覚し、彼は処刑された。裁判が終わった後、疲れて眠りこけてしまった夢野さんを背負うゴン太くんの後ろ姿を眺めながら、キーボは私の肩に手を乗せ、言ったのだ。「今日は大丈夫ですか?」と。
 彼の言う「大丈夫か」と言うのは、「背中を撫でなくても」と言う意味が込められている。それを理解した瞬間、私は事件が起きる前までずっと彼を避けていたことを思い出した。
 彼が神さまに傾倒したことに、かつての母を重ねていたのだ。恐ろしかった。埃だらけの部屋、畳まれない洗濯物の山、食器だらけの流し、それらを私たち姉妹が自ら片付け始めるようになった頃、畳の奥に現れたのが「神さま」だった。一心不乱に何かを唱え続ける母の横顔が、彼の、アンジーさんを支持するそれと重なって見えた。だから離れた。なのに、彼の方は変わらず私を気にかけてくれている。
 もしも神さまなんかいないのかもしれないと、彼の口から聞いていなければ、私はきっとこの時もキーボを拒絶しただろう。
 私は首を振った。だけどそれは拒否ではなく、もう大丈夫だと言う、意思表示だった。



「慣れちゃった、とか、そう言うわけじゃないんだけど」



 ここでは人が次々死んでいく。喪失感はある。殺されてしまった皆に対しての悲しみも、殺さざるを得なかった皆に対しての同情も。だけど、泣いてばかりもいられない。それは慣れからくる後ろ向きなものではなく、生き残ったことに対する責務として、そう思うのだ。
 キーボは私に薄く微笑みかけると「そうですね」と小さく頷く。



「それは石動さんが、強くなったからではないでしょうか」



 温かいその声に頬が染まるのを感じる。裁判の間に昇っていた月の光は、いつも嘘のように明るいから、私は咄嗟に顔を俯かせた。額に突き刺さる第三者の視線を、何となく感じながら。
 今私はその昨夜と同じように地面に目線を落とし、ポシェットのチャック部分についた毛糸のポンポンを、ぎゅうと握りしめている。隣を歩くキーボは一体何を考えているのか。とりあえず外を捜してみようと二人で食堂から出たはいいけれど、彼はあまり口を開こうとしない。
 前からそうだったか、ここに連れてこられたときから、キーボはこんな風に口数の少ない人であったか。考えて分かるのは、かつては私の方から彼にぽんぽんと話を振っていて、キーボの方は聞き手に回ることが多かったということだった。こんなに無言が長く続くのは、私の方が以前よりも寡黙になったということで間違いない。



「……いませんね。王馬クン」



 キーボは私の考えていることなど気づきもしない。彼がじっと視線を向けるその先には、入間さんの研究教室があった。正確に言えば、彼が見ているのはその目の前にある黒いオブジェだ。もしかしたらあそこに最原くんに預けたアイテムを置くのかもしれない。



「ここ、何かありそうだね」

「そうですね。王馬クンも見当たりませんし……ここで最原クンを待ちましょう」



 キーボの隣に立ち、すっきりと晴れ渡った空を仰ぎ見る。相変わらず私は彼に投げかける言葉を見つけることができずにいる。
 今までどんな話をしていたんだっけ。今まで彼の隣に居て、話題に困ることなんかなかった。私は思いついたことを端から喋っていたし、それでキーボの気分を害したこともなかったはずだ。ならば、今も深く考えずに彼に話題を振るべきだと分かっているのに、私の脳裏には王馬くんの言葉がこびりついている。



「石動ちゃんはキーボが好きなの?」



 私は彼の問いに答えなかった。声が出なかったのだ。
 だって言われなければ気が付かなかった。私がキーボを好きだなんて。
 横に立つキーボを盗み見る。私は彼のことが好きだった。この学園で目覚めた日、眠っていた私の頬を軽い力で叩いたその鋼鉄の手に、私はきっと恋をした。








 石動さんと見つけたオブジェに最原クンが石をはめ込むと、ちょうど入間さんの研究教室の真隣に、というよりも、融合する形でそれは現れました。
 丸い扉を開ければ、「近未来的」――と言えば聞こえはいいかもしれませんが、見るからにメカメカしいものの揃った部屋がありました。さて一体誰の研究教室ですかね、ととぼけて見せたところで無駄のようです。最原クンと、ボクと行動を共にしていた石動さんは口を揃えてボクの研究教室であることを指摘してきましたが、ボクはこんな研究教室は嫌です。
 各種の拡張パーツはどれも大した威力はないようですが、ジェットパックに小型ミサイル、ロケットランチャーといった類のそれらは常日頃から王馬クンがボクに期待している機能の一角でした。興奮する入間さんが「これで早くキーボを可愛がってあげたいよお……」なんて頬を染めながら言うのでボクはすっかり困ってしまいますが、視界の隅で石動さんが少しだけ唇を尖らせてその様子を見ているのが何だか気にかかりました。あの表情は一体どういう意味なんでしょう。データを照合してみても、彼女があんな風な顔をすること自体がレアケースであるようです。
 脳内で記録を残していると、不意に石動さんがボクを見ました。どこか雰囲気が違うように思えましたが、今日のヘアアクセサリーがいつもより地味だったせいかもしれません。それも含めて、ボクは彼女を記録します。内なる声に従って。
 ボクの中に、今日も彼女は蓄積していく。








 とんでもないものを見てしまった。
 皆から奪い取ったカードキーは、思いもよらぬところで使えた。玄関ホールのど真ん中、床に使われた素材の隙間、良く見ると一部分だけ変色した箇所があったのを見つけ、もしやと思い差し込んだ。サイズはどんぴしゃで、それはあっさりカードを飲み込み、ほとんど音をたてずに床が崩れた、と言うよりも、消えた。
 中から現れた階段は人二人が通れるほどの幅であったろうか。見つからないうちにと急いで階段を下りると、そこは坑道をイメージしたのか、はたまた例のごとく工事が追い付いていないのか、土がむき出しになった穴倉になっていた。灯りは天井にぶら下がった裸電球で、それはコードに繋がりながらオレンジ色の灯りを点々と足元に落としている。
 こんな人通りの多いところで新しい通路が出来てしまえば、誰かに気付かれることは必至だ。しかし振り向いた瞬間、オレが下りてきた入口は再び音をたてずに元のように閉じられたのだから、一体どういう技術なのかと首を傾げざるを得ない。カードキーは飲み込まれたままだし、戻るときはどうしたらいいのか、と思わないでもないが、どうにかなるだろう。最悪モノクマを呼べばいい。そうなると、オレが進む道は一本だけだった。
 真っ直ぐ伸びる道を進むと、闇はどんどんと深くなっていく。単純に電球の数が減っただけに過ぎないのかもしれない。途中道は二又に別れたが、勘で一つを選んだ。だって、オレだったらこっち側に正解の道を作るし。オレの勘は当たるんだ。なんてったって超高校級の総統だからね。結果、オレの進んだ道は正解だったのだからオレの勘はやっぱり侮れない。
 どれくらい歩いたか、辿り着いたのは見覚えのない空間だった。左手には電子バリアが施されたシャッターの下りた大きな扉。右手からは何だか聞き覚えのある機械音が絶えず響いている。こっそりそちらの方を覗いてみて納得した。ここは、赤松ちゃんの先導によって挑戦させられた、あの地下道の先なのだ。
 きっとこの先は外の世界に続いているに違いない、あの時彼女はそう言って皆を奮い立たせようとしたけれど、あの時いた十八人全員が、彼女の激励で強くなれるほど単純ではなかった。石動ちゃんなんかはアホだから、むしろどんな状況でも諦めようとしない赤松ちゃんを尊敬の眼差しで見つめていたけれど。
 実際何度も挑戦しているうちに、皆の思いはバラバラになってしまった。怪我をして、痛い目を見て、やってられないと思っているだろう連中が何人かいたのは見ていてわかったから、オレが苦言を呈した。いや、はっきりと言葉にして、彼女を槍玉にあげたのだ。
 結果、メンバーは真っ二つに割れた。石動ちゃんがあちら側につくのは、もう最初から分かりきっていたことだった。石動ちゃんは、オレを責めるでもなく、弱音を吐きだす皆に申し訳なさそうに表情を曇らせる赤松ちゃんを、気の毒そうに見つめていた。
 ――さて、そして今オレが立っているのが、あの時どれだけ望んでも辿り着けなかったゴール地点、ということになるらしい。この電子バリアの張られたシャッターの向こうが、所謂「外の世界」だ。外では何が起きているのか。この学園の中でそれを知っている人間は誰もいない。
 超高校級の才能を持ったオレたちは何かから逃げていて、何がどうなったのか、合同で葬式を行うという結末に陥った。いや、そもそもあの葬式は本当に「結末」なのかすら怪しい。何せオレたちはここでこうして生きている。ここが死後の世界でもない限り、あの葬式は何かの目を欺くための物であったと見て間違いないだろう。
 しかし、その何かとは一体何なのか。
 シャッターの横には、操作パネルのようなものが鎮座していた。なるほどここに数字を打ち込むことで電子バリアが解除される仕組みであることは間違いないが、パスワードなんか分かるはずがない。どうしたものかと腕を組んだ瞬間、シャッターの真正面に一枚のカードが落ちていることに気が付いた。オレが先ほど使ったカードキーだ。それを拾うと、オレは迷うことなく操作パネルにそれをスキャンする。高い電子音が、ロックが解除されたことを告げる。電子バリアが溶ける様に消えていく。残されたのは、見るからに頑丈なシャッター一枚だった。車庫や何かで使うのとはわけが違う。触れただけで重く固いそれに、この向こうに隠された真実の重大さを察する。それに触れた瞬間、自分の指先が震えていることに気が付いた。だけど、この得体のしれない恐怖がなんだと思う。
 オレは外に出なくてはいけない。早く助けに行かなくてはいけない。オレの仲間たち。部屋に置きっぱなしの動機パッドは、擦り切れるほどに見た。あのときモノクマーズによって自分のパッドが配られたのは、東条ちゃんだけではない。オレもそうだったのだ。
 オレの仲間たちは、どうやら皆何者かに捕まってしまったらしい。散々好き勝手やっていたオレを、総統と慕ってついてきてくれたやつらだ、あいつらに限って死ぬことはないだろうが、オレを待っていることは間違いない。あいつらのことを思うと、不思議と力が湧いた。早く行かなくては。迎えに行ってやらなくては。
 ボタン一つでシャッターが開くことを知っていながら、オレはその窪みに指をいれる。想像以上の重みに耐えながら持ち上げた、足や腰がビキビキと音をたてた、それでも引けなかった。そしてオレは知ってしまったのだ。
 この世界はとっくに終わっていたのだと。








 王馬くんは、百田くんが思い出しライトを見つけたという話をどこから聞きつけたのか、食堂にひょっこり現れた。その手に例のカードキーはなく、最原くんに尋ねられても彼は「どこで使えばいいか分からなかったんだよねー」と嘘くさい笑みを携えて答えるだけだった。
 百田くんがそんな彼に食って掛かるが、王馬くんの方はと言うとのらりくらりと躱し続けている。本当にこの二人は相性が悪い。ライトだって、結局百田くんが使おうとした瞬間に王馬くんが奪い取ってしまった。
 止める間もなく私たちに向けられたその光の奥で、しかし私は、王馬くんが少しも笑ってなんかいないことに気が付いたのだった。








 ああ、なるほどね。
 百田ちゃんが見つけてくれた思い出しライトを使ったことで、オレの中で一つの線が繋がった。
 地球に降り注いだ隕石群によって、人類は滅亡するかに思われた。一方同時に出現したカルト宗教団体は、「人類は地獄に落ちるべし」と主張する。世界の終焉に立ち向かうために作られたゴフェル計画は、具体的にはどういうものだったか。逃げ回っていた超高校級の才能を持つオレたち。誰かの目を欺くための合同葬式。それらを繋げて見れば、答えは自ずと見えてくる。勿論、オレがこうして筋道を立てることができるのは、あの外の世界を見たおかげだろう。
 世界は荒廃していた。何もなかった。錆びた標識や車の残骸、ひしゃげた建物たちが、かつてここに人が住んでいたことを知らせた。そこには生きた人間は勿論、動植物すらも存在しなかった。それでもあれは間違いなく地球だ。どうしてこんなことになっているのか分からなかったが、隕石が落ちてきたのなら理解できる。
 地球は終わってしまったのだ。
 呆然とあの景色を眺めていたオレは、やがて息苦しさに気が付く。酸素がほとんどないのだ。慌ててカードキーを使って一息にシャッターを下ろすと、オレはただただ、得体のしれない喪失感に打ちのめされていた。カードキーがそのまま光って消えてしまうと同時に、再び電子バリアが音を立てて張られたのを視界の隅に入れながら。
 外には何もない。それどころか、呼吸すらもままならない。オレたちにはここが全て。それを伝えることができれば、この馬鹿げたコロシアイは終わり、首謀者の目論見も立ち消えるはずだ。
 だけどどうやってそれを伝えるべきだろう。
 この景色を見せようにも、カードキーは消滅してしまった。再びこの電子バリアを解除するにはパスワードが必要になるし、そもそもその前にここに辿り着くのだって容易ではない。カードキーがなければオレが通ってきた坑道は使えないし、そうなれば道はあの、何度も挫折を味合わされた地下道のみになる。
 思考はただただ積み重なる。やるべきことを選び取る。どうしたらコロシアイが終わるのかを、オレは思考する。
 ああ、こんなことになるんだったら、あのときカードキーを奪ったりしなければよかった。だけどオレがこういう行動をとるだろうことすらも、首謀者の計算のうちなのかもしれないと思うと、ぞっとしない。
 それでも、終わらせなくては。これ以上誰かが死ぬことがないように。どうやら、オレは遅かったらしいから。オレの仲間たちは、もうどこにもいないらしいから。だからせめて、ここにいる連中くらいは。
 皆が隕石やゴフェル計画について話し合っている間、無意識に表情を強張らせていたオレは、自分に向けられた視線に気が付いた。石動ミクは、実に裏のなさそうな馬鹿丸出しのやわらかな目で、オレを見ていたのだった。
 オレは彼女に、キミの親も姉妹もみんな、もうこの世のどこにもいないらしいよと言ってやりたいのを、寸でのところで堪えている。


PREV BACK NEXT