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石動ミクの母親は神を信じて二人の娘を残し、家を出た。これまでの彼女の話と動機パッドの内容を組み合わせると、そういうことになる。
大して頭なんか良くないくせに、彼女は自分にも何かできることはないかと死体発見現場となったアンジーちゃんの研究教室を隅々まで調べていた。犯人が作り上げた密室の仕掛けが気になるのか、気づけばオレの傍にいたはずの彼女は最原ちゃんや春川ちゃんと共に裏口の扉近くにしゃがみ込んでいた。樹脂でできたヘアアクセサリーは部屋の照明できらきらと輝いている。ああいうのも作れるもんなんだと、血の臭いの充満するこの場にそぐわないことを考えながらオレは降霊術を行おうと突飛な提案をする真宮寺ちゃんの言葉に耳を傾けた。
人数が足りないと彼が言った時、石動ちゃんが一瞬だけこちらを見た。咄嗟にキーボを指名したのはどうしてだろう。降霊術とロボットなんて、似合わないにも程がある。でも、もしかしたらその胡散臭さに、そういった類のものを嫌う彼女を近づけたくなかったのかもしれない。
オレは意にそぐわない形で参加することになったキーボの腰部分を押しながら、先導する真宮寺ちゃんに続いて廊下に出た。石動ちゃんの視線を感じたが、彼女が見ているのはオレではなく、この手のひらの先にいるキーボなのだろう。
校舎四階は日中であっても薄暗く、べとりとした闇が纏わりつくような感覚を覚える。
「あの、王馬クン」
夢野ちゃんが、降霊術に適しているのではないかと指定した小部屋に向かう途中、唐突にキーボがオレの名を呼んだ。合成音声にしては淀みのない声だ。人間と違って、こいつは素直で裏表がない。思ったことはすぐに口にしてしまうし、隠し事もできない。それはこいつがロボットだからだ。
キーボはオレが返事をするよりも先に、全く躊躇いのない様子で尋ねた。
「キミは石動さんのことが……その……好きなんですか?」
「……は?」
さすがロボットは空気が読めない。前を歩く真宮寺ちゃんたちがキーボの声を聞いていないらしいことは助かった。
眉根をぐっと近づけ、不快だと目で訴えるが、この感情をロボットごときが理解できるのかは甚だ疑問だ。そもそも、ロボットのくせに他人の感情を知ろうとする行為自体が烏滸がましいと思わないのか。それとも、これすらも学習だと言うのか。だとしたら救われないのは、あの子だ。
「何でそうなるわけ?」
「いえ、キミの石動さんへの態度が以前と違うのが気になりまして」
「えー? 一緒だよ? どこ見てんのキー坊」
「えっそうですか?」
どこがどう違うのか、具体的に言ってみろよ。そう言いたいのを浮かべた笑顔で飲み込みながら、オレはにししと頭の後ろで腕を組む。
バカだなキーボは。オレが石動ちゃんを特別視するはずないだろ。適当に並べた言葉たちに、キーボは皮膚を模した鋼鉄のアホ面で頷いてみせる。
石動ミクは愚かだ。勿論その点では、オレにとって彼女は特別ではある。
彼女はキーボをロボットと見ることをせず、人間と何の差別も区別もすることなく、純真な気持ちで仲間だと捉えている。そして、自分がキーボにとってどんな存在であるのかを考えることをしない。
オレはキーボを己の母と重ねるあの頭の悪い少女を、ただただ、憐れだと思うのだ。馬鹿だと思う気持ちの数万分の一程度の割合で。だからオレが彼女に抱いている感情は、同情であって恋慕ではない。
海を作るあの滑らかな手は、嫌いではないけれど。
「ていうか、そもそも好きっていう感情がロボットに理解できるわけ?」
「む……聞き捨てなりませんね。理解しようと頑張っている最中です!」
「へー! 無駄な努力はやめた方が身のためじゃない?」
「今の言葉も録音しておきますからね」
その言葉に微笑みを返しながら、無駄だ、と腹の底で思う。キーボは一生愛だの恋だのを理解できない。
「石動ちゃんはキーボが好きなの?」
神さまなんていないんだよと諭したあの日、続けてオレはそう尋ねた。石動ちゃんは作りかけの海をその手から落とした。オレの立っている場所からでは、彼女の耳たぶしか見えなかった。だけど、それで充分だった。床に落ちた青と白のグラデーションが、そのまま広がって、足元からオレを飲み込んでしまえばいいと、あのときオレは思ったのだ。
なあキーボ、あれが好きってやつなんだよ。あの子と一緒に居てもそれに気が付かなかったお前には、その感情を理解することはできない。
結局最原クンと入れ替えられる形で、ボクは降霊術を行うための部屋から追い出されました。これをロボット差別と呼ばずになんと呼ぶのでしょう。確かに最初は乗り気ではありませんでしたが、準備をしていくうちに興味が湧いてきたと言うのにこの仕打ちです。王馬クンが白い布を取りに真宮寺クンの研究教室で出くわした最原クンを連れてきてしまったのですが、彼には本当に振り回されるばかりです。
石動さんも、こんな風に大変な目に遭っていたのでしょうか。
「キー坊は代わりに真宮寺ちゃんの研究教室にでも行ってなよ!」
と言われたので渋々向かいますが、そもそもあそこに何か手がかりが残されているとは思えません。ある程度調べたら、死体発見現場に戻った方が合理的でしょう。
そう思ったのですが、しかしボクは真宮寺クンの研究教室で、彼女に出会うことになるのです。
「あっ」
声を出したのは、どちらの方だったのか。
石動さんはたった一人、空のショーケースを前に立っていたのです。内なる声は言いました。「石動ミクと話し合え」と。しかし一体何を話せと言うのか。ボクは自分の中のデータベースを検索しながら、「石動さんもここにいたんですね」と当たり障りのない言葉を吐きだしました。彼女は、少し迷ったように目線を動かしたのち、ボクにでも分かるくらいのぎこちない笑みを浮かべます。
「うん、えっと、キーボはあれでしょ、王馬くんに追い出されちゃったんだよね」
「その通りです……ですが、どうして知っているんですか?」
「私、今まで最原くんと一緒にいたから。王馬くんが最原くんを降霊術に誘ったのを聞いてて。そのとき、代わりにキーボを追い出せばいいねって話してたから」
「……然るべきところに訴えます」
「ほんとだよね。私も止められなくてごめん」
何となく表情がかたいように思われた石動さんでしたが、徐々に、その眼差しがいつもの穏やかなものに変わっていったのが分かりました。ボクは何となく安堵したような気持ちになって、彼女の隣に立ちます。
ほとんど身長の変わらないボクたちは、同じ目線で同じものを見ていると言ってもよいでしょう。空っぽのショーケース。そこにはたしか、赤松さんを模した蝋人形の腹部に刺さっていた刀があったはずです。それが無くなっているということは、あれはここから持ち出されたもので間違いありません。けれど、この部屋に事件と関連性があるものといえば、それくらいでしょうか。
その時不意に、石動さんが「ねえ」と、思いがけず短い声を発しました。ジジ、と、脳内メモリにデータが蓄積される音がします。ボクは、彼女のボクに向けて発した一言一句を、こうして記憶にとどめておくのです。
だけど彼女は、ボクにとって思いもよらぬ質問を口にしました。
「キーボは、その、どうして生徒会に入ったの?」
「え?」
「だって、あんな……」
石動さんはボクから目を逸らします。その次に吐きだされたのは、逡巡したのちの、絞り出すような、掠れた声でした。
「……神さまなんて」
その言葉の後に何が続くのかを予測すること自体は、不可能ではなかったのです。
こんな時に、ボクは入間さんの言葉を思い出します。
「お前、人間の感情が単純に数値化できるとでも思ってんのか?」
これは、数字で表せられるものではない。ボクは咄嗟にそう感じ取りました。今彼女が浮かべているそれは、ボクにはできない類の表情だ。この言葉の隅々に、ボクの知らない彼女がいる。それは石動さんを作り上げた環境であり、思い出であり、根であると言っても過言ではないのでしょう。ボクはそれを、察してしまったのです。
ボクはアンジーさんのことを思いました。神さまに誰よりも愛されていたあの少女。彼女の命が失われた今、石動さんの言葉を否定することは、ボクには出来ません。
「……そうですね」
呟いた言葉を、石動さんの黒い瞳がボクを影ごと縫いとめる。
「神さまは……いないのかも、しれませんね」
ボクの言葉に、石動さんはどこか泣きそうな顔で目を細めました。
ですが、縋りつく弱さを否定することはしないでほしい。
人が頭蓋と呼ぶ部分の奥の方で、今日も内なる声はボクに指針を与え続けているのだから。
降霊術の最中、茶柱さんが死んだ。
この中の誰かの犯行によることは明らかだ。犯行現場となった小部屋は、今はキーボのライトで明るくなっている。そこに照らされた遺体に、果たして私は覚悟ができていたのだろうかと瞬きを繰り返す。やっぱり神さまなんかいないじゃないかと、指し示したい相手はここにはいない。
ゴン太くん曰く、小部屋の床板は釘が刺さっていないらしい。足を取られないように気を付けて、と紳士的に手を差し出され、私はその大きな手に触れることで、得体の知れない恐怖から目を逸らした。
丸くなった茶柱さんの遺体に、次は自分の番なのではないかと恐怖を覚える。吐き気を催したけれど、足元に広がる踏み荒らされた魔法陣を眺めて、耐えた。
茶柱さんの遺体周辺の捜査も完了し始めた頃、王馬くんが怪我をした。茶柱さんの遺体発見現場となった隣の小部屋だった。
キーボのライトがない両端の部屋は蝋燭の灯りしかなく、薄暗い室内でうっかり床板を踏み抜いてしまったのだと、額を切ったのか洒落にならない量の出血をした彼は口にする。どうしてそんなところに、と思わないでもないが、数日前に倉庫から絆創膏を貰ったときに、一緒にあった接合用テープもついでにポシェットに入れておいたのを思い出して、治療を申し出た。
真宮寺くんの研究教室を借りて、王馬くんに椅子に座ってもらう。額の傷口を止血すると、思ったほど深くないのか血は既に止まりかけているらしいことが分かった。
「痛くないの?」
「どう見える?」
「すっごく痛そう」
「にしし、結構痛いよ」
箱の裏面を確認しながらテープを数枚剥ぎ取って、患部に貼る。こんなの使ったことないけど、まあ傷口をおさえておけばいいのだろう。
「いざってときって、ほんとにあるんだね」
そう呟いた王馬くんに一度考え込んでしまったが、先日のことを言っているのだ。彼は私が絆創膏を持ち歩いていることを、普段から怪我をするのかとからかっていたから。
「そうだよ。良かったねぇ私が用意周到で」
喋りながら貼ったら、少しテープが寄ってしまった。微調整をしたいがそれで下手くそと罵られるのも目に見えているのでそのままにしておく。傷自体は上手く塞がるような形にはなっているし、問題はないだろう。
誰もいない真宮寺くんの研究教室は、しんと静まり返っている。
この部屋の奥にあったはずのかごの中で茶柱さんが死んだ。そう思うと、途端に目の前が暗くなる。だけど、この動揺は伝わってほしくなかった。慣れたのか、以前ほど王馬くんに対して苦手意識はなくなったとは言え、やはり彼の考えていることは読めない。彼が私と同じ無神論者だからと言って、考えなしに心を開くのは危険であるように思えた。
「はい、おしまい」
皆は今頃裁判のために祠へと向かっている。早く後を追わなくては。立ちあがろうとした私の手首を、しかし彼は掴んだ。思いもよらない力が加わったことで咄嗟に膝をつく。なんの悪戯か、私の手を引っ張った王馬くんは、「ははっ」と心底楽しそうな笑い声をあげた。
文句を言おうと思って、咄嗟に椅子に座る彼を見上げる。私は一瞬、息を飲んだ。研究教室の高い位置にある窓から差し込む日光に、彼の髪が透けていた。目を細め、私を見つめる彼は、まるで普通の男子高校生にしか見えなかったのだ。
「石動ちゃん」
彼は私の耳元に唇を寄せた。その距離感にぞっとしたのも確かだったのに。
「キーボと仲直りできた?」
だけど、吐きだされたその言葉は、その悪戯っぽい表情とは裏腹に、酷くぬるかった。
その瞳の奥に、形容しがたい色が浮かんだのを私は見る。ひょっとしたら、彼が最原くんの代わりにキーボのことを小部屋から追い出したのは、わざとだったのかもしれないと、そのとき私は気が付いた。傷口を塞いだばかりのテープが、彼の前髪の下に隠れる。
あの傷は、彼そのものだと唐突に思った。幾重にも、彼はその手で真実を隠す。誰にも見えないように。
王馬くんが薄い笑みを浮かべる。
彼の手のひらが、私の両目を覆っていく。