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「人の気持ちが分かる機能をつけてもらうことはできませんか」



 入間さんは時折ボクの身体が見たいと言って、自分の研究教室にボクを呼びつけることがありました。彼女の研究教室はいつ来ても乱雑で、一般人が見ても全く理解できない類の機器や、細かな工具があちこちに散らばっています。だけど彼女は混沌した室内の中から即座に目当てのものを見つけてしまうので、彼女にとって整理整頓は何の意味もないものなのかもしれません。
 ボクの言葉に、身体の隅々を触り続けていた入間さんは顔をあげると、あっさりと期待を裏切る言葉を投げてよこしました。



「はぁ? んなもんあるかっつーの」

「ど、どうしてですか」

「お前、人間の感情が単純に数値化できるとでも思ってんのか?」



 できないんですか? と言葉にしかけたけれど、飲み込みました。



「まぁ大雑把に感情をカテゴリすることが『理解』だっていうんなら、それは可能かもしれねーけどよ」



 そう続けた入間さん自身、人の気持ちが分からない類の人間であることは間違いないわけで、なるほどそう考えてしまえば、ボクの望む機能の装備は実質実現不可能であることが結論付けられるのです。残念なことですが。
 オイルを吟味しながら、入間さんは再び自分の世界へと入り込みます。彼女が「あぁっ、こんなのいれちゃったら、きっとすごいことになるよぉ……」と凡そ拡張機能やそれに伴う備品を眺めているとは思えない艶めかしい声を吐きだすのを、ボクはぼんやりと聞く他ありません。
 最近はどうも調子が悪いです。このメンテナンスが終われば少しは楽になるのでしょうか。だけど、楽になるとは、一体何が。
 ジジ、ジジ。メモリに保管された石動さんの声を意識的に再生させながら、ボクは入間さんによるメンテナンスが始まるのをじっと待ちます。



「私は生徒会には入らない」



 彼女がボクに向けて放った温度の低い、震えた音を、ボクは焼ききれるほどに繰り返し、聴いている。








 石動ちゃんは要するに、宗教が嫌いなのだ。
 と言うと語弊があるのかもしれないが、神さまとやらを胡散臭く思っているのは間違いないだろう。よくよく思い返してみれば、誰にでも分け隔てなく接する彼女は、アンジーちゃんのことはオレ以上に避けているようだった。極限状態にあれば真っ先に偶像に縋りつきそうな顔をしておきながら、しかし実際にそれを前にしても彼女の顔に現れたのは嫌悪の一色だったのだから、つまりそう言うことだ。
 キーボと言う支柱を自ら手放した石動ちゃんは、以前よりも鬼気迫った様子で様々な物を作り始めた。羊毛のぬいぐるみ、ビーズでできた花、小さな肩掛けバッグ。彼女の研究教室が解放されたのも都合が良かったのだろう。石動ちゃんはすっかり自分の世界に閉じこもってしまった。
 あれだけ喜怒哀楽の振れ幅が大きかった彼女は、生徒会の面々と距離を取るのに比例して、内に籠ろうとしている。笑顔の濃度が薄い。からかっても表情が変わらない。そのくせ、キーボのことはいつまでも目で追っている。その視線にキーボが気づくことはない。
 さてこれは彼女以外には恐らくオレしか知らない事実であるだろうが、彼女には年の近い姉妹がいた。双子か、姉か、妹か、そこまでは分からないけれど、彼女にそっくりな顔をした少女は、揃いのワンピースを着て、同じ髪型で笑っていた。
 お母さんに見捨てられてから、二人は、互いに手を取り合って生きてきました。しかしこの輝く笑顔は、一瞬で失われることになるのです。と言うのはまああの動機ビデオのモノローグなわけだけど、オレがその内容を知っているのは例の「なごもう会」の時に、手に入ったビデオの中身に関して全てを確認したからだ。
 どうやら、キミの姉妹は生存が危ぶまれているらしいよ。オレの仲間と同じように。
 とは言うはずがない。



「ねーねー石動ちゃーん。こんなところでそんなに色々作ってどうするの? 店でも出す気?」

「あっまた出た」

「ひど……虫みたいな扱いしないでよ……」

「せめてノックしてよ~。あとそこに針山落ちてるから踏むと危ないよ」

「うわっちょっとやめてよ何で床に置いてるわけ」

「落ちたのを拾う余裕がなかった……」



 黙々と巨大な刺繍絵を作り続ける彼女の研究教室に、椅子は一つしかない。超高校級の手芸作家である彼女は、小物を作ることが好きだ。洋服の類は作れないことはないが、多分、白銀さんの方がずっと上手だよ。そう言っていたのを聞いたことがある。
 床に落ちていた針山を拾い上げ、今度は落とさないように離れたテーブルの真ん中あたりに置いた。額に目でもついているのか、石動ちゃんは「ありがとう」と何のてらいもなく言うので、オレは何だか気分が悪くなる。超高校級の総統は、お礼を言われるのに慣れていない。
 石動ちゃんは、あれから少しだけオレに心を開いてくれたらしい。前のように露骨に眉を顰められることはなくなった代わりに、軽口を叩くようになった。その変化はオレにとってもつまらなくはなかった。
 彼女の手元をじっと見ていると、瞬きしている間に何もない面に色が浮かんでいく。何を作っているのだろうと考えたが、ふと、海だと気が付いた。細い指先は自在に針を操り、波を描く。美しいグラデーションだと思えば、しかし良く見ると四色の糸しか使っていないことが分かる。
 刺繍って、バツ印に縫うだけではないのか、と一瞬興味を持ちそうになった瞬間、彼女の手が止まった。



「ねえ王馬くん」

「んー?」

「見られてると緊張するからどっか行って」

「うわ、酷くない?」

「手元が狂って針が指に刺さりそう……」

「刺せばいいじゃん」

「えっ傷つく……」



 石動ちゃんは思い切り眉を八の字にして、それから今までよりもずっとペースを落としてのろのろと針を動かし始めた。この前食堂で作っていた薔薇は終わったのだろうか。彼女の作り上げた作品は、ぬいぐるみも、マフラーも、バッグも、一つもここには置いていない。
 彼女は、立ち去ろうとしないオレにそれ以上は何も言わなかった。相変わらず熱のない声で、眉を上げ下げするだけで表情を変化させた。いくら以前よりは心を開いてくれたらしいと言っても、「彼女のキーボ」にオレはなれない。



「ねえ石動ちゃん」

「んー?」



 今度は、彼女は手を止めることも、目線も寄越すこともしなかったが、集中力が切れているのは明らかだった。
 普通の教室よりも少し広いだけの部屋。整理された布はしかし端切れが多く、大物を作ることは出来そうにない。彼女はけれどそれでも困らないのだと言った。自分が作るのは細々としたものばかりだからと。
 色も太さもまちまちの刺繍糸。針は何十本と準備されていた。初めてこの教室に入ったとき、何に使うのか分からない機材を確認しながら、「おお~色々揃ってる」と嬉しそうに呟いていた、その後ろ姿を眺めていたのはキーボではなくオレだった。
 キーボが知らない彼女をオレは知っている。だから、もっとその中身を広げて見せてくれ、この欲求は、人間の性だろう。



「キミはどうして神さまを嫌うの?」



 その呼吸が、今度こそ止まる。








 神さまなんかいるわけがないのだ。だっていたら私たちはこんな目に遭っていない。
 閉じ込められることもなく、記憶を失うこともなく、殺し合うこともなかった。
 こんな状態だからこそ神さまに縋るのだと真宮寺くんは言った。分からないわけではない。否定したいわけではない。だけどキーボにはそちらに行かないで欲しかった。私の傍で背中を撫でていてほしかった。他の人なんか、どうだっていい。イケメンの神さまでも黒髪赤目の神さまでもおばあちゃんみたいな神さまでも、好きに作り上げたらいい。だけどキーボだけは行かないで。私の隣に居て。ずっと私を撫でていて。
 あなたはお母さんにならないで。 








 わざわざ尋ねたのは、石動ちゃんの感情を動かしてみたかったからだ。興味本位だった。なるほど石動ちゃんは明確に動揺して見せたし、オレの質問に答える前に指を針で思い切り刺した。「ギャー!」と悲鳴をあげながら、彼女は反射的にだろう、指を口元に持っていき、その舌で舐める。



「ち、血が出たぁ……」

「あーあ何やってんのさ」

「王馬くんが急に変なこと聞くから」

「オレのせい?」



 石動ちゃんは自分のポシェットから絆創膏を取り出すと、器用に巻いてしまう。「普段から持ってるってことは、良く刺すの?」と尋ねると、彼女は「いざってときのためだし」と嘘くさい真実を平気で吐きだした。
 絆創膏を貼り終えると、彼女は道具を片付け始めてしまった。四色の糸がケースにしまわれるのを眺める。この糸がさっきの海を描いていたのかと思うと、信じられない気持ちになる。
 彼女は産みだしてしまう。オレやキーボが到底作ることのできない世界を。だからこその超高校級なのだと理解できても、その目が見ているものを知りたいと思う。あの海は、彼女の感情だ。たった四色の糸を自在に操り描き出されたそれを、完成するまで眺めていれば、彼女のすべてが分かるのだろうか。



「それ、できたらオレにちょうだい」



 彼女の手の中の海を指差し、そう呟いた瞬間、石動ちゃんは驚いたように目を見開いてオレを見つめた。猫のマスコットを突っ返されたことを覚えているのだろう。眉をぐっと寄せて、言葉を探す彼女は、考え込むような仕草を見せた。緩くまとめられた髪の毛が、ふわりと動く。チェック柄のリボンは、昨日彼女が作った新作だと、オレだけが知っている。



「いやだ」



 思考の末、あんまりにもはっきり拒絶されるものだから、声をあげて笑った。 








「神さまなんかいないって思ってるから、罰が当たったのかな。だからこんなコロシアイに巻き込まれちゃったのかな」



 そんな声が聞こえた気がしました。石動さんのもののように思えました。
 いや、ボクが今通りかかったこの扉の奥が彼女の研究教室であることを思えば、それはボクの聞き間違いでも、勘違いでもないのでしょう。誰と話をしているのか、それとも独り言か、ボクは耳をそばだててしまいたい自分自身を自覚しながら、足を止めるなと、叱責します。階段を上り、生徒会の集会所にもなっているアンジーさんの研究教室を目指します。内なる声は、今日もボクに希望を囁きます。



「バッカだな~。だったら神さまがいるって信じてるやつが、コロシアイに巻き込まれるのはおかしいじゃん。つまり神さまなんてのはいないんだよ」



 ボクに彼の、普段とは明らかに違うその声音が届くことはない。








 アンジーさんが死んだ。自分でも恐ろしいほどに、何も感じられなかった。
 関係がないのに。母が消えたことと彼女の神さまは何の関係もないのに、私はそれでもアンジーさんが発する言葉たちから連想されるものと母とを結びつけた。主は言いました。主がそう言っているの。あなた達も、さあ、祈りなさい。



「……祈りを捧げましょう」



 だから、キーボの口から母が嘗て吐きだした言葉とおなじものが出てきたとき、私はそこで初めて、自分が泣きそうなのだと言うことに気が付いた。仲間が、アンジーさんが死んでしまったから、ではなく、私は自分自身が傷つけられたことに対して、私は泣きたかったのだ。
 何て薄情なんだろう。



「旅立たれてしまったアンジーさんが、神さまのお導きによって無事に天国に辿り着けるように……」



 キーボや、白銀さん、夢野さん、ゴン太くんが、逡巡なく手のひらを合わせて遺体に祈りを捧げるのを、私は死体発見現場となった研究教室の隅で眺めている。嫌なにおいがした。シンナー、絵の具、血、換気がなされていると言っても、それでもここは淀んでいる。薄暗く湿った母の部屋に良く似ている。
 神さまなど、果たしているのだろうか。
 私たちが神さまを信じなかったから、お母さんはいなくなっちゃったのかな。姉の声が脳を過る。
 神さまを信じなかったから、こんなところに閉じ込められたのだろうか。私が吐きだした弱音を、しかし彼は笑い飛ばしてくれた。バカだなと、そう言われた瞬間心が軽くなった気がした。勿論、何が本心なのかは分からない彼だ。すぐに嘘を吐くし、からかうし、私を構っているのだってただの気まぐれなのかもしれない。それでも私は、ここに来る前からずっと抱いていた靄を彼に取り払ってもらったような気になった。
 王馬くんは今、アンジーさんの死体をまじまじと眺めている。
 床に横たわり、頭や首から血を流しこと切れた少女の背に、もう神はいない。








 アンジーさんが死体で発見されたときが初めてだったかもしれません。
 石動さんは、泣くことをしませんでした。嘔吐し、泣きじゃくっていた今までのことを思えば、それはありえないことのように思えましたが、王馬クンの言うとおり、これで事件も三度目ですし、死体に慣れた、と考えてもいいのかもしれません。
 顔色をほとんど変えずに捜査に加わる彼女の隣には、その王馬クンがいました。彼は逆さづりにされた蝋人形に頭をぶつける石動さんに軽口を叩きながらも、度々その表情を窺っているように見受けられます。石動さんはそれにいちいち眉を寄せながらも、懸命に事件解決の糸口を探しているようでした。
 厳密に言えば、星クンが殺されたときも、彼女が捜査のパートナーとして選んだのはボクではありませんでした。神代クンと一緒に体育館を出て行ったあの時は何とも思いませんでしたが、どうしてでしょう。彼女と王馬クンが一緒に居ると、何だかはっきりとしない、靄がかったような感覚を覚えます。微細なエラーでしょうか。
 そういえば、彼女とは生徒会への入会を断られてからまともに会話をしていませんでした。彼女用に作っておいた内部メモリが、二、三日前から更新されていないのが証拠です。その時不意に、内なる声がボクに告げました。「石動ミクの傍に居ろ」と。
 アンジーさんの神さまの言葉同様、それはボクにとって宣託だったのです。
 しかしボクが彼女に声をかけることは叶いませんでした。真宮寺クンの提案で、降霊術を行うことになったのです。それに必要な人数は五人。王馬クンが率先して手をあげたとき、石動さんも同様そちらに向かうのかと思ったのですが、彼女はその会話に入る気はないようでした。代わりに夢野さんと茶柱さんが名乗りを上げ、穴埋めのためにと王馬クンによって選ばれたのがなぜかボクだったものですから、ボクが彼女と話をする機会は再び先送りにされることになったのです。
 内なる声にすぐに従うことはできそうもありませんが、この降霊術が終わった後、そうでなくとも、裁判が終わった後、もう一度声をかけてみようと、ボクは温度のない眼球を模した瞳で、彼女の横顔を見つめている。


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