act04.王馬小吉 / キーボ





 内なる声は言いました。石動ミクの傍にいるのだと。
 その声に従い、天海クンの死体を発見して顔面蒼白になった彼女に付き添って、トイレで吐くその背を撫で続けました。彼女の顔面は涙と鼻水で酷いことになっていましたが、そうなり得ないボクからしてみたら、その体液は随分と美しいものに見えたのです。



「ご、ごめんね、キーボ、こんなところに付き添わせちゃって」



 ずるずると鼻を啜りながら、何とか便器の中身を流した彼女は、ハンカチで顔を拭うと、まだ涙の滲んだ瞳でボクを見上げます。こんなところ、というのが、女子トイレのことを指すのは間違いありませんが、ボクは続けられた言葉を聞いて、驚いてしまいました。



「男の子なのに、ごめんね」



 彼女は本気でそう言ったのです。女子トイレなんか入りたくなかったよね、と。
 何も考えずにのこのこと着いてきてしまったボクは、途端に気恥ずかしくなりました。人間として扱ってほしかった。だけど、石動さんは本当に、何の逡巡もなく、ボクをそういう風に扱ったと、そう思ったのです。
 振り返ってみれば、彼女は実に感情的な女子でした。怯え、泣き、勇気づけられれば分かりやすく顔つきを変え、百田クンの冗談に声をあげて笑い、王馬クンの嘘に騙されては不貞腐れる。喜怒哀楽の激しい人は他にもいましたが、しかし、その中でも彼女は特に優しかった。ボクに対する差別意識など、一つも持ち得ていなかった。
 それは王馬クンの言葉を借りれば「ただのバカ」……なのかもしれません。でも、それでも彼女がボクに向けてくれる表情が他の誰かに向けてのそれと欠片も変わらないことを知り、何かが震えたような感覚を覚えたのです。その何かが、「心」であるならば、どれほど良いかと。
 何もしていないのは落ち着かないからと、倉庫からフェルトと綿を持ってきて大量のマスコットを作り上げたとき、彼女は女子たちだけでなくボクにまでそれを譲ってくれました。



「キーボは猫より犬派って顔してるよね。でもペンギンもあるしウニもいるよ、どれが好き?」

「ウニですか……」

「ウニです」



 結局ボクが貰ったのは彼女が勧めてくれた犬だったのですが、それを見ていた王馬クンが大声でからかってきたことも、メモリに残してあります。



「うわー、ロボットに犬派か猫派か聞く? ロボットが動物を愛する心なんか持つわけないじゃん!」



 いつか然るべきところに訴えます。
 石動さんはそんな王馬クンにも猫のマスコットを差し出しましたが、彼はそれを「こんなの貰ってもどうしたらいいのさ」と言って受け取りませんでした。そう言われてみれば確かに、勢いに押されて受け取ってしまいましたが、これを貰ってもどうしたらいいんでしょう。部屋に置いても埃を被ってしまいそうですし、置き場に困ることは確かです。
 王馬クンが去って行った後、石動さんはボクの様子をじっと見て、「キーボもやっぱり、いらない?」と控えめな声で尋ねてきましたが、まあ、何かの役には立つかもしれません。「いいえ、ボクはいただきます」と言うと、彼女は目じりを下げて微笑みました。この表情はどういう意味でしょう。統計を取らねばなりません。彼女の情報を集めなければいけません。だって、内なる声がそう言うのですから。
 赤松さんが死んで、泣きじゃくる彼女を宥めたのは、そういう意図があってのことでした。
 彼女は良く泣きます。嗚咽を漏らします。心拍数は高め。体温は三十六度八分ほどと見ていいでしょう。ボクは彼女の表情から、温度から、声色から、彼女の心理を理解したい。彼女という存在を受け止めたい。だって、内なる声が言ったのです。彼女の傍にいるべきだと。
 ジジ、ジジ、ボクの内蔵データに、彼女の声が記憶されていく音がします。








 超高校級の手芸作家である石動ミクは、その大人しそうな外見とは裏腹に喜怒哀楽の激しい少女だった。
 天海蘭太郎の死体が発見されたときはトイレに籠り盛大に吐き、彼を殺したのが赤松楓だと知るや否や裁判の途中だというのにも関わらず激しく泣いた。その取り乱し方と言えばあわや裁判が中断させられるのではないかと思うほどで、隣の証言台の最原ちゃんが気の毒になったくらいだ。
 しかしこと赤松ちゃんに関しては、仕方がないのかもしれない。石動ちゃんは最原ちゃんのように彼女と行動を共にすることはなかったにせよ、ここから全員で出ようと生ぬるいことを主張する赤松ちゃんを支持していた。いくら赤松ちゃんの真の狙いが黒幕であったとは言え、心の支えにしていた存在が殺人を犯したという事実は、普通の女子高生には耐えがたいことであっただろう。
 力なくぶら下がった赤松ちゃんの体を凝視していたあの瞳は、まさに深い絶望に染まっていた。
 そうして石動ちゃんはすっかり塞ぎこんでしまうかと思われた。
 しかし、オレの予想は覆されることになる。彼女は裁判の翌日、普段通りに食堂に現れただけでなく非情に旺盛な食欲を見せたのだった。曰く、「いつまでもくよくよしてても仕方ないもんね」らしいが、切り替えが随分早い。この少女は、どうやら一度感情を吐きだしてしまえば諸々がリセットされるという単純な人間でもあるらしかった。石動ちゃんがそうしてにこにこと東条ちゃんの作った朝食を平らげるのは、しかし彼女の元来の性格によるものだけではないらしいことは確かだった。彼女は慰められていたのだ。超高校級のロボットである、キーボによって。
 ロボットに人の心が分かるはずがないのに、なぜあいつは泣きじゃくる人間の背中をあの鋼鉄の手で撫でるのか。人間を慰めるロボットなど、滑稽だ。同時に、ロボットに慰められる人間も。
 赤松ちゃんが犯人となった裁判が終わったあと、深夜に偶然見かけたその二つの後ろ姿に声をかけたのは、指摘してやりたかったからだ。



「笑えるねー。ロボットのくせに人間の気持ちが分かるの?」



 キーボは小さな背中を撫でる手を止めようとはしなかった。彼女の弱々しい嗚咽をかき消すような声で、ただ、「理解しようとしているんです」と短く答えた。
 ジジ、ジジ、と、およそ人間が発するものとしてはあり得ない機械音が夜の静けさを縫うように耳に届く。キーボは学習している。石動ミクから、人間そのものを学習している。豊かな感情を持つ、一見裏表のない少女の傍にロボットがいる理由は、それしかなかった。
 とは言え、厳密に言えば、キーボが彼女の傍にいる理由はまだ他にもあるのかもしれない。
 石動ミクはとぼけたところのある少女だった。キーボをロボットとして扱わないのだ。キーボは被害意識の強いロボットだから、誰かが少しでも自分の意にそぐわない発言をすればすぐに差別だなんだと騒ぎ出す。しかし、石動ミクはいくら周囲の人間がキーボを故意にロボット扱いしようと、無意識的にロボットとしての在り方やイメージを押し付けようと、全く流されることなく、キーボを一人の友人として扱ったのだった。それはキーボのことを思って意識的にそうしていると言うよりは、最初からキーボがロボットであることを知らないのではないかと思えるほどに、自然な言動や所作であった。言い換えれば、彼女は「ただのバカ」だったのだ。
 あのメカメカしい見た目をしたキーボにロボット性を求めないというのは、ある意味彼女自身の人間性が疑われて然るべきではないだろうか、とは、しかし誰も言わない。



「倉庫にあった毛糸でモチーフをいっぱい作ってみたよ~」



 毛糸で編まれた花をいくつも繋げて作ったそれは、ストールとしてキーボの首に巻きつけられた。ロボット以前の問題で、男がそんなものを喜ぶはずがないのに、そういうことを考える頭が足りないのだろう。だけどキーボは彼女の純真さに感謝を示した。喜んだ、とは言わない。だってロボットがそんな感情を持ちうることは、到底不可能なのだから。
 そう言えば、彼女はこの学園に閉じ込められたばかりの頃、何かをしていないと落ち着かないからと良くわからないマスコットを大量に生産していた。いくつかは女子に、そしてキーボにもあげていたけれど、オレにも差し出してきたときについ「え~、こんなの貰ってもどうしたらいいのさ」と軽口を叩いてしまったら、彼女は酷くショックを受けた様子でオレに差し出したマスコットをそろそろと自分に引き寄せたのだった。
 フェルトで作られた猫は、彼女の代わりにオレのことを実に非難がましい目で見つめていた。以来彼女がオレのために何かを作ったことなど一度もない。
 空気が読めない、自分勝手、押し付けがましい。一歩間違えばそんな印象を与えうる石動ミクは、元来の明るさやその笑顔で周囲を和ませた。他人に弱みを見せることを何とも思わないこの少女は、コロシアイなんていう今の状況下では呆気なく死ぬだろうと思った。少なくとも、東条ちゃんや星ちゃん、神代ちゃんなんかよりは、ずっと早くに。








 石動さんは、酷くショックを受けている様子でした。
 それは三人もの仲間が死んでしまったからというよりも、彼女の行動が原因で神代クンが死んでしまったのだという思い込みに起因していることは明らかでした。
 泣きじゃくるばかりの彼女から必要な情報を拾い上げるのは困難を極めましたが、どうやら彼女は、捜査の間に神代クンに何か、彼にとっては見ない方がいいだろうものを渡してしまったようです。それが何なのかは分かりませんが、石動さんが泣く必要はないのではないでしょうか? モノクマ含め、裁判時、そして投票を放棄した彼の行動は、少し不自然でしたから。そこに何らかの思惑が働いていただろうことは想像に易いですし、石動さんの行動が契機であったことの証拠はどこにもありません。
 だけど彼女は首を振るばかりでした。内なる声は言いました。それでも彼女の傍にいてやるのだと。石動ミク。彼女を殺してはならないと。ボクはその声に従います。ボクを導いてくれるその声に、従います。








 石動ミクは、今回の裁判が終わった後も、まるで当然のようにキーボに背中を撫でられていた。
 東条ちゃんの手で、星ちゃんが殺された。東条ちゃんはオレたちを上手く操っておしおきを避けようとしたけれど、それも上手くいかなかった。というよりは、のまれてしまったのだろう。自分の手のひらから降りた神代ちゃんによって、彼女の舞台は呆気なく壊されてしまった。
 神代昴。超高校級の植物学者であった彼は、石動ちゃんとは真逆で感情の波が乏しい人種だった。
 唯一東条ちゃんには心を開いているような様子が見受けられたけれど、彼女と共にゲームを降りることを選ぶような何かが二人の間にあったとまでは思えない。オレにとっても、他のみんなにとっても、東条ちゃん自身にとってすらも、彼の投票放棄という行動は理解しがたいものがあった。
 投票を棄権した人間は殺される。それを覚えていなかったわけではないだろうに、神代ちゃんはそうして東条ちゃんより一足早くゲームをやめてしまった。巨大な花に食われるその後ろ姿はいっそ清々しくすらあった。
 二人の間には愛があったのだと真宮寺ちゃんが決めつけていたけれど、彼女の死を見届けることを拒絶するかのように死んだ彼に口はない。何が真実だったのかを知る術は、もうないのだ。
 モノクマも、死んだ人間を語ることはしない。オレたちは謎だけを残されたまま、再びこのコロシアイゲームの渦へと放り込まれることになる。
 だからこそ、鈍感さとある種の敏感さを兼ね備えた石動ミクは、その鋭敏な感受性を殺すべきだ。一刻も早く。さもなければ、いずれ彼女本人がこのコロシアイの中心に据えられることになるだろう。それは被害者としてか、はたまた加害者としてか。後者はないだろうと言いたいところだが、この学園では、ありえないことなんて、ない。
 星空の下、いつかのように丸めた背中を撫で続けるキーボの手を、オレは背後からじっと見つめている。



「私のせいだ。私が神代くんに、あれを渡しちゃったから、たぶん、そのせいで」



 石動ちゃんは、きっとオレがこうして会話を盗み聞きしていることを知らない。その見た目に反して、オレたち人間が求めるロボットらしい機能がほとんどついていないらしいキーボも、ひょっとしたらオレが物陰で息を潜めているなんて分かっていないのかもしれない。アホなキーボは、石動ちゃんの懺悔に何も言葉を発しようとはしない。音声を発するためだけに存在するその口元は、今もきつく引き結ばれたままなのだろう。
 彼女がそれ以上語ろうとしないため、そしてキーボが彼女の零した言葉を拾おうとしないため、その真意というのは紐で繋がれることがなくなってしまう。バラバラになったまま足元に散らばるそれを、オレは闇の中、じっと見つめた。
 ああ、多分、あの動機パッドを神代ちゃんに渡しちゃったんだな、と、誰が誰の動機パッドを持っていたかを把握していたオレだけが、彼女の懺悔を察することができる。
 頭のてっぺんで作られた黒いおだんご頭の中心は、まるですべての悪意を吸いこんですっかり美しさを失っているようにすら見えた。
 ジジ、ジジ、という機械音と共に、瞬きの一つもせずに彼女を見つめるロボットの横顔が、本気で人間のそれに見えるのならば、いっそ彼女は幸せだ。あの鋼鉄の手は、きっと冷たい。
 あれは人間ではない。








 アンジーさんに声をかけられたのは、東条さんの裁判が終わった次の日の夜のことでした。
 コロシアイを止めるために話し合いたい、と言う彼女の言葉を、どうして拒絶することが出来たでしょう。



「ミクもつれておいでよー」



 アンジーさんにそう言われたボクは、彼女の部屋をノックしました。にこやかに応対してくれた石動さんは、しかし、アンジーさんの名前を出した途端顔色を変えたのです。
 あれは一体どういう意味があったのか。体調が良くないんだと告げた彼女は、驚くくらいあっさりと扉を閉めてしまいました。門前払い、というやつでしょう。ボクはもう一度だけノックをしましたが、本当に具合が悪かったのかもしれません。石動さんが扉を開ける気配はなく、ボクは仕方なく、一人でアンジーさんの元へ向かったのです。



「主は言いました……。これ以上コロシアイが起きないためにも、アンジー達は協力すべきだと」



 解放されたばかりの彼女の研究教室は、天井の梁がむき出しで寒々しくすら思えます。立ち上がったアンジーさんは、そこに集まった夢野さん、茶柱さん、白銀さん、そしてボクの顔を、ゆっくりと眺めていきました。
 神さまの声に従うんだよ。耳を傾けて。みんなの中にも神さまはいるんだよ。聞こえないなら、アンジーがみんなに伝えてあげる。これは神さまの意志だから。
 内なる声は、彼女の意見を強く後押ししたのです。








 アンジーちゃんが中心となって生徒会が結成されたとき、石動ちゃんは驚くほどあっさりとキーボから離れた。
 あれだけキーボに全幅の信頼を寄せているように見えたが、実際はそうでなかったのか、それは当人同士にしか分からないだろう。とは言え、彼女はそれでもキーボを目で追いかけることがままあった。キーボの方は全く気にしている様子もなく、まるで最初から彼女とはそこまで深い関係ではなかったとでもいうかのように生徒会の活動に邁進しているようだったのが、ロボットらしく薄情で笑えたけれど。
 アンジーちゃんを信奉しているというよりは、学園の平和を望むが故の正義感が根底にあるキーボは、しかしいずれ神を望むようになるだろう。それを恐らく、石動ちゃんも感じ取っていたのだ。
 どうすればコロシアイを断絶できるか、この学園で平和に過ごしていけるか、それは神さまに愛されているアンジーちゃんによって示される。そう熱弁するキーボ、いや、生徒会の面々を、感情表現豊かな石動ちゃんは実に嫌悪のこもった表情で見つめていた。オレはその横顔を、口出しするでもなく見つめていたのだ。
 そりゃあ、痺れたよ。喜怒哀楽の激しい石動ちゃんが、あれだけ心を許していたキーボをあっさりと切り捨て、まるで汚らわしい獣を見るかのような目で見つめていたのだから。
 彼女はすっかり一人ぼっちになった。生徒会と距離を置いていたのは、最原ちゃん、百田ちゃん、春川ちゃんと、真宮寺ちゃん、そして入間ちゃんとこのオレだ。この中で彼女がキーボの代わりに誰かを選ぶことがあるとしたら、それは一体誰なのか。
 しかし彼女は全ての人間に背を向け、一人になることを選択した。石動ちゃんの天真爛漫さはすっかりなりを潜めた。彼女は東条ちゃんのいない食堂で、一人で編み物をした。いつの間にか空っぽになった花瓶を前に、神代ちゃんが剪定した薔薇を現実に留める様に刺繍絵を描いた。
 誰かに声をかけてもらうのを待っているように見えた。その横顔が、寂しいと訴えているようだった。だから声をかけたのだ。



「一人じゃ寂しいでしょ?」



 日が落ち始めて、橙色の光が食堂に差し込み始める。東条ちゃんがいなくなってからは、各々が食事の支度を適当に済ませる様になっていたけれど、夕暮れ時のこの時間、食堂に居るのは彼女とオレの二人だけだ。
 石動ちゃんは針を持っていた手を止めた。彼女の手によって様々な濃度の橙で彩られた薔薇は、角度に応じて色を変える。随分と器用なものだ。彼女の髪を束ねるそのヘアゴムも、毎日形が違う。



「今日はネコなんだね」



 頭のてっぺんを指して口にすると、石動ちゃんは分かりやすく、困ったように眉を寄せた。彼女は、オレのことが苦手らしい。
 石動ちゃんが座る席の隣の椅子を、断りもせずに引いた。びくりと肩が震えたのが分かって、勝手に口の端が吊りあがる。キーボにはあれだけ気を許しておきながら、オレは駄目なの。そう思うと、不思議なことに笑えてくるのだ。



「石動ちゃん」



 先ほどまで忙しなく動いていたのであろう針は止まっている。石動ちゃんは、浅い呼吸を繰り返しながらオレの方に目線を寄越した。表情が豊かで声が大きく、物事の好き嫌いがはっきりとしている分かりやすいこの少女は、間違いなく、オレが嫌いだ。
 勿論、それは今ところの話だけど。



「キーボがいなくて心細いなら、オレが一緒にいてあげるよ?」



 石動ちゃんは、返事をしなかった。


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