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 親の言うことは絶対ってそう言う世界で生きていたから、逆らうとか、反抗するとか、思いつかなかったんじゃなくて、ただやらなかった。言ったことは上げ足を取られた後十倍になって返ってくるし、お母さんは言い返されたことは逐一メモでも取っているんじゃないかってくらいに詳細に覚えている。何年も経ってから、あの時もあんたはああ言ったよね、なんて怒鳴られることなんて日常茶飯事で、だから、いつも口を噤んだ。お母さんの言うことが正しいとか正しくないとかそういうのはどうでもよくて、ただ単に、楽に過ごすための処世術だ。お姉ちゃんはこれが上手くない。
 と言っても、実際のところ、お姉ちゃんと言う存在を隠れ蓑にしていたからこそ私はそんなに面倒な目には遭わなかったのだろう。中学を卒業するまでのお姉ちゃんは勇猛果敢にお母さんに逆らっては返り討ちにされていた。私はお母さんの中では、比較的扱いやすい子供だったんだと思う。嫌味、文句、物を投げられる、などなど、そういうことはお姉ちゃんの三分の一くらいだったから。
 お母さんの面倒なところは、それっぽい理屈で色んなものを丸め込んでしまう口のうまさにある。でも、これはある種の洗脳だったのかもしれない。ああ、もう無駄だって学習させるんだ。マウスに電気を通すのと何ら変わりない。
 お母さんのヒステリーは家の中だけじゃなくて、外でもそこそこ有名だった。あれは小学生の時だ。外にまで響き渡る怒声をお隣の明石さんに窘められると、「でもあんまり自由にやらせて怪我でもさせたら大変ですから。取り返しがつきませんしねえ」なんて、つい先週、クラスの友達と自転車を並走させているときに転んで隣の子の車輪に拳を突っ込んで大怪我をした孝介くんを論うような口調で嫌味を返したものだから、お隣さんだけでなく、ほとんどのご近所さんとの関係が一気に悪化した。あっという間に広まっちゃったんだ。ズケズケ物を言うミナちゃんには、芙由子ちゃんのママってちょっと変なんじゃない? なんて言われてしまうし。孝介くんは、目も合わせてくれなくなった。それまでは一緒につくしとか取ってたのに。
 それから半年くらい経って孝介くんのおうちが引っ越すことになったとき、お母さんは「やっと出て行った」と、酷く機嫌が良かったのを覚えている。私は孝介くんも孝介くんのお母さんも、優しくて好きだったけど、寂しいなんて言ったらそれも数十倍になって返って来そうだったから飲み込んだ。お姉ちゃんは孝介くんにお手紙を渡そうとしていたけれど、お母さんに捨てられた。








 色んなことがあった。色んなことがありすぎて、細やかなことまでわざわざ並べて広げて見せたらそれだけで町内の敷地を全部埋め尽くせちゃうんじゃないかなってくらい。幼いころからそうやって育てられたお姉ちゃんは、ある日いきなり諦めた。それまでの反抗心を両手で転がすようにきれいに整えて、手のひらサイズくらいにした後、それを口を開けて飲み込んでしまった。
 東京に行きたい、こんなところ出て行って、就職も向こうでしたいな。かっこいいスーツ着てさ。お洒落なお店でランチしたり、バーとかに行ってきれいな色のお酒を飲むの。
 夢を語るお姉ちゃんも、それに相槌を打つ私も、そんなことできないって分かってた。分かってたから、飲み込んだのはもう、欠片も希望を持っていませんよっていう証左だ。お姉ちゃんはいつの間にか何も言わなくなっていた。代わりに、のめりこむように変な番組にハマった。学校でも人気があった、ネット配信限定の番組だ。視聴者参加型で、仮想空間の中で全部の記憶をなくして新しい見た目や人格を手に入れて、そうしてコロシアイをしましょうねっていう趣味の悪いやつ。だけど、ダンガンロンパっていうそれを語るときのお姉ちゃんは、お母さんの支配とは別のところにいるみたいだった。
 私は二人目の子どもだから、お姉ちゃんよりも上手く洗脳されていたんだろう。結局。お姉ちゃんを盾にして、反面教師にしていたっていうのは、つまりその支配からの脱却の諦めが早かったということに他ならない。反抗するお姉ちゃんを、ちょっと馬鹿だな、くらいには思ってたのだ。
 料理が全然できないね。おにぎりもぐちゃぐちゃだもん。掃除も苦手だね。洗濯物、あんたが干すと皺になる。ねえ、どうしてそんなこともできないの? そう言った言葉が積み重なって、私は一人じゃなんにもできないダメな女の子になる。これじゃあ東京なんて行けないね。一人で暮らしたら死んじゃうね。お母さんの顔色を窺いながら自尊心を削られて生きていたから、私は自分がなんにもないような女の子になってしまったな。
 だから、今こうして振り返ってみれば、お姉ちゃんの方が賢かったのかもしれない。いや、人間として生きようともがいていたのかもしれない。戦って、ボロボロになって、諦めてしまったけれど、自分が夢中になれる何かを見つけた。その横顔に初めて私は羨ましいなって思ったのだ。私もこんな顔をしている瞬間があるのだろうか。
 例えば、好きな人といるときくらい。








 百田くんがすべての希望に見えました。








 高校の入学式の日の朝、電車の中で彼を見かけた。背が高くて、中学のときの男子たちとは違って大人っぽく見えた。先輩かなあなんて思ってたら、同じ教室に入っていったのだから驚いた。目をぎゅうっと細めて笑う人だった。目で追いかけていた。孝介くんも同じクラスだったけど、彼はもう私を忘れているみたいだったから、私も知らないふりをした。だけど、もしもずっと孝介くんとお隣さんでいられてたら、つくしを探して歩いたあの日のままでいられてたら、私はもっと、孝介くんを介して百田くんとおしゃべりしたりできたのかな。
 なんて、汚いか。








 お母さんのヒステリーは年を重ねるごとに酷くなった。お父さんは帰って来なくなった。
 お姉ちゃんはダンガンロンパにますますのめりこんで、色んなファイルを作ってた。ダンガンロンパの歴史展でも開けそう。
 お姉ちゃんのいいところは、必要以上に押し付けないことだ。私が血とか死体とかそういうグロいのが苦手って知ってるから、私の求める通り、概要だけを教えてくれた。この子とこの子が両思いで、でも死んじゃった。とか、そう言う悲劇的な話を聞くと胸がぎゅって絞られたような気になるけれど、やっぱり初めて見たダンガンロンパのギロチンのイメージが酷くて、駄目だった。うん、そうだよねえ、あそこはほんとに賛否両論だったよ。なんて、お姉ちゃんが同情した目で私を見つめる。私はお姉ちゃんを馬鹿にして十五年以上生きていたのに、お姉ちゃんは私にやさしい。
 諦めちゃったお姉ちゃんは、角がとれて、まるくて、やわらかい。








 百田くんがこんな私を好きだって言ってくれたとき、私は自分のまわりにべたべたと張り付いていた粘度の高い毒みたいなのを、ぜんぶ、ずるっと剥がしてもらえたような気がした。
 私は周りに合わせて、自分の思いを飲み込み続けることばかりに長けていたはずだったのに、そのときだけはどうしてもできなかった。離したくなかった。例えいつか掴んだ手が手首ごと切り落とされることになったとしても。
 だって好きだったのだ。三年間。自分の意見を持っていて、嫌いなものを嫌いって言えて、淀んだ空気をきれいにしてくれて、だから、いっしょにいたら、こんな私のこともきれいにしてくれるんじゃないかって。諦めた私も、救ってくれるんじゃないかって。
 百田くんの目はやさしかった。ゆるしてほしかった。何をゆるされたかったのかはわからないけれど。
 百田くんの彼女になった次の日の朝、お母さんにボロボロに貶された。たぶん、何か気に食わないことをしてしまったんだと思う。私のきらきらした心はあっという間に萎んでしまった。
 私もお姉ちゃんも、お母さんの言うとおり、地元の大学に進学したけれど、きっと就職もそうだ。結婚だって、たぶん、県内で済ませる。百田くん、就職するときには帰ってこないかな。そんなことを考えてしまう自分に気が付いて、殴られたような気になった。
 執着は良くない。執着は束縛を生む。お母さんになるな。なるな。なるなお前は。どくどくと嫌な音を立てる心臓の、皮膚の上から爪を立てた。会いに行くと決めていたゴールデンウィークは、日帰りで帰ることにした。ずっと一緒に居たら、帰りたくなくなってしまうかもしれないと思ったから。
 一カ月半ぶりに会った百田くんは、やっぱり、きらきら輝いて見えた。会えないくらいがちょうどいいと思ったけれど、本当はずっと一緒にいたかった。もっと早く告白していたら、叶ったかどうかは置いておいて、この巣から抜け出すために火をつけることも厭わなかったのかな。東京、いいね、楽しそう。そんな言葉、言わなくても良かったのかな。
 だけど現実は、私は、一年の半分を雲が覆うところで、ぼんやりと生きている。








 あれは夏だった。
 お姉ちゃんが、忽然と姿を消した。
 私が十八歳。お姉ちゃんは、二十歳になっていた。


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