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遠距離恋愛なんて大したことじゃない。
連絡を取る手段はいくらでもあったし、声を聞いているだけでも幸せだった。切るに切れなくて深夜まで続いた通話で、互いの大学生活を語りあう日々、それだけでも満たされた。
新しい街に新しい交友関係、これまでの世界がいかに狭かったかを思い知らされる東京での生活は刺激に満ちていた。地元に彼女がいるんだと笑えば新しくできた友人は羨ましがる。三浦には怒られちまうかもしれねえけど、せがまれてつい写真も見せちまったんだ。でも、めちゃくちゃ盛り上がった。可愛いじゃんって言われて、鼻が高くならねえ男なんかいねえよな。
第二外国語の授業、合わせたわけじゃないのに同じフランス語だったってことが判明したときには、電話越しに二人で笑った。やっぱり同じ大学だったら良かったな、なんて、今更考えちまう。三浦もそうだったらいいのに。東京、いいね、楽しそう。うちは親がね、やっぱりダメだって言うからさ。でも、説得すればよかったなあ。百田くんが一緒だって分かってたら、頑張ったのにね。なんて笑う三浦が、いじらしくて愛おしかった。
東京では一足先に桜が咲いた。サークルも決めたけど、三浦は考え中だって言ってたな。
そういえば、やっぱりこっちでもダンガンロンパは流行ってるみたいだ。高校ほどではないけど。一度だけ、白黒の建物を電車の中から見かけたよ。52作目の出演者を募るポスターは、街のあちこちに貼られている。次の冬に放送するみたいだ。だけど、足を止めて眺めているやつなんて滅多にいない。
東京には多分、オレたちを満たすだけの何かがたくさんある。サークル活動に精を出して、バイトも決まって、勿論勉強もしなくちゃいけない。一人暮らしだから、家事だってそうだ。三日に一度だった通話は一週間に一度になる。でも遠距離恋愛なんて、大したことじゃないだろう?
四月が終わって五月になる。ゴールデンウィークに、三浦が遊びに来た。てっきりうちに泊まるんだろうと緊張していたけれど、三浦は急用ができて日帰りになってしまったと申し訳なさそうに言うから、オレはすっかり気が抜ける。でも、飯を食って、ちょっとだけ街を案内した。人がいっぱいで目が回るね、なんていう三浦は、高校を卒業した日と何も変わっちゃいなかった。
帰りの新幹線に乗り込むとき、三浦はちょっと泣いていた。夏には一回帰るから、って約束して、恥ずかしかったけど、思い切ってハグして別れた。華奢な肩だった。遠距離恋愛なんて大したことじゃない。新幹線が行っちまった後、一人になって思わず呟く。大したことじゃねえよ。ぴろんと音を立てて届いたメッセージに顔がにやける。口では言えないけど、文字にすると思い切ったことだって伝えられるんだ。オレも好きだ。
約束通り、夏には地元に帰った。戻って早々、久川や峰村、明石とも久しぶりに会って、近況を報告し合う。三浦とその翌日に会う約束をしていたから、浮足立ってしまう。最近髪を染めたらしい。ちょっと色が明るくなりすぎちゃったと落ち込んでいたが、毛先の部分だけ送ってくれた写真から見るに、気にするほどじゃないと思った。絶対に彼女に似合っている。
浪人してる久川は、オレたちにキャンパスライフを送れていない恨みつらみをぶつけてきたが、それも冗談みたいなもんだ。みんなでボウリングに行って、身体を動かして、ああ、こんな感じだったなって笑う。そういえば、オレ、三浦と付き合ってるんだ、なんて何の気なく言った。マジかよ、仲良かったっけ、なんて驚く久川や峰村の顔を見るのはなかなか気分が良くて、オレは照れくさかったけれど、何だか同じくらいに嬉しかった。明石だけが、特に驚いたような顔をしてはいなかったけれど、こいつは高校時代からこんな感じだったな、なんて、それすらも懐かしい。
そんな明石が、言ってなかったけどさ、と、呟いたのだ。
「俺、三浦の幼馴染なんだよね」
「は?」
夕飯を食ってから、本屋に行くと言う久川と、バスで帰るらしい峰村と別れた後、自転車を引いた明石がぽつりとそう言った。
「マジかよ、初耳だな……あれ、でもお前、家の方向全然ちがくねえか?」
「俺、引っ越したから。小学二年までは家が隣でさ、二つ年上の姉ちゃんがいて、美人の」
「ああ、姉ちゃんがいるっていうのは聞いたな。大学もA大だろ? 姉妹揃って東京に出してもらえなかったって」
明石は、今はそこまで知らないわ、と何てことない風に呟く。一年前、オレにダンガンロンパを教えてくれたのと同じような声音で。
「あいつんち、ちょっと母親が変わっててさ」
だから、オレは明石がそのまま吐き出した言葉に、一瞬反応することができなかったのだ。
「子どもに対しても締め付けっつーか、なんつーか。いつもニコニコしてんのに、なんか変なスイッチが入ると顔つきが変わるんだよ。教育だって言ってたけど、なんだかな。ご近所トラブルとかもしょっちゅう起こしてて、ちょっと精神的に危ういんじゃねえのかな、とは、幼心ながらに思ったよ」
「……は?」
明石の横顔をじっと見つめる。夏の夜は、陽が落ちても何となく明るくて、だけど、その表情は上手く読み取れなかった。
「まあ、だからなんだっつー話なんだけどさ。近いうちに会うんだろ? 俺の話とか間違っても振るなよ」
明石はオレの返事を待たずにサドルに跨る。高校の時に使っていた自転車は、未だに高校名の記されたシールが貼ってあった。「じゃ、また冬な」そう言って、明石は自分の家の方向へと消えてしまった。言い逃げだ、と、遠ざかる背中を見て思う。
ちょっと母親が変わっててさ。明石の言葉が、べとりと耳に張り付いたようだった。粘度を持ったそれは、爪で引っ掻いても簡単には剥がれ落ちない。
母親が変わっていて、教育方針で何らかの締め付けがあって、ご近所トラブルも絶えなくて、明石は何も言わなかったけれど、もしかしたらあいつもそれが原因で引っ越さざるを得なかったのではないだろうか。事実、明石と三浦が教室で喋っている姿なんてただの一度も見たことがない。目すらも合わせていなかったのではないだろうか。幼馴染だなんて、そんなの嘘だと言われた方が納得できる。
でも、親が「そう」だから一体何だって言うんだろう。
結婚まで考えるとなると、そりゃあちょっと、問題にはなってくるかもしれない、当人同士だけの問題じゃあねえし。だけど、オレたちは大学生で、まだ付き合って半年も経ってなければ、キスだって数えるくらいしかしてないのだ。それで親と言われてもピンとこない。
勿論、付き合い続けていくつもりならばいつか向き合わなくてはいけない問題なのだろう。それを言うならば、うちの親だって大概だ。母親は気が強いし、父親は人の話を聞かない。多かれ少なかれ、何かしら抱えてるもんはあるはずだ、だって人間なのだから。
だから、気にしないでいよう。知らないふりをしていよう。三浦と明石が幼馴染だということも、本人に打ち明けられた瞬間に今日と同じリアクションを取れるくらいでなければ。
蒸し暑い夏の夜、首筋の辺りを汗が伝う。店の灯りに群がる虫を視界に入れて、オレは駅に向かった。
明石は自分の話はするなとオレに釘を刺していったが、それは何の意味もなかった。
三浦とは、会えなかったのだ。
新幹線に乗った彼女を見送った春。まさか、三浦に会うのはあれが最後だったなんて、思わなかったんだよ。