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 思ったほど長く続かなかったダンガンロンパ効果は、むしろ枷のように俺の足に絡みつく。
 超高校級の天海蘭太郎が好きでした。ブログにつくコメントは半分があっちの天海のファンで、残りの半分が悪意しかないような、それはもう見るに堪えないものだった。それをいちいち削除するのも面倒で、好きにすればいい、と放置し始めたら、どちらの層も笑える位に呆気なく消えて行った。冒険家、顔だけはいいのにな。巨大掲示板に書き込まれたその文字を、じっと見る。
 若く、容姿の整った俳優なら掃いて捨てるほどいる。だけど俺はその中でも一際強く輝いてみたかった。ダンガンロンパに出れば仕事が増えるきっかけになるのではないか。そんな打算があったことは、いや、打算しかなかったことは否定しない。振り返ってみれば、それはある意味目論見通りではあったけれど、それを繋ぐだけの力量が俺にはないことを思い知らされるだけだった。
 日課として、ダンガンロンパV2が配信された当時の書き込みを一日に一ページ分だけ眺める俺は、今日も優しい言葉を見つけては自己を保とうと試みる。



「天海ロンパ、終わっちゃったなー」

「にしても最後まで天海の独壇場だったな」

「あの終わり方は狙ってるだろ、男なのに惚れそうになったわ」

「運営と癒着乙」

「以下天海クンの悪口禁止。天海結婚して!」

「天海は天才。チャプター1についてのみ異論は認める」

「つか、天海くんと新堂くんの二人はともかく、何気に生き残ってるちゃんもすごくない?」

ちんが真っ先に死ぬって言ってたヤツ、息してる?」

「つってもちゃんだって天海がいなかったらチャプター3で死んでたよな」



 議論の中心にいるのは、いつだって天海蘭太郎だった。
 最初の殺人を犯した犯人の決定的なミスを発見したのも俺、二番目の事件を解決に導いたのも俺、三番目の事件でさんが死体発見者としてカウントされなかった原因を突き止めたのも俺。その度に掲示板は盛り上がる。やらせだろ。冷めた意見を塗りつぶすほどの熱で、俺を讃えるコメントが続いていく。けれど、俺はいつも、最後には我に返る。気が付いてしまう。



「V2が終わったから天海蘭太郎が足りない」



 それに応える様に貼られた画像はどれもこれも超高校級の冒険家である天海蘭太郎だ。
 画面の先に居る彼らが求めているのは、ここにいる俺ではない。








 五百人も入らない劇場で行われる舞台でも、俺は主役にはなれないらしい。
 与えられる仕事を懸命にこなしていけばいつかはと思っていた時期もあった。だけど時折ぞっとする。若く、容姿に恵まれていると言っても、この世に実在する以上それは永遠と続いていくものではない。俺はこのまま腐っていくのか。薄汚れた六畳間、過去の栄光は今も封を切られることのないままに部屋の隅に転がっている。
 いつかは夢が叶うと思っていた。我武者羅に走り続ければ才能は開花すると。だけど、現実はどうだ。大根役者と罵られ、監督からは「何を考えて今の台詞を喋った」と叱責され、俺はみるみる削れていく。こんなはずじゃない。俺は燦然と輝くことができるはずだった。誰かの光になりたい。希望でいたい。だけどこんな俺を見ていてくれる人がどこにいる。
 白銀さんから電話がかかってきたのは、そんな色の薄い日々を重ねていたある朝のことだった。








「御無沙汰しております。本日はお忙しいところ御足労頂きありがとうございました」



 白銀さんは、深々と俺に頭を下げて見せる。
 V2から目を覚ました直後案内された部屋に、彼女はあの日と変わらぬ表情で座っていた。



「で、俺に頼みたいことって何すか」



 思ったよりも刺々しい声が出てしまったのは「お忙しいところ」と言う彼女の言葉が癇に障ったからかもしれない。それが全くの被害妄想であることを、きちんと理解しながらも。
 白銀さんは俺が向ける苛立ちを、鈍感さを装うことで躱しながら、俺に一枚の紙を差し出して見せた。見たことのある白黒のクマが、宇宙を背景に飛び上がっている絵。「さあ、キミもヤってみないか!」目新しくもないポスターの縮小版だ。この部屋の中にも貼ってある。ダンガンロンパV3。彼女は小首を傾げ、口を開く。



「実は、天海さんにご相談というのはダンガンロンパV3に関することなんです」

「……はあ。鋭意制作中、らしいっすね」



 俺の言葉に白銀さんは笑顔を浮かべて頷く。



「はい。先日最終審査まで終えて出演者を選出したところです。V3では新しい超高校級を用意しようという話でまとまりまして」

「新しい超高校級?」

「はい。超高校級の生存者、という才能です」



 細められていた眼鏡の奥のその瞳が、その瞬間確かに俺を見据えた。ここまで言えば分かりますね、とでも言いたげなその視線に、俺は曖昧に頷く。体中の血が音を立てたような感覚を殺しながら。



「……生存者」

「はい。生存者です」



 実際に会って話がしたいと言われた時点で、そう言ったことを提案されるかもしれないという予感はしていた。V2の収録が終わって数カ月、過去の人間である俺にしたい頼みごとなんて、他に考えられない。
 確かに、「天海蘭太郎」は未だかつてない人気キャラクターだ。最後に自ら首謀者と命運を共にするという見せ場も完璧で、評判もいい。とは言え、同じ人物が二回も続けてダンガンロンパに出るなんて、こんな前例は今までになかった。
 白銀さんは笑みを深める。底知れない胡散臭さが滲み出ていることに気づいていないのは本人ばかりだろう。



「未だかつてない人気を誇っていた天海さんが再びコロシアイに参加する、というのは盛り上がるのではないかと、制作側から意見が出まして」

「ああ。それはそれは。ありがたい話っすね」

「もしも二回連続の生存者となれば、語り継がれることは間違いないでしょうね」

「…………」



 白銀さんが俺に差し出したポスターの下には、前回も貰った同意書が重ねられていた。要するに、「何が起きてもチームダンガンロンパは責任を負いません」という逃げの紙だ。目線を落とす俺に、彼女は気が付く。



「新しいシリーズですので、もう一枚契約書が必要なんです」



 無言を肯定と捉えたのか。はたまた返事をする前から、俺が出演の依頼を断るはずがないと思っていたのか。一方的に話を進める彼女の声は、興奮で僅かに上擦る。



「今回のテーマは宇宙です。と言っても宇宙空間でのコロシアイなんていうのは仮想空間とは言え難しいですからね。出演者に不信感を持たれないように、尚且つ視聴者側にも楽しんでいただけるような世界観の構築、これが重要です」

「まあ、視聴者側に楽しんでもらうために人気があった『天海蘭太郎』を入れるっていうのは、安くていいんじゃないっすかね」



 安い。その言葉に、白銀さんは一瞬笑みを消した。手ごたえのあった感触に、思わず笑いそうになるのを堪える。彼女の名前を呼べば、白銀さんは眼鏡の奥で取り繕ったように瞳を細めた。



「正確に言えば、前回生き残ったのは俺じゃないっすよね。最後におしおきをされた俺よりも、新堂くんに、さん。あの二人が正式な生存者のはずっす」

「新堂さんの方は、これは個人情報になってしまうんですけど……実は収録を終えてから体調不良で入院してらっしゃるんです」

「体調不良?」

「はい。たまにいらっしゃるんですよ。収録の後に少し体調を崩される方が」



 微笑みながら何て事のないように言うが、あれから随分と時間が経っていることを思えば彼が「少し」の体調不良でないことは明白だ。手元にある契約書の、「収録後の体調不良については責任を負いません」という字がやけに黒々として見える。



「……じゃあ、彼女の方は何て?」

さんとはこの後約束をしておりますので、その時に詳しい説明を」



 この後。その言葉に、興味が引かれなかったわけではない。だが出演者の個人情報を漏らさないということに関しては徹底している制作側だ。いくら本人と面識がないとはいえ、出演者同士が偶然出くわすような状況は避けるだろう。恐らく、彼女との約束は数時間後と見ていい。
 そこまで簡単に推理できる情報を、白銀さんは漏らしてしまった。きっと今の彼女の発言それ自体が失言だったのだろう。白銀さんが小さく咳払いをして言葉を切ったのを見届けてから、俺は口を開く。



「超高校級の生存者……。生存者なんていう露骨な名称をそのまま使うわけにはいかない。つまり、これは今回の才能不明枠っていう重要ポジションっすよね? それなら二人もいらないはずっす。もしも俺も彼女も参加を希望したら、どうするんすか?」

「……会議を経て決定することになります」



 白銀さんの双眸が、徐々に温度を失っていく。口ではそう言っているが、恐らく彼女たちにとっての本命は、さんではなく俺だ。さんの人気がなかったというわけではない。V2の顔という意味で、視聴者に一番強い印象を与えたのが天海蘭太郎だった。だから、俺がここで頷けば、さんには恐らくこの話を出すことをしない。



「そうっすか……」



 思い通りになると思っているのか。
 口では穏やかな人間を演じながら、表情を作る。目線を合わせ、まるで敵意のない性根の優しい人間の皮を被る。皮膚の奥で生じた怒りを殺すために。



「正直、あんなキツイと思ってなかったんすよね。コロシアイの渦中に身を置くっていうのが」

「でも、天海さんだったらまた素晴らしい活躍が出来ると思いますよ。それに、そうしたらまたお仕事の方も」



 彼女が何を続けようとしたのかは、定かではない。俺はただ、自分が表情を失くしていることを自覚していた。ともすれば怒りのままにテーブルを殴りつけてしまいかねないことも。だけど、そうするには俺はもう年を取りすぎた。



「そうですね」



 絞り出すように呟いた声に、白銀さんの瞳に安堵の色が滲む。



「考えさせてください」



 感情のままに、はっきりと拒絶することをしなかったのは、さんの存在が脳裏を過ぎったからだ。白銀さんは、予想外の返答だったのだろう。目を見開いて、首を傾げていた。それだけで溜飲が下がるならば良かった。
 曖昧な返事をしたのは、さんに皺寄せを行かせないためだった。俺がはっきりと断れば、この後約束をしていると言うさんが白銀さんの勢いに呑まれて契約書に判を押してしまうかもしれない。彼女が実際に出たいと思うならばそれでいい。それならば俺は今回の話を辞退するだけだ。例え制作側が俺の方の出演を望んでいたとしても、出演の意思がない人間にそれを強制する権利は持ち得ない。
 だけど、もしもさんも出演を拒絶したら、そのときは。
 そのときはきっと、あの日のように俺が手を挙げるのだろうか。彼女を守るために。
 微笑を浮かべた。ちっとも平生ではいられなかったくせに。



「……この後用事があるんで、今日はこれで失礼させてください」



 俺は彼女の返事も待たずに立ち上がる。テーブルの端にあった帽子を深く被り、ポスターだらけの品のない部屋を後にした。契約書は置き去りに。白銀さんが俺を呼び止めるような声が聞こえた気がしないでもないが、足を止める気にはなれない。
 一階へと続く階段を昇る最中に、職員らしき男性とすれ違う。殺していたはずの感情が漏れ出ていたのか、身を縮める様に避けられた。ここの建物自体が敵のように思えるのはそこかしこにモノクマを想起させるものが並べられているからだ。ポスター。床に埋め込まれた白黒のタイル。見学者に人気の隠れモノクマはあの窓ガラスの端に居る。
 数十分前この階段を下りたときには何とも思わなかった一つ一つの何もかもが俺を嘲笑っているように思えた。「ダンガンロンパがなければ、お前には何の価値もない」と指摘された気がした。内臓が焼けそうなほどに痛い。階段を上りきる。右手側の自動ドアから漏れる自然光に目が眩む。口元に手を当てて笑う白と黒の熊の幻が見える。



「……畜生」



 口の端から漏れたのは、今まで向けられ続けた悪意を固めたような、どろどろの、あちこちが溶けて腐り落ちたような、悲鳴に似た何かだった。畜生、畜生畜生、喉の奥から真っ二つに体を割かれてしまいそうな呪いに、眩暈すら覚える。
 ダンガンロンパになんか出なければ良かった。俺を見てもらえないのならば。
 皮肉なことに、ダンガンロンパに自らの才能のなさを露呈させられたわけだ。
 そもそも全部やらせだったのだろう。売名行為。才能がないんだからやめておけ。超高校級の冒険家に戻って。私は俳優の天海には興味がない。無視していた書き込みは皮膚の端から俺を蝕んで、呼吸を終わらせようとする。
 俺はあの天海蘭太郎に殺された。
 俺に才能なんかなかったのだ、はじめから。
 それでも、どうしてこんなに痛めつけられてまで、俺はこの世に存在しない少女の幻を追い続けているのか。なぜあの子のために、怒りを殺したのか。自分を犠牲にしようとしているのか。
 俺の首を絞めた天海蘭太郎は、まだ俺の中にいる。
 自動ドアが開く。何者にもなれない自分自身から目を逸らすなと、多くの人間から愛された天海蘭太郎が俺の頭蓋骨を押さえつけ、笑う。この扉から外へ出ても、この手は一生俺の頭蓋から離れない。
 背に伸ばされる無数の手首を振り払った先で、しかし俺は「彼女」を見た。


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