3





 天海蘭太郎。
 そうインターネットで検索すれば、あらゆる情報が眼前に並べられる。超高校級の冒険家、ダンガンロンパV2の出演者。更新されたばかりの記事に目を通す。今までずっとV2に関連する情報から目を逸らしていたけれど、今回ばかりはそう言っていられなかった。
 予測変換として並んだ文字列の中に、かつて私だった人間の名が共に並ぶ。いい雰囲気だったよね。教室から聞こえたあの囁きが瞬時に脳裏をよぎって、頭を振る。
 ノートパソコンのカバーに貼ってあったダンガンロンパのシールは先日剥いだ。書類審査の結果と一緒に送られてきた記念品で、浮かれて貼ってしまったものだ。痕も残らなかった。こんな風に簡単に、呆気なく、私からも剥がれ落ちてくれればよかった。何もかもが。



「……役者」



 あのコロシアイ番組に出ていたイケメンの正体は役者。最初にクリックしたのは、それなりに有名な新聞会社の記事だった。概ね好意的に書かれていたのはしかし「役者としての彼の今後の活躍が期待される」と締めくくられたそのページに限り、巨大掲示板に至ってはほとんどが悪意で埋め尽くされている。それは私が録画で見た、彼の出演ドラマが放送された夜から始まっていた。



「天海蘭太郎キター」

「役者だったんか? にしても演技下手すぎでは」

「ダンガンロンパは売名のためか~」

「天海蘭太郎だと思ったら天海蘭太郎だった」

「結局運営側と組んでたのかなあ」

「役者の天海蘭太郎じゃなくて、超高校級の天海蘭太郎が好きなんだよ」

「これは消えるだろ」



 自分のことを書かれているわけではないのに、手が震えた。瞬きの一つもできず、ただただ呼吸が浅くなっていく。
 スクロールしようとした指が上手く動いてくれず、私は電源を落とすこともできないまま、キーボードの上で所在を失くした手を見る。そこにあるのは、あまり外に出ないせいでほとんど日に焼けてない白い指だ。指先は細いのに関節が太く、バランスが悪い。みっともなく震え続けるその指先を、視界から取り除く様に拳を作る。








 繰り返される平凡な日々に、ある日猛烈に嫌気がさした。ダンガンロンパV2参加者大募集、という広告が視界に入ったときは、天啓だと思った。あのときの行動力は何かに憑かれたようだったと今になって思う。
 ダンガンロンパなんて、名前くらいしか知らなかった。学校の子たちが良く話をしている、視聴者参加型の番組という認識しかなかった。だけどそれでも何かが変わると思った。濃淡のついた灰色にしか見えないこの世界に少しは色が落ちるのではないか。そう思って送った書類が通ったのは、きっと奇跡だった。
 その頃には、私はダンガンロンパが集められた人間たちでコロシアイを行う番組だということを理解していた。だけど、得体のしれない高揚感は私の枷を外す。コロシアイなんて馬鹿げている、という、普通の人間なら誰しも持っていなくてはならない倫理観と言う名の枷を。
 面接前の試験として与えられた課題は、アバター作りだった。どうやら、面接はテストも兼ねて実際に仮想空間に入って行われるらしい。その時に自分が作成したアバターを使うというのは、最早ダンガンロンパの風物詩でもあると言う。
 名前、性別、身長に体重。容姿に至っては髪の長さが細かな単位で指定でき、色味もカラーパレットで調整が可能。身体のラインまで細かく数字を入れることができる。
 才能とそれに応じた衣装だけは、最終的に制作側が決めるらしいが、まるでゲームだ。いや、まるでではなく、これはゲームと言い切って問題ない。名前も顔も違う誰かになりきって、才能を与えられ、全くの他人として生きることができる。私は私ではなくなる。
 折角だからと、私のコンプレックスを帳消しにしてくれるような女の子を作った。大きな瞳に、結う必要がない位にまとまったさらさらの髪。手足が長くて、だけど小柄で、絶対に私がなり得ない永遠の少女。
 出来上がった彼女は、整いすぎていて、何だか現実味がなかった。少しだけ汚してみたくて、指の関節を最大まで太くした。そこだけがまるで、本当の私だった。
 制作側の意向により多少の変更がありますことをご了承ください。その欄にチェックを入れ、データを送信する。今思い返してみると、私の希望と実際のに大きな変更点はなかった。は指の関節が極端に太いという欠点を持つ、ほぼ完璧な美少女だった。彼女は合格した。セーラー服を着て、眼鏡をかけて、さらさらの髪を持ち、表情筋の使い方に困ったことなんてただの一度もないというように、彼女はいつも笑っていた。
 その隣にはいつだって、彼がいた。
 天海蘭太郎は、私のヒーローだった。








 役者である天海蘭太郎をテレビで見かけたのは、後にも先にもあの一回きりだった。
 大学でダンガンロンパの話をしていた学生たちは、目の保養だと言っていた天海蘭太郎の演技を見たのだろうか。いや、それ以前に、そもそも実は彼が役者だったということを知らない可能性の方が高い。私だって、あのドラマを見ていなければ気が付かないままだったことは明白だ。
 要するに、興味がないのだ。一視聴者が愛しているのはダンガンロンパに出演しているキャラクターとしての誰かだ。現実世界にそのままの姿で存在していたとしても、それは彼らの愛する超高校級という肩書を持ったキャラクターではない。「役者の天海蘭太郎」ではなく「超高校級の天海蘭太郎」が好きなのだというあの書き込みの通り、ダンガンロンパの外に出た私たちはもうブランドを剥ぎ取られ裸になったも同然だったのだ。
 だけど、彼のことが気にならないわけではなかった。本当にあれが売名行為だったとしても、役者として飛翔するための足掛かりに彼がダンガンロンパを利用したのだとしても、それは何の問題もないことのように思えた。だって、何が違うのだ。生きる気力が欲しいと願った私と、夢を叶えようと思った彼の、一体何が。
 役者、天海蘭太郎がドラマに出ることは二度となかった。けれどその代わり、彼は舞台に出ることが決まったらしい。小さな劇場で行われる演劇の、準主役。チケットを、一枚だけ取った。四列目とあってどきりとしたけれど、よくよく考えてみればと私では容姿が違う。彼に気づかれる心配はないだろう。
 彼に会いに行こうと思ったわけではない。会って話がしたかったわけではない。ただ彼を見てみたかった。気づかれない場所から、天海蘭太郎の声を聞きたかった。そのとき私はどう感じるのかを、知りたかった。それだけだった。








 チームダンガンロンパから連絡が入ったのは、続編であるV3の出演募集が締め切られ、恐らく選出までが終わったであろう時期のことだった。



「御無沙汰しております。チームダンガンロンパの白銀と申します。折り入ってお願いしたいことがございまして、もしご都合がよろしければ一度お会いすることはできませんか?」



 スマホの奥から聞こえる丁寧な声の主は、あの眼鏡の女性だろう。一度は断ったけれど、彼女は執拗に食い下がった。場所も時間も全て私に任せると悲痛な声で頼み込む彼女に、最後には折れてしまった。せめて用件だけは予め教えてくれと言ったのに、それに関しては当日にと誤魔化されてしまい、閉口する。
 結局待ち合わせ場所に二時間早く着いてしまった。学校もバイトもない土曜日だったけれど、どうにも落ち着かなかったのだ。チームダンガンロンパが所有する白黒のその建物は、ファンからはモノクマビルと呼ばれている。ダンガンロンパを知らない御仁から見れば、奇数階と偶数階で壁の色を白黒に塗り分けられた奇抜な建物はシマウマに見えても仕方ない。私も電車から見えるこの建物の正体を知らないときは、そう思っていた。
 けれど、あの世界を直に体感した私は、このコントラストに嫌悪に近い感情すら覚えている。
 場所を考えるのが面倒でそちらに出向くと言ってしまったが、これほどの拒否感を覚えるのならば、面倒くさがるべきではなかったかもしれない。と言っても、それも今更だ。スマホの電源を入れて時間を確認しても、ここに着いてから五分も経っていなかった。
 とは言えここからアパートに戻るには半端だし、時間を潰せるような場所も思いつかない。駄目元で白銀さんにもう一度連絡して、都合をつけてもらうことができるか確認してもいいかもしれない。何せこっちは来たくて来ているわけではないのだ。スマホをいじりながら、白銀さんからの着信履歴を探す。
 しかし、一体何の用件だろうか。ダンガンロンパV2が終わってからもう随分と時間が経っている。インターネットではV2のネタは語りつくされ、次回作の登場人物や舞台の予想で持ちきりになっていてもいい頃だ。V2の出演者は既に過去のキャラクターたちと一緒くたにされ、飾り棚に並べられているだろう。今更頼みたいことがあると言われても、想像がつかない。
 滅多に電話がかかってこないおかげで、目当ての人物からの着信履歴はすぐに見つかった。通話ボタンを押すか押すまいか、それでも逡巡する。こういう時に私は人の半分以下しかない自身のコミュニケーション能力の低さを恨むのだ。
 その時丁度腰の部分だけが白黒の格子模様に色付けされた自動ドアが開いた。事務所の人か、もしくは一般の見学者か。進路を塞ぐ形になっていたため、反射的に一歩横に移動する。その瞬間に、目を合わせずに私に会釈をして行ったその男性の横顔を、私は見た。
 夢を見ているのかもしれないと思った。
 私はあの人の影を、目を、輪郭を、誰よりも近くで見ていた。髪の色が大人しくなっていても、記憶より少し痩せていても、私には分かる。
 全く同じ背丈をしていた。プログラムの中では何とも思わなかった姿勢の良さも、現実世界だと浮く。感情の読めないたれ目がちの瞳は真っ直ぐ前を見据えている。足が長いから、一歩一歩の歩幅が広い。隣を歩く私が小走りになる度に、彼は速度を合わせてくれていた。鮮やかに蘇る、コロシアイに身を投じていたあの日々が。セーラー服を纏っていたがそこにいる。



「天海くん」



 どうしてこの時私は彼の名前を口にしたりしたのだろう。小さな声で、私はその名を呼んでしまった。咄嗟に両手で唇を抑えるが、もう遅い。
 彼は、私を横目でちらりと見た。だけどそれだけで、すぐに真横をすり抜けた。気づくはずがない。だって私はではない。彼女のように愛される風貌を、私はしていない。
 傷つく権利なんか、私にはないのだ。
 天海くんが向かって行った先を、振り向くことは出来なかった。私はそこに立ち尽くしていた。すぐ横を通り抜けて行った。振り向いて、駆け出して、手を伸ばせば届く距離に、しかし今あの人はいる。私を引き止めて、この身体を羽交い絞めにする人は、もういない。
 私のヒーロー。


PREV BACK NEXT