「こういうのを作ってほしいんだよねえ」
江ノ島がオレに手渡したのは、十数枚に及ぶ何かの図案だった。
目線を落として、引き結んでいたはずの唇から悲鳴が漏れる。良く見なくても分かる。これは拷問器具か、いやそれ以上の何かだ。鮮やかな色鉛筆で描かれたバッティングマシーン。「超速い球がいっぱいでる!!」小学生が描いたようなタッチで、笑顔の人間がボールを受けて血を吐いている。プレス機、ステージで口を開けるトラバサミ、巨大ローラー。安っぽいコピー用紙に描かれたそれらはホチキスで綴じられただけの簡素なもので、終盤に行けばいくほど雑なアイデアで埋め尽くされていたが、それがよりそこに横たわる狂気を増幅させていた。
上手く飲み込めずに顔をあげたオレを、江ノ島は上目使いで見つめている。
「センパイなら簡単に作れますよね! なんてったって超高校級のメカニックだもん!」
「……いや、でもこれ」
「見てきたけどセンパイの研究室ってとーっても広いしぃ、保管もしておけるよね? 明日までにとか言ってるわけじゃないんだよ? でも一年以内には全部完成させてほしいな~。そんぐらいじゃないと多分アタシ、飽きちゃうし」
江ノ島の言っていることが全く理解できない。だけど彼女の言葉や目つきが、「普通」とかけ離れていることくらい嫌でもわかる。ぞ、と背筋が粟立つのを感じる。
いやいやいや。心の中でそう呟いた。いやいやいや。いくらなんでも、ないだろう。冗談では済まされない。江ノ島が渡してきたこれらの原案はどれもが人の命を奪うためのものだ。血の気が失せていく。指先が震えて、落ち着くために何かを触っていたいのに、オレの手の中にあるのはこの残酷な処刑道具の図案だけだ。
「材料も全部こっちで準備するしさあ。難しいことないって。何も人を殺せって言ってるわけじゃないじゃん?」
同じようなものだ。そう言いたくても声が出ない。
労わるように肩に触れられた手は酷くぬるい。耳元に唇を寄せられ、誘惑するように囁かれる。
「センパイにしかできないんだよ。お願いアタシを助けてよ。もしかしてビビっちゃった? だーいじょうぶだって。何に使うか聞かなきゃ何の問題もないじゃん。それにセンパイどーせ暇でしょ? みんないなくなって一人ぼっちになってさあ、こんな狭いところで泣いてるだけよりよっぽど有意義じゃない? どうせアンタってさ、なんか作ってればとりあえず落ち着くタイプの人間でしょ? センパイは楽しい! アタシは嬉しい! ウィンウィンじゃん? ね? そうは思わないかな?」
まるで快楽の水に優しく突き落とされていくようだと思った。抗うべきだったのに、オレは江ノ島の手を振り払うことができない。ただ、それでも首を振った、縦にではなく、横に。もう少し馬鹿ならよかった。本当の馬鹿ならばこんなに苦しまずに済んだ。
首を振ったオレに江ノ島は低い声で「は?」と尋ねた。だけど次の瞬間にはもう太股に鮮烈な痛みが走っていたのだから、理解できなくて当たり前だ。「ぐあっ!?」喉の奥から掠れた悲鳴が漏れる。刺された。江ノ島の握ったアイスピックが制服を貫いて、足に突き立てられていた。
信じられない。咄嗟にそう思ったのはどうしてだろう。オレの周りでは、オレが直接目にしていないだけでもう随分多くの人間が血を流していたと言うのに。血がじわりと滲み出したのを見た瞬間、痛みと恐怖で、喉の奥から悲鳴が漏れた。
「わ、うわああああ!?」
「いたくなーい、いたくない」
痛くないわけがない。みるみるうちに制服に血が滲んでいく。痺れるような痛みに眩暈を覚えながらも、オレの肩を撫でる江ノ島の手は母のように優しく温かい。
「センパイが作ってくれないんだったらどうしよう~。困っちゃうな~。えーんえーん」
言いながら、ぐりぐりとアイスピックを回転させてくる彼女の、けれど一体どこが母なものか。傷口を抉られて、心臓が脈打つ。涙で視界が滲む。助けて。助けてください。誰か。縋るようにそう思うのに、だけどソニアさんはもうどこにもいない。
「どうしてもイヤ? 何が何でもイヤ? 足がもげてもイヤ?」
どうしたらこの恐怖と痛みから抜け出せるのか。だけど、頷くわけにはいかなかった。そうしてしまえば自分は後で途轍もない苦悩を背負わされるだろうと知っていたからだ。だけど、江ノ島はきっとそれすらも見透かしていた。オレの目をじっと見つめて「じゃあ」とそっとその双眸を細める。
「センパイの両親とか友達が全員殺されてもイヤ?」
痛みに意識を手放しそうになりながら咄嗟に口にした「やめろ」という声は掠れていた。どちらの意味でとったのか、江ノ島はとりあえずアイスピックから手を放す。ほっとした。ほっとしたのは、これで助かると、思ったからだ。
「それだけは、やめてくれ……」
懇願するような声が出た。江ノ島が引き合いに出してくれた存在が不意に脳裏を過る。
両親も、友人も、勿論大切だった。だけどオレは、皆の安否よりも本当はそのとき、自分の身の安全が確保された事に対して安堵していたのだ。オレは、気が付いてしまった。助かったと思った。オレに言い訳する機会を与えてくれた江ノ島が、いっそ優しい人間のようにすら思えた。
「つくる、何でも作るから、だから頼む、……頼む……!」
縋るように江ノ島を見上げた瞬間、何故だろう。ソニアさんとかぶって見えたのだ。「ソニアさん」口にした言葉に、江ノ島は満足そうに口角を持ち上げて、オレの太腿からアイスピックを引き抜いた。鈍い痛みと共に、どくどくと血が流れていくのを感じている。オレは生きている。まだ、生きている。そう思う。
「キミは悪くないよ」
狛枝がそう言ったとき、オレはとうとう手に持っていたミルクを冷めきったコーヒーに入れた。ティースプーンでかき混ぜようとしていた手を止めて、隣に座る狛枝の顔に目を向ける。カーテンの隙間から漏れた白い光の筋が、ちょうど狛枝の太腿に差さっていた。オレを刺したアイスピックのように。
「って、さんなら言うだろうね」
だろうな。その言葉を、オレは飲み込む。
あいつは情に厚いところがあるから、オレを庇うだろう。そしてなにより、オレの真意を見抜けない。江ノ島に脅され、家族や友人を人質にとられていたオレは、例え殺戮兵器の製作者であったとしても、完璧な悪者にはなり得ない。はきっとそう言うだろうし、実際、思っているはずだ。
狛枝は涼しい顔で足を組み直すと、コーヒーを一口飲んでからオレに目線を向けた。
「江ノ島盾子の言うことを聞いて兵器を作り続けている限り、キミの命は保障される。キミはそれに気が付いたからこそ、家族や友人の命を盾にされた瞬間というタイミングでそれを引き受けた。脅されたせいだと言い訳ができるからね」
指摘されて、返事ができない。事実、狛枝の言う通りなのだ。
江ノ島に一番初めに頼まれた段階でそれを引き受けることができなかったのは、オレ自身がいずれ罪の重さに耐えられなくなるだろうとどこかで察していたからだ。一度拒絶して、足を刺され、家族や友人を引き合いに出された瞬間、しかしその罪の呵責は一気に軽くなる。「オレは脅された」と、そう言い訳が出来るからだ。
仕方がないのだ。こうしなければ両親も友達も殺されてしまう。オレは悪くない。オレは今自分が作り上げているこれが一体何に使われる物なのかを知らないし、考えてはいけない。江ノ島の原案を捨て、改めてこの手で図案を引きなおす。そこに製作者の感情はない。オレが作っているのは一体なんだったか。元々の設計者は時折様子を見にやってきて、出来上がったものから順に、白黒のクマのマスクをかぶった連中にどこかに運ばせた。それがどこに行くのか、一体何に使われるのか、オレは知らないまま。「仕方ない」と呟くその声にもはや水分はない。
生き延びるためだ。仕方がないのだ。
オレは悪くないのだ。
「でもね」と吐きだした友人は、酷く冷たい瞳をしていた。
「キミは殺人者に違いないよ」
断罪するような狛枝の声音に意識を引き戻される。
「間接的とはいえ、多くの人の命を奪ったのだから」
コーヒーに混ざりきらない不純物が描く白濁した線の頼りなさを目で追う。
「はあいお疲れさま! 今までありがとね、センパイっ!」
全ての依頼品を作り終えたときには、江ノ島と出会ってから一年近くが経とうとしていた。
七十八期の連中は学園長がオレに話してくれた通り、あの後旧校舎をシェルター化して籠城している。勿論この女もそこに含まれているはずなのだが、抜け道を準備しておいたのか江ノ島はちょくちょくオレの元を訪れていた。だけど、それも今日で終わりだ。
本当は、怖くてたまらなかった。頼まれていた最後の依頼品を仕上げてしまえば、オレはもう用無しだと処分されるのではないかと思っていたのだ。目を合わせられずにいるオレに、江ノ島は見透かしたように笑う。
「なにビビっちゃってんのセンパイ! なんもしないってえ!」
「……え?」
「ほんとにほんとにお役御免! こんなに色々尽くしてもらったんだもん! お礼をあげたいくらい!」
「え、あ、礼、なんて」
いらねえよ、という言葉が続かない。声が掠れて、腹に力が入らないのだ。視界に入り込む髪の毛は、最早地の色をして薄ら汚い。
この一年、ほとんど誰とも話をしなかった。
ずっとこの研究室に閉じこもって、江ノ島以外の誰とも関わることなくただ黙々と作業をしていた。足りない部品は、何者かによって定期的に研究室の前に届けられていた。埃をかぶったテレビはもうずっと電源をつけておらず、しかし役に立たないインテリアのように研究室に馴染んでいる。
今頃あいつらは、どうしているだろうか。テレビを観れば、何かその足取りがつかめただろうか。
小泉はまだどこかで写真を取り続けているだろうか、九頭龍はあれからどうしたのだろうか、田中は、狛枝は、澪田は、西園寺は。ソニアさんの国はあれからどうなったのだろう。
視界の隅に引っかかっていたそのテレビを、江ノ島は見透かしていたかのようにべしんとその手のひらで叩いた。
「お礼したいからさあ、来週の、そうだなあ、月曜からがいいかな? とりあえずずっとテレビ観ててよ」
「……は? テレビ? ……なんで……」
「いーいーかーらー!! 絶対観てよ! 約束破ったら殺すから!」
その言葉の選び方に、西園寺が一瞬脳裏を過った。言葉に詰まったオレに、江ノ島は踵を返す。
「もしかしたら、センパイと話すのはこれが最後かもしれない」
「……え」
「あーあー、残念だなあ」
「は?」
江ノ島が研究室の扉を開けると、白黒の不気味なクマの被り物をした連中がぞろぞろと室内に入ってきた。最初見たときは悲鳴をあげたが、あいつらはオレの作ったものをどこかに運ぶ役割を担うだけであって、言葉も発しなければこちらに目線を向けることもない。今回もそうだった。江ノ島の指示に従って、丁重にオレが作り上げた最後のマシンを運び出す。そいつらが着ていたシャツの裾に染みた赤黒い液体から、オレは目を逸らす。
「じゃあねセンパイ! 元気でね! テレビだけは約束だからね~!」
ばたんと音を立てて閉じられたその扉の向こうで、江ノ島が「うぷぷ」と笑い声を漏らしていたのを、オレは知らない。
ああ、残念、彼女はクマのマスクをつけた男たちを先導しながらそう呟く。
「左右田センパイの絶望した顔、見たかったなあ」
一週間後、約束通りにつけたテレビの中で、オレの作ったマシンが桑田怜恩の命を奪うのを見た。