オレたちが眠らされていたマザーコンピュータのある部屋には、もぬけのカプセルと中身の入ったものが今も並んでいる。
 が日課のように訪れている事を知っていたから、あいつが引き上げた頃を見計らってオレは忍び込むように室内に入った。寒々しい部屋だ。コンピュータが眠り続ける連中の脳波を記録する無機質な音や、生命維持装置の水音に似たそれに囲まれていると、居心地が悪くてたまらなくなる。真綿で首を絞められているような感覚になるのだ。憐憫ににたものをあのカプセルの中にいるやつらから感じる。そんなことはありえないのに。それが嫌で、一人でここに来ることは滅多にない。
 首をあげなければ見届けられないほどの高さの天井に届きそうなほど巨大なマザーコンピュータから伸びた管が未だに繋がったままの六つのカプセルを、息を殺しながら部屋の入口から順々に眺める。弐大、辺古山、田中、十神(と名乗っていた詐欺師のあいつ)、西園寺、そして罪木。あいつらはあの中で、どうしているのだろうか。夢を見ているのだろうか。まだあの島にいるのだろうか。
 ほとんど波がないといっても過言ではない微弱な脳波からそれを肯定する要素はなく、オレは非科学的だと額を覆う。ずっと染めていた髪の毛は、ここにきてすっかり黒に戻ってしまった。視界に映るその毛先を漫然と眺めていると、自分が無力なガキだということを改めて思い知らされる。そんな気がする。



「やっぱ、すげえよ」



 誰にともなくそう呟く。特定の誰かを指していった言葉ではないつもりだったけれど、口にした途端、の後ろ姿がちらついた。
 苦悩と責任感を背負いながら、それでも自分のエゴだと開き直って全員を目覚めさせるなんて決断をした。到底オレにはできなかった。重圧を想像するだけで吐きそうになる。オレはあいつらの人生なんか背負えない。紐山が来る前、ただ日向と二人でプログラムを作り続けているときは気が付かなかったのだ。自分たちがやろうとしていることの無謀さに、責任の重さに。
 目覚めて全てを思い出すのならば、もういっそ、何も知らないまま死んだ方が幸せだ。オレは、目を覚ましたやつらに恨まれるのは嫌だ。
 そう思っているからこそ、あいつは起きないのかもしれない。真向いにあるカプセルで眠り続ける影に、目を向ける。
 そのときだった。突然背後で人の気配がして、心臓が縮まった。思わず悲鳴をあげるも、オレはそこに現れた人物を見て一瞬冷静さを失う。が戻ってきたのか、もしくは紐山がオレを探しにきたのかと思ったのだ。だけどそこにいた人はそのどちらでもなかった。支給された安い制服を着ても王侯貴族のそれにしか見えない、彼女はオレがずっと憧れ続けてきた人だった。



「あら。左右田さん。ここで会ったが百年目、ですね」

「ソニアさん、微妙に違います!」



 ソニアさんはオレのつっこみに優雅に目を細めると、「左右田さんがいらっしゃるなんて、珍しいですね」と言いながらカプセルの方へと足を向けた。いつまでも入口の傍に突っ立っていることしかできなかったオレは、彼女の足取りにつられるようにして、ようやく中央付近へと歩き出す。
 ソニアさんの口調は、普段からここにオレが来ようとしない薄情さを責めているわけではないようだった。だけどやはり、そう認識されていたことは堪える。事実であるはずなのに、言い返す言葉など一つもないはずなのに、オレは頭の中で何か言い訳めいたことを考えてしまっていた。何も思いつきはしなかったけれど。



「みなさん、今日もおかわりないようですね」



 一人ひとりの顔を覗き込みながら、ソニアさんが言う。その口ぶりから、ソニアさんもまたこいつらの様子を毎日見に来ていたことは明らかで、どうしても居たたまれなくなった。半透明のカプセルの蓋の向こうで目を閉じる罪木の目元は、窪んでいる。
 ソニアさんは一つのカプセルの横で、足を止めた。そこに眠るやつの顔をしげしげと眺め、やがて安堵したように目を細める。その相手が誰かを探る必要はなかった。オレは目を逸らし、ソニアさんがいてすらも背筋の粟立つ感覚に、逃げ出したくてたまらない自分を自覚する。



「あ、あのソニアさん」

「はい?」



 振り向かれて、言葉に詰まった。どんなに年月を過ごしても変わることのないその金色の毛髪。澄んだ海のような瞳はあのプログラムの中に居た頃よりも翳った。不平を言わず、諦めることなく、の後ろを歩くと言うよりはどこか見守っているようにも見える彼女は、オレとは決して違う場所に立っている。今だって。
 何と続ければいいのだろう。オレは彼女を直視することすらもできない。二人きりになれたことに舞い上がりかけていた気持ちにはすっかり穴が開き、萎んで潰れている。歯切れ悪く言葉を濁すオレに、ソニアさんは何も答えない。空気が悪くなるのが嫌で、何とか会話を続けようと試みる。



「……えっと、あー、その、ソ、ソニアさんは、いつでも、どこにいても美しいんですね! やっぱ血なんすかね! オレなんか髪もこんなんなっちゃって、紐山にも、最近目が死んでるって言われちゃったりなんか、して……」



 この島には何もない。娯楽も、気軽に愚痴を言い合えるような話題もない。最近目を覚ました奴らの話なんざオレはほとんど知らないし、日向とも最近では顔を合わせることすら滅多にない。それ以前に、プログラムから目を覚ましたソニアさんは以前とは明らかに違う。覚めたような目を、時折する。



「…………左右田さん」



 オレは実家に形だけの仏壇があるにすぎない仏教徒だ。自分の国に広がる宗教の成り立ちや変遷すらも知らないオレが、彼女の背後に後光が見えると心から思う。ソニアさんは宛ら聖母だった。



「あなたは、本当に周囲の人に恵まれていますね」

「へ?」

「どんな方とでも共にあれる。それは、あなたの美徳なのでしょう」



 薄く微笑まれて、疑問符を返すことしかできない。どうして彼女が突然こんな話をしだすのか、わからなかった。



「罪と向かい合わずとも、あなたは他者から許される。――それは、あなたが愛されているからです」



 こつ、こつ、と、固い足音を響かせて、ソニアさんはオレの元へ歩いてくる。こんなことが、前にもあった。教室だ。全てが終わり、誰もがオレの傍から去って行った、それでもあなたがいてくれたから。



さんは、とても優しい方です。あなたの苦しみを理解し、共に背負おうとしてくださっている。ですが、罪を肩代わりすることなどできません。あなたが犯した罪を償えるのは、あなただけなのです」



 俺よりも背の高いソニアさんは、ヒールを履くとさらに目の位置が高くなる。僅かに見上げる形になって、気が付いた。ソニアさんの青い瞳は揺らいでいた。どうしてずっと気が付かなかったのだろう。そういえば、あの頃だって彼女はいつもこんな瞳をして、いつまでも動けずにいたオレたちの傍にいてくれたのに。



「わたくしたちは大罪人です」



 聖母のようだと思った。だけど、ならばゆるしてほしかった。「あなたの隣人が、あなたを恨んでいないなんてどうして言えるでしょう?」なめらかな声だった。彼女の瞳の奥に、憐憫とも怒りともつかぬものがあった。



「あなたもわたくしも間違いなく、大量殺人者なのですから」








「で、キミはいつまでここにいるわけ」

「うるせーな、他に行くとこねえんだよ」

「自分の部屋に帰ればいいでしょ? ボク、これから寝るとこなんだけど」

「じゃあの部屋に行くぞオレは」

「………………行けるものなら行ってみなと言いたいところだけど、本当に実行されたら困るね」

「だろ? 気にすんな、オレ、ソファでいいから」

「は? まさかここで寝るつもり?」



 頷いたオレに殊更眉を寄せて見せた狛枝は、それでもオレを追い返したりはしなかった。「本当に、周囲の人に恵まれていますね」ソニアさんの声が脳裏を過る。
 あの後、オレは一度はプログラム室に戻った。だけど、扉に手をかけた瞬間、中からがつんと肉を打つような音がしたのだ。扉の隙間から覗き見た白衣を着た紐山の背中は丸くなって震えていた。絞り出すように吐き出された知らない誰かの名前に頭を殴られたような気になった。
 紐山の机は、そういえば、いつの頃からか隅の辺りがへこんでいる。
 灯りを消してベッドに潜り込んだ狛枝の気配を感じながら、貸してもらったブランケットを腹のあたりにかけて天井を見る。こうして黙っていても、音というのはどこからか聞こえてくる。漣、虫の声、目を閉じると蘇るソニアさんの声。「どうか恨まないでください」そう言った彼女は希望ヶ峰の制服を脱ぎ捨てた。なあ狛枝。お前は世界が絶望に染まっていったとき、どこで何をしていたんだ。尋ねたくても声が出ない。微睡に飲み込まれていく。








 誰かの傍で眠ったのは久しぶりだった。だからこんな夢を見たのかもしれない。
 無数の腕に足首を掴まれて、汚泥の中に引きずり込まれるのだ。呑み込んだ泥は血の味がした。頭蓋を押さえつけられ、指を折られ手足をもがれ、痛みだけは感じないのが恐ろしかった。助けてほしいのにそれを求める手がもうどこにもない。眼球が潰されて暗闇に閉じ込められる。これくらいで終わると思ってるの? アンタが殺した連中の苦しみはこんなもんじゃなかったよ? もう消えたはずのあいつの声が脳を直接揺らしにかかるから、悲鳴をあげる。
 もう許して。








「左右田クン、大丈夫?」


 
 狛枝に揺り起こされて目を開けた。助かったと思った。カーテンの隙間から何となく薄明りが漏れていて、間もなく夜が明けることを察する。
 


「いやに魘されてたよ。変な夢でも見たの?」
 


 いびきも酷かったけど。そう言いながらベッドに戻ろうとする狛枝に手を伸ばす。
 


「なぁ狛枝」



 声が掠れた。触れた指先の感触にほっとする。オレは五体満足で、周囲の人間に恵まれていて、だけど時折、殺意を向けられる。誰に縋ればいいのかもわからない。それがではないことだけは確かだった。あいつにはこれ以上何かを背負ってほしくなかった。逃げられないと知った。狛枝の手首を掴む。「は?」と不機嫌そうに眉を寄せられる。



「少し、話を聞いてくれねーか」



 その整った顔から表情が消えるのを、オレは黙って見つめている。


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