私には責任があった。






彼女から見た絶望




 苗木くんたちとの意見交換の結果、紐山さんが作ったプログラムの最初の被験者に選ばれたのは、真昼ちゃんだった。未だ眠り続けるみんなの中で、彼女が一番衰弱が激しかったせいだ。そのことを伝えたとき、凪斗くんは平生だった。むしろ私の選択を肯定してくれた。
 真昼ちゃんは絶望を世界中に伝染させた、所謂絶望の残党の一人だったけれど、自分自身の手で人を殺したわけではない。だから確実に安全だとは言い切れないけれど、他のメンバーよりはずっとマシだ。そういう言い方を彼はした。
 凪斗くんは「彼女を起こす以上知っていた方がいいだろうから」と、私の知らない、真昼ちゃんの学生時代の話をしてくれた。



「まあ、さんもやったっていうあのゲームの筋書きと、大体一緒なんだけどね」



 彼は他人事のように淡々と語りだす。予備学科に通っていた真昼ちゃんの親友が、在学中に死んでしまったこと。外部の不審者の仕業だと言われていたけれど、それには、彼女と同じクラスだった九頭龍くんの妹の死が関わっているらしいこと。そこから類推するに、恐らく真昼ちゃんの親友の死には九頭龍くんが関係していると考えて良いのだろう。あのゲームと同じように。――改めて、モノクマの用意したトワイライトシンドローム殺人事件がどれだけ悪趣味なものだったのかを思い知らされてしまう。
 学園にもみ消されたのか、二人の死は公にされることがなかった。そのため、本科生である凪斗くんも詳しくは語ることができない。ただ、事件以降の真昼ちゃんと九頭龍くんはお互い距離を置くようになったと言う。元々そこまで密接なかかわりのある二人ではなかったけれど、ちょっとした目線の動きや態度の端々から、二人がお互いを避けているのは明らかだった。



「噂は本当だったんだと思うよ。ボクは」



 当事者であるはずの九頭龍くんは、真昼ちゃんが最初の被験者として選ばれた後も、何も言わなかった。多少は動揺していたのかもしれない。彼が殺した感情にもっと早く気がつくべきだった。プログラムの中で真昼ちゃんを殺したのは、九頭龍くんと密接な関係があった辺古山さんだと知っていたのに。
 その時の私の視野は極端に狭まっていた。早く成果を出さなければいけないと思っていた。焦っていたのだ。そうでなければ、全員が目を覚ますことのないまま島と共に捨てられる。どんな結末になろうと、それが一番の最悪な未来だと信じて疑わなかった。








 目を覚ました真昼ちゃんは、声を失っていた。一概には言い切れなかったけれど、安全性に配慮されずに作られたプログラムによる弊害だと思った。
 話を聞いた苗木くんは「一時的なものかもしれない」と気を遣ってくれた。でも、このまま真昼ちゃんが、ずっとぼんやりと空を見上げたままだったら、抜け殻のようにしていたら、私は一体どう責任を取れば良いのだろう。エゴだと認めていた。覚悟していたはずだった。なのに、揺らいでしまう。
 被験者に何が起きるか分からない、博打のプログラム。予め紐山さんに宣告されていた通りだった。この事態は予想される結末のうちの一つだった。私はそれらの責任を全て負うつもりだった。
 「どうしよう」じゃない。「どうにかしてみせる」のだ。
 可能な限り時間を作って、真昼ちゃんの元を訪れた。彼女の監視役を自ら申し出てくれた日向くんが休憩を取る間は、私たちの誰かが交代で真昼ちゃんの傍にいることが決まっていたのだった。ローテーションを組むのが望ましいだろうかとの提案を、九頭龍くんは拒んだ。「オレはやめとくわ」って。短く。「キミには悪いけれど」と曖昧に笑った凪斗くんとはまた違った拒絶の仕方だった。
 私はプログラムの中の二人しか知らないから、迂闊なことを口にすることは出来ない。ただ、その彼の態度は凪斗くんが言った通り、過去の事件に起因することは明らかだった。








 未来機関の正職員の一部しか閲覧する権限がないファイルの置かれた保管庫の鍵を、私は持っている。この島の施設の責任者として、島を去る苗木くんが私に預けてくれたものだった。
 本来ならば、紐山さんのプログラムにかける前、いや、私が目覚めたときにでも、私はそのファイルの全てに目を通しておくべきだった。眠り続ける彼らの仲間としてではなく、未来機関の一人として。私は真昼ちゃんを目覚めさせたあとになってようやく、その鍵を使って保管庫に入った。
 薄らと埃の積もったファイルは、私たちがプログラムに入る前に苗木くんたちがまとめてくれたものだ。希望ヶ峰学園の生き残りを名乗った皆が未来機関に保護されたあと、急ごしらえで作られた資料だった。
 学生時代のプロフィール、彼らの保護後に行われた面談の内容、そして、苗木くんたちが独自に調べてくれたみんなの学生生活と、絶望時代。それは、そこまで詳細に書かれているわけではない。学生時代の七十七期生のことならともかく、彼らが絶望していた当時のことを詳しく知る人は、当時学園の中でコロシアイを強いられていた私たち七十八期生の中にいるはずがなかった。だから、ここに書かれてある当たり障りのないことは、私に、みんなに起きたすべてのことを教えてくれはしない。
 悩んだ結果、数冊のファイルを手に取って、保管庫を出た。








「小泉さんはね、自分の才能を使って絶望を伝染させたんだ。彼女の写真は、どんなに凄惨なものであっても見る人を惹きつける力があった。ある意味ドラッグみたいなものだったんじゃないかな。引きこんで、目を離せなくする。彼女にとって『こう映ってほしい、こう見えてほしい』という意図があったなら、それは間違いなくそういうふうに作用したはずだよ」



 言葉を話すことしない真昼ちゃんは、いつもベッドに横たわったまま、窓の向こうの海を眺めていた。私が話しかけても何の反応も示してはくれず、こけた頬が動くことはない。そもそも、彼女は覚えているのだろうか。プログラムでの記憶を、それ以前に、彼女が犯した罪を、平和だった学園生活を、失った親友を。
 語ることのない彼女は今日も海を見る。日向くんと私がプログラムでの思い出を語りつくしても、真昼ちゃんは何も言わない。表情を浮かべない。感情が平らになって、それは私がどんなに触れても形を変えることのない土壁のように頑なだった。
 彼女はまだ絶望しているのだろうか。
 私は何が出来るのだろう。自分のエゴで目覚めさせた。けれど、今彼女は苦しんでいるのかもしれない。分からない。それでも月日は巡る。絶望として目を覚ましたのか、小泉真昼として目を覚ましたのか、それすらも私には分からない。分からないのに、凪斗くんは私を見透かすように続ける。



「キミは責任を負わなければいけないね」



 そんなこと、誰に言われるまでもなく理解していた。保管庫から持ち帰った三冊のファイルの表紙のざらりとした感触を、確かめるように撫でる。








 自問する前に、私にはいくらでもできることがあった。
 九頭龍くんは私の思考の先を読んでいるのか、私を避けているような素振りを見せた。いや、もしかしたら彼は私たち全員を避けていたのかもしれない。真昼ちゃんが目覚めて高揚する私たちから数歩離れたところに、彼はいた。
 食堂で顔を合わせることが多かった九頭龍くんは、最近は普段より遅い時間に食事を摂っているらしかった。私はその時間を読んで、何食わぬ顔で食堂に入る。閑散とした食堂の隅の席に、彼は一人で座っていた。



「おはよう九頭龍くん」



 食事のトレイを持って彼の目の前の席に座ると、九頭龍くんは少しだけ目線を落として、「おう」と答えた。
 その席で、私は、彼にわざと尋ねたのだ。辺古山さんの過去を知るために、九頭龍くんのデータを見てもいいかと。私は彼を気遣うような言葉の中に少しだけ、嘘を混ぜた。
 彼のデータを勝手に見ることに気が引けたのは本当だ。真昼ちゃんや、未だ目覚めない皆とは違って、九頭龍くんは既に絶望からは自力で抜け出している。
 九頭龍くんだけじゃない、日向くんも左右田くんも、ソニアさんも終里さんも、強制シャットダウンを経て目を覚ました皆は、絶望していた当時の記憶を持ちながらも、何とか本来の自分たちを取り戻した。不安定な人も、中にはいる。その人のケアも、いずれしていかないといけない。だけど九頭龍くんは彼らの中でも、特に芯のある人だった。彼はもう絶望したりしない。そういう確信があったからこそ、私は彼の了承なしにファイルを見るわけにはいかないと思っていた。
「辺古山さんのため」と、私は彼に心を開いてもらうために、そう言った。
 勿論、今後いつか目を覚ますことになるであろう彼女のためでもあった。だけど私が一番知りたかったのは、真昼ちゃんと九頭龍くんの間に、一体何が起きたのかということだったのだ。モノクマが作ったトワイライトシンドロームの通りの事件が現実に起こっていたというのなら、それが原因で二人の間に壁ができてしまったというのなら、それを壊す方法はなくとも、不可視の壁の向こう側を見るための手伝いができたら。そう思ったのだ。



「キミは責任を負わなければいけないね」



 凪斗くんの言葉が脳裏を過る。彼に言われるまでもなく、プログラムを強引に進めた私には責任があった。
 目を覚ました真昼ちゃんを見て、打ちのめされなかったとは言わない。だけど私は、島の責任者として、未来機関の職員として、彼らの仲間として、自分に与えられたすべての権限と築き上げた信頼を全て利用してでも、彼らの話を聞きたかった。それは義務でもなんでもなく、ただの私の、一人のとしての、押し付けにも似た望みだった。
 彼らは死ぬべきではない。私がそう思うのは、仲間だからとか、そういう理由だけではない。
 本部から島に送られてきた未来機関の職員が、「島流し」だと自分たちの境遇を嘲笑った。こいつらは俺の恋人を奪った。そう言った瞬間、私は覚悟を決めた。
 皆を目覚めさせなくてはいけない。罪は裁かれるためだけではなく、償うためにもある。以前凪斗くんにも言ったように私はそう思っている。彼らは、償わなければならなかった、自分たちのしでかしたことと向き合わなくてはいけなかった。例えそれが、盾子ちゃんの存在のせいで歪められた人格や価値観によるものだったとしても、彼らが奪った命は、軽くはなかった。
 私はそのための舞台を整えたい。投げられる石の全てから皆を守ることはできなくても、やり直す機会は誰にだって平等にあるはずだ。私はそう信じている、だから、どうか目を覚まして。どんなふうになっても、声が出なくても目が見えなくても、錯乱することになっても絶望したままだったとしても、目覚めたくなかったと泣かれても、それでも私は、その全てに責任を負う。








「……やりなおせるって、言うのかよ」



 九頭龍くんは、そう言って泣いた。
 彼と辺古山さんの生い立ちを、一つ年下の妹の死を、彼の妹を殺した佐藤という生徒を、彼はきっともう飲み込んでいる。皮膚の内側に閉じ込めて、受け入れている。懺悔するような彼の声に、私は耐えられずに一緒に泣いた。 九頭龍くんは、強い人だった。思わず握りしめた手のひらは思いのほか固い皮をしていて、私はそれを解すように、包み込む。








 彼が真昼ちゃんの病室を訪れたのは、その日の午後のことだった。
 二人きりにしてほしいという彼に、日向くんが目を丸くする。真昼ちゃんが嫌がるかもしれないと思ったのだろう。だけど、真昼ちゃんは窓の方を眺めるのをやめた。海の方に向けていた視線を、一度ゆっくりと瞬きさせてから、緩慢にこちらを見た。
 あ、と、おもった。眼窩の落ちたような、底なしの黒だと思っていたその瞳の中に、僅かに光が見えた気がしたのだ。
 真昼ちゃんは日向くんでも、私でもなく、ただ九頭龍くんのことを見つめていた。九頭龍くんは、その視線を受け止める。白い部屋の、白いベッドの上で、白い服を纏った真昼ちゃんは、肌までもが透ける様に白かった。私は、日向くんの服の裾を引いて目配せをした。日向くんは「でも」と心配そうに二人を見つめていたけれど、私が首を振ったのを見て、諦めたように部屋を出た。
 二人が一体、その部屋で何を話していたのかを私は知らない。日向くんが使っていたメモ帳が数枚破られていたと、九頭龍くんが出て行ったあとに部屋に戻った日向くんが言っていたけれど、探すまでもなく、それは九頭龍くんが持ち帰ったのだろうと思う。








 真昼ちゃんが声を出せるようになったのは、彼との対話がきっかけになったのかもしれない。数日後、真昼ちゃんは、掠れた声で私に、「ごめんね」と言った。泣きながら首を振る私に、彼女はプログラムの中でそうしてくれたように、目じりを下げて微笑んだ。


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