結論から言うと、「トワイライトシンドローム殺人事件」は全てが全て真実だったわけでも、作り話だったわけでもなかった。あれには虚実が入り混じっていたのだ。
 本科と予備学科という違いはあれど、アタシたちは実際に希望ヶ峰学園の生徒だった。
 ゲームのシナリオ通り、九頭龍菜摘の死体は予備学科の校舎の音楽室で発見されることになる。ただ実際にその死体を見つけたのは、アタシだけだった。日寄子ちゃんも唯吹ちゃんも蜜柑ちゃんも、あの場にはいなかったのだから。
 そもそもあのゲームではあたかも全員が知り合いであったかのように描かれていたけれど、死んだあの子たちと密接な関わりがあったのは、アタシだけだ。本当に罪を背負っていたのは、アタシだけだった。
 だから、そう、それ以外は、全部本当。
 あの二人は本当に、もうこの世のどこにもいない。








 アタシが九頭龍菜摘の死体を見つけたのは、夏のある日のことだった。
 その日アタシは、「あの子」と待ち合わせをしていた。放課後、予備学科の校舎の一階で待っていてほしいと言われていたのだ。あの子はいくら待っても現われなかったけれど。
 部活もほとんど終わったような時間だ。校舎に人影はほとんどなく、七月だというのにどこか肌寒い日だった。待ち合わせ時間をとっくに過ぎてもあの子が現れないことに待ちくたびれて、手持無沙汰になって首から下げたカメラに触れた。
 コンパクトなデジカメだ。この中には、本科の友達と過ごした日々が残っている。良くも悪くも癖の強い子たちだ。手放しで全員が仲がいいとは言いきれないけれど、居心地は悪くない。自由に振舞うことのできる息苦しくない世界を、アタシは愛している。
 満たされた気持ちになりながらデジカメの電源を落としたその時だった。階段の上の方から、何かが割れるような激しい音がしたのは。
 不思議に思って二階へと足を向けた。興味本位に階段を上らなければよかった。関わらなければよかった。知らないふりを決め込むのは得意だったのに、あの時に限ってアタシは沼の中に自ら足を踏み入れた。
 予備学科は巨大な建造物で、生徒数も多いはずなのに、そこには誰もいなかった。ぞっとするほどに静かだった。引き返すべきだった。あれは音楽室だった。窓ガラスが割れていた。くったりとした人の脚が見えた。力なく手足を放り投げ目を閉じる、そのへこんだ頭蓋が網膜に焼き付いて離れない。
 九頭龍菜摘の遺体を、あの日アタシはどうしてカメラに収めたりしたのだろう。








 九頭龍菜摘を殺したのはあの子だ。
 いくら外部の変質者の仕業に見せかけようとしたとは言え、それを見抜けないほどアタシは鈍くはない。あの子はアタシのために、九頭龍菜摘を殺した。
 本人に問い詰めたら、彼女はこちらが拍子抜けするほどに呆気なく自供した。九頭龍菜摘はアタシを恨んでいた。予備学科でアタシの悪口を言いふらして、その憎悪は日増しにその色を濃くしていた。「死んでほしい」って、九頭龍菜摘は言っていた。このまま放っておいたら殺されていたのは真昼のほうだったかもしれない。――正直、突飛な発想だった。確かに彼女はアタシを嫌っていたけれど、そして私を罵っていたのも事実ではあったのだろうけれど、それでも生命の危機を感じたことなんか、だって一度もなかったから。もしかしたらこの子は、精神を病んでいるのかもしれない。弁明を繰り返す彼女を、だからアタシは庇った。証拠となり得る写真を捨てたのだ。心を病んだ友人を守ったアタシは、とても「いい子」だった。
 昔から、二人の口論を止めていたのはいつもアタシだった。
 アタシの才能に嫉妬する九頭龍菜摘と、その彼女に怒りを露わにするあの子。アタシの中にある醜い感情を、二人はいつも肩代わりしてくれていた。アタシは安心して二人の仲を取り持ついい子になれた。居心地はよくはなかったけれど、気分は悪くなかった。だって、いい子にしていなきゃ、お母さんが笑ってくれない。
 アタシのお母さんは戦場カメラマンだ。
 家にいることなんかほとんどない。アタシがお母さんと過ごした日々はもう今では遠く掠れて曖昧だ。生々しい戦地の写真、その中に時折映る子供たちのあどけない笑顔、世界の真実を伝えるため、旅立つお母さんの後ろ姿、縋りつくことなく見送るいい子のアタシ。「いってらっしゃいお母さん」寂しくないよ、だってアタシはいい子だから。
 アタシはいい子の型にはまる。手足が伸びて胸が膨らんで、窮屈になった型にそれでも必死で蹲る。アタシから生えた悪意の芽を刈り取ってくれる二人をアタシは正しく愛している。愛している。愛している。
 だけど二人はもういない。九頭龍菜摘は死んだ。彼女を殺したあの子も、そう。殺されてしまったのだ。復讐のためにあの子を手にかけたのは九頭龍菜摘の兄で、アタシのクラスメイト、九頭龍冬彦に他ならなかった。








 やられたらやり返す極道の世界に生きている彼が、妹を殺されたことを知って報復に出たのは間違いない。
 しかし学園は、九頭龍菜摘が死んだことも、あの子が殺されたことも、外部の人間による犯行、もしくは事故として片付けた。元々予備学科の生徒に対する扱いは酷かったけれど、殺人事件まで有耶無耶にするとは思わなかった。
 あの子を失ったアタシは、喪失に打ちひしがれていた。涙が出たのも本当だ。アタシはちゃんと悲しかった。日寄子ちゃんが、唯吹ちゃんが、蜜柑ちゃんが親友を亡くしたアタシを慰める。
 九頭龍はアタシを横目に教室を出て行った。彼がどんな感情を抱えていたのかは、知らない。だけど友達のために泣くアタシはとてもいい子で、アタシの思い描いた小泉真昼そのものだった。なのに、心の中はがらんどうだ。もう一人のアタシが、悲しみに暮れて泣きわめくアタシを侮蔑のこもった瞳で見下ろしている。あれは九頭龍菜摘の目だった。悲しかった。へえ、そんなに悲しいの。



 じゃあ、復讐しなよ。



 あの子によく似た声に、耳を塞ぐ。
 アタシはこれからも、あの子を殺した九頭龍と同じ教室で同じ空気を吸う。あの子を殺した九頭龍を、ひとしきり泣いたアタシは許す。許さなくてはいけない。いい子のアタシは、決してやられたらやり返すなんてことはしない。殺したりしない。復讐なんてするわけがない。憎しみは断ち切るべきだ。忘れて、忘れて忘れて忘れて、良かったじゃないあの子の期待は息苦しかったんだから。――だけどアタシ、死んでほしいって思っていたわけじゃない。「良かった」なんて思っちゃだめ。一片の汚れもないままでいなくちゃ。
 友達だった。心に穴が空いたみたいだった。「真昼の写真、すっごくきれいだよねえ」あの子の細めた目、色素の薄い、ふわふわした髪。横顔がきれいで好きだった。なのにもうどこにもない。
 復讐。やられたらやり返す。そんな言葉が頭をぐるぐるまわっている。だけどそれを認めて正当化してしまったら、アタシは今までのアタシを否定することになってしまう。
 教室の隅に座る九頭龍と目が合ったけれど、すぐに逸らした。手にしていたデジカメの液晶に目を落とす。そこにはクラスメイトのみんなが、あの子が、アタシの過ごした日々が残っている。
 四月のどこか緊張した面持ちのみんなも、すっかり打ち解けて笑っている六月も、それから先も、こんなに明るくきらきらと輝いているのに、その中に紛れ込むように、九頭龍菜摘は死んでいる。消したはずの写真だ。息を止めて一度目を閉じると、それは何てこと無い、日常を切り取られた写真に変わっている。
 力の抜け切った手足、二度と開かない瞼、へこんだ頭に滴る血液、あの子も同じように死んだのね、あの子の死体を見たわけではないけれど、半ば確信めいてそう思う。



「…………アタシは九頭龍とは違う」



 口の中でそう呟いた。九頭龍の顔を見ることはできなかった。思い続けて、一年が経った。
 アタシはすっかり、写真を撮れなくなっていた。








 始めは些細な変化だった。
 シャッターを切るとき、指が強張って、決定的な一瞬を収めることに失敗することがあった。せっかく皆いい顔をしていたのに。悔しかったけれど、それが二度、三度と回数を重ねるごとに、アタシは自身を疑う。その不調に気づかないふりをする。
 カメラを変えてもそれは変わらなかった。一眼レフに持ち替えても、アタシの指は固まる。寮の中、一人でファインダーを覗いてアタシは声をあげた。レンズの向こうに目があった。黒々とした、何の感情もない眼球だった。
 その目は毎日アタシを襲ったわけではない。本当に、時折、アタシが気を抜いているとき、それはアタシの前に現れて、あざ笑うかのようにアタシの前に現われた。アーモンド型の猫みたいな目。生気が抜けきった目。「ひ」カメラを構えたまま小さく悲鳴をあげるアタシに、日寄子ちゃんが心配そうに首を傾げる。



「どうしたの小泉おねぇ」

「な、なんでもないの、ちょっとカメラの調子がおかしいみたい」

「え~!? この前もそう言ってなかったぁ!? 修理出したの!?」

「ん~、そのはず、なんだけどね……」

「なぁんか、罪木といい小泉おねぇといい、最近ちょっと変じゃない?」

「そんなこと、ないよ……」



 ねぇどうしていい子のふりをしているの。アタシの耳元であの子が泣いた。








 ちがう、ちがうちがう、ちがう。アタシは復讐なんかしない。アンタにいくら泣かれたって、憑りつかれたって、アタシは絶対にやり返したりしない。だってそうしたらいい子じゃなくなってしまう。復讐なんて、馬鹿げてる。あいつと同じ場所に落ちたくない。
 耳を塞ぐ、丸くなる、誰もいない放課後の教室が赤く赤く染まっていく中、アタシはそうして身動きもできずに息を殺している。



「違うでしょ」



 知らない声に顔を上げた。あれは、二年の、九月のことだった。
 アタシの前に、彼女はいた。頭の上で二つに結われた金色の髪、きれいな化粧に彩られた整った顔立ち、長い指先は机の上に置いてあったアタシのカメラに優しく触れて、慈しむようにそれを持ち上げる。
 普段向けられることのないレンズがアタシに向けられた。フラッシュの点滅と、小気味のいいシャッター音に思わず目を閉じる。「あはは、ウケる」江ノ島盾子がアタシを捕える。



「ひっどい顔してますよお、先輩」



 口元は笑っているのに、酷く冷たい瞳をした人だった。



「……あなたは?」

「えーっ!? アタシのこと知らないのお!? これでも雑誌とかいーっぱい出てるんだけどなぁ……。盾子ちゃん、ショックぅ!」

「……ああ、ううん、知ってる、あなたのことは、知ってるけど」

「はあ!? じゃあ何で聞いたの? 先輩超ウケる」

「……何かアタシに用事?」



 この子の目を見ていると、アタシの心まで冷えていくような気がした。どうしてだろう。わからない。
 江ノ島盾子がアタシの机の上に無遠慮に腰かける。短いスカート丈から見える太腿は、どきりとするくらいに白くて細い。
 一期下の、超高校級のギャル。元々雑誌とかでも良く見かけていたけれど、最近は蜜柑ちゃんが彼女とよく一緒にいるから、彼女のことは一方的に知っていた。



「蜜柑ちゃんだったら、もう帰っちゃったけど……」

「あはは、ちがうちがう、センパイに用事」

「……アタシ?」

「そう! 小泉センパイに!」



 見下ろされて、ぞくりとした。彼女が、何もかもを見透かしているかのような目をしていたから。



「悩める小泉センパイに、可愛い盾子ちゃんがアドバイスしてあげよっかなって思って!」

「――は?」

「知り合いが二人も死んでしまった、それも自分の存在が彼女たちを苦しめたせい、ああなんて罪な女なの小泉センパイって! 一年も前の事件に今も囚われてるなんて、まるで悲劇の主人公みたい!」

「……あなた、なんでそれを」

「ね~えセーンパイ! どうだっていいじゃんそんなことさあ!」



 突然アタシの制服の首元を掴んだ彼女は、恐ろしいくらいの力でアタシを立ちあがらせた。首が締まって、痛い、苦しい。怖かった。こわかったはずだった。なのにどうして目の前の江ノ島盾子は、縋りつきたくなるくらいに優しい表情をしてアタシを見ているのだろう。江ノ島盾子がアタシの髪を撫でる。



「苦しかったねえ、悲しかったねえ。ずーっと独りで抱え込んで、九頭龍菜摘が死んだのもサトウが死んだのも自分のせいだって、写真まで撮れなくなって、つらかったねえ。本当に可哀想なセンパイ」



 それはさっきまでとは打って変わって、温かい、やわらかな、声だった。耳元で囁かれるそれに、いや、だれでもいい、だれでもいいから、アタシはきっと全てを許してほしかった。みとめてほしかった。アタシは間違ってないって。目を閉じる、九頭龍菜摘の死体が霞む。あの子の声がアタシを呼ぶ。サトウ。そうだ。佐藤ちゃん。



「許せなかったよね、間違ってるって叫びたいよね。でも復讐なんてできないんだよね。だってセンパイはいい子だもの。ねえ、でも友達が殺されても、泣き寝入りしかできないのは悪いことじゃないのよ。どんな些細なことにでも自分に噛みついた後輩や、自分に恐ろしいくらいに執着していた友達が死んで内心で安堵していたとしても、悪くないのよ。あなたが正しいの。あなたが正しいの。あなただけが正しいの」



 細い腕がアタシの背中に回される。柔らかな胸がアタシの体に触れる。いいにおい。心地よくて、泣きたくなった。



「正しいあなたは、正しい方法で、正しく生きなくちゃ」



 この人は、アタシを受け入れてくれると思った。正しいアタシに正しいと言ってくれるひとだった。
 それがアタシをあたたかな海に突き落とす。このまま揺らいでいたい、力を抜いて、何事にも抗わず。揺蕩い続けていたい。正しいって言って。全てを我慢して、笑顔を貼り付けて、誰も傷つかないように自分を傷つけて、心を病んだ友達を守ってあげた、復讐なんか馬鹿げてるって言い続けて、とうとう写真すらも撮れなくなってしまったアタシを、可哀想って言ってよ。アタシの正義を褒めてくれる人の手を、縋るように掴む。



「……どうすれば、いいの?」



 江ノ島盾子がアタシを撫でる。アタシの頬を、髪を瞼を優しく包む。母の手のように。慈しむように。それが酷く心地いい。



「サトウを殺した九頭龍は、悪い奴だね、あなたの正義に反するでしょう?」

「うん……」

「じゃあ九頭龍の真実を、世界に知らしめよう。あいつの悪事を伝えよう。それができるのは、カメラマンのあなただけ」

「真実を?」

「九頭龍だけじゃないよ。この世には悪がはびこっている。正しくない最低最悪のやつらで溢れてる。それを糾弾して、世界に広めて。あなたの正義で世界を救って」



 その言葉は、アタシのがらんどうだった胸の中に驚くくらいにすとんと落ちた。いい子の型に入ってぎゅうぎゅう詰めになっていたアタシを、彼女は受け入れてくれた。
 真実を世界に伝える、それはアタシにしかできない、お母さんがしてきたように、今度はアタシが世界に真実を広めていく。それはとても、甘美な響きだった。
 アタシを最後にぎゅうと抱きしめた江ノ島盾子は、机の上にあったカメラをアタシに手渡す。



「あなただけが、この世界の真実を、正しい形で伝えられるの」



 震える手でそれを受け取った。
 試しに、彼女に向けてカメラを構えてみた。ファインダーを覗いても、あの空虚な目は現れなかった。指が硬直することもなかった。アタシは前のように、上手に被写体を写真におさめることができた。
 この世界の真実。彼女はまるでこの世の王のように自信に満ちた目をしていた。



「写真、撮れるじゃん、センパイ」



 江ノ島盾子が嬉しそうに微笑む。 それだけで、アタシは生きていけると思った。








「はい、一丁上がり」



 ちょっとヌルゲーすぎじゃん? 小泉真昼が消えた教室で、彼女は楽しげにつぶやいた。


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