本当に、理解不能。誰がやるのよあんなもの。
ジャバウォック島に連れてこられて、コロシアイを強要されて数日が経った頃だった。モノクマがアタシたちに、とあるゲームを提示したのは。
トワイライトシンドローム殺人事件。
古いゲームセンターにあるような大きな筐体は異様な存在感を放って公園の中央に鎮座していて、正直気味が悪かった。アタシたちにコロシアイをしろって言うようなヤツが準備したゲームなんて、碌でもないものに決まっている。そもそも、タイトルからしてやばい匂いがぷんぷんするしね。やるつもりなんかなかった。そんなのなかったことにして過ごすつもりだった。
九頭龍がアタシに手紙を渡してなんかこなければ、近づくつもりもなかったのだ。あんなもの。
「トワイライトをやってみろ。ゲームオーバーになったらその後に五回下を押せば裏面にいける。それをやれば思い出すはずだ。お前らが俺の妹に何をしたのか……話はそれからだ」
ぞわりと背筋が粟立ったのは、その文面のせいではない。
手紙と一緒に同封されていた写真を、アタシは思わずテーブルに叩きつけた。そうして視界からはじき出したところで、一度眼球に刻まれた映像は簡単には拭えない。
見知らぬ制服を着て並んだ唯吹ちゃん、日寄子ちゃん、蜜柑ちゃんの写真。あれは一体どこなんだろう、見覚えのない背景、だけどどこかの学校のようだった。割れた花瓶。そして、そしてそれは、その中に混ざりこんでいた。まるで平穏な日常にそっと紛れ込んだ悪意のように。
二枚の写真だった。唯吹ちゃんでも日寄子ちゃんでも蜜柑ちゃんでもない、だけど私の良く知っている二人が、それぞれ頭から血を流して倒れていたのだった。
二人は気を失って、倒れているだけだ。そう思い込もうとしたけど、無理だった。だってトワイライトシンドローム殺人事件は、その二人の死をまざまざと私に見せつけていたから。
だけど、あんなゲームが真実であるなんて証拠、どこにもない。だってアタシは何も覚えていないのだ。アタシ自身が唯吹ちゃんたちと希望ヶ峰学園の生徒として過ごしていた日々の記憶もなければ、あの二人が同じように希望ヶ峰に通っていたという記憶もない。だけど、それらの記憶を何らかの方法で奪われたとモノクマは言った。――奪われた。もしもそれが真実ならば。こめかみが痛んで、目を閉じる。
確かに、アタシは死んだ二人を知っている。昔の同級生と、後輩。希望ヶ峰学園に通う前のアタシは、あの二人と同じ高校に通っていたのだ。超高校級のカメラマンとしてスカウトされたとき、同級生だったあの子が自分のことのように喜んでくれたことも、部活の後輩だった子が口では祝いながらも憎々しげにアタシを睨みつけていたことも、記憶に新しい。だけど、それ以上先のことを私は知らない。
死んだ? 二人が? モノクマの嘘ではなく、作り物ではなくゲームの話ではなく。
あの写真が偽物でも合成でもないことは、アタシが一番良く分かっていた。二人の死体。頭を殴られ頭蓋を陥没させて死んでいたあの子たち。九頭龍の手紙が頭をよぎる。アタシを嫌っていたあの後輩は、九頭龍菜摘と言った。
あの子は彼の妹だ。
九頭龍の妹を殺したのは私の友人であった「あの子」だと、彼はそう思っているのだろう。
勿論、あのゲームの中での話が真実ならば可能性としては大いにあり得る。しかしモノクマが作った動機を真実として素直に受け止めていいものだろうか? 妹の死を見せつけられて動転している彼は、冷静な判断力を欠いてしまっている。
あのゲームの中のアタシと思われる人物は、あの子(ゲーム中の名前で呼ぶのなら、E子だ)が九頭龍の妹を殺した証拠になる写真を隠してしまっていた。きちんと然るべき場所に訴えていれば、E子が裁かれることはあっても、殺されることはなかったのかもしれない。
そうしたら九頭龍からの報復を、あの子は受けずに済んだのかもしれない。
だけど今そんなことを考えたところで、何の意味があるって言うんだろう? あんなの嘘だ。現実で起こった事件のはずがない。
なのに九頭龍は信じているのだ。あれが本当にあったことだって。本当に妹が殺されて、アタシがE子を庇って、その証拠を隠滅した、って。
九頭龍はE子を殺した自分の罪を正当化した。自分たちが生きていた世界では、やり返すのは当然だと言った。それがアタシの正義感を刺激したのだ。多分、そういうことだった。
やられたら、やり返すのが当然。――そういう考えもあるにはあるんだろう。だけどそれは「正しく」ない。間違っているのだ。だって、そんなことを繰り返していたら争いはなくならない。人が争い続けているから、だから――だから、お母さんはアタシの傍にいてくれない。
「……あのゲームが真実だって言うなら、確かに妹を殺されたアンタは可哀想だと思うよ」
復讐を正当化する九頭龍を、どうして許せただろう。
「だけど、アンタはE子を殺した」
E子の本当の名前を知っているはずなのに、思い出せないのが、こんなときに気持ち悪く思えた。ぞわぞわと背筋が粟立つ感覚を自覚したとき、それが、纏わりつくようにアタシの肌を撫でた白い手のひらに似ていると思った。「真昼のことが大好きよ」アタシはそれに何と答えていたのか。
やられたら、やり返す。それが当然で、当たり前のことなら、アタシはどこに行けばいいの?
アタシの掲げる正義が、プライドが、「いい子」のアタシが、九頭龍の罪から目を逸らすことを許さない。
「――アンタに、そんなことをする権利はなかったはずだよ!」
言い切る前に、アタシは見た。九頭龍とアタシの間に割り込むように、ペコちゃんがベンチの下から突然現れたのを。その手に金属バットが握られていたことを。
それがアタシの頭上めがけて振り下ろされる瞬間、その時の彼女の温度のない目が、鮮烈に脳に焼き付いた。知ってる、と思った。あの目をアタシは見たことがあった。思い出した。思い出した。思い出してしまった。
「ひっどい顔してますよお、先輩」
あの子の声を、アタシは思い出した。

小泉真昼の場合
アタシは死体を見たことがある。
高校の写真部の、後輩だった子だった。
極道の娘だと言う彼女はいつも威張り散らして、アタシに良く突っかかってきた。あの子が才能に憧れていることは、良く分かっていた。アタシの構図を真似た写真を撮って「先輩のよりこっちがよくない?」って目を細めて笑った。
「真昼はいい子すぎるよ。ちゃんと言ってやればいいのに」
文化祭で並べられた、構図も色味も似通ったアタシと後輩の写真を見て、「彼女」は怒りを露わにする。
「素人目で見たって真昼の写真のほうがいいってわかるけどさ。でも真似されるのって鬱陶しいでしょ。ほんとウザい。九頭龍菜摘」
「別に、気にしてないから」
逆に、どうして彼女はここまで怒っているのだろう、アタシのことなのに。
アタシは宥めるように両方の手のひらを彼女に向ける。確かに後輩に構図を真似されることに煩わしさを感じてはいたのかもしれない。だけどそれと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、アタシの中の悪意を指摘するあなたも面倒だと思っていると告げることができたら、どんなに楽か。
とは言ってもどのみち、もう少しの辛抱だ。この高校に通うのもあとわずかなのだから。
人間関係を円滑にするために言いたいことを呑み込むのは、アタシの処世術だ。
男の子にはいくらでも言える文句を、女の子には言えない。傷つけるのは本意ではないし、男の子と違って女の子は繊細で、根に持つ生き物だから。面倒は避けるに越したことはない。
だから、希望ヶ峰学園からスカウトを受けたとき、アタシは飛び上がらんばかりに喜んだ。自分の写真が認められたことも嬉しかったけれど、それと同時に、あの二人の視線からも逃げられると思ったから。
けれど二人はまたアタシの前に現れた。
春。希望ヶ峰学園の予備学科の制服を着た「あの子」がアタシの前に現れたとき、それまで色鮮やかに見えた景色が急にくすんで見えた。舞い落ちる桜の花びらすら、泥の塊に見えた。
「真昼!」
良く通る伸びやかな声に、柔らかい眼差し。全ての幸福に包まれた彼女を拒絶することが、どうしてできただろう。
あの子の父親が会社社長だったことを失念していた。いや、覚えていたとしても、誰が想像できたというのか。アタシと同じ学校に通いたいというだけで、莫大な学費を払ってまでアタシを追いかけてくるだなんて。そんな執着をアタシに抱いていたなんて。
「これからもずっと、ずっと一緒だよ。校舎は違うけど、遊びに来てね、真昼」
予備学科の生徒はアタシのいる本科に入ることはできない。それだけは救いだった。どうにか浮かべたぎこちない作り笑顔を、どうか見抜かないでほしい。
だってアタシは誰も傷つけたくないのだ。いい子のアタシであるために。
あの後輩までもが予備学科に転校してきたのは、七月のことだった。九頭龍菜摘。莫大な資金を持っていたのは、親が極道である彼女もだ。もう、アタシはそれに驚いたりしなかった。そういうものなんだなって、思っただけだった。
希望ヶ峰では、年齢の別なく新入生は一年に転入させられる。元は先輩後輩の間柄だった二人は、膨大なクラス数があるにも関わらず、よりにもよって同じクラスになってしまった。
あの子とお弁当を食べるために予備学科の校舎に行ったアタシを、九頭龍菜摘は侮蔑のこもった目で睨みつけた。
「予備学科を馬鹿にしに来たの?」
言葉に詰まるアタシの代わりにあの子が噛みつく。教室はざわつく。容赦の無い冷たい視線に晒されて、足が竦んだ。
関わりたくなかった。面倒だった。放っておいてほしかった。だったら大人しく、本科の校舎に籠っていればいいのに。あの温い世界に、だれもアタシを羨んだり持ち上げたりしない居心地のいい場所に。
だけどアタシはあの子の望み通り、予備学科の校舎に足を運んでいる。だってアタシはいい子だから。いい子でなくちゃいけないから。
「真昼はいい子ね」
脳内にじわりと広がる言葉は、麻薬のようにアタシの全身を痺れさせる。
中央広場でお弁当を広げた。味が分からなかった。「あんなの気にすることないよ。嫉妬してるんだよ。真昼に敵うわけないのにさ」目の前のあの子も、笑いながらそう言うけれど、ふとした瞬間、どこか思い詰めたような目をしていた。知っていた。全部。
だけどアタシは見ないふりをする。気が付かないふりをする。自分の中にある確かな悪意に蓋をするときのように、アタシは目を閉じて丸くなって、耳を塞ぐ。アタシはこの二人から逃げられない。
九頭龍菜摘が死んだのは、それから数日後のことだった。