生憎私はアマテラス社保安部に所属していたのであって、開発部や製造部にいたわけではない。そんなことは分かっているだろうに、今彼女は、床に広げた新聞紙の向こう側で、期待に満ちた目を私に向けていた。新聞紙の上には、アマテラス社製のドローン傘。だったものの残骸。――昨日、彼女が壊したものだ。
 マルノモン地区の会社員としてカレンダー通りの勤務をこなすらしい彼女は、週末がそのまま休日だ。いつもならばとうに出社している午前九時半、部屋着よりは多少マシな格好に着替え、ソファに座る私の足元で正座し、「あの〜……」と、遠慮がちに言葉を発す彼女は、言葉を選ぶように視線を彷徨わせる。その時点で、その後に続けられるそれは薄々察していた。ソファの肘置きに肘を乗せたまま、そっと眉を寄せる。



「セスさん、その……これ、直せたりとかしませんか……?」

「しないです」

「えっ、即答……!」



 当たり前のことを答えただけなのに、何故ショックを受けるのか。私を便利屋かなにかと勘違いしているなら、改めた方が良い。元保安部捜査課長は、何でも屋ではない。怪我の治療ならまだしも、壊れた機械の修理なんて専門外だ。――少し考えればわかるだろうに。
 「そんな……」と分かりやすく落ち込む彼女の膝の前に並べられた元ドローン傘は、泥や血といった汚れは拭き取られていたものの、一部の羽が無残に折れていた。想像するに、損壊した羽が動作を停止し、それが咄嗟に頭を覆った彼女の手に刺さったのだろう。一体どんな使い方をしたらこんな壊れ方をするのか、想像もつかないけれど。



「そっかぁ……だめかぁ……」



 執着でもあるのか、彼女は壊れたドローン傘に手を伸ばし、裏返したり、戻したりする。そのどこかにあるブランドマークを見なくとも、それがアマテラス社製のものだと分かるのは、この街に流通するもののほとんど全てがアマテラス社により製造されているものであると知っているからだ。
 様々な商品の開発をしているアマテラス社だが、しかしその質が全て高いかと言うと、首を捻らざるを得ない。このドローン傘だって、傘同士の衝突や電磁波障害によって制御不能に陥ることがあるという報告が相次いでいて、最新式のものですら未だに事故報告があると聞いている。大方、そういう不良品に当たったのだろう。大破する、という事例は、私も聞いたことがなかったが。
 アマテラス社も、適当な仕事をする。つい先日までだったら身体の奥に押し込んでいたそれを、ほとんど表面ギリギリにまで浮かび上がらせる。罪悪感も遠慮も、今の私にはいらないもので、批判するのに躊躇いはなかった。多少、腹の底がじくりと音を立てるくらいで。
 見たところ、彼女のこれは最新式のものではないようだった。形状が少し古いのだ。型落ちのものを安く買いでもしたに違いない。そうでなければ、ドローン傘なんて、こんな小娘がおいそれと買えるものではない。



「……私に頼むよりも、アマテラス社に修理を依頼すべきでは? ……時間も金もかかるでしょうが」

「そ、それがぁ……購入したときに、『不具合があっても返品や交換、修理はできません』って言われててぇ……」

「…………どんな店で買ったんですか、あなた」

「…………え、えへへ……」



 私の問いに視線を逸らし、答える様子のないところを見ると、碌でもない店で購入したに違いない。下手したら、店ですらないんじゃないだろうか。それこそ路上で声をかけられて、新古品などと説明されて、それを鵜呑みにし、丸め込まれ購入。……あり得ない話ではない。数日一緒に生活しただけに過ぎないが、彼女はどうにもお人好しが過ぎるから。
 保証のなされない商品は買うべきではないですよ、あと、明らかに安すぎるものも、どう考えたって怪しいって、わからないんですか。そんなんで一体、どうやって生きてきたんです。いつもの癖で小言を言いかけたのを、けれど、飲み込んだ。どうして助言をしてやる必要があるのか、そう思い至ってしまったからだ。
 毛足の長い絨毯に座り込んだ彼女は、包帯の巻かれた手を組み直す。こほん、と咳払いをして、話を分かりやすくすり替える。



「その……セスさん、器用だから、直せたりするかなぁって思って……。だめでしたか……」

「…………機械の類は、畑違いです……」

「畑違い……そっかぁ……」

「別に……それでなくとも雨は防げるでしょう。……今日からは普通の傘を使ったらどうです……」

「うーん……そうですね〜……。そうするしかないかぁ……」



 そもそもの話ではあるが、ドローン傘なんて高価なもの、いくらそれなりの会社に勤めているとは言え、身の丈に合わないのではないだろうか。そんなところに金を使うくらいなら、もっと他にあるだろう。もう少しセキュリティのまともな、広い家に住むとか。
 ギンマ地区はカマサキ地区と比べて治安は良いとは言え、このアパートに関しては、大凡ひとり暮らしの女性が住むには不安が残るものだった。ここに匿われてから外には一度も出ていないが、私自身長くカナイ区で暮らしている身だ。このアパートの立地も、外観も、頭には入っている。百歩譲って、せめて一階は避けるべきだ。けれど、それらを口にすることも憚られた。先のものと同様、彼女の生活に口を出す必要性を感じなかったのだ。
 踏み込むには、私たちはお互いを知らなすぎる。
 「じゃあ、やっぱり廃棄かぁ〜……」呟きながら残念そうに新聞紙にドローン傘を包むその手に目をやる。昨夜あれだけ綺麗に巻いてやった包帯は、時間が経ったせいか、或いは彼女の寝相が悪いのか、既によれて、一部分が捲れてしまっていた。



「……それ」



 口にしたのは、頭で考えるよりも早かった。
 指で指し示す。彼女は私の手の動きと目線に、微かに目を見開く。



「それ?」

「……包帯です。あなたの、怪我」



 随分汚いので、と言い置いてから、小さく首を傾けた。ソファがその分、沈む。私のベッド代わりに、彼女が宛がってくれた、年季の入ったソファ。彼女は遠慮しているのか、私がこの部屋に来て以来、一度もここには座らない。
 今もこうして、絨毯の上に座り込んで、私を見上げている。



「…………巻き直しますよ」



 乱れた包帯が視界にちらちら入って鬱陶しいからそう言っただけだ。なのに、彼女はその目をぱっと丸く見開いた。花でも咲くように、微笑んで。



「いいんですか?」



 嬉しそうに言われると、眉根が自然と寄ってしまう。黙っておけばよかった。別に、あなたを喜ばせようと思って言ったわけではなかったのだから。
 けれど、彼女のこの怪我が保安部によるものでなくて良かった。ボロボロになって帰ったときは肝が冷えたが、見かけほど大した傷ではないようだし、きっとすぐに包帯も取れるだろう。
 私が持ってこようと思ったのに、ぱっと立ち上がった彼女は、棚から救急箱を取ってくる。そのまま床に座り込もうとしたから、面倒になって、隣の座面を数度叩いた。ひとり暮らしには大きすぎるソファ。「……こっちに来て下さい」そっちの方が私が楽だからそう言っただけなのに、頬を赤らめられて、困惑した。彼女の考えていることは、私にはどうにも難解だ。


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