緑の生い茂るその島は、湿った土のにおいを濃くしていた。
 世界から忘れ去られた島と人は言う。好き放題に成長した蔓や枝は人間の侵入を拒むように、僅かにできたけもの道を塞いでいた。古びた石畳は罅が入って久しいのか、苔に覆われたその僅かな隙間から、植物の細く頼りない茎が伸びている。実際、島を覆う緑に人間の手は入っておらず、生命と言えば動物や魔物の類か、或いは星晶獣であるようだった。そしてその星晶獣の中には、天司と呼ばれる存在が含まれている。土の四大天司、ウリエルという男だ。
 木々の葉に遮られて太陽の光の届かない地面はぬかるみ、は足を取られては小さな悲鳴をあげた。そのままつんのめって転びそうになったので、咄嗟に腕を差し出す。俺の腕を両手で掴みながらもなんとか転倒を免れた彼女は、何が面白いのか、破顔しながら「セーフ!」と俺の顔を覗き見た。
 頭が悪いだけでなく、鈍くさいだなんて救えないな。思っただけのはずの言葉はどうやら漏れ出てしまっていたらしい。はわはっと声をあげて笑い、「やっぱ遺伝は当てにならないな」と、俺に対する返答としては微妙に噛みあっていない台詞を返した。意味が分からないから、放っておく。
 俺の腕から手を離したは、俺を先導するかのように周囲を見回しながらどんどん先へ進んでいく。羽をしまいながら、その背中に「迷子になるぞ」と声をかけた。大丈夫とでもいうかのように手を振られたが、そもそも異世界からやってきた彼女は広義的に見れば現在進行形の迷子と言っても過言ではなく、そんな彼女の言う「大丈夫」ほど当てにならない物はない。ため息を吐きながらその後をついていく。頭が悪くとも、運動神経が鈍くとも、勘だけは何故かいいらしい。彼女は迷いのない足取りで、島の奥地にある目的地へと歩みを進めていた。
 黙っていられない性質なのか、といて会話が尽きた試しがない。沈黙という名の風船が地面に落ちるその前に、彼女はその手で一つ一つそれを破壊して回る。彼女が喋っていると、そういう情景が目に浮かぶ。



「今日の質問いいですか~」

「……ああ、どうぞ」

「サンちゃんはこの島に何しに来たの? なんかいつも行く島とだ~いぶ雰囲気ちがくない?」



 街もないし、人もいないし。
 そう言いながらは足を止める。しゃがみこんだと思えば、木の根に生えたきのこを凝視していた。「やば、これめっちゃ毒ありますってかんじ!」わはっと笑って赤いかさをしたきのこに人差し指を向けるから、つい「触るだけで危険なものもあるぞ」と忠告してしまえば、「マジ!?」と彼女は慌てた様子で指を引っ込めた。そのまま質問をしたこと自体忘れてしまえばいいと思ったが、やっぱりこいつはそこまで馬鹿ではないようだ。



「こんなとこに何しにきたの?」



 非難と言うよりも、純粋な疑問。彼女の声音には、僅かにも不平不満は滲んでいなかった。
 膝に手を当てて、屈伸しながら立ちあがった彼女は俺をじっと見上げる。彼女が靴ずれをするからと靴を買い替えたことを、俺は随分前から気が付いていたが、そう言えばあの時のブーツはどこにいったのだろう。ヒールのない、歩きやすさを重視した運動用の靴は年若い少女が好むような可愛らしさとはかけ離れていた。まだ下ろして日の浅いはずのそれは、そうと思えないほどに、靴ひもの端の部分が 黒ずみ汚れている。彼女の無遠慮な視線から逃れる様に、俺はその汚れを見ていた。グラデーションのように、白から黒へと変色している、そのちょうど中間地点を。
 彼が、あの蝶々結びによって作られた玉の部分であるならば、俺はほとんど薄汚れた紐の先であると言ってもいいだろう。いつでも切って捨てられる位置に、俺はいる。それが許せなかったのか、というと、本当は違うのかもしれない。
 だけど、この胸に渦巻く感情に、憎悪という名前をつけることしかできなかった。もしもそれが間違っていたと言うならば、教えてくれ、俺のこの腹に積もった埃に似た何かを、他に何と呼べばいいのか。
 答えが出なかったから、俺は彼を恨み続けた。美しく、正しいままの彼を、憎むことが楽だった。



「復讐だ」



 俺の答えに、は眉の一つも動かさない。








 ふくしゅう。
 復習?
 サンちゃんの言っていることがすぐには理解できなくて、私はゆっくりと首を傾げた。
 サンちゃんは、ずっと何かの調査をしている。元素? の濃度? がどうとか、そこから算出される、現在地? がどうとか、難しそうだったので細かくは覚えていない。私はサンちゃんの、何かを考えているときの横顔が好きだった。そこには何も浮かんでいないようにおもえたから。
 サンちゃんは、いつもどこか痛そうな顔をしている。私が笑わせようとすると、鼻だけで笑って馬鹿にしてくるけど、それでもやっぱりその一瞬だけは笑ってくれるから、私はいつも、たくさん喋ろうと頑張っている。がいると明るくなるねって、みんな言ってくれたから、せめてサンちゃんのことも明るくしてあげたいんだけど、私の能天気さは彼にとっては煩わしいのかもしれない。こういう真面目な人とは仲良くなったことがないから、疎ましがられてないか心配だった。
 サンちゃんは、首を傾げすぎてほとんど顔が真横になってしまった私を、何とも言えない顔で見つめていた。



「復習かあ。偉いね、サンちゃんは。私、ちゃんとやったことないや」

「……」



 徐々に、読み取れなかったその表情が色を変えていく。これは知っている。元いた世界でも良く向けられていた、同情、憐れみ、侮蔑の目。私は彼が、分かりやすい感情を抱いてくれたことに安堵する。馬鹿にされてもいいのだ。だって私は馬鹿だから。



「……君ってやつは……」



 だから、いいのだ、別に。
 サンちゃん、やめておきなよ、復讐なんて。
 だって、そう言ったらサンちゃんは、もっと苦しくなるでしょう?
 サンちゃんのため息を聞きながら、私は、自分の靴のつま先を見る。私は、私を見捨てないでいてくれた優しい人が、苦しくない道を選ぶべきだとそう思う。



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