「ていうかずっと考えてたんだけど、何で島が浮いてんの? やばくない?」



 この女の声は異様にでかくて、良く通る。街の中央にある噴水広場のベンチに座って、サンドイッチを咀嚼しながら俺を見上げる彼女は、今日はその長い栗色の髪を一つに束ねていた。島が浮いているどうこうの前にそのサンドイッチは一体どうした、と先と同様に目線で尋ねると、彼女はわはっと声をあげて笑った。まるで品のない笑い声だった。



「サンちゃんがいない間になんか荷物いっぱい持ってるおばあちゃんがいたからさ、手伝ったらお礼にくれた!」



 お腹空いてたから助かった~と残りを一気に口に頬張ったせいで、パンくずが口元についてしまっているが、指摘はしない。「その呼び名はやめろ」と彼女に対する様々な感情を押し殺しながらそう指摘すると、彼女は首を傾げて「もうサンちゃんの名前覚えてない、長すぎた」と口にする。本当に知性がなくて嫌になる。
 星晶獣である俺は、食事を必要とはしない。勿論食事自体は可能だし、消化器官も備わっている、食物を摂れば諸々の回復が早まるのも事実だが、食べずとも死ぬわけではない。だから、あの檻から出てきてこの方何かを口に入れることはしていなかった。
 彼女が空腹である可能性を、そう言えば考えていなかったな、と思いながら、俺はそのまま彼女を見下ろす。
 街に着いたときは陽が沈む直前だったが、俺が周辺の様子を見にいっている間に夜になっていた。この女を人通りの多い街の中心に放置しておけば、どうにか上手くやるだろうと思っていたのに、数時間が経っても律儀にここに座っていたのだからため息の一つも吐いたって誰も怒りはしないだろう。数時間前、立ち去り際に「じゃあ俺は行くぞ」と言った俺に、「うん、いってらっしゃい!」と明るく言われた時から嫌な予感はしていたのだ。
 ため息を吐きながら、前髪を払う。



「……俺はもう行く」

「えっもう出発するの? どこかに泊まらないの?」

「君はそもそも勘違いをしているようだが、俺は君と行動を共にする気はないよ」



 はっきり言ってやらねば、分からないのだろう。
 そもそも俺は、本来彼女とは何の関係もない。偶然山中で異世界から紛れ込んでしまったばかりの彼女と出会い、同情から人里へ連れてきてやっただけだ。そうでなければ、彼女はあそこでのたれ死んでいただろうから。
 幸いこの少女には人と関わることに長けているらしい。見知らぬ街で他人を手助け、礼を貰い、己の空腹を解消することが出来る時点で、生存能力は高そうだ。ならばもうこの街で生活すべきだ。そして、最期の審判を待つか、奇跡が起きて己の世界に戻るかのいずれかの道を歩む。言っても分からないだろうから、口にはしないけど。
 だが、彼女は「ええ~」と唇を尖らせた。



「私はサンちゃんと一緒に行きたいんだけど」



 素直に頷かないかもしれないとは思っていた。
 彼女は無知だ。自分の置かれた状況も、この世界の成り立ちも、何一つ理解できていない。だが、一緒に行く、と言われるのは面倒だ。俺はこれから世界を見て回る。どのようにして、彼が作り上げたこの世界を終末へと導くかを算段する。その隣に、いくら異世界の住人であるとは言え、他者を置いておくのは随分と非効率的であるようにしか思えない。



「断る。俺は効率主義者でね、君は邪魔なんだ」

「ええ? そうかなあ、役に立つかもしれないよ?」

「例えば」

「うーんそうだなあ……元気があっていいねってよく言われるし、私と一緒にいると楽しいと思う!」

「ナンセンスだ。そう言ったものは求めていない」

「え~っ」



 マジかあ、とさしてショックを受けてもいないような口ぶりで続ける彼女に、俺はため息を吐いた。どうしてこうも言動がいちいち軽いのか。天司にもこういった性格の者はいたが、深く関わることがなかったせいでどう扱っていいのか分からない。言葉を選びながら、俺は続ける。



「そもそも俺と君ではあまりにも違う」

「違う? 何が? 性別? 鳥人間じゃないから?」

「……君に分かりやすい言葉で言うとそうだ。俺は天司だ。人間ではない」

「えっ? でもさあ、そんな人ばっかりじゃない? びっくりしたんだけどさあ、猫みたいな耳生えてる人とか、ムキムキマッチョのでっかい男の人とか、逆に大人なのにこんなしか身長がない人とかめっちゃ見たよ。それと一緒でしょ?」

「君の言っているそれらは俺からしてみれば大差ない。俺はそのどれでもないんだよ」



 俺は被造物なんだ。と言ったって、彼女にはきっと理解できないだろう。
 既に全く理解が追い付かないといった表情で疑問符を浮かべているその間抜け面は、考えることを放棄したらしい。だから、その表情を見て、俺は自分がどこかで羨望に似た感情を抱いていることを知る。ああ、もしも俺がこんな風に、疑問についてつきつめて考えることをしないよう楽観的に作られていたならば、こんなことにはならなかっただろうか。二千年の間に作り上げた負の感情で鋳造した固形の怒りは、彼女のような人格であるならばそもそも形成されることはなかっただろう。どこまでも、愚かであるべきだった。だけどもう遅い。
 彼女は首を傾げたまま、「良くわかんないけど、これも縁だしさ」と、その大きな瞳をほとんど瞬かせることなく、言った。



「一人は寂しいじゃん」



 息が止まった。
 何の気なしに吐き出された言葉だ、分かっている、彼女の声に何らかの、俺に通じる感情が含まれていないことだけは確かだったのだから。言外に含まれたものなど一つもなく、彼女は俺を慮っているわけではない。俺の背後にあるものを見据えているわけではない。分かっているのに、その言葉は酷く、俺の柔らかな部分に深く突き刺さった。
 その時に生じた痛みを、だけど、どう捉えるべきだったのだろう。
 処理が追いつかなくて、表情さえまともに作れない俺の腕を、彼女は掴んだ。冷え切った、酷く冷たい手をしていた。待っていたのだ、彼女はここで、ずっと、俺が戻るのを。
 絆されたわけではない。心を許したわけでもない。同情だけはまだ僅かにあった、そのせいだと自分自身に言い訳をすれば、許されるだろうか。



「一緒に行ってもいい?」



 他人を疑うことを知らないような何のてらいもないその笑顔に、俺は嘗ての自身を重ねている。



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