向かい合って座っているときは分かりにくかったけれど、隣を歩くと、カトルくんの目線が私の良く知る彼のものより幾分か高いことは明らかだった。
顎のラインはシャープになっているし、鼻梁もすっと通っていて、声も大人っぽい。元々低くて良く通る声をしていたけれど、年齢を重ねた分の落ち着きが足されて、聞いていて心地良い。身体の内側に静かに降り積もるような、柔らかな声だと思う。
大人のカトルくんも、「カトルくん」みたいに怒ることってあるのかな。そう思いながらじっと彼の横顔を見つめれば、ちら、と視線を向けられて、慌てて逸らした。赤みがかった紫の瞳は、光の下では少し色が明るく見える。「なんですか」って言われるかと思ったけれど、彼はわざとらしく目を背けた私に、何も言わなかった。
私の知る星屑の街の面影は、十年経ったらしい今もきちんと残っている。
補修を繰り返された古い街並み、頬を撫でる乾いた空気、だけど微かに漂う花の香りが、この街の深く、どこまでも根を張る澱みのようなものを拭い去ろうとしている。路傍に作られた花壇、不均等に芽吹いた花の苗。この辺りの花はまだ蕾だったけれど、街の南東側の花壇は丁度見頃らしい。
「秋に植えたものが、この春に芽を出して。ここももうすぐ咲きそうですね」
煉瓦を積み上げて作られた花壇はところどころ斜めになっていたり、飛び出ていたりする。それを生業としている大人が作ったものに比べたら勿論手作り感でいっぱいだったけれど、その不完全さが妙に愛おしく思える。
角を曲がったところで、幾人かの子供達が向こうから歩いて来るのが視界に入った。でこぼこした背丈の、三人組だ。ちょうど私たちが来た方向にある訓練棟に向かうところらしく、各々練習用の武器を持っている。
姿を見られたらまずいだろうかと今更気がついた。今日一日家に閉じこもっているならまだしも、外に出るのなら、街の子たちに私のことをどう説明するつもりなのかくらい、予め聞いておくべきだった。
「あれ? カトル、その子誰?」
そうっとカトルくんの陰に隠れたけれど、この街の子たちはそういうところには敏感に反応する。目敏く見つけられて「ひえ」と悲鳴のようなものが漏れそうになったけれど、飲み込んだ。無垢な丸い瞳に、針の筵に座る思いになる。だけど、物珍しそうに私のことを見る彼らに向かって、カトルくんは「さんだよ」と逡巡する素振りもなく口にした。びっくりしたのは彼らだけじゃなくて、私もだ。こうなったらてっきり、街の子供たちには「の妹」とか、そういう線で説明するんだと思い込んでいた。
「えっ! なの? 嘘だ! こんな子供じゃないじゃん!」
「でも、お姉ちゃんと同じ髪の色だよ。顔もそっくりだし……」
「の妹とかじゃないの?」
「ふふ、どう思う?」
「ええ、なんだよそれ」
「ねえお姉ちゃん、カトルの言ってること嘘だよね?」
混乱する子供達と目線を合わせるためにしゃがむカトルくんは、おかしそうにその眦を細める。まだ十にも満たない子供たちの視線はやがて私に集中して、いたたまれなくなった。「どう、でしょう、なんと説明すれば良いのか……」しどろもどろになりながら、助けを求めるようにしゃがむカトルくんの、ぴんと立つ耳に目をやる。子供達の、敵意のない丸い目は、期待と少しの不安が滲んでいて、申し訳なくなってしまう。
「その、カトルくんの言う通り、私は……、なんですけど」
「嘘だろ? なんで一日でこんななってんだよ?」
「魔法的なやつで、その……」
「魔法!?」
「いや、星晶獣の力、ですか? カトルくん」
「星晶獣!?」
何それ、すげー! とあっという間に周囲を囲まれてしまって、参った。種族も性別も様々な子供たちからは「じゃあ本当になの?」「何歳!?」「時間が巻き戻ったってこと?」と質問を投げつけられる。自分の答えられる範囲でその一つ一つに返事をするけれど、もの珍しさが勝るのだろう。どんどん質問を被せられて、目の前がぐるぐるしてくる。
その騒ぎを聞きつけてか、あちこちから子供たちがやって来るものだから、すっかり怯んでしまった。
「なになに、お客さん?」
「お姉ちゃんなんだって」
「え……似てるけどちがうでしょ、妹とかじゃないの? 偽物じゃん」
「いえ、その偽物ではなくて、えーっと、だから」
カトルくんは戸惑う私を少し遠くから眺めて、何なら笑っている。大人になって、すっかり角が丸くなったのかな、なんて勝手に思っていたけれど、ちょっと意地悪なところも健在みたいだ。こんな時なのに、それにほっとしてしまう。今はそれよりも、どうにかして、って気持ちの方が強いけれど。
「か、カトルくん、ねえ、たすけて」
口元に置かれた手の陰で、カトルくんの口角が緩むのを、私は確かに見た。
「あんなに一斉に子供に囲まれたの、初めて……」
「人気者で羨ましいです」
「カトルくんがあんな言い方するから……!」
「だから、ちゃんとぼくが皆にきちんと説明したでしょう?」
口元に微笑を携えたカトルくんに、言葉を続けられなくなってしまう。
そう、カトルくんは困り果てた私を、最後にはきちんと助けてくれたのだ。私が十年前のであること。ここで暮らす私が星晶獣の力を借りて、一日だけ入れ替わることを望んだ結果、こうなっていることを。
子供達はその話をすんなり受け止めた。「お姉ちゃんだったらやりそう」らしい。面白がって私たちについてこようとした子も何人かいたけれど、「お前達は仕事や訓練があるだろう?」と窘められて、渋々だったけれど方々に散っていった。星屑の街に住む子供たちは、いつまでも素直だ。
だけど、「お姉ちゃんだったら」なんて言われてしまう十年後の私って、一体どんな人間なんだろう。カトルくんは「あまり変わってないですよ」って言うし、確かに変なところで行動力があるっていうのはこれまでの自分を振り返っても否定はできないけれど、それにしたって星晶獣と交渉するなんて、いくらなんでも、この世界に馴染みすぎではないだろうか。これから先の十年で、度胸がつくってことなのかな。誇らしさとかそういうプラスの感情よりも、困惑の気持ちが勝ってしまう。
カトルくんにくっついて細い石畳の路地を歩きながら、その背中をじっと見つめる。建物と建物の間にあるそこは日当たりが良くなくて、何となく薄暗い。遠くで子供の笑い声が聞こえても、膜が張ってあるみたいに、まるで別世界のように思える。私の知るカトルくんよりも、ちょっと背の高いカトルくん。私の小指の長さ分くらいは大きくなったのかな。不意に訪れた沈黙をそうっと針で刺すみたいに「背、大きくなりましたね」って言ったら、カトルくんは振り向きもせずに「さんは全然変わってないですよ」と言う。そんな言葉にすら、妙にドキドキする。
カトルくんはカトルくんだけど、厳密に言うと、彼は私の良く知るカトルくんではない。そういう点を加味すると、やっぱり私は今、いつもの自分よりもよっぽど緊張しているのだ。まるで初めて彼と街を歩いた、あの日みたいに。
路地を抜けると、穏やかな陽の光がいっぱいに広がる。階段脇に生えた、見覚えのある木のうろに妙な安堵を覚える。
「あっちです、さん」
振り向いたカトルくんは、自然に私の手を取ろうとした。寸前で、だけど彼は我に返ったように目を見開く。指先が触れるか触れないか、それくらいの距離にその手はあったのに、カトルくんは遠慮するように自分の手を引いた。骨張った指先から、細い手首、必要なだけの筋肉がついた腕から肩、藤色の髪、そしてようやくその顔に目線をあげたとき、息が止まってしまう。
目を伏せたカトルくんは僅かに眉根を寄せていた。唇を緩く引き結んで、それから困惑したように、小さくため息を吐いた。「……すみません」と、言葉を選んで。
「…………間違えました」
間違えた。その言葉の選択が正しいのか、そうでないのか、私たちは多分、今日一日一緒にいたって分からないんだと思う。
「は、はい、いや、いえ」
顔に熱が籠もるのを自覚しながら、自分の胸元に手を引き寄せて、こくこくと頷く。そのときのカトルくんの、困ったような笑顔が目に焼き付いた。あ、カトルくんだ、って、分かりきっていることを思った。本当に、今更。
カトルくんはそれから、一定の距離を保って私の前を歩いた。その耳が気を張っているみたいにぴんと立っているのを見て、気持ち、歩幅を小さくした。
未来の私が子供たちと花を植えたという街の南の花壇は、かつては小さな小屋が建っていた場所を潰して作ったみたいだ。丁度、門の傍、通路脇に広がるそれは、さっき見たものよりもずっと大きく立派で、もうほとんどの花が大きく開いていた。
「わあ、すごい、きれい」
「場所も良いですよね。街に入ったところにあるので、観光客からも評判が良くて」
「はい、それに、たくさんの種類が植えられてるんですね。学校の花壇みたい」
「……そうですね」
色も、種類も、様々な花が咲いている。見た事があるような、薄ら名前が出てきそうなものもあれば、全く知らない品種もあった。葉の形も、色も、茎の長さもそれぞれがてんで違う。調和がなされているとは言い難いこの花壇は、まるでこの街を象徴しているようにも見えた。
未来の私は、子供達と一緒に煉瓦を並べて、種を選んで、土を運んで、そうしてこの花壇を作ったのかな。そう考えていたら、不意に「さんは」と、カトルくんが私の、いや、未来の私の名前を呼んだ。そっと目線を彼にやる。カトルくんは、私ではなく、花壇の端に咲いている、薄い桃色の花を眺めている。
「戦うこともできない、商売をすることも苦手な子供たちを率先して面倒を見てくれて」
そういう意味では、視野が広いんでしょうね。相槌や否定を求めているわけではなさそうだったから、何も言わずにその横顔を見ていた。
「花壇をあちこちに作ったり、花の図鑑を見て、子供たちとああでもない、こうでもないって話し合って。……種の収集は、全員で協力して、それで、それまで人と関わることを避けていたような子たちを、外と繋げてくれました」
ぼくと姉さんが、できなかったことでした。掠れる声でカトルくんは続ける。
「だから、感謝しているんです。本当に。ぼくと一緒にこの街に来てくれて」
既に誰かが水を撒いた後だったらしい花壇周辺の空気は、水分を含んでひんやりとしている。そっと鼻を啜れば、そこに花の香りが混ざって、春らしい匂いを覚える。
たっぷりの花弁に、水の粒子が日の光に反射してきらきらと輝くのがあまりにも美しくて、不覚にも、ちょっとだけ泣けた。