部屋の扉を開けたらすぐに階段があって、それをそろそろと下りていけば、「おはようございます」と改めて声をかけられた。カトルくんは私の姿を見てもちっとも驚く素振りを見せなかったから、「私たちが元に戻っていない」っていう状況はやっぱり彼にとって予想の範囲内だったのだろう。
 鼻孔をふわりとくすぐる匂いは、カトルくんが作ってくれた朝食だ。夜中に起きてしまったせいで、早起きできなかったためではあるけれど、そういう支度を全て彼に任せてしまったことが申し訳なかった。例えここが、私からしてみれば余所のお宅と相違ないとしても。



「お、おはようございます」



 一階部分は、仕切りのない居間とキッチンが続いている。エッセルさんとカトルくんが暮らしていたおうちを、二回りほど小さくした感じ。寝室と同様に、必要最低限と思われる家具がちょこちょこと並んでいて、そこに生活感は確かにあるのに、おままごとみたい、って思う。それは悪い意味では決してなくて、なんていうか、子供のときに遊んだおもちゃのおうちを連想してしまうからだ。どれもこれも可愛くて、素朴で、あったかい。テーブルクロスもカーテンも、どれも手作りのような温もりがあった。カヤノさんのおうちを、自分なりに再現したかったのかもしれないと、未来の私の心境を想像する。
 こんなおうちに住んでるんだ、って色々細かなところまで見て回りたかったけれど、「どうぞ」と朝食の支度のできているテーブルに呼ばれる。気もそぞろに椅子を引いたときだった。カトルくんが何てこと無いように、「丸一日だそうですよ」と淡々と口にしたのは。



「丸一日?」

「はい」



 カトルくんは私の前にサラダを置くと、向かいの席に座る。
 どうやら彼は朝のうちにエッセルさんに確認しに行ってくれたらしい。それによると、今回の事件は未来の私とエッセルさんが企てたことだったらしく、カトルくんはこの件を内緒にされていたんだとか。そういう悪戯を仕掛けようと思えるくらい私たちの関係性が良好らしいということが分かって、こんなときなのに思わず笑ってしまいそうになった。なんだか嬉しかったのだ。カトルくんともだけど、エッセルさんとも仲良くお付き合いできているんだなっていう事実に、胸のあたりが暖かくなる。
 だけど、どうして「私」はそんなことを計画したのだろう。カトルくんはその点には触れずに、そっと目を伏せた。



「すみません、巻き込んでしまって」

「いえ、そんな。未来の私がしたことですし、それに……」



 一度言葉を止めた私に、少しだけ不思議そうな顔をカトルくんがする。迷ったけれど、続きを促されているようだったから、「そういうこと、私、やりそうだなあって思って」と飲み込みかけた内心を打ち明けた。
 契約した時間分、過去の自分と現在の自分とを入れ替えてくれる星晶獣。元に戻ることが保証されているんだったら、一日くらいは入れ替わってみたいって思う気持ちも良く分かる。どうしてそんなことをしたんだろう、という思いはあったけれど、その理由は考えてもちっとも分からないから、今は考えないでいよう。
 カトルくんは一瞬だけ目を丸くして、それから目線を落として小さく笑った。ふ、と軽い空気がその唇から漏れたとき、心臓がばく、と音を立てた。



「……ええ、本当に。さんは案外、好奇心旺盛ですもんね」



 ぼくの想像を超えることを、時々しでかすんですよ。って、それは共通の知人について話して聞かせるみたいな口ぶりだった。
 窓から差し込む朝陽が、カトルくんの藤色の髪をいつもよりも薄く見せている。テーブルの上に無造作に置かれた筋張った、だけど私の知るものよりも年齢を重ねた手の甲。ほっそりとした輪郭は変わらないまま、その喉から発せられる声は、だけどちょっと低くなっただろうか。そういう彼を形作るありとあらゆるものたちの、あまりの美しさに息が止まりそうになるのだ。
 夜中に起こされたときはこうしてまじまじと彼のことを観察することができなかったけれど、ぐっすり眠って目を覚ました今、ここが約十年の時を経た後の世界であることを受け入れた私はようやく、充分な余裕を持ってカトルくんと向き合える。後ろで一つに結んだだけの簡単な髪型だとか、声の感じとか、背丈とか筋肉量とか、ぱっと見ただけで分かる変化が時間差で私を殴りつけてきたことで、やっと自分が置かれている現状を直視したのだ。
 十年後のカトルくんって、ちょっと信じられないくらいにかっこいい、なんてことに、こんなときに気がついてしまった。



「冷めてしまうから、食べてください。グランサイファーで厨房を手伝っていたあなたほど料理は得意ではないですが」



 小さなテーブルの上には既に二人分の朝食が綺麗に並んでいる。カトルくんの手作りのご飯って、初めて見た。トマトの入ったサラダに、野菜スープ。こんがり焼かれたベーコンと固めの目玉焼き。それから、丸くて白いパン。多分、もちもちの、私が好きなやつ。



「い、いただきます」



 テーブルの向かいから見つめられて、緊張しながらもフォークを取る。サラダの葉野菜を咀嚼しながら、ちらりとカトルくんに目線をやれば、何だか見守るような、柔らかな瞳を向けられていたから、思わず胸がぎゅわ、と締め付けられてしまった。
 良く考えなくても、これってすっごく、すっごく興味深いというか、面白いというか、刺激的というか、そういうの、まとめて表す良い表現が思いつかないけど、そういう感じ。好きな人の未来の姿をこうして目の当たりにできるなんて、奇跡だ。
 いつか星屑の街を案内された日に食べた野菜よりもさらに瑞々しく感じる。美味しいです、と飲み込んで伝えれば「良かった」とカトルくんは薄く微笑むから、益々眩暈を覚えてしまう。



「食べたら、少し外に行きましょうか。さんと子供達が植えた花が、今丁度咲いているんです」



 光の粒が可視化したような、きらきらした朝だった。
 カーテンの隙間から朝陽が差し込んでる。今日が晴れていて良かったと思う。未来の私が何を思って星晶獣の力を借りたのかを今の私は知らないけれど、穏やかに微笑むカトルくんの、その睫毛が作る影を見て、私は胸を締め付けられるような苦しさと、満ち足りた幸福感のようなものを覚えている。