輪郭から滲んで、自分が徐々に溶けていくような感覚だった。
浅瀬の湖のような場所にぼくは浮かんでいる。そういう夢なのか、精神世界なのかは定かではないが、少なくともここが現実ではないことだけは確かだった。暑いとか寒いとか、そういう概念はなく、ここにはぼく以外何もない。生と死の混淆のような場所だった。
呼吸の度、上下する肺と共にその水面が僅かに揺れる。薄い雲が空一面に広がっていて、光源は確かにその向こうにあるはずなのに、膜が一枚あるようではっきりとしない。星屑の街も、こういうけぶるような日が多い。こんなときなのに、ぼくはそんなことを考えている。
ニオさんの元に向かって、彼女を切り伏せたところまではまだこの身体を動かしているのはぼくだという自覚があった。例え四天刃に蝕まれていたとしても、それでもぼくはぼくの意思でもって彼女に武器を向けたし、ぼくの求める正しさはその先にあると信じていた。
今、現実のぼくは重たい身体を引きずって、先へ進もうとしている。そういう感覚だけはなぜかまだ残っているのだ。目を閉じたそのときだけのことで、だいぶ途切れ途切れに見える映像ではあるけれど。ぶつ切りになって再生されるそれは、四天刃に食い尽くされかけたぼくの見ている現在であるはずだった。
あと少しだから、待っていてくれ。誰にともなく呟いたそれはまだぼくのものであるように思えた。でも、どうだろう。そこにぼくの残滓は辛うじて存在していて、だけど、もう原形なんかきっとない。いつから四天刃の声が聞こえなくなったのだったか。あのときにぼくはもう、本当はだめになっていたのだ。ぼくはあれに飲み込まれていた。
この世界は、時間だけが無限にあるようだった。ぼくは自分の行いについて振り返っている。ぱちんぱちんと音が爆ぜるように、断続的にこれまでの思い出や、現在四天刃が見ているものが、浮かんでは消えていく。目を閉じたときに見える澄んだ星空が美しかった。足を撫でる草の感触までまざまざとあるのに、実際今ぼくの手足はこうして水の中に放り出されていて、何だか妙な気持ち悪さがあった。
ニオさんを切り伏せた後から時は進んで、今ぼくが刃を向けたその先に、姉さんが立っている。
四天刃に飲み込まれ損ねたぼくの残りかすが汚染されようとしている。自我を失っても尚強さを求めたぼくは、愚かだったのだろうか。ぼくは姉さんにあんな顔をさせたかったわけではなかった。姉さんまで傷つける気なんかなかった。ぼくを止めるなら姉さんだって許さない、なんて、そんなのはぼくの本心じゃない。だって姉さんがいなければ意味がないんだ。血の繋がりだけが理由じゃない。それだけに囚われていたのなら、ぼくはとうの昔に一人であることを選んだはずだった。
ああ、だから、頼む、どうかやめてくれ。ずっとぼくの傍にいた人なんだ、産まれる前から。ぼくは姉さんの幸せを誰よりも願っている、星屑の街の安寧に姉さんは不可欠なんだ、ぼくの願いは姉さんがいなければ成り立たない。四天刃、ぼくの身体なんかくれてやるから、姉さんは見逃してくれ。縋るように祈る自分の、なんと情けないことか。
ああ、うるせえな、さっさと消えろゴミカスが。
姉さんに刃を振り下ろすその直前、四天刃の声が脳に直接響いて、とうとうぼくは、ぼくから弾き出された。
それからはもうどうしても、現実のぼくの眼球に映った世界は見えなくなっていた。このままでは魂を飲まれることになると警告した、オクトーさんの言葉通りの結末を、ぼくは迎えたわけだ。笑ってしまいそうになる。
揺蕩う水の中で目を閉じた。どれだけそうしていても、もう何も見えなかった。瞼の裏の闇も、だんだん溶けて消えていく。おしまいだ。何もかも。四天刃に飲み込まれたぼくは、この世から消えて然るべきだった。
だから頭目か、グランさんでも良い。アレを殺して、止めてくれ。力を焦がれるあまりに全てを見失ったぼくには、きっとそれが相応しいのだ。
「本当に?」
突然降ってきたその声に、ぼくは目を開ける。それは紛れもなく、さんの声だったのだ。
だけど、そこには何も無かった。彼女の姿は勿論、絶え間のない薄い雲から、ただ正体の分からない光が降り注ぐだけだった。耳にこびりつくというよりも、まるでぼくを包むみたいに優しい声音だった。白昼夢のような、今際の際のぼくが見た幻のような。眼球がじわじわと熱を持つ。それすらも気のせいなのかもしれないけれど。
本当に?
彼女の声を口の中で繰り返す。本当に? 本当に? 目を閉じても、ぼくはもう何も見えない。姉さんの姿も、体温も、痛みも、何も。だけど、そこにさんが立っているような気がする。ぼくを救う存在のように。ぼくは、だけど恐ろしいのだ。ぼくの弱さを認めなくてはならないことが。
道を間違えた。強さを望むあまり多くの仲間を傷つけた。目障りだったマフィアの一つを殲滅した。強くなりたくて四天刃を手に取って、大切な人に別れも告げずに艇を降りた。夜風に冷えた頬を両手で挟んだ。きらきらした瞳が欲しかった。
逆再生するように流れていく思い出の中に紛れ込むように、その人はいる。
この過ちの責任を負うべきだと思ったのに、彼女がぼくに未練を残す。
「………………はは」
まだ声が出ることに驚いた。
水の中に浮かぶだけのぼくはまだ生きていたのに、涙の滲んだ目を拭いたくても、この世界でぼくの手は動かなかった。