グランくんの姿はもう私たちからは視認できなかった。今頃シエテさんに加勢している頃だろうか。ずきずきと痛む脇腹や、切れてしまう呼吸が恨めしい。
 街の外に出て草原を幾らか走ったところで、エッセルさんに手招きされた。迂回して、小高い丘の上に向かうようだ。戦闘の音はもうすぐそこまで迫ってきていて、緊張感に手の平にじっとりと汗をかく。カトルくんがすぐそこにいるのだと自覚すると、自分がまるで心臓そのものになったような気にすらなった。



、大丈夫?」



 心配そうに顔を覗き込んでくれるエッセルさんに頷いて、なだらかな坂道を駆ける足に力を込める。伸び放題のカヤツリグサが手の甲や寝間着で隠れた足をくすぐるけれど、構っている暇もなかった。カトルくん、心の中で念じるように呟く。だけど続く言葉がないのだ。どんなことを祈っても、全て空回ってしまいそうで。
 星空を走る稲光があった。無数に枝分かれしたその光は空一面を覆って、そのまま地上に降り注いでくるようだった。昔家族で見た花火よりも、もっと激しい明滅。まるで世界の終わりのような光景なのに、身体の芯が痺れるほど美しいと思ってしまった。エッセルさんが立ち止まる。崖になっているところから足を滑らせないように慎重にその隣に立ったとき、私は眼下に広がる光景を見た。
 いや、見たとはっきり言えるものではない。私の眼は彼らの動きを寸分も捉えられない。カトルくんと剣を交えているのがグランくんとシエテさんだということが、やっと分かるくらいで。
 鋭い斬撃の度、この丘にまで音と震動が伝わってくる。相手の動きを窺うため一旦距離を取ったとき、四天刃を持ったカトルくんの身体が既にぼろぼろであるのが見て取れた。十天衆のマントはあちこちが破れて、見るも無惨だ。グランくんとシエテさんが一斉に地面を蹴る。方々からの二人の攻撃をその身に受けながら、カトルくんは低い、獣のような咆哮をあげる。どうかもう許してあげて、と思うのに、一体、誰に、何を許してもらいたいのか分からなかった。彼はもう人間であることをやめようとしているように見えたのだった。
 エッセルさんは立ち尽くす私の隣で、徐ろに自分のマントを破り始める。目線を送れば、「……手伝ってもらえるかな」と口にされた。



「これじゃあ銃も持てないから」



 エッセルさんの手からは未だ血が流れていて、上手く言うことを聞かないらしい。「は、はい、勿論」と頷いて彼女の足元に膝をつき、そのマントの端を目一杯の力をこめて破る。質の良いマントを手で断つのは一人じゃ難しかったけれど、添えてもらった手のおかげで、何とか形になった。エッセルさんが私をここに連れてきた意味を重ねて思考すれば、彼女がこの切れ端でどうするつもりでいるのかは想像がつく。止血のためだ。カトルくんと戦うための準備を彼女はしようとしている。
 なんて強い人なんだろう。震えそうになるのを懸命に耐えながら、私は瞬きの一つもしないようにと気を張っていた。そうでなければ、うっかり泣いてしまいそうだったのだ。でも泣いたって仕方ないから、ぐ、と唇を噛みしめる。



「止血、上手くできるかわからないけど、やらせてください」



 下手くそでも、それでもエッセルさんが片手でやるよりはまだ良いだろう。そう思ってマントの切れ端で彼女の手を縛る。包帯とか、そういう医療用のものでないことが心配だったけれど、それでも何もしないよりはよっぽど良い。「ありがとう」と低く呟くエッセルさんの声は、僅かに震えていた。
 止血が済むと、エッセルさんは太股に取り付けていたホルスターから銃を取り出す。私の肘から手の先までありそうな大きさのそれに、思わず息を飲んだ。人の命を奪うための道具は、どうしてこうも物々しいのだろう。「これを固定してもらえるかな」そう口にするエッセルさんに「はい」と頷いて、余ったマントの切れ端で彼女の手と銃とを動かないように縛る。
 丘の下から低い、くぐもったような悲鳴が聞こえたのは、エッセルさんの銃がなんとかそれらしく固定できてほっとした丁度そのときだった。
 咄嗟にカトルくんたちの方に目をやれば、シエテさんがカトルくんに吹き飛ばされていた。雑木林の入り口にその身体を放り投げられたシエテさんは、受け身も取れずに転がっている。とどめを刺そうと距離を詰めるカトルくんの前に、グランくんが身を滑り込ませた。
 目で追えるようになってきたのは、私が彼らの速度に慣れてきたとか、そういうわけではない。彼らの身体が戦闘に耐えられないほどぼろぼろになっていたせいだ。武器同士のぶつかり合う激しい音が鼓膜を揺らした。その剣で四天刃を受け止めたグランくんの悲痛な叫びが、その草原一帯に響き渡るようだった。



「カトル! 目を覚ませ!」



 悲鳴に似たその声に頬を張られた。グランくんのそんな声を聞くのは、初めてだったから。いつも穏やかで、声を荒げることなんか滅多に無くて、こんな私を妹みたいだって笑ってくれた年下のお兄ちゃん。私は彼のことが大切だった。だから今でも、本当は目を逸らしたいのだ。大切な人同士が血を流し合っているこの光景を、なかったことにしたい、もう終わりにしたい。グランくんは四天刃を受け流して、強く踏み込む。血の滴った武器が星の照り返しを受けて、鈍く輝いている。
 その剣の軌道をカトルくんは見切ったらしい。手にした四天刃が切り返される。その切っ先がグランくんの眼球へと向かったそのとき、震えていた喉が彼の名前を呼ぶ。私の世界に色をくれた人。もうやめて、そう言えたら良かったのに、舌が言うことを聞かない。



「カトルくん!」



 カトルくんは思い詰めてしまったのだ。
 星屑の街の未来を考えるばかりに、四天刃に頼って、結果その意識を奪われた。だけど、ずるいな、って思う。こんな風になる前に話してほしかった。私はそもそもこの世界の人ではないし、頭も良くないし、武器だって何にも扱えない。でも私はカトルくんの唯一の恋人だった、それは間違いない。
 誰が別れるかって言ってくれたあの日のことを、私はきっと一生忘れない。あれだけで、例えこの世界から爪弾きにされても生きていけるんじゃないかって思った。そんなの絶対嫌だけど。私はこの世界に何が何でも、縋り付いてもしがみついても泣き喚いてもいる。私をこんな風に我儘にしてしまった責任を取って。カトルくん。
 私の呼びかけが届いたのだというのは思い込みなのかもしれない。だけど一瞬だけカトルくんの動きが確かに止まった。その隙をつくように、グランくんが再びその剣を握り直す。瞬きも呼吸も忘れてしまう。弧を描くその切っ先は、カトルくんの肩を切りつけた。それが、酷くスローモーションに見えたのだった。地を這うような悲鳴をあげるカトルくんを、私の網膜は鮮明に焼き付けていた。



「でかしたグランちゃん!」



 次の瞬間、カトルくんの足元から剣の塊が持ち上がり、光の牢のようにしてその身体の自由を奪った。
 シエテさんだ。一度は吹き飛ばされたものの、カトルくんがグランくんに意識を割いていたことでその技を出すだけの隙を見出せたらしい。轟音と共にカトルくんは地面に縫い付けられる。這いつくばって、叫び声をあげている。
 息を飲むほど完璧な連携だったのに、まだ足りない。カトルくんは身動きを取れないように身体を押さえつけられていたけれど、それでもその手から四天刃は離れていなかった。
 四天刃と彼を引き離さなければ、カトルくんは解放されない。だけどもうグランくんもシエテさんも、身動きが取れない。



「グガアァァァアアア!」



 空気を振動させる悲鳴に肌が粟立った。シエテさんの作った光の牢に指を絡めて、カトルくんは尚も抜け出そうとしている。崖から落ちてしまいかねないほどに身を乗り出す。「カトルくん!」本当に、叫ぶしかできないのだ、嫌になる。
 だけど、私の真横に立つ人は「ありがとう、」と言った。顔をあげる。満天の星空の下、エッセルさんは銃を構えて、その銃口を丘の下、身動きを封じられたカトルくんに向けた。破いたマントで固定された手は、微動だにしていなかった。



「……のおかげで、もう手が震えない」



 エッセルさんがその引き金を引く。乾いたその音が草原に響くのを、私はただ聞いている。