自分の息の音が、足音よりも大きく聞こえる。あの戦場から、シエテは私を逃がした。グランを呼んで来て欲しいと私に頼み、カトルの意識を自分に逸らしてくれた。
 他に動ける十天衆はいなくて、私も大きな傷は手の甲だけとは言え、怪我を負っていた。一緒に戦うと言っても、私が足手纏いであることは明らかだったのだ。シエテはその剣を自在に操りながらカトルと渡りあっていた。防戦一方になる私とは違った。
 罰を受けようと決めたのに、こうして命が繋がると欲が出る。カトルを救うことができるんじゃないかという希望が生まれて、そのためだったらなんでもできると思ってしまう。
 きっと今のカトルからは既に理性という壁はなくなっていて、それまで覆い隠していた感情や願望が濾過されずに垂れ流されている。カトルの叫びは獣のそれと大差なかった。シエテに背を押され、逃げ出すように駆けだした私に向けられたカトルの殺意も、シエテが全部受け止めた。



「頼んだぞ、エッセル!」



 振り向く暇があったら走れ。
 十天衆を象徴するマントが風を受けて靡いて、今はそれすらも酷く重い。草むらの中の石か枝に引っかかって、足がもつれそうになったけれどどうにか堪えた。手の甲はじっとりとした痛みがあって、熱い。痛みから気を逸らすように考えを巡らせた。そうすることで、少しは頭も冷静になれた。
 グランはマフィアとの緊張の維持のために星屑の街に向かってほしいとシエテに頼まれたと言っていたけれど、もしかしたら、シエテは全部、こうなることを見越していたんじゃないだろうか。カトルを抑え込むための手段としての手は多くあった方が良いと考えて、それでグランを街へ呼び寄せておいた。ああ、すごいな、と、走りながら考える。どんなに絶望的な状況でも、シエテはそれをゼロに戻してくれる。だから私たちはシエテを信頼している。
 街の門が見えてくる。星屑の街があまりにも静かであることに安心して、泣きたくなった。グランたちが寝泊まりに使っている家は、路地の手前の三角屋根の家であるはずだ。グラン。祈るように心の中で呟いたそれが、口の端から漏れていく。
 グラン、グラン、どうかあの子を助けて。
 縋り付くしかできないなんて、なんて私は情けないお姉ちゃんなんだろう。
 息を吸ったら、冷たい空気に肺が痛んだ。こんな夜なのに、何かの冗談みたいに、星が美しかった。








 私が望み、欲したもの。
 皆がずっと幸せであること。それぞれがそれぞれの夢を叶えて、笑顔で暮らせること。その中に私とカトルくんがいることは、絶対譲れない。私はカトルくんに寄り添って、にこにこ笑っていたい。私が年を取って、しわくちゃのおばあちゃんになるまで。
 辛いこととか、嫌なこと、しんどいこと、例えばそれこそ、今みたいな。そういうのがあったとしても構わなかった。一人ぼっちに戻るよりはずっと良いから。
 走っているだけで口の端からひゅうひゅうと息が漏れる。寝間着の上に、普段羽織っているカーディガンを重ねているだけだったから、身体の芯から冷えそうだった。脇腹はもうずっと前から痛くて、本当に、体力がなくて嫌になる。何もかもが無事に終わったら、筋トレから始めたい。あ、でも、柔軟からの方が良いのかも。ダイエットにもなるかな。カトルくんは付き合ってくれるかな。私の身体が硬いのを見て、きっと呆れるんだろうな。「そんなに身体が硬いなんて、ちょっと酷すぎません?」って、眉を顰めて。だけどそこに愛情があるってことを私は知っているから、傷ついたりしない。
 やっぱり、どんなときもカトルくんと一緒が良いな。一番丈夫な魂の糸があるんだったら、私はそれをカトルくんに持っていてほしい。元の世界に未練なんかない。この世界に骨を撒きたい。私のことをずっと気遣ってくれていた叔母さんには、ごめんなさいって伝えたいけれど、それでも空っぽの入れ物に憎しみと絶望だけを注いで生きていた私は濁って、澱んで、きっともうどうしようもなかった。ここに来て、皆と会わなければ、私はずっと膿んだ傷を負ったままだった。それは間違いない。
 色んな思い出がぐるぐると走馬灯のように頭を過ぎって、だけど最後に脳裏に浮かぶのは、カトルくんだった。カトルくんの、私にしか見せないような笑顔。笑うとちょっと子供っぽくなって可愛かった、言えなかった、言ったらもう笑ってくれないと思ったから。
 だから、やっぱり会わなくちゃ。会ってたくさんお話をしなくちゃ。
 不格好な足音と私の呼吸音が、静かな夜の街に響いて酷く耳障りだった。西の空は今も時折赤い光を放っている。光源に近づいてきたせいか、微かに金属と金属のぶつかり合うような音が聞こえていた。
 空を覆う光に導かれるように走っていた私の目の前を二人分の人影が駆け抜けたのは、丁度その時だった。寝静まっていた街の一部が突然息をしたようだった。「あ」思わず声をあげた私に、その人たちは立ち止まって振り返る。







 そこにいたのは、エッセルさんとグランくんだった。